63.懇願
「こんなところかな」
マレットからの依頼を請け、うっすらと色のついた透明な石を鞄へ詰め込む。
討伐手配書が張り出されていた魔物の爪や牙、それにマレットから頼まれた石。
それらで鞄がはち切れんばかりに膨れ上がっている。
透明な石に魔力が籠っている事は、シンも知っている。これは魔力の結晶体だ。
魔石と呼ばれるそれは高純度の物こそ高値で取引されているが、採掘場所が魔物の棲み処となっている事も多い。
魔力密度によって当たり外れが大きいので、一攫千金を狙う命知らずか熟練の冒険者ぐらいしか探索する事は無い。
特に遺跡や洞窟の最深部へ向かうとでもなれば、単独で挑戦するのは無謀でしかない。
シンがマレットから請けた依頼はもう少し簡単で、海岸沿いで他の大陸から流れてきた物や、魔力を帯びだして日が浅い物で良い。
ただ、ありったけの数が欲しいとの事だった。
と言っても、マレットが報酬額にイロを付けてくれる訳でもない。
ただただ面倒なので、やはり誰もやりたがらない。
気に入った人物には開発中の魔導具をくれたりするので、実は意外と実入りがいいのだが、シン以外には知る由も無かった。
……*
「よう、シン」
「クリムさん! 久しぶりだね。最近何してたの?」
ゼラニウムのギルドで、見知った顔が声を掛けてくる。
右目の下から耳元に伸びて大きな傷がある青年、クリム。
かつてシンが無謀にも格上の魔物を討伐しようと挑み、死の淵へ立った際に援けてくれたのが彼とその仲間だった。
「洞窟の探索をしてみたり、色々だな」
「へえ、魔石探索をしてるの?」
「いや、オレ達は魔物退治だな。洞窟から出てくると人に危害を加えるかもしれないからな」
そう言ってはいるが、彼らの装いはとても綺麗なものだった。
やはり、熟練の使い手だけあって魔物に引けを取る事はないという事だろうか。
「シンこそ、最近はウデを上げたのか?」
「うーん、ちょっとは強くなったと思うけど」
確実に成長をしているとは思うのだが、どれぐらい強くなったかは実感が湧かない。
なんとなく、倒せそうな相手とそうでない相手の境界線は判るようになってきた。
それが正しいかどうかは、検証をしていないのだが。
「そういえば、他のみんなは?」
クリムには仲間がいる。風と土の魔術を得意とする魔術師ポイナと、クリムと同じ剣士のデリット。
彼らの連携による攻撃はゼラニウムで一番強いのではないか。と、シンが密かに目標としていた。
「あいつらはちょっと市場にな。オレはギルドに依頼完了の報告だ。
シンも報告に来たんだろ?」
「うん、ちょっと報告してくる。またね、クリムさん」
「おう、またな」
ひらひらと手を回せるクリムと別れ、シンはギルドへ依頼完了の報告をする。
後はマレットに集めた魔石を渡すだけだった。
思ったより依頼を早く終える事が出来たので、今日の夕飯はみんなで食卓を囲む事が出来そうだ。
その気持ちが、シンを自然と速足にさせた。
……*
マレットの屋敷に入ると、彼女は驚いた顔をしていた。
もう少し、時間が掛かるものだと踏んでいたらしい。
「なんだ、早かったな」
「結構早く集まったんだよ。ほら」
シンは魔石が詰め込まれた鞄をマレットに渡す。
中身を確認して、色とりどりの魔石をマレットが仕訳けていく。
「魔力濃度が少なさそうだが、それはそれで家具に使えるからな。
――お、これなんか使いやすそうでいいな」
そう言って彼女が採りだしたのは、こぶし大ぐらいの透明な魔石だった。
「許容量の割に溜まっている魔力が少ないからな。魔力を吸収させたり使い道がありそうだ。
それに、透明ってのがいいね。純粋な魔力の塊だ」
マレット曰く、色のついた魔石は魔術付与のように属性が付与されている事が多いらしい。
普通に使う人にとってはその方が都合が良いのだが、魔導具が属性に引っ張られると作れるものも限られるらしい。
「じゃあ、今日の分の報酬だ。それと、コレやるよ」
彼女が報酬の入った銭袋と一緒に渡したのは、小さな二枚組の板だった。
所々、魔石と思わしき石が散りばめられているアクセサリのようなものだった。
書かれている文様も、心なしか魔法陣のように思える。
「なんだ、コレ?」
「今日作った試作品だ。一応、マナ・ポインタと名前をつけた。
こっちの魔法陣が描かれた板に魔力を通すと、魔石を埋め込んだ板が反応する。
それで、お互いの大まかな位置が解る魔導具ってわけだ」
マレットは「まあ、すぐに魔石が焼き切れるから一回しか使えないんだけどな」と、付け加えた。
ついでに言うと、複数の板へ干渉してしまうのでまだ実用段階には至ってないとの事だった。
