69.祈望
カーテンの隙間から、チラチラと外を覗く。
フェリーが求めている光景は映らず、代わりに静かで吸い込まれそうな闇が広がるだけだった。
「シン……」
フェリーは、彼の名前を呟いた。
待てども待てども、彼が帰って来る気配は無い。
伝えたい事が、たくさんある。
いつもありがとう。ご飯美味しかった。迷惑掛けてごめんなさい。
シンがどんな顔をするか解らないけれど、眼を見て話そうと思った。
伝えられない事も、たくさんある。
それでも、抱えていたい気持ちがある。
自分の中で、整理をつけようと思った。
もしかすると、自分の逸る気持ちが時間の流れを遅くしているのかもしれない。
せっかちな自分を諌めようとするが、やはり気になってしまう。
マレットなら何か知っているかもしれない。
そう考えたフェリーは、また階段を降りて行っていた。
(シンのやつ、何かしくじったのか?)
マレットもまた、シンの帰りが遅い事を気にしていた。
シンはいつも通り、家を出た。彼がフェリーを置いて消えるとは考え辛い。
だとすれば、想定外のトラブルに巻き込まれた可能性が高いだろう。
階段の軋む音が聞こえる。フェリーが降りてきた。
彼女はおずおずとマレットへ尋ねた。
「あの、シン……。まだ、帰ってない……よね?」
どうするべきか。とマレットは思案する。
ここで自分が「知らない」と言えば、恐らく彼女は引き下がるだろう。
ただそれは、納得をしてのものではない。
それ以上の追求は出来ないと、諦めてのものだ。
シンに協力する気は無い。
だけど、このままだとこの娘は取り残されてしまうかもしれない。
そうなれば今後、どうするのかより不透明になってしまう。
マレット自身、彼女の体質に興味が無いと言えば嘘になる。
不死の身体なんてもの、喉から手が出るほど欲しい人間はいくらでもいるだろう。
だが、シンが戻らないのであればフェリーがここに留まる理由も無い。
いつ、ここから飛び出してしまってもおかしく無い。
単純な知的好奇心からも、それを許すのは勿体無い気がした。
(しゃーないか……)
頭をポリポリと掻きながら、マレットはため息を吐いた。
決してシンに協力する訳では無いと、自分の心に言い訳をする。
ただ、その前にひとつ。絶対に確認をしなくてはならない事があった。
フェリーの返答次第では、自分が動く意味も無くなる。
「フェリー。ひとつ訊いていいか?」
「えっ? ……う、うん」
きょとんとしながら、フェリーは頷いた。
自分がシンの事を訊いているのに、流されてしまった。
それとも、やっぱりシンに口止めをされているのだろうかと不安になる。
「シンが毎日外に出ているのは、人殺しをする為だと言ったらどうする?」
「……え?」
フェリーは動揺こそしたものの、マレットの眼差しが真剣な物だと解った。
自分は今、試されているのだ。ならば、ちゃんと考えて答えなければならない。
「えと、シンはきっと誰でも殺しちゃうようなひとじゃない……から。
きっと何か意味があるんだと思う。だから、あたしに出来るコトがあるなら手伝いたい……。
その、ジャマかも……だけど」
マレットの顔色を伺いながら、続けるべきかを悩む。
彼女は眉ひとつ動かさない。もしかして、ダメだったのだろうかと不安になる。
「ま、マレットさんは……ヤじゃないの?
シンが人を殺してたとして、あたしも村のみんな……殺しちゃって。
怖いって、思ったりしないの?」
正直に言うと、マレットの言葉に驚いてはいる。
同時に、自分にそれを非難する資格は持ち合わせていないとも思った。
それに、シンの事だから何か理由がある。
フェリーの根底にあるのは、彼への信頼と情愛。
例え自分勝手でも、彼が一番大切な男性だという事実は揺るがない。
(成程、そう来たか)
シンが人を殺している事に引くどころか、「手伝いたい」と来た。
それだけ彼に依存しているという事かもしれないが、中々にぶっ飛んだ回答だとマレットは思った。
(いや……)
違う。単純にシンの力になりたいだけだ。
これが人殺しじゃなくても、きっとフェリーは同じ事を言うだろう。
良くも悪くも、彼女にはシンが必要なのだと思った。
加えて、おまけ程度だろうが自分を気にする余裕も出来たらしい。
やっぱり食事は大切だ。たとえ生命の維持に必要無くとも、心を豊かにしてくれる。
「この間まで、自分で自分を傷付けた奴に心配されるとはなあ」
「ご、ごめん……」
マレットはフッと軽い笑みを浮かべた。
「怖いなんて思う必要も無いね。
アタシはお前らより何倍、何十倍の人間を殺しているよ。
それと比べりゃ、お前らなんて誤差みたいなもんだ」
