77.ステラリード家の憂鬱
魔術大国ミスリアが存在するラーシア大陸。
主に人間が生活をしているエリアには三つの国家が存在する。
まずは魔術大国ミスリア。
ラーシア大陸で最も広大な領土を持つ魔術国家。
魔術の研鑽の為に、龍族等の他種族とも交流を深めている。
ただ、それは秘密裏に行われており、知る者はミスリアでも上層部だけであった。
そして、残る二ヶ国。
ミスリアと国境を面している砂漠の国、デゼーレ。
灼熱から逃れるように、ミスリアへ移住する者も少なく無い。
そして、そのような人間を狙う為に国境付近には盗賊団が屯している。
狙われる事が解っていながらも、デゼーレのギルドが盗賊団の対処を行っている様子が見えない事から、国外逃亡する者を粛清しているという噂すら囁かれていた。
最後はフレジス連邦国。
八つの小国家が統合して生まれた国であり、ミスリアからすれば陸続きには砂漠越えが必要となる国。
エトワール家の管轄で海路を使って最低限の交流こそしているものの、互いに影響を及ぼす事はあまりない。
ミスリアとデゼーレの国境。
その警備と監視を任されているのが、ミスリア五大貴族のステラリード家。
アメリアは、その本家に足を運んでいた。
王都から出発し、ほぼ縦に国を南下していたアメリアの旅はここで一先ずの折り返しを迎える。
「アメリアちゃん! 益々綺麗になって!」
イルシオンの母であり、ステラリード家夫人のイザベラ。
彼女はアメリアをその眼に確認するや否や、抱き着いた。
「お久しぶりです、イザベラ様。お元気そうで何よりです」
「もう、そんなよそよそしくしないで!
小さい頃みたいにイザベラおばさんでいいわよ」
幼い頃、彼女はイルシオンを連れてフォスター家まで訪れていた。
当時は疑問に思わなかったが、フォスター家とステラリード家ではかなりの距離がある。
五大貴族で唯一、王族領を挟んで存在している為に浮いた存在となりがちだったフォスター家。
心優しいイザベラは、同年代の子供を持つ親として気を遣ってくれていたのかもしれない。
そういった記憶もあってか、アメリアは国境付近に赴いた際には彼女への挨拶を欠かさないように心がけていた。
「……いえ、今はそういう訳にもいきませんよ」
はにかみながら、アメリアは言った。
今は互いに立場があるし、互いが神器を所有している。
その両家が手を組んだと誤解でもされようものなら、政治面で面倒な事になりかねない。
「そう? 残念ね。ずっとイルは帰ってこないし、クレシアちゃんはイルと一緒だし。
ずっと息子と未来の娘の顔が見られていないのよ?」
イザベラはやれやれと言った様子で頬に手を当てている。
それと、どうやらクレシアは彼女の中でイルシオンの許嫁ぐらいの存在となっているらしい。
尤も、それをクレシア本人に聞かせれば喜ぶだろうが。
「イルくんとクレシアさんなら、会いましたよ」
「アメリアちゃん、本当なの!? 一体どこで!?」
「ナタレ鉱山で盗賊を捕まえていました。クレシアさんと一緒に」
「すぐそこじゃないの!」
机に突っ伏したイザベラが「ああぁぁぁぁ」と情けない声を漏らす。
仮にも五大貴族本家の夫人のこんな所を他人に見られたらと、アメリアの方が緊張してしまっていた。
「イル、もう二年ぐらい帰ってないのよ。
クレシアちゃんのご両親にも、連れまわしてごめんなさいって謝りっぱなしだし……」
確かに年頃の娘が二年も男と旅に出続けていると考えると、親心としては不安で仕方がないかもしれない。
しかし、先日に二人と会った時はクレシアもイルシオンと居る事に不満はなさそうだった。
帰りたそうにしている様子も見せてはいなかった。
疑問を抱いたので、アメリアはそのままイザベラへ投げる。
「イザベラ様、一応確認なのですが……。
エトワール家からは、その件を訊かれたりしたのですか?」
「いいえ。放任主義なのかしら? 私が連絡をしても『分かりました』ぐらいしか返ってこないのよ」
ナタレ鉱山はエトワール家の管轄だ。