「へぇ……。って、これ絶対に俺が持たされる奴じゃねえか!」
「なんか困るのか?」
「いや、困るっていうか……」
困る事ではないが、監視をされているようで良い気はしない。
実用化されなくてよかったと、シンは胸を撫で下ろすぐらいには。
「まあ、貰っておくよ」
何も言わず、アクセサリとでも言えば持たされることもないだろう。
丁度キラキラして綺麗だし、フェリーも喜ぶかもしれない。
「まあ、ご機嫌取りにでも使ってくれ」
マレットはケタケタと笑いながら、マナ・ポインタをシンに渡した。
最初こそ、そういうつもりでは無かったのだが、結果的にフェリーの機嫌を伺っている事になる。
「……いつも悪いな」
「気にすんなって。
……それより、なんか外が騒がしくないか?」
彼女の言う通り、なんだか周囲が騒がしい。
マレットの家周りに人が集まるなんてありえないと、シンは訝しむ。
外に出た二人が見たのは、立ち昇る煙だった。
暁のように輝く炎を中心にして、白い煙がそれを纏っている。
野次馬は決してマレットの家に来た訳ではない。
この位置なら、燃え盛る炎がよく見えるからだ。
不謹慎ではあるが、対岸の火事だと知ると野次馬が沸いてしまう事は珍しく無い。
あくまで、対岸の火事であるならば。
立ち昇る煙。その先に何があるのかをシンはよく知っている。
カランコエ。
自分の故郷である村だった。
「おい、シン!」
頭が状況を把握するより、何が起きたかと整理するより先に、シンは大地を蹴っていた。
酸素の供給が追い付かなくても、太ももがはち切れそうになっても、その脚が止まる事は無かった。
……*
フェリーが目を覚ました時には、既に陽は沈み切っていた。
「ん……」
頭が重い。硬い床の上で寝ていたからだろうか。
なんだか身体が火照っている。日差しを浴び続けていたからだろうか。
そうでない事は、すぐに判った。
フェリーは、呆然と立ち尽くしていた。
眠っていたはずの自分が、どうして立ち上がっているのだろうか。
答えを求めても、鈍い頭は回答を導き出さない。
瞳に映った光景を、彼女の脳に伝えようとはしない。
「けほっ」
風に舞った煙が、彼女を覆う。
喉が焼けるような熱と、肺に入り込んでくる煙で思わず咽た。
皮肉にも、それが彼女の意識をはっきりと蘇らせる事となる。
「……なに、これ」
眼前に広がのは、炎。夕焼けにも、朝焼けにも見える鮮やかな橙色。
それを取り囲むように立ち昇る白煙が、鮮やかな色を濁らせていた。
「え? ……え?」
炎を支えているのは、家。いや、カランコエの村全体だった。
空気を取り込み、炎は広がっていく。
いくつもの家が燃え崩れており、炭化した屋根や壁がパチパチと火花を弾き出す。
人影は見えない。横たわる人間大の炭が何を意味しているのか、理解をしているのに受け入れたくなかった。
唇が渇く。粘り気の強い唾液が覆っても、またすぐに渇く。
寒くは無い。むしろ熱いと感じるのに、歯の根がガチガチと音を立てる。
手に力が入らない。何かが、左手に絡まっている事に気付いた。
それは、青みの掛かった黒い糸のようなもの。
乾燥した指先でも、その艶が感じ取れた。
自分が大好きだったカンナやリンの髪。それと同じ手触りだった。
どうして自分の指に絡みついているのか、判らない。
「なんで? どうして? やだ、やだ、やだ!」
取り乱したフェリーは思わず、残った右手で顔を覆う。
人差し指と中指が、顔の上で滑った。
何かが小指に当たり、剥がれた。
まだ、これ以上何があるというのか。
恐る恐る、フェリーは右手を顔から離した。
人差し指と中指は、黒く染まっていた。そこで自分の顔に炭が纏わりついていた事に初めて気が付いた。
小指は橙色の景色のせいで、色ははっきりと判らない。ただ、パラパラと崩れ落ちる膜のようなもの。
それが血の固まった物だという事を、フェリーは察してしまった。
心臓の鼓動が速くなり、浅い呼吸が小刻みに熱風と煙を肺に取り込む。
気持ち悪くなり、何度吐き出してもそれは止まらない。
煙を吸い込んだ影響か、意識が遠くなるのに決して奪われはしない。
背けたくなるような景色なのに、瞼を閉じる事が出来ない。
誰か生きている人は居ないのかと、探し始めるための一歩が踏み出せない。
火の粉が、指に絡みついた髪へ燃え移る。
導火線に点火されたかの如く、握られた黒髪はその長さを短くしていく。
「だめ! 待って! 燃えないで!」
手を固く握り、火を消そうと試みるが間に合わない。
大好きだった髪は、自分の手の中で消えた。
「あ、ああ。あぁぁぁぁ……」
フェリーは膝から崩れ落ちた。
