61.陽の下で
魔導大国マギアにある街、ゼラニウム。
その隅っこにある大きな家。
マギア一の発明家、ベル・マレット。彼女の家にピースが住み着いて三日が経過していた。
「マレット。そういやさ」
朝食で使った食器を洗いながら、ピースが尋ねた。
マレットはというと、顔を向けることも無く「なんだ?」と生返事をする。
朝食を食べたテーブルでそのまま、何やら考え始めていた。
汚れるのだからちゃんと研究室へ行くよう促しても、彼女が応じた事はない。
「なんだ、今忙しいんだけど」
彼女はテーブルに広げた紙の上でペンを走らせる。
カリカリという音がピースの背中越しに聞こえるが、あまりにも速い音で何を書いているのか想像もつかなかった。
ピースが自分の前世を話した際に、マレットが特に興味を惹かれたのはアニメやゲームだった。
マギアの、もっと言えば自分の知識と技術で再現出来る物はないかと、彼女は日夜試行錯誤している。
それの理論を検証しているのか、はたまた別の事か。
シンがピースに持たせた荷物。その中には血の浸み込んだ土と、ドス黒い石が取り付けられた指輪。
当初、指輪はともかく、土が一体何なのかピースは解らなかった。
妙に赤黒いし、膜のように乾いているなとは思った。
マレットが血だと言わなければ、気付かなかったかもしれない。
なんてものを持たせるんだと、最初は思った。
最終的には、むしろ優しさから黙っていてくれたのかもしれない。と、ピースは好意的解釈をした。
マレットの手紙には、それが自分とシンたちが出逢う前。つまり、ピアリーでの事件で入手した物という事が書き綴られていた。
アメリアが持っていた『核』と繋がっていた石と、それを操っていた怪物の血が浸み込んだ土。
ウェルカで『核』が奪われた事もあって、邪神への唯一の手掛かりとなる石。
それが、ミスリアではなくマギアに渡ったという事になる。
マレットは、それを見て笑みを浮かべていた。
何なら、「シンはアタシの事よく分かってるな」とまで言う。
いくらなんでも仲が良すぎるだろうと、ピースは思った。
それ故に、ピースは気になった。
シンとマレットの関係が。
「シンとはどういう関係なの?
フェリーは会うの嫌がってたけど、シンはそうでもなさそうだし」
年の差もあるし、幼馴染とか恋人とかそういう関係でもなさそうだった。
仮にそうだとしたら、フェリーの情緒が不安定になるどころの騒ぎではない。
「ふっ、気になるか」
「まあ、一応」
ピースは「気になるから訊いたんだけど」と言いそうになるのを、飲み込んだ。
「アタシはシンの恩人だ。いや、フェリーにとって恩人でもあるけどな」
「うわ、自分で言ったよこの人」
二人の持っていた魔導具を見ると、マレットの世話になったという事はよくわかる。
マナ・ライドは高価なものの、一応マギアの市場に流通している。
だが、魔導刃や魔導弾は流通していない。直接彼女から渡された物だ。
「冗談はさておき」
コホン。と、マレットが咳払いをする。
「シンは元々、冒険者をやってたんだ。
それで、アタシの依頼でいろんな素材を採取してくれてな。
……まあ、シン以外がアタシの依頼を受けなかったんだけどさ」
マレットが遠い目をしながら言った。
当時から変人だのなんだので、街の住人から避けられていたマレット。
しまいには「改造される」なんて訳の分からない噂まで流されて、ギルドで誰も受注しないようになっていった。
そもそも、素材の採取なんて依頼は冒険者にとって「ついで」でやるようなものだ。
ウェルカのギルドで偉そうにしていた冒険者が、自分にそう言ってきた事を思い出した。
マレットの依頼は採取するにしても目的地が遠く、「ついで」に向かない事も多かったらしい。
それを一手に引き受けたのが、若き冒険者時代のシン。
彼は報酬ついでにマレットの作る道具を貰って、フェリーへのお土産にしていた。
遠出もするので、冒険の土産話も出来て一石二鳥だったという訳だ。
「いや、それだと恩人なのはシンじゃん」
「まあ、待て。話には続きがあってだな――」
マレットが突然真剣な顔をした事に気付いて、ピースは彼女と向き合うように椅子へ腰かける。
その緊張感に、思わず固唾を飲み込む。
彼女は頬杖を突きながら、指で自分の顔を叩き始める。
僅かに逡巡した後に、口を開いた。
……*
ほぼ同時刻。妖精族の里。
イリシャが待ち合わせに指定していた酒場で、シンが一人で珈琲を飲んでいた。
とは言っても、待ち合わせの相手はイリシャではない。
シンがレイバーンと共にギランドレへ向かった後。それを知ったフェリーの情緒が迷子になっていた。
それを解消するためにイリシャが提案をしたのが、二人でのデートだった。
ただ、シンにはその事を言っていない。眉間に皺を寄せるのが、判り切っているからだ。