あの場所にイルシオンとクレシアが居たのは、もしかすると――。
「あの、イルくんはもしかするとエトワール家には挨拶に伺っているのでは?」
「え?」
イザベラの眼が点になった。
「いえ、流石にイルくんも年頃の女の子をずっと連れまわすのは良くないと理解しているでしょうし。
どちらかと言えば、クレシアさんがイルくんの旅について行っている印象でしたので……」
イルシオン・ステラリードはその英雄症候群とでもいえる行動により、嫌でも目立つ。
本人は暴れまわって健在をアピールしていても、それが彼女の安否とイコールには繋がらない。
だから、クレシアだけはきちんと定期的に帰らせているのではないだろうか。
彼が唯我独尊だとしても、正義感と心根の優しさは変わっていないはずだ。
アメリアはそう推測をした。
「そう? そうなの? いや、それならいいんだけどね。
でも、それはそれでショックだわ……」
イザベラはまた机に突っ伏した。
今度は顔を机に埋めたまま、ぽつりと呟いた。
「イル、うちが嫌いなのかしら。
反抗期に入ったと思ったらそのまま神器に認められて、旅に出ちゃったでしょ。
相談も無かったのよ。私、育て方を間違えたのかしら……」
「そんな事ありませんよ」
アメリアがそう呟くと、イザベラの顔が上げられる。
彼女はまたも、他人には見せられないような弱々しい顔をしていた。
「イルくんは子供の頃から変わっていませんよ。
ただ、紅龍王の神剣に選ばれたのでその力を困っている人の為に振るうべきだと思っているんですよ。
勿論、奔放すぎるところはあると思います。それでも、イルくんなりの正義を貫いているんですよ。
帰ってこないのは、自分の名声で無事を知らせる事が出来るから、帰る時間よりも困っている人を救う方に時間を充てているだけです」
「……そうかしら」
「少なくとも、私はそう思っていますよ」
「……たまに、イルが壊した物の請求書が届くのは?」
「それは……。恐らく、イルくんが捕まらないから仕方なくこちらに送っているのでは……?」
そうでなければ、五大貴族の本家に直接請求書を送るなんて無謀な真似をするとは思えない。
「アメリアちゃんやオリヴィアちゃんもだけど……。
どこ本家の子もちゃんと仕事をこなしているのに、神器を持っているウチの子がフラフラしていても大丈夫?」
「それは、その……。
イルくんは神器を持っているので、逆に威光が強すぎるというか……」
自分も蒼龍王の神剣を持っているからこそ、解る。
本当に、大抵の反論は勝手に抑え込まれているのだ。敵に回すぐらいなら、多少の狼藉は赦す勢いで。
アメリア自身が責任を感じてどんな批判も受け入れようとした事でさえ、咎める者は殆ど居なかった。
だが、あくまでそれは神器の所有者の話である。
くっついてふらふらとしているクレシアがどう思われているかは、別の話だ。
神器の恩恵。そのおこぼれに与ろうとしているなど、心無い言葉が耳に入った事もある。
ただ、今それをイザベラへ伝えるとまた落ち込みそうだ。
最悪、クレシアをエトワール家へ帰す可能性すらある。
それは二人が望む事ではないだろうと、アメリアは口を噤んだ。
「神器を持っているのが無職で、大丈夫かしら!?」
「冒険者と名乗れば、無職ではありませんよ……」
アメリアは、我ながら苦しい言い訳だと思った。
「あの子はちゃんと、冒険者登録をしているのかしら……」
例えしていなくても、ミスリア内だとどんな依頼の斡旋も来てしまいそうだ。
尤も、採取や遺跡の発掘などは嫌がるだろうが。
「ええと……。とにかく、イルくんとクレシアさんなら大丈夫ですよ。
次に会った時、それとなくイザベラ様が心配している事をお伝えしますから。
王都に居るオリヴィアにも、伝えておきます」
「うぅぅぅ、ありがとうぅぅぅ。アメリアちゃぁぁぁぁん!」
起き上がったイザベラに再び抱き着かれたので、優しく頭を撫でる。
立場が逆なような気もするが、きっと彼女も息子が心配だったのだろう。
「ところで、ルクス様はいらっしゃらないのですか?
