幕間.切り株闘技場
切り株闘技場。
それは古くより妖精族に伝わる伝統的な遊具。
切り株を擂鉢状にくり抜いた闘技場。
擂鉢の中腹まで続く螺旋の溝から解き放たれ、闘士は闘いの舞台で輪舞を踊る。
その底に在るものは、孔。
直径50ミリほどのそれは、敗者を飲み込む冥府への入り口。
遊び方は至極単純。
用意する物は、この孔より小さい球。
材質も重さも問わない。孔より小さければ大きさでさえ自由である。
勝利条件は、最後まで生き残っている事。
歩みを止めたり、孔に落ちるれば『死』となる。
舞いながらも激しく己を主張して、彼らはぶつかり合う。
己が最強である事を証明する為に。
ここに、四人の子供が己の強さを誇示せんと集う。
曲芸蛇のショウ。
抵溝のリック。
妖精族であるこの二人は、切り株闘技場に最も長く触れている。
彼らに挑まんとする者は獣人族から一人、そして人間から一人。
戦角のカラカル。
獣人族の子供であり、妖精族の里にて切り株闘技場に魅せられた少年。
泥球のヒメナ。
ギランドレの孤児であり、妖精族の里にて引き取られる事となった少女。
今回が、切り株闘技場初陣となる。
「準備はいいか!」
ショウが威勢のいい声を上げる。
自分が勝つ事を信じて疑わない、強者であらんとする者の声。
「ええ、僕の勝利まではあと一分といった所でしょうか」
リックは左手の中指で、眼鏡をかけ直す。
彼もまた、自信に満ち溢れている。
「いいや、勝つのはオレだ!」
初勝利を目指すカラカルが鼻息を荒くする。
獣人族の代表として、負けられない戦いだった。
「よ、よろしくね」
最後に、ヒメナが声を上擦らせる。
初めて一緒に遊ぶ亜人達を前にして、若干の緊張をしていた。
全員の視線が交差し、合図のように頷かれる。
各々の闘士を指先から解放し、闘いの火蓋は切って落とされた。
四種類の闘士が擂鉢に掘られたレールに沿って、その身を闘技場へと走らせる。
その軌道は螺旋を描いて混じり合う。
最初に闘技場へ舞い降りたのは、カラカルの戦角だった。
彼の闘士は魔物である一角ウサギ。
濃度の高い魔力によって、逞しく成長した魔物の角。
その角を削り取り、球体としたものだった。
やや遅れて、ヒメナの泥球がレールから解き放たれる。
彼女の泥球はその名の通り、泥で作られている。
ついさっきまでおままごとで晩ご飯の役割を得ていたもの。
一生懸命、ツルツルになるまで磨かれた泥団子。
凝縮された砂は、どのような戦いを繰り広げるのか。
質量の大きいふたつが闘技場に飛び込み、初撃を与えんと闘技場をぐるぐると回る。
だが、互いの邂逅より先に抵溝師と曲芸蛇が姿を現した。
抵溝師は切り株闘技場に於いて最もスタンダードな素材を用いられている。
この闘技場を作る際にくり抜いた木。それを球体にしたものだ。
それだけではただの球に過ぎないそれを、抵溝という闘士にしたのはある細工を施しているからであった。
細かく、いくつも刻まれたV型の溝。それが抵溝の正体。
敢えて闘士に『順目』と『逆目』を作る事によって、闘士に加わる力に対するアプローチを変えていた。
基本の球で戦い続けたからこその、リックの知恵。
最後に入場した曲芸蛇は最も特殊な闘士でもあった。
闘士の中心から外れた部分に、鉄の小さな玉を埋め込む。
これこそが、曲芸蛇の本体。たとえ外鎧が割れても歩みを止めなければ、戦い続ける。
そして外鎧が生きている限り、ずらされた重心によりショウ本人にも予測の出来ない軌道を生み出す。
それぞれの思惑が闘士という形で混じり合う。
初撃は戦角だった。
「ブッ飛ばせぇ!」
戦角が追い掛ける形となっていた泥球に衝突する。