そしてフェリーは、デートと今までの旅との違いがよく判っていない。
シンはフェリーの為に動いているし、フェリーはそんなシンにゆっくり休んで欲しいと思っている。
ちょっと嚙み合わせが悪いけれど、互いの事を想っている事には変わりない。
イリシャは、そんな二人の背中を押す事に決めた。
「……おまたせ」
声の方を振り返ると、待ち合わせの相手が現れていた。
妖精族の服をアレンジしたのか、ワンピース調の服を着たフェリーがそこに立っていた。
普段は動きやすい恰好を好む彼女だが、今日はスカートの裾が長い。
慣れないタイプの服装に、若干戸惑っている様子でもあった。
「……おう」
ぶっきらぼうにシンが返す。
フェリーと待ち合わせなんて、生まれてこの方した事がない。
だから、どう返事をすればいいのか解らなかった。
「イリシャちゃん、大丈夫なの?」
「うーん、なんだかんだで大丈夫だと思うけどねえ」
遠く離れた席で、二人が監視する。
ただ、ここは妖精族の里。その場を治める女王と、友人である人間の二人組。
しかも揃って美しい銀髪を靡かせている。
知っている人どころか、誰が見てもすぐバレる状況で二人は監視をしていた。
帽子を深くかぶり、たとえ端っこでもシンにその姿が映らないように細心の注意を払いながら。
因みにレイバーンは呼んでいない。バレる可能性がほぼゼロから、ゼロになるからだ。
イリシャがシンに伝えた内容は、至極簡単なものだった。
一日、フェリーと過ごす。それだけ。
シンは「そんな事でいいのか?」と言っていたが、「そんな事」が出来ていないのが今の彼だった。
意識的に行動すれば、流石に今日一日ぐらいは大丈夫だろう。
後は、フェリーがなんとかする。いや、なんとかなるように仕込んだ。
彼女の希望通り、ゆっくりした時間を過ごしてもらうのだ。
後は若い二人に……とでも言いたいイリシャだったが、リタが興味津々で眺めたいと言い出したのでこうして後をつけている。
フェリーにも黙っているので、絶対にバレる訳には行かなかった。
きっとレイバーンと自分に置き換えているのだと思うと、イリシャは微笑ましくなった。
「あ、移動するみたいだよ」
酒場を後にする二人を見て、リタが小声で言った。
自分達も気配を悟られないように注意を払いながら、後を追う。
二人で妖精族の里を散歩しながらも、シンは物思いに耽っていた。
考えるのはフェリーの中に居る『何か』。
彼女の出生に何か関係があるのではないかと、勘繰っている。
少しでも時間があると、どうしてもその事で脳が運動を始めてしまう。
「シン、きーてる?」
フェリーがむっと眉根を寄せて、見上げる。
「ああ、悪い。なんだっけ?」
正直に返すと、フェリーの眉根が更に寄っていく。
偉そうにイリシャへ「そんな事でいいのか?」と言った自分だが、わざわざ言われるだけの事はある。
一方のフェリーも、いつもなら文句を言う所だがそれを堪えた。
彼女の目的は、シンにゆっくり過ごしてもらう事。それを自分から台無しにしてはいけないという決意がそうさせた。
「この服、どうかなって」
どうかなって、どうなんだ。
シンには服の良し悪しが分からない。どう答えるのが成功なのかも。
だから、素直に想った内容を言葉にした。
「あんまり見ないけど、妖精族の服なのか?」
似合うとか似合わないとかではなく、シンプルに出自を訊く。
無意識に、フェリーの出自を気にしている事に引っ張られてしまっていた。
「うん。元はリタちゃんが用意してくれた服なんだけど、イリシャさんが色々アレンジしてくれたの。
いつもよりちょっと動きづらいケド、かわいいから好き!」
「そっか、よかったな」
「うん!」
大樹の影から、フェリーを見守る怪しい二人組。
妖精族の女王は、ハラハラしながらその会話に聞き耳を立てていた。
「あ、あれでいいのかな?」
「リタは心配しすぎ。レイバーンに言われたら嫌か、自分で想像してみたら?」
「想像……」
決してそんな事を言わなさそうな魔獣族の王が、自分の服装にコメントをしてくれる。
それを想像すると、リタがにへら顔になる。
この娘はそれで良さそうだ。それより、シンとフェリーが重要だとイリシャは視線を彼らへ戻す。
「ここで、お昼ごはん食べよ」
そう言って腰を下ろしたのは、色とりどりの花が咲く花畑だった。
植物の事は良く分からないけれど、目の前の景色がとても綺麗でフェリーは心が洗われる。
陽の当たる草むらに腰を下ろし、日光を身体いっぱいに浴びる二人。
そのままイリシャの用意したバスケットを開くと、入っているのは卵をパンで挟んだ料理だった。
「フェリーが作ったのか?」
「……イリシャさん」
やっぱり、自分で作った方が良かったのかな。と思いに耽るフェリーだが、自分は料理が出来ない。
