72.二人でお遣い
「うん、これはきっと古代魔導具ですね」
古代魔導具。
太古の神や精霊が齎した、魔力を用いて超常的な現象を発生させる為の媒介とされた道具。
ミスリルが得意とする魔術付与や、マギアの創る魔導具も古代魔導具から着想を得たとされている。
ギランドレの遺跡にて、シンが拾った短剣を眺めながらリタはそう言った。
遺跡が崩れる前に逃げ出した形なので、勝手に持ち出してしまった形になる。
「どんな古代魔導具なのか、判るのか?」
シンの問いに、リタは首を振る。
「ううん。さすがにどんなものかは……。
刻まれてる紋様も古代文字だとは思いますけど、うちの神とは違うので……」
「そんなにいくつも古代文字があるのか?」
今度の問いには、彼女は頷く。
そのまま人差し指をピンと立てて、説明を始める。
「はい、古代文字って元々は神が創ったものなんですよ。
言い伝えでは、みんな好き勝手に文字を生み出し始めたので、神たちも統一しようって動きがあったみたいなんですけど……。
他の神が生み出した文字を使うとなると、まるで自分の方が劣っているようだと喧嘩を始めちゃって。
それで、結局は自分で生み出した文字を使って、傘下の精霊ぐらいしか読めなかったって言われていますね」
その情報は初耳で、しかもはた迷惑なだった。
マギアやミスリアにも古代遺跡はいくつもある。
その中で、古代魔導具が発掘される事もある。
古代魔導具の特徴として魔法陣と同様の効果を発揮するであろう、古代文字が刻まれている事が多い。
ただ、それを解読できる人間は居ない。むしろ成し遂げようと、各国の研究者が日夜解読を進めているのだ。
それが神によって違う文字を使用している事が原因ならば、解読できないのも無理はない。
同じ単語など、存在していない。仮にあったとしても、意味が全く違うのだから。
世の研究者が知ったなら、愕然するだろう。どれだけの時間を無駄にしたのか、と。
「私たち妖精族は、豊穣と愛を司るレフライア神を信仰しています。
だから、一応レフライア神の創った文字なら少しは読めるんですけど。
これは残念ながら違いますね。ギランドレの遺跡……。あの辺りって、どこの神様を信仰してるんだったかなぁ……」
妖精族はあんまり外の事に興味が無かったから、他の神様も左程気にしていなかったらしい。
リタがうんうんと頭を悩ませているが、結局答えが出る事は無かった。
「でもこれ、きっとシンくんが持っていた方がいいと思います。
っていうか、持っておきたくないので返しますね」
そう言うと、リタが短剣を差し出してきたのでシンは受け取る。
持ってはみたものの、シンには持っておきたくない理由が判らなかった。
「どうしてだ? 別に古びた短剣だと思うが」
「それ、持っているだけで魔力を吸い取ってますね。だからと言って何かが起きているわけでもないですし。
このままだと魔力だけ奪われてしまうので、シンくんが持っていた方がいいです」
「……なんか悪いな」
シンには違いが解らないが、膨大な魔力を持つ妖精族が言うのだからその通りなのだろう。
申し訳なくなったが、リタは「気にしないでください」と再び首を振る。
「一応、アルフヘイムの森を越えたところにいくつか古代遺跡があったと思います。
場所だけなら判るので、私で良ければ案内するんですけど……。しばらく忙しくて……。
すみませんが、二週間ぐらい待ってもらえれば……」
腕を組みながら、リタは頭を悩ませていた。
彼女は今、居住特区の設立であくせくと働いている。
二週間というスケジュールも、きっと無理をしているに違いない。
ただ、リタとレイバーンが最終的な決定をしているものの、実務はストルとルナールが大体何とかしているらしい。
愚痴を言いながら、一番頑張っているのはストルだとリタも笑みを溢していた。
だからといって、二人に丸投げをするわけには行かない。
居住特区を作ると言い出した張本人としての責務を果たして、その上できちんと妖精族の代表はストルに任命をする予定だった。
魔獣族も同様に、ルナールへ任せるつもりだとレイバーンは言っていた。
尤も、魔獣族はもう既にルナールの方が頼りにされている節はあるのだが。
「俺も滞在させてもらっているし、何かあったら遠慮なく言ってくれ。
人間の子供も住まわせてもらえるし、それにレイバーンも借りて……すまなかった」
ギランドレから連れてきた孤児も住まわせてもらえる事となり、あの子たちの安全も一先ずは保証されている。
せめてものお礼のつもりでシンは言ったのだが、リタは「とんでもない」と両手をぶんぶん振る。
「特区を作れるようになったのは、シンくんやフェリーちゃんのおかげなんです。
だから、全然気にしないでください。それに、レイバーンは勝手に付いてきたって聞いてますし」
「それは、そうだな」
レイバーンは状況を理解するより先に、シンについていくと決めていた。
結果的には助かったのだが、シンが謝る必要は無い。
そういう所がフェリーの言う『優しさ』なのだろうなと、リタは苦笑した。
「あと、私もシンくんには謝らないといけないって思ってました」
「俺に?」
シンには心当たりが無かった。
妖精族の里にはずっと世話になっているし、フェリーも懐いている。
何なら、レイバーンにも世話になっている。リタといる時間より、自分といる時間の方が長いんじゃないかと錯覚するぐらいに。
こちらが礼をしてもし足りないぐらいだった。後、レイバーンに関しては謝らないといけないとすら思った。
「その、フェリーちゃんを撃ってしまった事。
あとは、妖精族の里を護ってくれた事。