先制攻撃をしたつもりだったが、泥球は泥の闘士。
詰め込められた想いと土が直径50ミリに凝縮されている。
逆に追突したはずの戦角が逆に勢いを呑み込まれてしまう。
推進力が弱まり、敗者の孔へ向かって下っていく戦角。
だが、幸か不幸か抵溝の上部に接触し、両方が孔から逸れていく。
「あっぶねぇ……」
『逆目』となり勢いの殺されたリックが歯ぎしりをしていた。
命拾いをしたカラカル。そして、最初の接触を耐えたヒメナが胸を撫で下ろす。
背中を押され、加速をしたヒメナの泥球。
その質量からも、正面からぶつかり合えば他の闘士はひとたまりもないだろう。
事実、ズレた重心により蛇行するショウの曲芸蛇が掠めただけで闘技場の上部へ飛ばされる。
曲芸蛇の特性により孔堕ちは回避したが、真正面から勝てない相手と印象付けるには十分だった。
「が、がんばれっ」
闘技場に降りたからは、もう自分は応援をする事しか出来ない。
ヒメナの声援に応えるかのように泥球はその膂力を見せつける。
カラカルの顔を汗が伝う。この闘い、敵はショウの曲芸蛇とリックの抵溝だと思っていた。
だが、予想外の伏兵がこの場を支配している。
泥を圧縮しただけの闘士。
シンプル故に力を最大限発揮しているそれは、同じように密度の高い角を原料とした自分の戦角の力を上回っている。
同じ考えから派生した闘士だが、こうも違うのかとさえ思う。
しかし、切り株闘技場における闘いはそれだけでは決まらない。
そして、泥球には重大な欠点が存在していた。
「あっ……」
ヒメカが狼狽える。転がり続ける泥球に起きた異変。
大きな亀裂が泥球に刻まれていたのだ。
泥球の弱点。それは泥団子である事。
磨き上げられ、木の闘技場を駆けまわる間も着実にその水分は失われていた。
一度刻まれた亀裂が広がる事はあれど、塞がる事は無い。
間も無くして、泥球は半分に割れてしまいその歩みを止めた。
孔にこそ入ってはいないが、これ以上闘士が進む事も無い。
ヒメナの切り株闘技場は、これでデビュー戦を終えた。
「そんな……」
膝をついて涙を啜るヒメナだが、その眼に宿った光は消えていない。
両親を失って知らない土地へと流れついた。
耳の長い子供や獣耳の子供や、声を掛けてくれた。
その感謝を力に変えて、また新たな闘士と闘技場に戻ってこよう。
そう語っているような、力強い瞳だった。
そして、泥球は敗北こそしたものの孔に墜ちた訳では無い。
この事実が残る三人の戦況を左右する事となる。
不規則な動きで抵溝と戦角を躱し、自分だけは勢いを失わんとしていた曲芸蛇。
予測不能である事を武器にしている曲芸蛇だが、それが仇となる。
割れた泥球は大きな泥の塊となる前に、細かい砂となって闘技場に散らばっていた。
「どうした、曲芸蛇!?」
リックが思わず声を上げる。
重心のずれている曲芸蛇は砂によって動きを減衰させられ、ずれた重心であらぬ方向へと転がっていく。
ふらふらと左右にぶれながらも、着実に孔へと突き進んでいた。
そこに運悪く現れたのが抵溝と戦角。
両者にも砕けた泥球による影響は確かにあった。
しかし、曲芸蛇ほどではない。
右から抵溝、左から戦角にぶつけられた曲芸蛇はその振れ幅を小さくする。
「ま、待て……っ!」
ショウの声も届かず、無情にも曲芸蛇は奈落の底へと墜ちていった。
「くっ……!」
地団駄を踏む。まさか、こんな展開になるとは思っていなかった。
曲芸蛇は確かに運の要素が高い。かといって、ずらす重心の位置を変えればその魅力は薄くなる。
更なる研究が必要だった。ショウは、曲芸蛇が最強だと証明しなくてはならない。