下手なものを食べさせるよりは、絶対にいいはずだと自分に言い聞かせた。
「……美味いな」
「ほんとだね!」
実際、イリシャの料理は絶品でシンも舌鼓を打っている。
今日は彼にゆっくりしてもらうのが目的なのだから、それが一番重要なのだ。
しかし、彼の眉間には皺が寄っている。
大切な事を考えている。そんな様子に、フェリーは気付いていなかった。
「……なあ、フェリー」
「ふぁい?」
挟まれた卵ごとパンを口に頬張りながら、フェリーは返事をする。
もごもごと口を動かして彼の顔を見ると、真剣な眼差しをしていた。
「アンダルじいちゃんに、うちの村に連れてきてもらう前の事……。教えてもらってもいいか?」
きょとんとするフェリーを前にして、シンは額に汗が流れる。
嫌な質問をしている事は、十分承知しているつもりだった。
頬張っていたそれをゴクンと飲み込み、フェリーは答えた。
「わからないよ。そんなの」
嘘では無かった。
ずっと暗い部屋で過ごして、言葉も解らない。名前も無い。
あの日、アンダルに拾われるまでフェリーは『無』だった。
辛いとさえ思わないぐらいの、『無』。
期間が長いかも短いかも、よく解らない。
どうして、シンが今更そんな事を訊いたのかフェリーには知る由もない。
きっと訊き辛い質問だったはずだ。
だけど、それすらなんとも思わないのだ。
怒りより、期待に応えられなかった事が心苦しいと思うぐらいには。
「あたしを産んだ人のコトも、よく覚えてないしさ」
「……そうか」
あまりに即答をするので、シンはそれ以上訊けなかった。
フェリーにとっては、『親』ですらない。両親への明確な拒絶が含まれている事だけが判った。
同時に、また「そんな事」が出来ていなかった自分を反省しながらパンを咥える。
ふんわりと甘く焼かれた卵の味が、口の中へと広がった。
……*
昼食を食べ終えた二人だが、フェリーが唐突にある提案をした。
「ねえ、日向ぼっこしよっか」
そう言うと、フェリーはコロンと草むらに転がった。鼻腔を擽る花と土の香りが、心地良い。
急かすように地面を叩くので、戸惑いを見せていたシンも渋々と寝転がった。
「気持ちいいから、このままお昼寝しよ」
「なんでだよ?」
「いいからいいから」
これがイリシャの唱えたデートプラン。「シンにゆっくりしてもらう」だった。
フェリーが連れてきた花畑は、安眠効果のあるハーブの原料となる花。
そして、同じ花から作られた香水をフェリーは纏っている。
心地よい日光を浴びながら、安眠効果のあるハーブ。
うっすらとアルフヘイムの森による影響で、魔力による安眠を促している事もあり効果は絶大だ。
そこで寝転がればいくらシンと言えど睡魔には抵抗できないだろうという計画。
現にフェリーは、気持ちよくて眠たくなってきた。
(ダメ! シンが寝るまでガマンしなきゃ!)
眠気に抗いながら、顔をシンの方へ向ける。
目が開いていたので、閉じるように促すと渋々瞼を閉じた。
シンの呼吸に合わせながら、自分も息を吐く。
やがて彼の全身が脱力した事を確認して、フェリーは作戦が成功を確信した。
「ほんとに寝ちゃったね」
リタが目を丸くする。
まさか、こんなにあっさりシンが陥落するとは思っていなかった。
「それだけ疲れてたのよ。ここから先は邪魔になるし、帰りましょ」
「え? ええ?」
まだ眺めていたそうなリタの腕を、イリシャが引っ張っていった。
滅多に見る事の無いシンの熟睡を、フェリーはまじまじと見つめた。
野営の時でも、彼は眠りが浅い。自分が見張りをしていても異変があるとすぐに起きてくれる。
(ちゃんと寝顔見るの、いつ以来だろ……)
きっと、何も考えないでいられた子供の時以来かもしれない。
随分久しぶりだ。
よく見ると、目の下に隈がある。
きっと、いつも色々考えたり動いたりしてくれているからだ。
弛緩した指先に軽く触れると、ガチガチに固まっている。腕も手も、細かい傷がたくさんあった。
体つきも顔つきも、彼は自分よりずっと大人になっている。
自分だけが置いて行かれた。いや、違う。置いて行かれるはずだったのに、一緒に居てくれた。
それだけで嬉しいはずなのに、随分と我儘になってしまった。
シンの寝息に導かれるように、フェリーの目も虚ろになっていく。
まどろみに意識が奪われる間際、脳裏を過ったのはシンの言葉だった。
(どうして、昔のコトなんて訊いたんだろ……)
フェリーは、アンダルに引き取られる前の事は本当にどうでもいいと思っている。
彼女にとっての人生は、故郷の村で過ごした時間から始まっている。
それは幸せで、ずっと続くはずだった日常。
自分が壊したもの。犯した罪を思い出しながら、フェリーの意識は遠のていく。
(そういえば、あの時食べたのもおんなじ料理だったなあ……)
自分に眠る記憶が、味蕾を刺激したような気がした。