76.火龍の思い出
「なんだか、納得いかない……」
完全に火龍の姿への戻ったフィアンマが、愚痴をこぼす。
軽い遊びのつもりだった。いや、二人が思ったより強いので少し本気を出してしまっていた。
実は何回かは、灼熱の息吹を吐きかけていた。
大惨事となるので、なんとか堪えはしたが。
「まあ、たしかに。あたしも少しはズルっこだと思う」
フェリーが腕を組みながら、うんうんとうねる。
どんな方法でフィアンマを動かすのかと思えば、擬態を解かせる方法だとは思っていなかった。
「いや、俺もあんなに上手く行くとは思ってなかった」
正直言って、シン自身も驚いていた。
魔力を吸わせてみればという思い付きが、想像以上の効果を上げてくれた。
結局、この短剣がどんな古代魔導具なのかは判らない。
魔術の効果を失わせる程、魔力を吸っているのに何も反応しないのだ。
ただ、使いようによっては強力な武器になると思った。
魔力を殆ど持たず、魔術を使えない自分だからこそ扱える対抗策として。
「まぁ、負けは負けか……」
フィアンマは下顎を突き出し、ふっと息を吐く。
口の中で不完全燃焼となったのか、黒い煙が歯の隙間から漏れていった。
腑に落ちない面はあるが、確かに自分は敗けた。
そして、自分に勝ったシンとフェリーを交互に見つめる。
フェリーの持つ刃、あれは魅力的な武器だと思った。
膨大な魔力を凝縮し、それを受け止めきってもなお刃の形を保つ魔導具。
ムキになって神器である紅龍王の神剣と比較をしてしまったが、使い手によってはその強さは反転するだろう。
そして、その火力を信じて力強い一歩を踏み出す少女。
可愛らしい顔に似合わず、中々に力強い。ただ、同時にこうも思う。
(やっぱり、ミシェルとは違う娘なんだな)
それをはっきりと、実感させられた気がした。
そして、シンだ。
彼もまた、様々な方法で自分に立ち向かってきた。
鉛の塊を射出するマギアの武器。
水の羽衣で身を守りつつ、生まれた死角を巧みに操る判断力。
命のやり取りではないからか、無手で自分の力を利用しようとさえしてきた。
決め手となった魔力を吸い取る短剣といい、小手先に頼っている感は否めないが、目的を前にして一歩も退かない強い意志を彼からも感じた。
シンがどうしてミシェルの話を知りたがっているのか、フィアンマには判らない。
ただ、絶対に彼女の事を訊き出す。その気迫が彼の背中を押しているように思えた。
ならば、思い出話をするのも悪くは無い。
話して困るような事もないし、久しぶりに彼女との思い出に耽ろうではないか。
「まあ、約束だからね。教えよう、ミシェルの事を」
紅龍の王は地面から顎を離し、自らの思い出話を語り始めた。
……*
フィアンマが『ミシェル』なる人物と知り合ったのは今から20年以上も前としている。
はっきりと何年前か覚えていないのは、寿命が長い龍族にとっては誤差の範囲だからだった。
ただ、20年以上は確実に前だと言っていた。
「ミシェルと出会った日、ボクは父と一緒にミスリアへ訪れていたんだ」
まだ、フィアンマが紅龍の王を継承する前。先代の王であるフィアンマの父が友人であるミスリア国王と会いに行った時の事だ。
将来に関わるからと、自分も連れてはいかれたがまだ実感が湧かなかった。
ただ、神より授けられた神器である紅龍王の神剣。それを任せているのだから、信用が置ける相手なのだろうとはぼんやり認識していた。
父の擬態は完璧で、どこからどう見ても人間そのものだった。
対して自分は、尻尾も翼も角も隠しきれていない。龍人族に間違われるのも無理はない。
人間の集落では、亜人は非常に珍しい。更に言うならば擬態が解けて龍族だと知られれば、パニックに陥ってもおかしくは無い。
