65.不死
カランコエが消滅して、一週間が経過した。
シンもフェリーも言葉を発する事はなく、何が起きたのかを憲兵が知る事は無かった。
マレットが機転を利かせた事もあり、魔物による襲撃が発端という結論に至った。
訝しむ憲兵を無理矢理抑えつけたのは、彼女がマギアに齎している恩恵の大きさから成せる業でもあった。
今は二人揃って、マレットの屋敷で世話になっている。
彼女の必要以上に大きい屋敷から、それぞれ二階に空き部屋を与えられていた。
「……で、シン。何があったんだ?」
住み着いて一週間。
痺れを切らしたマレットが、シンを問い詰める。
汚物と返り血で汚れた男と、血まみれの女を庇った自分の身にもなって欲しかった。
そろそろ、何かひとつでも教えて欲しいものだ。
フェリーに至っては部屋に籠って、一言も発さない。
最初に身体を洗って、服を着替えてそれっきり部屋から出てこない。
彼女はこの一週間、何も口にしていない。
その時点で、彼女が普通ではない事ぐらいは解る。
「俺も、解らないんだ」
シンが、ポツリと呟いた。
嘘ではない。本当にシンには解らない。
村が燃えた理由も、フェリーが死なない理由も。
そして、自分と顔を合わせない理由も。
シンも気付いていない。
自分の心が、行動に対して起こした拒絶反応。
それをフェリーが誤解している事に。
互いの自己否定がすれ違いを引き起こしているという事に。
「……はぁ。じゃあ、あの娘に訊くしかないってわけか」
マレットは後頭部をポリポリと掻いた。正直に言うと、気が引ける。
彼女もまた、フェリーとどう接すれば良いのか悩んでいた。
シンから聞かされていた話とは随分違う。
表情のコロコロ変わる、明るい娘が一体どこにいるというのか。
あれではまるで、抜け殻だ。今すぐにでも壊れそうで、触れる事すら躊躇う。
ただ、マレットから見ればシンにも大差は無かった。
フェリーが自分を避けていると言うが、シンも無意識にフェリーを避けている。
彼もまた、恐れているのだ。彼女に拒絶される事を。
だから踏み出せない。踏み込めない。
尤も、シンの知っている事の確認は済ませている。
自分が村を滅ぼしたと主張するフェリーが、『死』を懇願した事。
確かに胸を貫いたのに、その傷は綺麗さっぱり消えてしまっているという事。
村の件はともかく、フェリーを刺した件については、彼女を中心として拡がっていた血溜まりが証明していた。
「悪い。マレット」
「本当にそう思ってるなら、お前も手伝え」
シンは言葉を濁らせた。
やはり、深い傷を負ったのはフェリーだけではない。
会話をするのは、単純にマレットと面識があるかどうかの違いでしかなかった。
「……いや、俺は外に出てくるから」
「外にって、何処にだよ?」
「俺にも色々、あるんだよ」
下手な嘘だ。フェリーと一緒に居るのが気まずいからだ。
自分がこの街で行く場所なんて、冒険者ギルドぐらいしかない。
その依頼も、目の前にマレットが居るのだ。
彼女からの依頼が無い事ぐらいは判っている。
でも、彼女と顔を合わせたい自分が居る事も事実だった。
彼女の願いを叶えてあげたい自分と、それを拒絶する自分。
ジレンマを抱えながら、シンはマレットの屋敷を後にした。
……*
フェリーは、自分のお腹を押さえてみた。
既に一週間、何も口にしていない日を重ねている。
お腹も空いているし、喉も渇いている。だけど、何かを口にする気にはなれなかった。
そして不思議と、それで衰弱するという事は無かった。
頬が痩せこけている様子もない。あばらが浮いている様子もない。
本当に、何も変化が起きていない。
自分が異常だという事実を突きつけられた気がした。
玄関の開く音が聞こえて、のそりとベッドからその身を起こす。
締め切ったカーテンに指を指し込み、僅かに隙間を開く。
射し込んだ日差しが痛かった。自分が責められているのだと、思った。
目を細め、音の主を確認する。
黒髪の、自分より背の高い少年。シンだった。
その腰には自分に突き立てられた剣を差しており、装いも冒険に出るような恰好をしている。
