75.火龍の腕試し
森に、湖畔に平穏が取り戻される。
原因が取り除かれた訳ではない。
ただ、張り詰めた糸が平穏を装っているだけだった。
「フィアンマ。頼む、お前の言う『ミシェル』について教えて貰えないか?」
火龍のフィアンマはパチパチと瞬きをする。
まだ、完全には覚醒していないようだった。
「ミシェルについて? お前達、ミシェルとは関係ないんだよね?」
「うん。フィアンマさんには悪いケド、知らないヒトだよ」
それを聞くと、フィアンマはその巨体を起こす。
長い首を天へ向けて、空をじっと眺めた。
瞼を閉じ、火龍は思い出す。
自分と仲が良かった女性。ミシェルの事を。
「……よし」
ひとつ。心に決めた事を口にする為、フィアンマは首を下ろした。
「ミシェルの話は、出来ない!」
シンの顔が強張る。
フェリーは理由が判らず、きょとんとしていた。
「ボクにとって、ミシェルとの時間は大切なものだった。
それを、知らない人間に簡単に話す気にはなれない!」
「でも、あたしとミシェルさんを間違えてたよね?」
フィアンマは顔を逸らす。
「それは、仕方ない。それだけお前とミシェルが似ていたんだ!」
知らない人に似ていると言われても、やはりフェリーはピンとこない。
ただ、フィアンマの鼻息が荒い事から気にしている様子だけが推し量られた。
「どうしても、駄目か?」
「ダメなものはダメだ!」
発達した脚で立ちあがり、脚に比べればか細いその腕を胸の前で組む。
人間のようなポーズを取りながら、フィアンマはそっぽを向いた。
しかし、遥か頭上からちらちらとこちらの顔色を伺っている。
構って欲しそうな子供の仕草、そのものだった。
シンはその仕草に覚えがある。
かつて、フェリーと妹が拗ねた時によくこちらの様子をちらちらと伺っていた。
怒ってはみたものの、構って欲しくない訳ではない。
しかし、自分から折れたくない。
そんな時に「察してくれ」と言わんばかりに、ちらちらと顔色を伺って来ていた。
フィアンマの様子は、その時の二人に酷似している。
構って欲しいけど、イニシアチブは握らせたくない。
人間のような機微を、この火龍は見せつけている。
「……どうしても、駄目か? 俺は教えて欲しいんだ」
断られた事を内心安堵したフェリーをよそに、シンはリトライする。
自分の予想が当たっているなら、フィアンマは決して袖にしないはずだ。
「そ、そんなに知りたいのか……?」
フィアンマがちらちらと視線を送る回数が増える。
「別にあたしはそんなに」と首を振るフェリーの横で、シンが力強く頷いた。
「そうか! なら、仕方ないかな。
うん、ミシェルの事を教えよう!」
「本当か!?」
「ああ」
複雑な表情をするフェリーと、拳を握るシン。
対照的な二人を待ち受けていたのは、フィアンマによるミシェルの昔話……では無かった。
「――我、仮初の――。今――」
頭上のはるか上で、火龍が何かぶつぶつと呟いている。
はっきりとは聞き取れないが、魔術の詠唱をしているようにも見える。
「ねえ、シン。なんか、様子がおかしくない?」
シンもフェリーと同じ感想を抱いた。
おかしい。火龍に知り合いの人間について教えてもらうだけなのに、何故魔術の詠唱を必要とするのだろうか。
シンはミスリルの剣を。フェリーは魔導刃を手の取り、身構える。
流石にこの流れから戦闘に派生する事はないと信じつつも、龍族相手ではその油断が命取りになりかねない。
「――亜人擬態」
フィアンマが魔術を発動すると、彼の身体が光に包まれる。
木陰をかき消すような灯りが、段々とその体積を少なくしていく。
それでも強い光である事には変わりなく、二人は腕で顔を覆った。
「これで、よしっ」
光が収まり、二人は細めていた眼のピントを合わせて現況を確認する。
巨大な火龍は自分達と左程変わらない大きさへと変貌していた。
「……人間になっちゃった!?」
「バカいえ。ちゃんとツノも、尻尾も、翼もあるだろう」
そう言うと、人間大になったフィアンマがくるっと後ろを向いた。
背中にかかるぐらいの真紅の髪に、耳から後ろに向かって伸びる角。
更に、臀部から地面へと伸びる尻尾。
飛べるのだろうかと疑いたくなるようにな小さな蝙蝠のような羽根が背中にはちょこんとついている。
実物こそ見た事は無いが、龍族と同じく本で読んだ事がある。
