73.湖畔の龍
長い会議を終えて疲れ果てたリタとレイバーンが居住特区の様子を覗きに来る。
希望者は既に移住を始めており、宴会に使われた広場は公園に改修される予定となっている。
次世代を共にするのだからと、小さな子供を持つ家庭が希望者の大半を占めていた。
特に妖精族はその傾向が強い。自分達と同じ轍を踏ませない為だろうか。
「あら、リタにレイバーン。お疲れ様」
イリシャが二人を出迎える。
彼女は切り株で作った遊具の縁に座り、子供達が遊ぶ様を見守っている。
その膝の上には、獣人の子供がすやすやと寝息を立てていた。
「もー、ホントくたくたですよぉ。ストルも、レチェリも全然妥協してくれませんし」
働き者だが慎重に事を進めようとするストルは、細かい規定をこれでもかというぐらい提案してくる。
反対にルナールは、レイバーンが奔放という事からあまり縛り過ぎるのは良くないと主張する。
互いの話は平行線で、リタが口を挟んでも言いくるめられてしまう。
レイバーンは笑っていたが、お飾りの面が強かったリタにとっては息苦しいものだった。
「はっはっは、それだけ皆が真剣という事だ! いい傾向だろう!」
「そうかもしれないけどさぁ」
リタがイリシャの隣に腰を下ろすと、女王を見つけた妖精族の子供たちが駆け寄ってくる。
あっという間に子供の頭にリタの両手は子供達に奪われてしまう。
そのまま頭を撫でると、子供たちはくすぐったそうにしていた。
「ふふ。やっぱりリタは人気者ね」
昼寝をしている獣人の子供を撫でながら、イリシャが微笑む。
妖精族の子供は無邪気に手を挙げて「うん!」と肯定を始める。
「じょーおーさま、すき!」
「ぼくも! このあいだね、こわいひとからまもってくれたんだよね!」
「ねー!」
嬉しそうに、そして照れくさそうにリタは頭を撫で続ける。
「ありがとう。でもね、ここにいる狼のお兄ちゃんや、人間のお兄ちゃんやお姉ちゃんが、私たちの事を一生懸命護ってくれたんだよ」
そう、自分は取り返しのつかない過ちを犯すところだった。
だからこそ、ここにある平和を愛おしく感じるのだろう。
「ほんと? おおかみさん、ありがとう!」
「ありがとー!」
リタの頭を離れ、妖精族の子供達がレイバーンへと駆け寄る。
子供達をひょいと自分の肩に乗せると、まるで背が伸びたみたいだとはしゃいでいた。
その様子を眺めて、リタは思わず目を細める。
自分が望んでいたものの一旦が、垣間見えた気がした。
「そういえば、シンとフェリーは何処に行ったのだ?」
肩に子供を乗せたまま、レイバーンはイリシャへと尋ねる。
リタも釣られて周囲を見回すが、どこにも彼らの姿は見当たらない。
「シンとフェリーちゃんなら、治療薬を作りたいから材料を集めてもらうようにお願いしたわ。
結構な量になるし、数日は掛かるんじゃないかしら」
「イリシャちゃんもだけど……。二人ともお客様なんだから、そこまでしなくても……」
「いいのよ。私たちも、この政策が上手くいけばいいと思っているし。
それに、あの子たちはきっとじっとなんてしていられないわ」
リタが「確かに」と、苦笑をする。
「シンくんも、思ったよりずっと行動的ですよね」
フェリーに釣られて行動していると思ったのだが、シンも想像以上に行動的だ。
いや、どちらかと言うと無鉄砲という言葉が正しいかもしれない。
「きっと、焦っているのよ」
ここにいる誰よりも早く、彼は寿命を迎えるだろう。
きっと月日が経つたびに変わっていく自分と変わらないフェリー。
それが焦りを生み、行動に移し、時には無鉄砲に見える。
その必死さが、フェリーとのすれ違いを生んでしまう。
だから、少しぐらいはゆっくりと過ごしてほしい。
二人に時間があれば、お互いの気が変わるかもしれない。
そうなる事を、イリシャは願っていた。
「だが、大丈夫なのか?」
「なにが?」
レイバーンが怪訝な顔をする。
イリシャにはそれが何を意味しているのか、解らない。
「一応訊くが、二人はどこに行ったのだ?」
「え? アルフヘイムの森とその辺りの平原だと思うけど……」
むしろ、それより先をイリシャは知らない。
いつもこっちに訪れる時は、妖精族の里までしか足を運ばないのだから。
「いや、そろそろヤツが来る季節だと思ってな」
「ヤツ?」
「ドラゴンだ。渡り龍がそろそろ北の方に来る時期なのでな」
イリシャがポカンと口を開ける。
この大陸、色んな種族がいると思ったら龍族まで訪れたりするのかと思う。
「まあ、気の良い龍だからそこまで気にする事もないだろう!