「え……?」
シンと出会う前の話になる。
馬に跨らなくとも、誰でも移動が簡単になる魔導具が欲しい。
そんな思いから、魔導式自動二輪車を創ろうと思い立った。
その過程で生まれた魔導石。まずはそれを馬車に搭載してみた。
最初は荷台に設置する事で馬の負担が減る程度のものだった。
それでも、皆の暮らしは確かに豊かになったのだ。
だが、創り出したものが開発者の想定通りに使用されるとは限らない。
「ちょっと前までな、マギアの南部で内乱があった事……知ってるか?」
フェリーは首を振った。
小さい頃に戦争中だという話はアンダルに教えてもらったけれど、カランコエから出ない自分には別世界の話だと思っていた。
「開戦の理由は……まあいいか。
結構長い内乱だったんだけどな。それを終わらせたのが魔導石だったんだ」
「どういうコト?」
フェリーは不思議で堪らなかった。
魔導石のお陰で戦争が終わったのなら、それでいいのではないか。
どうして、そんなに遠い目をするのだろう。
「魔導石は高濃度の魔力を凝縮してある。
それを動力に荷台をぶち込んで、片っ端から爆発させたんだよ。
人や、馬すら必要の無い。ただ、荷台を転がして爆発させるだけの爆弾だ」
マレットは「中には自分で持ち込んで、爆発させる鉄砲玉も居たみたいだけどな」と付け加えた。
結果的に内乱は収まったが、自分の発明で多くの人間が命を落とした。
「だから、南部の奴らはアタシを怨んでる奴も多いだろうな。
同胞を大量に殺した張本人が、アタシなんだから」
「そんなコト……っ!」
それは違うと、フェリーは思わず声を上げた。
マレットはそんなつもりで魔導石を創った訳では無い事ぐらい、自分にだって判る。
カンナはマナ・ポットを有難がっていたし、今だってマナ・ライドは街を走っている。
マギアの国民が豊かになったのは間違いなくベル・マレットのお陰だ。
しかし、マレットは起きてしまった事を悔いている。
だから彼女は、魔導石を使用した武器を市場へは流通させないようにしている。
兵器としての可能性を見出されたので全く出さない訳には行かなかったが、敢えて出力を抑えたものを創るように心がけていた。
小さな魔石も必要とするのは、「出力が足りない」という理由付けの為でもあった。
魔力を通して発動させる型の魔導石を生み出したのも、無暗に爆発物として使えないという印象を与える為だった。
それなら仮に売れたとしても使える人間は限られると考えたのだが、今度は不良品という苦情を考慮する必要が出てしまった。
マナ・ライドに関しては計画を進めるべきかかなり躊躇をした。
どう頑張っても高濃度の魔導石を必要とする。
結果的に、出力に比例して高コストの魔導石が必要という事で特攻兵器として扱われる事は無かった。
尤も、10年後にシンの手によって巨大な爆弾として使用される事を彼女はまだ知らない。
「マレットさんは、人を殺すつもりなんてなかったんだから……」
「じゃあ、フェリーと同じだな」
「……え?」
「アタシ達は結果的に、多くの人を殺した。その罪と向き合うのは自分だけだ。
落ち込むのは好きにしたらいい。だけど、考えるならちゃんと一人でだ。
いつまでもシンに心配かけんな」
「う、うん……」
フェリーは、シンに後ろめたさばかり感じていた。
勿論、憎まれているかもしれない。嫌われているかもしれない。今でも、それは怖い。
だけど、あんなあからさまに避けるのはシンに失礼だ。
辛い思いをしながら歩み寄ってくれているシンに、辛い思いをさせた自分がやっていい事ではない。
自分を「殺してやる」と言ってくれたシンに、ちゃんと顔を合わせてお願いをしないといけない。
「ありがと、マレットさん。
……って、シン! そうだよ、シンはドコ行ったか知らないの!?」
「ああ、そう言えばそんな話だったな」
「そう言えばって、あたしにとってはイチバンだいじなの!
シンの居場所、知ってるの!?」
マレットの肩を掴み、フェリーは前後に激しく揺さぶる。
身体の動きに置いて行かれるように、マレットの頭がカクンカクンと運動する。
シンの言う通りだった。確かに、この娘は表情がコロコロ変わるのかもしれない。
漸くフェリー・ハートニアと知り合えた気がした。
「落ち着けって」
「落ち着いてられないってば!」
止めるように促したつもりが、むしろ動きが加速してしまう。
ああ、シンの言っていたフェリーは間違いなくこの娘だ。
「シンが何処に行ったかは、アタシにも判らない」
手伝わないと言ったし、シンも巻き込むつもりは無いと言った。
教えてくれるはずも無かった。
「これだけもったいぶっておいて!?