王への謁見もほどほどに、自分はミスリアの城から離れた。
人目を避け、あてもなくふらふらと歩く。行きついた先は王都から外れた場所にある森だった。
ここなら誰も居ないだろうと、擬態を解いて龍族の姿へと戻る。
今日のように森で昼寝をしていると、そこにひとりの女性が迷い込んだ。
美しい金色の髪を持ち、炎のように真紅の瞳を持った女性。
龍族である自分を見て、眼をぱちくりとさせる彼女は、名をミシェルと言った。
ミシェルはミスリア王国王都、その平民街に住む普通の少女だった。
特にこれと言って秀でたところもなく、魔術も使えるがミスリアでは特別凄いという訳でもない。
ただ、龍族の自分と見た目で判断しない清らかな心と、穏やかな微笑みが可愛らしいと思った。
「年齢は……、逢った時で24歳って言っていたかな?」
「24歳か」
確かに、それぐらいの差ならフェリーを見て「若返った」と言ってもおかしくはない。
20年以上前の話なら今は40歳以上。50歳前後だろうか。
仮にフェリーの母親だとしても、計算が合う。
だが、同時にシンはこうも思う。
フェリーはアンダルに逢う前の自分を『無』だと評した。
清らかで、穏やかな人間が自分の娘にそんな仕打ちをするだろうかと。
やはり、自分がこじつけたいだけなのだろうか。
頭を悩ませるシンをよそに、フェリーはただ聞いているだけだった。
やはり、他人の思い出話を語ってもらっているに過ぎない。
何かを思い出すことも無ければ、耳にした事があるという訳でもない。
ただ、龍族と仲良くなる女性の話は御伽噺のようだった。
リタとレイバーンもそうだが、色んな種族がこうやって交友を深めるのは良い事だ。
そう、ぼんやりと思い浮かべていた。
フィアンマは昔話を続ける。
ミシェルは自分がミスリアに滞在……と言っても、森の奥で隠遁しているだけなのだが。
その期間、毎日のように足繫く通ってくれていた。
横たわる自分の身体にもたれかかり、「フィアンマは、暖かいね」とそのまま眠ってしまう事もあった。
ミスリアとの交友が今後も続いていき、自分がその舵を切る時が来る。その事はフィアンマも理解をしていた。
ただ、あくまで一族が築いた地盤を引き継ぐだけだと思っていた。あまり、人間に興味は無かった。
紅龍王の神剣を預けてはいるが、自分が生まれた時には既にミスリアの手に渡っている。
父が言う程に、神器が大切なものだとは思っていなかった。
だから取り返そうとまでは思わないが、そのまま紅龍の手から離れても構わないとさえ考えていた。
擬態も上手くできない自分が、人間の国を混乱させるよりはその方が良いのではないか。そう思っていた。
「うーん、私はフィアンマのその恰好も悪くないと思うけどなあ。
結構イケメンだしね」
自分より少し高い目線にある角を撫でながら、ミシェルはそう言った。
同じ高さの、同じ大きさの瞳。交差する視線はそれが本心だという事を伝えてくれる。
「でも、ボクが街を歩いたら混乱するだろう?」
「あはは、それはそうかも」
無邪気に笑うミシェルの姿は、とても可愛らしいと思った。
でも、時々儚い表情を見せる。
ミスリアを発つ日が近付き、フィアンマは心に引っかかっていたそれをミシェルへ尋ねた。
彼女は逡巡したが、やがて理由を教えてくれた。
「私ね、妹がいるの。私にそっくりなんだよ。
もしかすると一回ぐらいは私じゃなくて、妹が来てたかもよ?」
「え? 全然判らなかったぞ」
「冗談だよ。ここにフィアンマが居る事は誰にも言ってないもの」
目を丸くするフィアンマを見て、ミシェルはくすくすと笑っていた。
ひとしきり笑った後、彼女はまた儚げな顔をする。
「その妹がね、家を飛び出して行っちゃった。『冒険者になるんだ!』って言って。