案外、仲良くなってるかもしれぬな!」
レイバーンは豪快に笑ったが、イリシャは頭が痛くなった。
……*
フェリーはご機嫌だった。
理由は至極単純で、久しぶりにシンと二人で旅に出ている。
先日、イリシャが気を遣って二人きりにしてくれたのも、勿論嬉しかった。
でも、やはり旅となると格別なのだ。
アルフヘイムの森で薬草を集め、外に出ては一角ウサギなどの魔物を狩る。
時々、他の魔物に襲われるがそれも材料になるかもと思いまとめて狩る。
「予定より、良いペースで集まってるね」
草原に腰を下ろし、二人は昼食を摂る。
シンは妖精族の里で貰った野菜を使ったスープと、一角ウサギの肉を香草で焼いてみた。
普通の兎より肉が硬いと思ったのだが、これはこれで歯ごたえは悪くはない。
「うん、おいしいと思う!
シン、やっぱり料理上手だよね」
フェリーも太鼓判を押してくれたようなので、シンは胸を撫で下ろした。
「これから、どうしよっか?」
野菜スープを啜りながら、フェリーが伺いを立てる。
確かに、フェリーの言う通りこのペースだと明日には終わるだろう。
「鞄に詰め込んだら、一度妖精族の森に帰るか?」
「うーん……」
フェリーは首を捻らせる。シンの言う事は尤もだ。
荷物がいっぱいになったのなら、帰るのは当然の選択になる。
しかし、久しぶりに二人で旅をしている。
すぐに帰るのは、勿体ない気がした。
「あっ」
何かに気付いたフェリーが指を指す。
アルフヘイムの森を出た後に広がるのは、草原と荒野。
更に、その向こう。その北にはアルフヘイムの森より若干小さな森が存在していた。
「あっちの方、行ってみようよ!」
フェリーのその言葉が、引鉄となった。
……*
森を抜けた先には、大きな湖が出来ていた。
ひょっとすると自分達の住んでいた村より……いや、ゼラニウムやウェルカよりも大きいだろう。
その広々とした水面に、木漏れ日が差し込んで光が反射する。
水面に浮かぶ水草の上を、様々な小動物が飛び乗っていた。
「かわいい……」
そのほのぼのとした様子に、フェリーは目を輝かせていた。
「ねえ、あれ、かわいくない!? みんなぴょんぴょんしてるんだよ!」
フェリーはもう大はしゃぎだ。
魔力で発達した植物だからだろうか、小動物だけではない。
時には明らかに無理だろうと思える魔獣も、悠々と水草をの上を飛び移っている。
「いや、あれは餌を追い回してるんじゃないのか?」
「むっ。そうかもしれないけど、そーいう現実は見せないで!」
そう言われても、やはり獲物を狙う狩人に見えてしまう。
フェリーと同じ視点で見てみようと、シンは水草の上を改めて凝視した。
(いや、やっぱりあれは狩りだろう)
やはり、水草を駆けまわるリスや兎を追い回す肉食獣の姿にしか見えない。
彼女のような明るい世界は、どうやら自分には見つけられそうにない。
「……ん?」
代わりと言っては何だが、シンは妙なものを視界に捉える。
湖の反対側見える、蜥蜴の尻尾のようなもの。
木陰に隠れて、色はよく解らないが赤みを帯びているようにも見える。
そして、この距離でも蜥蜴の尻尾と判るという事はかなり大きい。
「フェリー。あれ、なんだと思う?」
シンに促されるまま、フェリーもそれを認識した。
ひとしきり考えた後、彼女の口から出てきた言葉は「トカゲかな?」だった。
「でも、なんか赤っぽいよね」
「フェリーもそう見えるか」
赤い蜥蜴。しかも大きい。
二人の知識で、それらの特徴が当てはまる存在はひとつしかない。
「ドラゴン……かな?」
「やっぱり、そう見えるか?」
龍族。その中でも、灼熱の息吹を吐き、あらゆるものを燃やし尽くすと言われている火龍。
人間。少なくとも自分達の暮らしていたマギアではその姿を確認した事がない。