彼の闘いは、次なる舞台へ向けられていた。
「まさか、最後に残るのが君とはね」
リックは素直に驚いていた。切り株闘技場は安易に勝利を掴む事が出来る遊戯ではない。
認めざるを得ない。カラカルの生み出した戦角はシンプルだが確かに力強い。
だからこそ、負けられない。切り株闘士として、純粋な球体を棄てて闘士を生み出した。
それを否定される訳にはいかない。
「今度はオレが勝つ!」
カラカルは手が届きそうな『勝利』を前にして、闘志を滾らせる。
ついに『勝利』が夢ではなくなった。シンプルな球体こそが最強だと信じていた。
後は、どんな素材が合うかだった。そこで出会ったのが、一角ウサギの角だったのだ。
削るに至った切っ掛けは、二人の人間だった。
人間が一角ウサギの角を使って、魔術師を撃退したと耳にした。
敬愛する自分達の王も感心していた事から、すごい武器なのだと思った。
もう一人は、薬師の女性だった。
自分達と遊んでくれて、いつも優しく微笑む聖母のような女性。
そんな彼女が魔術師をも撃退する一角ウサギの角を削っていた。
角以外の使い道があると、そこで知った。
だから、自分も一角ウサギで最高の闘士を生み出した。
凄い武器だという勘違いから生まれた経緯を持つ戦角だが、カラカルは相棒を信じていた。
両者の勢いは確実に失われている。
次が正真正銘の最終決戦。
「いっけええぇぇぇぇぇ!!」
「負けるなあぁぁぁぁぁ!!」
二人の意地が、擂鉢の中でぶつかり合う。
質量の小さい抵溝が弾かれる。リックの想像よりも強く、遠くに飛ばされた。
一方で戦角もその勢いに影を落とした。
両者の命運を分けたのは、またも泥球の欠片だった。
勢いを失った泥球は、その重い身体を持ち上げる事が叶わない。
砂の粒に誘導されるように、孔へと向かっていく。
抵溝には奇妙な状況が起きていた。
砂の欠片が縁となり、孔に吸い込まれる事を防いでいく。
何が起きているのか、リックは抵溝を凝視する。
答えは、抵溝の形状に隠されていた。
掘られた溝が泥球の砂粒で埋まっていたのだ。
それが先の戦角との激突によって崩れ、転がる度にその身から剥がれていく。
結果的に、自分を支える縁が誕生していた。
予想より多く弾かれたのも、砂が埋まっている事によって巡目と逆目が埋められていたからだろう。
ゆっくりと転がり落ちる抵溝より先に、戦角が奈落へ吸い込まれた。
この瞬間に、勝敗は決した。
勝者は抵溝のリック。
やはり、今回の戦いも妖精族の勝利となった。
「どうやら、僕は君に助けてもらったみたいだ。ありがとう」
リックは勝利の立役者となったヒメナに手を差し出す。
彼女は戸惑いながらもその手とリックの顔を交互に見たが、やがて握手を受け入れた。
「もう一回だ! もう一回!」
「あ、ズリィ! 今度はおれも!」
人間も、妖精族も、獣人族も関係ない。子供達が切り株闘技場の前に集まる。
種族を問わないコミュニティが、そこには生まれていた。
「……なんだか、いいね。こういうの」
その様子を、温かな視線を送って見守る者。
妖精族の女王であるリタと、魔獣族の王であるレイバーン。そして、彼女の友人であるイリシャ。
眼前に広がる世界が、自分達の目標。
着実に夢に近付いていると実感できる。こんなに嬉しい事は無かった。
「うむ。余やリタのような者が増えればいいな!」
うんうんと頷くレイバーンに、リタは顔を赤らめた。
「二人がもっと仲良くなれば、その夢も近付くわよ。頑張ってね」
「イリシャちゃん!」
微笑むイリシャを前にして、リタが顔を真っ赤にしていた。
意味をきちんと理解していないレイバーンだけが、豪快に笑っていた。