62.団欒
リカミオル大陸一の大国と称される。魔導大国マギア。
ミスリアや妖精族の里をはじめとするラーシア大陸に比べ、強い魔力を持つ国や種族は少ない。
代わりと言ってはなんだが、魔力の秘められた物質が数多く眠っている。
それを元に魔導具が生み出され、特に発展させた結果生まれた物が魔導石。
魔術の扱いでは一歩劣るものの、魔導具の扱いに長けており急速な発展を遂げた国。
それが、魔導大国マギアだった。
そのマギアにある小さな村、カランコエ。
後に希代の天才発明家と呼ばれる事になるベル・マレット。
彼女が拠点としている街、ゼラニウムの近くにその村は存在していた。
時間は10年前。カランコエが地図から消滅する事となる日まで遡る。
……*
「フェリーもいっしょにいく! 今日はゼッタイについていく!」
頬を膨らませる金髪碧眼の少女、フェリー・ハートニア。
眉は釣り上がり、頬を赤くし、その碧い瞳にはうっすらと涙の粒を浮かべている。
何が何でもついて行く。その強い意志が、瞳を通して伝わってくる。
「ダメだ。冒険者は危ないんだぞ」
「でも、シンは行ってるじゃん!」
「俺はいいんだ」
「なんでさ! シンのズルっこ!」
プイッと顔を背けるフェリーを見る事なく、シンは出発の支度を整える。
ちらちらと様子を伺う彼女の視線に気付いてはいるが、決して目は合わさない。
その光景を見て、シンの両親がくすくすと笑う。
「一度ぐらい、連れて行ってあげればいいだろ」
「おじさん! そうだよね!」
シンの父、ケントが読んでいた新聞を折りたたみながら言った。
補足するように、母のカンナが続ける。
「そうそう。それに、この間なんて……」
「わわ! お母さん、それは言っちゃダメだって!」
妹のリンが慌てて人差し指を立てて「しーっ」と促す。
カンナはまたくすくすと笑い「そうだったね」と口を噤んだ。
何を言おうとしたのかシンには伝わらなかったが、母と妹はにやにやとしていたのが気になった。
これがキーランド家の日常。シンが冒険に出る日の朝は、いつもこうだった。
アンダル・ハートニアが亡くなったのはこの日から4年前。
独り取り残されたフェリーをどうするかという話は、すぐに村で話題に上がった。
子供に聞かせたくない言葉が飛び交う前にと、間髪入れずに引き取る事を決めたのがケントだった。
それはひとえに、自分の子供であるシンやリンが彼女と仲が良かっただけではない。
アンダルは事あるごとにシンを呼んでは、魔術を教えたり冒険者時代の話を聞かせていた。
理由は解らないけれど、息子にとって彼が憧れのひとつになった事は違いない。
ケントは自分と妻だけで息子を育てたと言い張れる程、立派な親だとは思っていない。
アンダルもまた、シンの成長を助けてくれたのだ。そして、その背景にフェリーが居る事も理解している。
そのお礼という訳ではないが、妻のカンナも快諾したのでフェリーを引き取る事に決めた。
実際、アンダルが亡くなってからシンはより逞しくなったと思う。
本当に冒険者となり、定期的にゼラニウムへ行ってギルドの依頼をこなしている。
ある日、しれっと独りで冒険に出ていったので、カンナとフェリーがおろおろしていた。
内心、自分も焦ったが顔に出さないようにしながら戻ってきた彼を誉めた。
生傷を作ってくる事も少なくないが、シンはフェリーの前では決して弱音を吐かない。
親としてはその成長は嬉しくもあり、寂しくもあった。
「じゃあ、行ってくる」
支度を終えたシンが、荷物を背負う。
「行ってらっしゃい。今日中に戻ってくる?」
「そのつもりではあるけど」
カンナが「じゃあ、夕飯は用意しておくわね」と言ったので頷いてから家を出る。
扉越しに「シンのあんぽんたん!」と、フェリーの罵倒がこだました。
……*
「む~~っ」
フェリーが怒りで肩を上げている中、妹のリンが言った。
「フェリーちゃん、また『フェリー』って言ってたよ」
「えっ、ほんと?」
慌てて口を手で押さえるが、もう手遅れだった。
口に出した言葉は引っ込めないし、聞かれたくない相手は既に家を出ている。
「急にどうしたんだ? いつも自分の事、『フェリー』って言ってたじゃないか」
ケントが首を傾げると、カンナが教えてくれた。
「フェリーちゃん、『あたし』って言いたいんだって」
「どうしてだ?」
ケントは更に首を傾げる。
アンダルから貰った、フェリーという名前を彼女はとても気に入っている。
一人称で使っていても、何も問題はないだろう。何なら、可愛らしいと思うぐらいだ。
「子供っぽいからですって」
「んんん?」
何度言われても、ケントには意味が解らなかった。
「あのね。こないだフェリーちゃんとお兄ちゃんを追っかけたの!」
ひょこっと、リンが顔を覗かせる。
今年で13歳になるリンは、フェリーに特に懐いており本当の姉妹のようだった。
「それでお兄ちゃんがおっきい家で、大人のお姉さんと会ってたの!