きちんと、シンくんにも感謝と謝罪をしないといけないと思っていました」
リタは小さい頭を深く下げる。
それは妖精族の女王として毅然とした態度を持ちつつも、恋する少女らしさもあった。
きっと、リタの偽りなき本心なのだろう。
「でも、勝手に出ていくのは良くないと思います。フェリーちゃん、シンくんの前では怒ってましたけど、すごく心配してましたよ。
私も、レイバーンはちゃんと叱っておきました」
「……次から、気をつけるよ」
リタが「絶対ですよ?」と、くすくすと笑っていた。
……*
「リタちゃんとの話、終わった?」
「ああ」
外に出ると、フェリーがイリシャと共に子供の世話をしていた。
妖精族の子や魔獣族の子、それにギランドレから連れてきた人間の子。
種族の違いはあれど、みんなが一斉に鬼ごっこをしている微笑ましい光景だった。
「あれはやっぱり、古代魔導具だったの?」
イリシャの問いに、シンが頷く。
転んだ子供の膝が擦り剝けていたので、彼女はその手当をしているようだ。
「そうみたいだ。ただ、文字までは読めなかったみたいだけど」
「そもそも、シン。そんなだいじそうなの、持ってきてよかったの?」
今は彼女が鬼なのだろうか。フェリーが子供を追いかけながら、話に参加をする。
息を切らしながら逃げる子供を、大人げなく捕まえていた。
「持って来たというか、流れで持ったままだったというか……」
シンは、ギランドレで逢った男の事を思い出す。
テランと名乗った隻腕の男は、あれからどうなったのだろうか。
彼は闇に分断され、崩れる遺跡に消えていった。弟子だけはしっかりと放置しているが。
生きていたとしても、自分と改めて戦うつもりはないと言っていた。シンとしても、彼と戦う理由はもう無い。
別れ際に発した言葉だけが、シンの耳にこびり付く。
あの男は、フェリーの中に得体の知れない何かが居ると言った。
だから、シンは自分の知らないフェリーを知る必要があると思った。
ただ、フェリーの出自を訊こうにも、本人が「覚えていない」と言う。
もっと直接的に、「中に何かいるのか?」と訊く事は憚れた。
フェリーに自覚が無い場合、それはきっと彼女の不安を煽る。
イリシャやレイバーン、リタにも訊いてはいない。自分よりそういった現象への知見はあるだろうが、やはりフェリーの耳に入る可能性を恐れた。
自分の悪い癖だと自覚をしていても、彼女を傷付けるような行動をとりたくは無かった。
ひとつ、シンにとって朗報だとすれば10年前の事だった。
故郷を燃やしたのは、フェリーであり、フェリーではないかもしれない。
その可能性が生まれただけでも、シンは良かったと思えた。
「それで、リタは何て言っていたの?」
「この古代魔導具は、勝手に魔力を吸うって言っていたな。
ただ、どんなものかは解らないらしい」
そう言って、短剣をイリシャに渡すと「あ、確かに。ちょっと違和感ある」と言ってすぐに返される。
フェリーに至っては、「魔導刃と違って勝手に持っていかれる感じかなあ」と言っていた。
「これはちょっと、あんまり気持ち良くない」
「うーん、イリシャさんの言うとおりかも」
自分には全く感覚が判らないが、軒並みこの短剣の感触は不評だった。
一体どんな古代魔導具なのか、想像もつかない。
石造りの匣に保管されていたのだから、何かしらの意味があるとは思ったのだが……。
「リタに他の遺跡まで案内して貰える事になったけど、二週間ぐらい待たないといけない。
居住特区の事で忙しいから、無理は言えないしな」
「リタちゃんは女王様だもんねえ」
そもそも妖精族の歴史からすると、人間の為にこうやって動いてくれる事すら前例がないはずだ。
リタには頭が下がる思いだった。
「その間どうしよっか?」
「俺達も何か手伝うべきだとは思うが、統治的な事には参加しないほうがいいだろうしな……」
特に、自分達は根無し草だ。新しく生まれる世界の邪魔をしたくはない。
「あ、それじゃあ二人にお願いしてもいい?」
頭を悩ませるシンとフェリーを見て、イリシャがパンと手を合わせた。
「妖精族は治癒魔術が使える人も多いけど、やっぱり治療薬は必要だと思うの。
私はそれを造ろうと思うから、材料を集めてきてもらってもいい?」
そう言うと、イリシャは紙にすらすらと文字を並べていく。
一角ウサギの角や、薬草など、いろんなものが瞬く間にリスト化されていった。
「はい、これ。私は子供たちのお世話をしようと思うし、二人に任せてもいいかしら?」
イリシャの言葉に嘘偽りはない。確かに治療薬は必要だし、材料を集めてきて欲しいのも本心だ。
子供の世話も誰かがしないといけない。
そして、二人の世話も焼きたい。二人きりの時間を、過ごしてもらおうと思った。
シンはしばらく大丈夫だし、フェリーは不老不死だ。
この辺りの魔物がドナ山脈の南側より強いと言っても、苦戦するような事はないだろう。
「分かった! 任せて、イリシャさん!」
フェリーが自分の胸を力いっぱい叩く。気合は十分だった。
シンもまた、イリシャのメモを見て小さく頷いた。
「じゃ、二人ともよろしくね。量的にも、野営が出来る装備はあった方がいいかも」
「ああ、分かった」
準備を始めるシンをよそに、イリシャはフェリーへ耳打ちをする。
「フェリーちゃん、ゆっくり帰ってきていいからね。
シンと二人で、たくさん愉しんでおいで」
悪戯っぽい笑みを浮かべるイリシャに、フェリーが反論した。
「もう、イリシャさん! からかわないで!」
「ふふ、行ってらっしゃい」
顔を紅潮させるフェリーだが、久しぶりの二人旅に期待で胸を膨らませていた。