龍人族の姿を彷彿とさせた。
「龍人族だったのか?」
シンがポロリとその名を口にすると、フィアンマは全力で否定をした。
「違う違う。ボクはれっきとした龍族だよ。
魔術を使って、お前達と同じ大きさになっただけ。
その方が、都合がいいだろう?」
「……いいだろう? どーいうコト?」
「こういう……ことさ!」
そう言うと、フィアンマは臀部の尾を滑らせて弧を描く。
瞬く間に綺麗な円が描かれ、彼はその中心に立った。
「ボクをこの円から出せば、お前達の勝ちだ。ミシェルの事を話そう。
ハンデとして、ボクはこの擬態以外に魔術は使わない。炎も吹かない。
勿論、殺しもしない。お前達は殺すつもりでかかってきていいぞ。武器でも魔術でも好きにしてくれ」
手招きをするフィアンマを前に、二人はその発せられた威圧感を身体中で浴びせられる。
敵意とまではいかなくても、二人に緊張感を与えるには十分だった。
「ねえ、シン。どうするの? なんか、ヘンなコトになっちゃってるけど」
別にミシェルの事を知りたいという訳ではないフェリーにとっては、このやり取りは茶番でしかない。
あまり気が乗らないし、何なら不参加でもいいとさえ思っているのだが。
「俺はやる」
「そう言うと思った」
そう、シンならきっとするだろう。
「じゃあ、あたしも手伝うよ」
だったら、自分も協力しない訳には行かない。
いつも自分の事を優先してくれている彼が、我を出している。
それも、紐解いて行けば自分へと繋がるのだ。
フェリーにとっては嬉しくもあり、怖くもあり、気恥ずかしさもある。
でも、やりたいと思った。
ミシェルの事を知りたい訳ではなく、シンの力になりたいと思った。
そう意識すると、フェリーはいつもより力が湧いてくる気がした。
森の平穏は、終わりを告げる。森の住人達が、慌ただしく逃げ出した。
……*
挨拶代わりにと、シンが銃弾を撃つ。放ったのは、通常の弾丸だった。
こんな腕試しともいえる出来事で、貴重な魔導弾を消費は出来ない。
「お、マギアの武器か。いいモン持ってるな」
真正面から撃ったとはいえ、フィアンマは一歩も動く事なくそれを掌で受け止める。
握った手を開くと、先の潰れた鉛玉がポロリと落ちた。
これでどうにかなるとは思っていなかった。
だが、それにしても効果が薄すぎる。銃弾も無限にある訳ではない。この腕試しで使うには、銃弾は勿体ない。
「じゃあ、これはっ!?」
銃弾を受け止めるために、前へと突き出したフィアンマの右腕。
その死角をついて、フェリーの魔導刃が彼に襲い掛かる。
空気を灼くような茜色の刃が、彼へと襲い掛かる。
「ん? それは見た事が無いな」
瞬く間に身体を回転させ、左手で魔導刃を受け止める。
それどころか、炎を吸収されて刃の形成すら朧気になる。
「うそっ!?」
あらゆるものを焼き切る、フェリーの魔導刃。
それをフィアンマは平然と受け止めた。
「そりゃあ、ボクにとって炎は大好物みたいなもんだ。
いい武器だと思うけど、傷付けるのは難しいんじゃないかな」
フィアンマは魔導刃を掴んだ左手で強引にフェリーの身体を持ち上げると、円の外へと投げ飛ばした。
膂力を存分に見せつけられ、更に隙をついて攻めようとしていたシンを躊躇させる。
「炎の剣でボクを傷付けたいなら、ウチの神器ぐらいは用意してもらわないと」
「……ウチの神器?」
「そう。紅龍王の神剣だ。
初代がミスリアに献上しちゃってるから、今は人間のものだけどね」
フィアンマは能天気に「まあ、擬態魔術を使わないと持てないから、いいんだけどね」と言っているが、問題はそこではなかった。
彼は確かに、ウチの神器と言った。
「ちょっと待て、フィアンマ。お前は……」
「あ、言ってなかったね。ボクはフィアンマ。火龍の始祖、紅龍の王だ」
アメリアの持つ蒼龍王の神剣とは違うが、ミスリアに伝わる本物の神器。
それの元々の所有者だと、彼は主張をした。
呆然とする二人に、紅龍の王は再び挑発混じりの手招きをした。
……*
それから、どれだけの時間を積み上げただろうか。
木漏れ日が差し込む、昼下がりの森はもうとっくに終わりを告げていた。
今は見上げれば、幾千万の星明りが三人を迎えてくれる。
「えええええいっ!」
「まだまだ」
フェリーの茜色の刃が、数少ない光源となる。
それを素手で掴んでは、軽くいなされる。