すっごい美人さんで、おっぱいも大きかった!」
「ほう、詳しく教えてくれ」
「あなた?」
果物を剝いているナイフの切っ先が、光に反射した。
笑ってはいるものの、カンナの笑顔には圧がある。
ケントは咳払いをして「それで、どうなったんだ?」と誤魔化した。
「そのお姉さんが、自分のこと『アタシ』って言ってたの。
お兄ちゃんとも仲良さそうだったから、フェリーちゃんが羨ましがってマネしてるの」
「羨ましいわけじゃないもん! ただ、大人っぽいから『あたし』って言おうとしてるだけだもん!」
決して、シンと仲良く話す大人の女性に嫉妬したわけではない。
そう主張するフェリーをリンはにやにやと眺めていた。
その大きな屋敷の主、ベル・マレットの影響を受けているのは一人称だけではない。
髪も長い方が好きなのかと思い伸ばしている。今はもう、腰の長さにまで達している。
カンナも同じぐらいの長さを三つ編みにまとめているので、余計に真似をしたくなった。
フェリーは、リンやカンナの黒い髪が大好きだった。
濡羽色とでもいうのだろうか。若干青み掛かった艶のある、美しい黒髪。
すごく手触りが良くて、ずっと撫でていたくなる。
「でも、おっぱいはそのうち追い付くと思うよ」
「ほんと?」
ケントは大きな咳払いをした。
そういう話題をするなら、自分が居ないところでして欲しい。
興味はしっかりあるのだが、カンナの視線が痛い。
「はい。フェリーちゃんもリンも、果物剥いたわよ」
カンナが果物を乗せた皿を並べる。
心なしか、ケントの分だけ少ない様に思えた。
「やった! ありがとう、お母さん」
「ありがとう、おばさん」
切り並べられた果物を頬張り、至福のひと時を過ごす。
自分を本当の家族のように扱ってくれる、この家族がフェリーは大好きだった。
「それで、大丈夫なのか? その大きな家って、マレット博士の家だろ?」
ベル・マレットと言えば魔導大国マギアにてその名を知らない者はいない。
いつも家に籠っては何かを作っている。危険から身を護る道具も、移動に便利な道具も、生活に欠かせない道具も。
それがマギアへ齎した繁栄は数知れない。
一方で、良くない噂も耳にする。
彼女の屋敷。その周囲に誰も寄り付かないのがその証拠と言わんばかりに。
しょっちゅう爆発を起こしているのは、爆弾を発明して国家転覆を企んでいるから。
たまに冒険者や奴隷を買って屋敷に招いては、人体実験をしているだとか。
マレット自身が己の事を、世へ語る事はない。
故に憶測が世間を賑わせている。
そして、火の無い所に煙は立たないという。だから、ケントはそうなる事を懸念した。
「大丈夫よ。そんなに心配しなくても。
いつもフェリーちゃんにお土産持ってきてくれるじゃない。
私も、お水をお湯にしてくれる魔導具。あれ、便利だから大好きよ」
魔導石をポットへ埋め込み、魔力を流すと中の水が熱される。
魔導刃の出来損ないから派生したものだが、ほんの少しの魔力でお湯が沸くまで作動をしてくれる。
後にマナ・ポットという名で大ヒットし、マレットの重要な資金源となる魔導具だった。
元々はフェリーにあげたものだが、キーランド家の食卓を彩っているのは母のカンナだ。
フェリーは、シンに許可を取った上でそれをカンナに譲った。
その結果でカンナが喜んでくれたのでフェリーも嬉しかった。
土産だけでなく、シンはアンダルのように冒険に行った話をしてくれる。
それ自体は嬉しいのだけれど、やはり自分も連れて行って欲しいと思ってしまう。
魔術の練習も再開して、いくつかならちゃんと詠唱をすれば魔術を使用する事が出来るようになった。
シンは魔術が使えないから、自分だって役に立てると思っていた。
だけど、彼は頑なに冒険へ連れて行ってはくれない。
八つ当たりだが、それをゼラニウムにいる大人の女性が原因だと思っていた。
あの人と二人で会いたいから、自分を連れて行かないのだと。
だから、真似をしてみた。彼女のようになれば、傍に置いてくれるのではないかと思った。
ほんのちょっとでもいいから、フェリーは自分に振り向いて欲しかった。
シンはただフェリーに喜んで欲しいだけだったのだが、その事には気付いてはいなかった。
……*
「あっはっはっは!」
ゼラニウムにぽつんとある屋敷。そこの主は大きな声を周囲に響き渡らせていた。
「笑いごとじゃないだろ。最近いつも連れていけって言うんだよ。
危ないって何度言っても聞かないんだ」
「でも、勝手に冒険者になったりはしないんだろ?」
「リンや母さんが止めてるんだろ。俺が危ないって言っても聞かないのに」
むすっとするシンを見て、マレットはケタケタと笑った。
茶化されているような気がして、シンが益々むすっとする。
「それは、シンと冒険に行きたいだけなんじゃないのか。