家族は反対したんだけど、夢だからって言って聞かなかったの」
ミシェルは家を飛び出た事よりも、単純に心配をしているようだった。
だから、無責任な事を言ってしまった。
「もし、ボクがミシェルの妹を見つけたら伝えてあげるよ。
『家族が心配しているよ』って」
そう言うと、ミシェルはまたくすくすと笑った。
「龍族と対面して逃げないなら、妹は凄い冒険者になってるよ」
彼女の言う通りだった。龍族相手に逃げない冒険者なら、それは一流の冒険者に違いない。
家族が心配する必要すら、無くなってしまう程の。
フィアンマは気恥ずかしくなって、頬をポリポリと掻いた。
「でも、ありがとね」
「ちなみに、名前はなんて言うんだい?」
「えっと、妹の名前はね――」
……*
「――クロエ」
ミシェルは、妹の名前をそう語った。
自分によく似た、冒険者となった妹を。
「クロエ……」
シンはその名をぽつりと呟く。勿論、その名に覚えがあるわけではない。
ただ、フィアンマから聞いたミシェルの人物像は、やはりフェリーを売るような人間だとは思えなかった。
もしかすると、そのクロエなる人物がフェリーの生みの親なのだろうか。
「ちょっと、シン? ヘンなコト考えてない?」
口元を抑え考え込むシンの顔を、フェリーが覗き込む。
美しい金色の髪に、透き通るような碧い瞳。コロコロと表情を変える少女。
彼女は、自分の出自について興味が無いと言った。
その意思を無視してまで、『ミシェル』の話を求めた。
初めは、フェリーの『呪い』に纏わる切っ掛け。
そして、彼女に潜んでいる存在の正体。それらに繋がる何かが欲しかった。
今でもそれは変わらない。
だが、今ははっきりと理解した。自分は怒っているのだ。
フェリーの時間を今、止めているモノ。そして、フェリーの始まりの時間を奪ったモノ。
自分は両方に対して憤りを感じているのだと。
だからフェリーを売った人間にも、文句を言いたかったのだと。
その気持ちを見透かされた気がした。
彼女が嫌がる事をしてまで貫き通すべきではないと、シンは己の心に蓋をする。
「考えてない。悪い、心配かけた」
「ホントだよ。いっつもコワい顔してさ」
フェリーがシンの顔を真似すると、フィアンマは思わず吹き出してしまった。
二人の視線が、フィアンマに向けられる。
「ごめんごめん。それで、結局クロエは見つかっていない。
ミシェルとも、ボクがミスリアを発ってからは会う事は無かった。
いつミスリアに行くかなんて伝えられないし、街中を歩く訳にも行かなかったから。
だから、フェリーを見た時は驚いたよ」
「ちなみになんだけどさ、あたしがクロエってヒトだとは思わなかったの?」
「……あ」
フィアンマは、眼を丸くして間の抜けた声を漏らした。
「フィアンマ、ありがとう」
「いやいや。ただ、お前達がミシェルに逢う事があれば、ボクの事を伝えてもらってもいいか?」
「それは、モチロンだよ」
フェリーが親指を立てると、フィアンマは安心をしたのか大きく息を漏らした。
「よかった。これでも、彼女の事を気にしていたんだ。助かるよ」
それから先は、フィアンマの思い出話を聞いていた。
ミシェルが自分の服を作ろうとした事。
その灼熱の息吹を利用して、料理を作ろうとしたらただの炭になった事。
どこか弱点はないのかと、擬態した自分を擽ってみたりした事。
楽しそうに語るフィアンマを、フェリーは楽しそうに聞いていた。
シンは夕食のスープを煮込みながら、穏やかな表情を見せていた。
翌日、シンとフェリーはフィアンマと別れた。
彼も仲間の火龍をこの森で待っていると言っていた。
しばらくは滞在するらしいので、今度は他のみんなも連れて来ようとフェリーが言っていた。