ミスリルの剣から出る水の羽衣を利用して、水蒸気の煙幕も作ってみた。
だが、円から動かない。向かってくる敵に対応するだけのフィアンマに目眩ましは大した意味を持たなかった。
一度、懐に入り込んだシンは相手の力を利用して、円から出すつもりでいた。
だが、元々の膂力が違う。全くと言っていいほど、動かす事は出来なかった。
人間大になったとはいえ、元々の巨体が凝縮されたに過ぎなかった。
その証拠に、彼の爪先はずっと地面にめり込んでいる。
「どーなってるの、あれ……」
「本当に……な……」
二人は肩で息をするが、紅龍の王はけろっとしていた。
伝説級の生き物、その王だと名乗るだけの事はある。
初めこそシンへの協力のつもりで参加しているフェリーだったが、いつしか意地になっていた。
今まで、ずっと旅をしてきてここまで一方的に力の差を見せつけられたのは初めてだった。
「シンさ、もう魔導弾使っちゃわない?」
フェリーの提案に、シンは首を横に振った。
「いや、それは本当に最終手段だ」
魔導弾を使って、確実に突破できるなら撃ったかもしれない。
だが、今残っている弾丸で有効なものが思いつかない。
水流弾と高熱弾は共に二発残っている。
だが、蒸発させられるのと、そもそも効果が見込めない弾丸でもある。
残り一発しかない創土弾と凍結弾はどうだろうか。
創土弾は、敵を閉じ込める際には役立つかもしれない。
だが、現状だとそれは意味を持たない。
凍結弾に関しては水流弾と何ら変わりない。
きっと蒸発させられるのがオチだ。
せめて風撃弾があれば話は変わっていたかもしれないが、既に使い切ってしまっている。
最小限の消費で突破できる作戦が組み立てられない以上、こんな事で乱発は出来ない。
ならば、どうするべきだろうか。
息を整えながら、シンは考える。
思い出したのは、フィアンマの言葉。
――ボクをこの円から出せば、お前達の勝ちだ。
紅龍の王は確かにそう言った。
「フィアンマ。ひとつだけ確認したい」
「なにがだ?」
「身体の一部でも円から出せば、俺達の勝ちで良いのか?」
フィアンマは顎に手を当て、考える。そこまで、細かいルール設定をしていなかったという顔だ。
「そうだね。それでいいよ。ただし、ちゃんと地に着く事が条件だ」
「……了解した」
全身を出せばいい訳ではない。なら、勝機はあった。
「シン、何か思いついたの?」
「上手くいくかは解らないけどな。フェリーは、もう一回攻撃を仕掛けてくれ。できれば全力で」
「うん、わかった」
何度目だろうか、フェリーは懲りずに真正面からの突破を試みる。
魔導刃に魔力を込め、茜色の刃が一際強い光を放った。
「だから、それじゃあボクを動かす事は出来ないって」
「やってみなきゃ、わからない……よっ!」
刃を受け止められても、フェリーは構わず魔力を込める。
「ぐ……。これは……」
フェリーの全体重と、魔力を込めた一撃をフィアンマが両手で受け止める。
それすらも受け止めるフィアンマだが、それだけで良かった。
シンへの意識が、一瞬だが弱まる。
フィアンマの背中にひやりとした感覚が、襲い掛かった。
両手は塞がっている。尾の先は、シンが足で踏みつけて地面から離れない。
決してそれらが痛い訳ではない。だが、気持ちの悪い感覚だった。
何かが吸われるような、そんな奇妙な感覚。
「シン。お前は、何を……してるんだ?」
シンは答えない。答えると、間違いなく妨害されるだろうから。
淡々と、しかし決して離す事なくそれをフィアンマの身体へと密着させていた。
ギランドレの遺跡で拾った短剣。
フェリーもリタも、イリシャでさえも魔力が吸われると言った一品。
それを、フィアンマの身体へと押し付ける。
「ちょっ、まっ……なんだ、これ……」
力が抜ける訳ではない。だが、確実に魔力だけが失われていく。
シンが踏みつけていた尾が、一回り大きくなる。
翼が、空も飛べそうなぐらいに広がる。
角が、星空を衝く様に伸びた。
魔導刃を抑える手から、鋭い爪が剥き出しになる。
「お、おおおお……」
「フェリー、下がるぞ」
「おっけ!」
尻尾が足で抑えきれないぐらいになったのを見計らって、二人はその場から離れる。
紅龍の王自身が言ったルール。フィアンマの伸びた尾の先端。
身体の一部は、確かに円の外へとはみ出していた。