本当に冒険者をやりたいなら、周りの反対なんて気にせず勝手に出ていくだろうに」
その証拠が、目の前にいる。シンだって、両親から反対されていた事を知っていた。
結果、勝手に冒険に出る事で無理矢理認めさせたのだ。
実の子でそうなのだから、フェリーが本気で家を出ると言えば止められるはずも無かった。
そうならない理由は、フェリーがシンと冒険をしたいからに限る。
彼女にとって冒険をする事より、シンと居る事の方が大きいウエイトを占めているだけの話なのだ。
「冒険者は危ないだろ、そんな半端な考えだと怪我じゃ済まない」
「はいはい、そうだな」
マレットは吹き出しそうになるのを、かろうじて堪えた。
シンはまたも大きなブーメランを投げている。
粋がって身の丈に合わない討伐依頼を受けた結果、大怪我を負った冒険者をマレットは知っている。
今、目の前にいる男だ。
熟練の冒険者が同じ魔物を狙っていた為、一命を取り留めたがそれからが大変だった。
治癒魔術の効果が薄いシンは、どうやっても完治までが遠い。
結果、同時にマレットの採取依頼を受けていた事もあって、彼女が伝書鳩をカランコエにあるキーランド家まで送る羽目になった。
その内容が「色んな採取を頼みたいので、しばらく借りる」という物だったので、主にフェリーがパニックに陥っていた。
後に、マレットとの関係を疑ったフェリーが彼の後をつける切っ掛けだった。
その頃に比べると、シンは自分の実力をきちんと把握して動くようになったと思う。
受ける依頼は主にマレットの出す採取で、その道中に討伐依頼があればついでに行う。
無理そうな相手なら、階級の高い冒険者を呼んだ方がいいとギルドに声も掛けていた。
「……それで、今日の依頼は?」
「ん」
マレットは一枚のメモをシンへ差し出す。
どうせギルドに依頼を出しても、シンしか請けないので最近は直接渡すようになっていた。
勿論、ギルドでのシンの立場もあるので、ちゃんと間にギルドを挟んだ依頼という形にはしているが。
「……遅くなりそうだな」
受け取ったリストを見て、シンが呟いた。夕飯までに戻れるだろうかと、手順を考え始める。
恐らく魔導石の材料だと思うが、詳細はマレットの頭にしかないので自分には解らない。
「よろしく頼んだぞ。冒険者サマ」
「はいはい、またなんか土産よろしくな」
「任せとけ。なんか見繕っとく」
直接マレットの家を訪れる理由はもうひとつ。フェリーへの土産を催促する為でもあった。
独創性溢れる物をくれるのでびっくり箱のようなものだが、シンは彼女の発明が好きだった。
ケタケタと笑いながら手を振るマレットを尻目に、シンは屋敷を後にする。
「夕飯までには戻りたい」と、採取手順を考えていた。
……*
「――火球」
詠唱を終え、魔術を唱えると掌に熱が集まる。
火の球がそこに浮かび上がるのを確認して、フェリーは喜ぶ。
「よしっ! うまくできたかも!」
ぎゅっと掌を閉じると、火球はふっと煙だけを残して消えた。
「えへへ、ちょーしいいかも」
昼食を終えて、フェリーはかつての自分の住まいであるアンダルの家に独りで居た。
既に家具などは全て処分した為、本当に何もない空き家がポツンとあるだけ。
広い空間だけれど、自分だけの空間だった。
本当は家も取り壊される予定だったのだが、それをフェリーが嫌がったので形だけ残してある。
自分の我儘で残った家なのに、たまにカンナとリンが掃除を手伝ってくれる。
キーランド家には、感謝してもしきれない。
昔は独りで訪れては寂しさから泣いていたのだが、シンが冒険者になってからは魔術の練習場と化していた。
泣いてばかりの自分だと危ないから、シンは連れて行ってくれないのだ。
フェリーはそう思い、自分も強くなろうと決めた。
「これなら、シンも冒険連れて行ってくれるかなあ……」
最近、本当に魔術の調子が良い。
正確に言うと、調子が良いというよりは思ったより大きな威力で発生する。
これなら、どんな魔物が出ても二人で戦えると思う。
どんな魔物と戦うのかよく知らないにも関わらず、フェリーには妙な自信があった。
シンが剣を振るってる間に、自分が魔術で補助をする。
アンダルが魔術師だった事もあって、そういった話は特に聞かされていた。
シンは冒険者自体に憧れたようだけれど、自分はそれを支える姿に憧れたのだ。
休憩を兼ねて、フェリーは床に転がる。窓から射しこむ光が当たって、心地良かった。
魔術を使った疲労感と相まって、欠伸が漏れる。
「シンといっしょに、ぼーけん……。いきたいなぁ……」
お腹もいっぱいで、暖かい日差し。昼寝をする条件は整っている。
いつしか、フェリーの瞼は重くなっていた。
口をもごもごと動かながら、意識をまどろみの中に溶かしていく。
カランコエが地図からその姿を消すのは、それから数時間後の事だった。