足元に子供ぐらいの大きさの炭があった事に気付いておらず、炭化したそれは黒い粉となって空中に舞った。
力が入らない。立てない。何が起きたのか、判らない。
それなのに、自分の掌は熱を持っていた。
魔術を出した時と同じような、獲物を燃やし尽くすような熱が。
自分の服を見ると、あちこちが裂かれている事に気付いた。
刃物で裂かれたような跡から、引っかかれたような跡。無理矢理引きちぎれたような跡も見える。
それなのに、不思議と自分の身体は傷ひとつついてはいなかった。
虚ろな目が、嫌がるフェリーに情報を押し付けてくる。
人間大の炭や灰の塊は、主に二通りに分かれていた。
彼女を中心に、逃げるように伸びているもの。
逆に彼女を止めようとしたのか、彼女を中心に沿って近付いているもの。
ただ、例外なく全てが燃やし尽くされていた。
大好きだったアンダルが教えてくれた『命』の大切さ、尊さ。
それをこの塊が教えてくれている気がした。
大切な『命』を護るために、懸命に逃げる人。
尊い『命』を護るために、自分に立ち向かう人。
自分は、奪った。
人の大切なものを、ひとつの例外もなく奪ってしまった。
嗚咽を漏らす。大好きだったアンダルが居なくなって、何度も漏らしていた声。
その度にシンが見つけてくれていた。でも、今は誰も居ない。
それで良かった。シンにさえ、こんな自分を見つけて欲しくは無かった。
このまま独りで、消えてしまいたかった。
その願いは、叶わなかった。
「フェリー……?」
フェリーがハッと顔を上げる。
いつも自分の傍に戻って来てくれて、いつも自分を見つけてくれる。
もしも誰かに自分の『命』を預けるなら、この男性しかいないと思っていた人。
「……シン」
自分の想い人が、眼前にいた。
彼が自分を見つけてくれて嬉しいはずなのに、どんな顔をしているか判らない。
どんな顔をしていいのか、フェリーには解らなかった。
……*
息を切らせながら、シンは村を見渡した。
脳が大量の酸素を要求してくるが、煙を吸う訳にいかない。
ハンカチで口元を覆い、項垂れるフェリーに目線を合わせるように屈む。
よく見ると、彼女の顔は手形のような黒い汚れが付着していた。
「フェリー。一体、何があったんだ?」
その言葉に、フェリーの身体がビクッと硬直をした。
彼女の呼吸が浅くなり、肩を大きく上下させる。
「おい、どうした? フェリー?」
煙を吸い込んだ影響かと思い、自分のハンカチを彼女の口元へ当てようとする。
シンの腕を、フェリーの手が弱々しく止めた。
力が全く入っておらず、その指先はカタカタと小刻みに震えている。
「……たし」
全身を震わせながら、フェリーが言葉を絞り出す。
「あたしが……した……」
記憶が無いのに、確信だけはあった。
この惨劇を生み出したのは、自分だという確信が。
「……え?」
シンは、彼女が言っている言葉が理解できなかった。
どうしてフェリーがそんな事をするのか、そもそも出来るのか。
答えの出ない疑問が次々と湧き上がる。
同時に、フェリーのただならない様子からそれが嘘や冗談の類ではない事も理解した。
誰かを庇っている様子でもない。彼女は、本当に自分がこの惨劇を生み出したと考えている。
「フェリー、落ち着け。何があったんだ?」
「わからない! わからないよ! でも、あたしがやったの!」
震える声を張り上げながら、フェリーが続ける。
「おじさんも、おばさんも、リンちゃんも! あたしが殺しちゃったの!
村のみんなも、家もぜんぶ……っ! さっきまで……あたしっ、おばさんとリンちゃんの髪の毛もってて……。
それも燃えて……。わかんないけど、ぜんぶあたしなの!」
支離滅裂だ。シンにはフェリーが何を言っているのか判らない。
伝わってくるのは誰も居なくなったという事実と、彼女が苦しんでいるという事だけ。
「シン。ごめん、ごめん、ごめん。
ごめんなさい、ごめんなさい……」
ぽろぽろと大粒の涙を溢しながら、消え入りそうな声でフェリーは懺悔の言葉を繰り返した。
頭の整理が追い付かないシンは、自分の腕を掴んでいる彼女の手を優しく握る事しか出来なかった。
震えて力の入らないフェリーの手に、電流が流れたような気がした。
熱の籠った自分の汚れた手より、重なったシンの手が温かいと感じた。
その温もりを生み出したものは、彼の家族。
暖かい家族で、シンの温もりは育まれた。それを奪ったという事実が、脳裏にこびり付いて離れない。
赦されるわけがない。でも、せめて自分に償える事があるのなら。
罪悪感から出たのは、懇願だった。
「……シン、あたしを殺して」
声を、全身を震わせながら、フェリーはその言葉を絞り出した。