じゃあ、どうすればいいの!?」
ゼラニウムの街は大きい。走り回った所で、見つかるような場所で暗殺を行っているとは思えない。
ただ、見つけられる可能性は存在している。
「フェリー、これに見覚えは?」
マレットが差し出したのは、一枚の板。
シンに渡したマナ・ポインタと一緒に造った試作品だった。
「ううん、しらない」
魔法陣のようなものが描かれているが、何を意味しているかフェリーには分からない。
「まあ、そうだよな」
これをシンに渡したのは、カランコエが燃えた日だ。
シンが彼女に渡す機会が無かったのも無理はない。
だが、それが今は功を奏している。
もし、彼の鞄に入れっぱなしとなっているなら。このマナ・ポインタで位置を知る事が可能だ。
最悪なのはシンが持っていない事か、効果範囲外に居る場合のみ。
そうなれば、お手上げだった。
「シンには同じものを持たせてある。
この板に魔力を通せば、シンの位置が解るかもしれない」
「ほんと!? じゃあ……」
「ん」
顔がぱあっと明るくなるフェリーに、マナ・ポインタが差し出された。
「え……?」
「会いたいのは、お前だ。
魔力を通すなら、フェリー。自分でやるべきだ」
マナ・ポインタを受け取り、両手で包むように持つ。
魔力を使うのは、故郷を燃やしたあの日以来だった。
怖い。もしかすると、この屋敷も燃えてしまうのではないかと考えてしまう。
でも、シンと会えなくなる方がもっと怖い。
小刻みに震える手を固く握り、フェリーはゆっくりと魔力を込めた。
(お願い、シン……!)
握られた板が、淡く光り輝いた。
……*
自分に殺しを依頼した男の店とは違う。
ゼラニウムの奴隷市。そこのとある館で、シンを中心に男達が囲んでいる。
その手には、各々の扱い慣れた得物が握られている。
はじめは食事でもしようと料理を並べられたのだが、シンが警戒して一切口にしなかった。
それに腹を立てた手下が、剣呑な雰囲気を作ってしまい今に至る。
「――キミにはこれからも僕の為に働いては貰えないかな?」
野太い男の声から発せられた言葉は、シンの眉根を寄せた。
顔は仮面を被って隠している。強いて言えば、鍛え上げられた筋肉が服では隠しきれていない事ぐらいだろうか。
周りの男が頭を垂れている事から、この男が支援者なのだろう。
「顔すら明かせず、俺が頼んだ事を大して調べられない奴の為にか?」
前者はともかく、後者は断る為の方便だった。
「第一、俺が断ったら口封じをする気満々じゃないか」
「不快になったのなら謝罪しよう。僕たちもキミとはいい関係を築きたいんだ。
他に望みがあるなら言って欲しい。出来る限りで叶えると約束しよう」
「アンタらに都合のいい。だろ。
後、俺の望みはここから解放される事だ。アンタらといつまでも話をする気はない」
仮面で隠れてはいるが、男の眉が吊り上がった気がした。
「どうやら、キミは生きるのがあまり上手ではないようだね」
「上手だったら、殺しなんて引き受けないだろうからな」
その先にあるのは、進んでも止まっても地獄なのは判り切っていた。
実際、今も泥沼に片足を突っ込んでいる。
だけど、シンはここで死ぬわけには行かない。
フェリーとの約束を、果たす必要がある。
「勿体ないな。『牙』、キミとはここでお別れだ」
その言葉が、戦闘開始の合図となった。
シンが机を蹴り飛ばし、前にいる敵の動きを制限する。
そのままの流れで足元にある剣を抜こうとしたが、魔術によって遮られてしまった。
マギアの魔術師に、それほど高名な者は居ない。
詠唱破棄をしたなら、それはもう酷いものだ。
だが、シンの剣を手の届かない程度の場所へ飛ばすぐらいは出来る。
舌打ちをしながら、シンは自分の座っていた椅子。その足を掴む。
襲い掛かってきた相手の足を掛け、転んだ隙に椅子を叩きつけた。
木の椅子はメキメキと音を立てて壊れる。もう武器として使えそうには無かった。
咄嗟に倒れた男の武器を奪おうとした時だった。
「――ぐっ!」
後頭部に強い衝撃が走る。
棍棒がシンの頭に打ち付けられ、目から火花が飛び出た。
振り向きざまに棍棒を持った男の喉を衝くが、お返しと言わんばかりに顎に一撃を入れられる。
脳が揺らされ、膝が折れる。
(まずい……!)
魔術を詠唱している魔術師も、剣や斧を持った仲間がいる事も判っている。
だが、顎への衝撃でぼんやりとした視界と動かない身体では対処が出来ない。
シンは『死』が迫ってくる事を覚悟した。
――刹那。
轟音と共に、館の壁が粉々に破壊される。
石や木の破片がパラパラと飛び散り、シンの頭にもいくつか当たった。
全員が爆発の方向へ視線を誘導される。
真っ白い、曲線を描いた大きな物体。魔導式自動二輪車が、外壁諸共破壊をして、館に突き刺さっていた。
「シン、だいじょぶ!?」
ぼやけた視界に映るのは、靡いている金色の髪。
ただ、この声を聞き間違えるはずもない。
自分の一番大切な女性。
フェリーの声、そのものだった。