ミスリアでは太古に魔族が攻めた際に、ミスリア国内で現れたという御伽噺を耳にした事はある。
ただ、龍族は誇り高き種族であり、決して彼らは魔族の眷属などではない。
一説によると、一部の龍族は人間に味方したとも言われている。
人間と共存しているという噂もあるが、その真意は定かではない。
根拠として、共存しているのはあくまで友好的な人間に対しての話である。
人間そのものを好いている訳ではなく、個人を見ている節がある。
それは、人間との交友記録が出回らない事からも明らかだろう。
交友している者達も、積極的にその情報を発信しようとはしていない。
「こんなとこにドラゴン……いる?」
フェリーの言いたい事は解る。
火山に住むと言われている火龍が、こんな森の湖畔に生息しているなんて事はあり得るのだろうか。
ただ、ここはドナ山脈の北側なのだ。
魔物の強さや、異常ともいえるほどに成長を遂げている木々。
更には、勝手に魔力を吸い取るようなものがゴロゴロ存在する遺跡にまで遭遇している。
自分達の常識だけで説明ができないという点は、念頭に入れなくてはならない。
つまり、目の前にいる赤い尻尾は火龍のもの。
その前提で動くべきなのだ。
「……とりあえず、引き返すか?」
流石に準備もなく火龍と戦うつもりはない。
いや、そもそも戦うつもりは無い。
何なら、下手をすれば一方的な捕食にもなりかねない。
というか、イリシャは何も言っていなかった。
もしかして、火龍の存在を知らなかったのだろうか。
だとすると、住人であるリタやレイバーンの話を聞かなかった自分達のミスでもある。
「そうだね。気持ちよく眠ってるみたいだし、ジャマしちゃ悪いよね」
同調こそしているものの、フェリーは頬を膨らませていた。
折角、シンと出かけているのに結局とんぼ返りだ。
若干。いや、かなり勿体ないと思ってしまう。
後ろ髪を引かれる思いで、湖畔を後にしようとした時だった。
二人の背後から、巨体が地面を擦る音が聞こえる。
尻尾が水面に打ち付けられたのか、逃げる水鳥の羽音が遅れてやってきた。
ついでと言わんばかりに、メキメキと折れていく枝の音。
極めつけは、二人を覆った黒い影。
シンとフェリーはお互いの顔を見合わせ、ゆっくりと振り返った。
そこには、翼の生えた赤い蜥蜴。いや、明確に龍だと判る存在が自分達を見降ろしていた。
赤く、荒く、ゴツゴツとした鱗を持つ赤い龍。聞いた事や、本で見た事のある火龍と特徴が一致する。
「うむ……。よく寝たぞ……」
火龍は寝ぼけ眼を擦るように、長い首を曲げて自分の顔を肩へと擦り付けている。
巨体で行う様は威圧感を感じさせるが、どことなく愛嬌がある仕草だった。
「ん……?」
目が覚めたのか、火龍はぱちくりと目を見開いた。
左右の眼、それぞれにシンとフェリーの姿が映し出されている。
「ど、どうもー……」
どう反応すればいいのか判らず、フェリーは思わず胸元で手を振った。
一方、シンは何があっても良い様に腰の剣に手を掛ける。
だが、火龍の反応は予想していなかったものだった。
「ミシェル? お前、ミシェルか?
なんだか、若返っていないか?」
「……え?」
知らない名前を前にして、フェリーは周囲を見渡した。
ここにはシンと自分。そして、目の前にいる火龍しかいない。
ミシェルなる者は、見当たらなかった。もしかすると、逃げた魔獣や兎。もしかすると、水鳥の中に居たのだろうか。
「なんだ? ボクの事忘れちゃったのか?」
しかし、火龍は自分をじっと見つめている。
横を見ると、シンも考え込むような顔をしながら視線を向けている事に気付いた。
「……もしかして、あたしのコト?」
どういう反応をすればいいのか判らず、フェリーの眉が下がった。