下唇を噛みながら、彼を見送った。そうしないと、声を掛けてしまいそうだったから。
シンに剣を突き立ててもらった事を思い出す。
嫌悪感から嘔吐する程、醜い自分をシンは見たくもないだろう。
その自己否定が、彼女を立ち止まらせる。いや、後退させる。
考えてしまった。
何故、シンは外に出たのだろうと。
自分と一緒に居たくないから、もう会うつもりはないからなのではないかと。
だから、冒険に出る恰好をしているのではないかと。
当たり前だと思った。
いつも我儘ばかり言って、困らせて。
シンの大切なものを根こそぎ奪って。
挙句には、死ぬ事が出来ない化物だ。自分で殺してくれと懇願しておいて、今ものうのうと生きている。
罰が当たったのだ。だから、自分の願いはきっと何も叶わない。
大切な男性からも、見放される。彼の未来を、永遠に縛り続けながら。
断ち切らないといけないと思った。
シンに前を向いてもらう為には、解放してあげなくてはいけないと思った。
彼はもう屋敷を出て行ってしまったけれど、マレットが伝えてくれるに違いない。
そう信じて、彼女は部屋から一歩を踏み出した。
……*
椅子に腰かけ、頭を背もたれに預ける。
瞳が天井の映像を送り続けるが、脳がそれを必要としていなかった。
(シンのやつ、あれは相当参ってるな……)
ぼんやりと口を開けながら、マレットは屋敷を出る前のシンの姿を思い出した。
作り笑いなんて決してしない奴が、ヘタクソな笑顔を作っていた。
無理もないのかもしれない。村や家族の事もそうだが、特筆すべきはフェリーと、彼女に行った行為そのものだ。
シンも冒険者として経験を積んだとはいえ、人を殺めた経験は無かったはずだ。
冒険者であれば、賞金首と戦う事もある。生け捕りが出来ない場合は、その命を奪う事もある。
ただ、シンは過去に無茶をして大怪我を負った経験から身の程を弁えた。
覚悟がまだできていなかったのかもしれない。
結果、自分の幼馴染を手に掛けた。
その精神的負荷は相当なものだろう。
(……こっちまで気が滅入るっての)
天井に向かって、マレットは大きなため息を吐いた。
匿ってはみたものの、自分がしてやれる事はない。
精々、死ぬ事がないフェリーの身体について考えてやるぐらいだ。
いつからなのだろう。と、マレットは考える。
カランコエを燃やした、あの日からなのか。それとももっと前からなのか。
フェリー・ハートニアが不死となった切っ掛けは、あるのだろうか。
想像を膨らませるにしても、材料が少なすぎる。
ただの妄想で、しかも検証のしようがない。
もう少しヒントが欲しいところだった。
不意に、逆さになった視界へ人影が映る。
腰まで伸ばした金色の髪を揺らす少女。フェリーだった。
「あの……。おフロ、借りていいですか……?」
フェリーは、おずおずとマレットへ尋ねた。
やはり、シンが言っていた明るい少女の面影はない。
「ああ、浴室はそっちだ。好きに使っていいぞ」
初めて聞いたフェリーの声に、目を丸くしながらマレットは頷いた。
ペコリと頭を下げたフェリーが、そそくさと浴室へ向かう。
一体どんな心境の変化なのだろうかと、マレットは頭を持ち上げる。
流石に一週間も閉じこもっていれば、風呂ぐらいは入りたいと思ってもおかしくはないか。
自分も研究が行き詰った時に気分転換で入る事もある。
フェリーもさっぱりすれば、少しは落ち着くかもしれない。
この時は、本気でそう思っていた。
だが、出てこない。フェリーが一向に出てこないのだ。
気を遣ってシンとはどんな風に接するのだとか、魔導具に興味はないかだとか色々考えているのだが、口に発する機会が訪れない。
まだ小一時間程度だ。そういう事もあるだろう。
シンに彼女の入浴時間を訊いておけばよかったと後悔した。
彼がそういう事を教えてくれる人間ではないと知っているが、訊いておけばよかったのだ。
マレットは、訊いておくべきだった。
……*
二時間ほどが経過した。まだフェリーが出てくる様子が無い。
流石に様子を見に行ってもおかしくは無いだろうと、マレットは席を立った。
浴室の扉から、赤い液体が漏れていた。