出来ればご挨拶をしたいのですが……」
アメリアは、姿の見えないイルシオンの父について尋ねた。
ステラリード家現当主である彼には、きちんとウェルカの事件についての見解を訊いておきたい。
「それが、あの人。もう一週間も帰っていないのよ。
仕事に出て、それっきり。そろそろ帰ってくるとは思うのだけれど」
「……え?」
アメリアは思わず、訊き返してしまった。
イザベラは指をくるくると回しながら、説明を始める。
どうやら、国境にあるカッソ砦から隣国の盗賊団の目撃情報があったという。
その調査かつ、状況によっては応戦の必要があると彼は言い残して向かったらしい。
(妙ですね……)
確かに、デゼーレの盗賊団についてはアメリアも何度か耳にした事がある。
直接相対したこそ無いが、手練れの者が多いとの噂だ。
だが、国境を越えてくる事はまずない。
魔術大国ミスリアに牙を剥くというのなら、ミスリアとて黙ってはいない。
本気で争えば、まずミスリアが勝つだろう。
盗賊団だって、それを理解しているからこそ自国内で盗賊行為を行っているのだ。
「砦の人は焦っている様子でも無かったから、あの人も大事だとは思ってなかったみたいなんだけどねぇ。
こんなに帰りが遅いって事は、厄介な案件だったのかしら?」
数人程度だったのだろうか。それとも、確認が出来ただけで国境を越えては居なかったのだろうか。
脳裏で様々な可能性を巡らせるが、どれも推測に過ぎない。
ただ、ウェルカ領での出来事にこの間の山賊騒ぎ。
そして、ピースが遭遇したという魔物の巨大化。
最近、どうにも治安が悪い。
いや、ウェルカ領での出来事を知ったからなのかもしれない。
もしかすると、ミスリアは今揺れていると思われているかもしれない。
自国内の対処をしている今こそ、攻め入る好機なのだと。
「イルったら、よそ様の問題に首を突っ込むならウチの管轄でも解決してくれていいのに。
肝心な時に居ないんだから」
「はは……」
それはきっと、家へ帰るように言われるから敢えて避けているのではと思う。
憤慨するイザベラに、アメリアは愛想笑いしか出来なかった。
だが、同時にこうも考える。
国内ではイルシオンの奔放さは知られているが、国外の人間にまで知られているだろうか。
もし、小さな事にも神器を出して抑制していると思われてしまったら。
それほどまでに、ミスリアに余裕が無いと誤解されてしまえば。
デゼーレからの圧力は、徐々に強まるのではないかと。
だが、それはアメリア自身も同じだ。
自分が赴いて、蒼龍王の神剣を抜けば同じ事。
カッソ砦へ向かっても良いのだろうかと、アメリアは頭を悩ませる。
「ああ、もう。どちらでも良いから早く帰ってこないかしら。退屈だわ」
イザベラは頬杖をつき、人差し指でトントンと頬を叩いている。
口調こそ重苦しくならないように気を配ってくれているが、彼女も夫と息子が心配なのだ。
ならばと、アメリアの腹は据わった。
「イザベラ様。私が様子を見てきますよ」
元々、ルクスには用事があるのだからと、アメリアは続けた。
「……いいの?」
「ええ、勿論です」
「ありがとうぅぅ、アメリアちゃん」
そう言うと、イザベラは三度アメリアを抱擁した。
人肌が恋しいぐらいには、不安だったのではないかとさえ思う。
彼女の腕に包まれながら、アメリアは考える。
カッソ砦に、そして隣国の盗賊団に何があったのかを。
ウェルカ領の事件とは、無関係なのかを。
仮に盗賊と戦闘になったとしても、神器を抜く事になるとは限らない。
いや、余裕が無いと判断されない為には抜かない方が良い。
それでも、盗賊程度に劣っているつもりは無い。
問題は、ルクスが帰ってこない理由が盗賊以上のものだった場合。
その場合は、躊躇せずに蒼龍王の神剣を抜くべきだろう。
アメリアはイザベラに気取られないように、気を引き締める。
翌日、アメリアはカッソ砦に向けて馬を走らせた。