マレットが勢いよく扉を開けると、中には血まみれのフェリーが自分の胸にナイフを突き立てていた。
腕や首、脚にも切り傷の跡が見える。何度も切り付けた後なのか、浴室中が真っ赤に染まっている。
「お前っ! 人ん家で何してんだ!」
マレットは慌ててフェリーの手からナイフを奪い取ろうとするが、全力で抵抗される。
「はなしてっ!」
「それはこっちの台詞だ!」
取っ組み合いの末、ナイフがカラカラと床へ転がると、フェリーはその場に座り込んで動かなくなった。
「お前、マジでふざけんなよ……。人の家、血で汚しまくって」
息を切らせながら、マレットはフェリーの頭上から怒りを溢す。
フェリーの手が届かないところにナイフを蹴る。
「ごめん、なさい……」
同じく肩で息をしながら、フェリーは呟くように謝った。
乱れ髪で顔は隠れており、その表情は見えない。
既に傷は塞がったようで、自らの血と白い裸体だけが露わになっていた。
浅かったのだろうか、もう傷跡すら残っては居ない。
それでも浴室を真っ赤に染め、凝固した血が排水溝の働きを邪魔している。
籠っていた時間と出血量を鑑みても、相当自分を傷付けたに違いなかった。
余程憎しみのある相手にでも、そんな事が出来るだろうか。
狂気の沙汰だとしか思えなかった。
「で、なんでこんな事した?」
マレットも、自分の服や手、足をフェリーの血で汚している。
元々そんなに汚れを気にする性格では無かったが、今更だ。
膝をついて、フェリーに目線を合わせた。
フェリーは沈黙の後、嗚咽混じりに口を開いた。
目は合わそうとしない。怒られる事に怯える、子供のようだった。
「シンにお願いしたけど、あたし、死ねなくって。
めいわくばかり、かけて……。ワガママばっかりで……。
あたしがわるいのに。死なないと、いけないのに……。
いつもそうなの。あたしのだいじなひと、みんな、あたしが……。
ううん、ちがう。みんな、シンのだいじなひと、なの。
それを、奪って、死なせて……」
マレットは後頭部をポリポリと掻いた。
あまり、こういう話をきちんと聞くのは向いていないと実感した。
うじうじされても困るだけだと思いながらも、彼女の言葉にきちんと耳を傾けた。
「あたしが生きてちゃ、いけないの。おかしいの。
でも、シンはムリしてあたしを殺してくれて……。
きょう、シンがおうち出ていったから。あたし、ひとりぼっちで……。
だったら、シンが殺してくれたから、ちゃんと死なないと。そうおもって……。
あたしがいなくなれば、いいとおもったの」
(まあ、よくもここまで拗らせたな……)
マレットの率直な感想だった。
いや、彼女なりに一週間悩み抜いた末の結果なのかもしれない。
きっと自分が何を言っても、彼女には届かないだろう。
フェリーもまた、それを望んでいないだろう。
だから、事実だけを伝える事にした。
「あのな、シンはちょっと出かけただけだ。
ここには戻ってくる。……時間は知らんけど」
本人もそう言っていたし、フェリーを放っておくような奴でもない。
乱れた髪の隙間から、彼女の瞳が見えた。
これだけ曇らせていても、綺麗な碧眼だと思った。
「……ほんと?」
「だから、戻ってきたらちゃんと話をしろ」
フェリーはふるふると首を振った。
マレットは「嘘だろ?」と顔を顰めた。
「……こわい。きらわれてるってわかるのが、こわい」
「じゃあ、顔を合わせなくてもいいよ。
話をするの自体が嫌なら、後は知らん」
当人同士の問題だ。
冷たいかもしれないが、付き合いの差から自分はシン寄りになってしまう。
フラットに対応できないなら、お膳立てに留めるべきだとマレットは考えている。
これが自分に出来る、精一杯の譲歩。
フェリーはもう一度、ふるふると首を振った。
「いやじゃ、ない……」
「じゃあ、部屋に戻れ。ここはアタシが片付けておくから」
重い足取りで浴室を後にする際、フェリーの「ありがと」という声が聞こえた。
マレットは、大きなため息を吐いた。
シンが帰ってきたのは、真夜中になってからだった。
彼はその身を、返り血で真っ赤に染めていた。