6.魔導刃
地下牢を出たフェリーは、まず自分の荷物を探す事を優先した。
何度か使用人と遭遇したものの、先手必勝で黙らせて適当な部屋に押し込んでいく。
一方で、家政婦を誰一人見かけないという事実を薄気味悪く感じていた。
村の女性全員がこの館の来ているという話が本当なら、一体どこにいるのだろう。
他にも牢がある可能性も考えたが、それらしき部屋は見つからない。
立派な屋敷にブルーゴやゴッドーといった賞金首の他に、たくさんの使用人がうろついている点も気になる。
あの小太りの中年は一体、何を企んでいるのだろうか。
「――ッ!」
そんな思考を遮るように、不意に頭上からの殺意を感じた。
反射的に横へステップをすると、それは前髪を掠め重たい何かが地面へと叩きつけられる。
長い柄に取り付けられたハンマー状の形状から判別するに、それは戦鎚だと認識した。
叩きつけられた戦鎚が床を打ち抜き、大穴を開ける。
この戦鎚には見覚えがある。柄の方から持ち主まで視線をなぞると、先刻会ったの大男の姿があった。
ブルーゴだ。
「おいおい。屋敷の奴らがみんな寝てると思ったら、嬢ちゃん何してんだ?
そもそも、何でここに居るんだ? クスリで眠って牢屋に居るはずだろ?」
「牢屋なら、あなたの相棒が代わりに眠ってるよ。ぐったりとね」
ブルーゴの舌打ちが聞こえた。
「ゴッドーの奴、本当に使えねェな。
いつも調子に乗ってしくじりやがる。誰のおかげでいい思いしてると思ってんだ」
突き出た顎を伸ばし、呆れるブルーゴに牢屋でのゴッドーの姿を重ねた。
ゴッドーは陰でブルーゴの事を見下していたが、こちらの男も同様に彼の事を見下しているらしい。
二人とも、よくそんな形で一緒に行動できたものだと感心してしまう。
とはいえ、フェリー自身の状況はあまり良いとは言えない。
他にも居るという、村の女性は誰一人見つけられない。
目の前には武器を持った大男。
対して自分は丸腰だ。こんな奴に負ける気はしないとはいえ、手間取っている間に仲間が増えるのも困る。
(一発、魔術を撃ってみようかな? ……いやいや、ダメダメ!)
ダメ元で魔術を使う事も考えたが、相手にちゃんと当たるかが疑わしい。
魔術の制御がとにかく苦手なフェリーにとって、どこに飛ぶのか分からない魔術はさすがに撃てない。
ならばブルーゴとの戦闘を避けるべきかと問われると、そのつもりも無かった。
自分がまだ見つけられていないだけで、この屋敷にいる女性が巻き込まれるかもしれない。
最悪、見ず知らずの女性を人質に取られる可能性だってある。
放っておけば、ブルーゴが地下牢に捨て置いたゴッドーの元へ行く可能性もある。
ゴッドー自体はどうでもいいが、地下牢にはまだ五人の女性がいる。
他にも、仲間を呼ばれる可能性だってある。
とにかく、可能性を考えるとキリがない。
出会った以上、可能性を排除する為にも戦闘は避けられない。
「なんにせよ、嬢ちゃんは暴れすぎだ。
ここらでちょっと痛い目を見てもらうぜ」
悩むフェリーの事情などお構いなしに、ブルーゴの戦鎚が彼女を襲う。
一発一発が大振りで躱す事は難しくないが、次々と床や壁が打ち抜かれ足場を奪われていく。
「あぁ、もう! 人がまだイロイロ考えてるのに!」
紙一重で戦鎚を避けながら「こんなに壊してマーカスに怒られないのだろうか」などの考えが脳裏を過るが、すぐに思考の外へと捨てた。
これだけ暴れれば自分も仕事どころではないし、そもそも自分に睡眠薬を盛るような相手の心配する義理もない。
「なぁに、痛めつけた後は詫びに気持ちよくしてやるよ」
鳥肌が立った。
よくもそんな事を平気で言えるもんだと、背筋が凍る。
「絶対イヤ!!」
フェリーは嫌悪感を抑えきれなくなってきた。もう敵対しているのだから隠す必要もないのだが、とにかく不快だった。
賞金首だし。みんなを救うためだし。と自分に理由付けをして、目の前のアゴゴリラと対峙する。
自分を落ち着かせるよう冷静に相手の力量を測ると、殴るだけで制圧出来たゴッドーは勿論、力任せに大振りを繰り返すブルーゴもそれほど強いとは感じない。
腕力はそれなりにあるようだが、それをただ力任せに振り回しているだけだ。
前に金貨50枚クラスの賞金首と戦った時はもっと手強かった。
彼らに比べるとあの戦鎚さえどうにかすればいい。ただそれだけの相手だった。
何か使えるものはないかと部屋を見回した時、フェリーはあるものに気付いた。
ブルーゴが作り出した大きな穴。いや、正しくはその先にある物。
彼が壊した壁の向こうの部屋に見えるのは、間違いなく自分の荷物が入っている鞄だった。
(あたしの荷物!)
それなら、あれがある。
道は拓かれた。
ブルーゴに気付かれないよう、フェリーは右手に魔力を込める。
魔術として放出さえしなければ、恐らく暴発はしないはずだ。
打ち付けられた戦鎚を躱しながら、件の部屋と隣接する壁へ近付いていく。
そのまま壁に向かって思い切り魔力をぶつけると、爆音と共に壁が大きく崩れた。
「なんのつもりだ?」
「さあ? なんのつもりでしょう?」
壁の破片を掴みブルーゴへ投げて牽制をすると、フェリーは壁の向こうへと姿を消した。
「逃がすかよォ!」
ワンテンポ遅れてブルーゴの戦鎚が薙ぎ払われる。
強引に、しかし勢いよく鎚頭が壁の向こうに居るフェリーを襲う。
捉えたという確信が、ブルーゴにはあった。
しかし。
「なっ……!?」
確信とは裏腹に、ブルーゴは何の感触も得る事はなかった。
彼の好きな、鎚が肉を潰す感触も。
振り切った戦鎚が己に課す負荷も。
代わりに、ゴトンと重い物が落ちたような音が彼の鼓膜を揺らす。
同時にその重さと自分の腕力で敵を支配していた戦鎚。その片割れの感覚を失った。
戦鎚の先が床に転がった音だった。
それは僅かな間だったが、ブルーゴの思考が止まる。
理解が追い付かないまま、自分が持つ戦鎚だったものの柄に目をやる。
相棒であり商売道具である戦鎚は、その主要部分である鎚頭を失っていた。
代わりに柄の先が焼けるような橙色に染まり、状況の異様さを物語っていた。
戦鎚に身体をグチャグチャにされるはずだったフェリーが、同じ色をした刃を握りしめている事に気付く。
「なんだよ……それ……。
そんなモン、どこにあったんだよ!?」
ブルーゴが狼狽える。
夕陽のような鮮やかな茜色をしたそれは、初めて見るものだった。
魔導刃。
魔導式自動二輪車と同じように、動力として魔導石を剣の柄に埋め込まれている。
使用者本人の魔力を込める事によって魔力の刃を形成し、同様に魔力の質によってその属性を変える。
フェリーが持つ炎の魔力が茜色の刃を形成し、ブルーゴの戦鎚を斬り落とした。
非常に精密なバランスで成り立っている魔導刃は発明した魔導大国マギアでも流通はしておらず、当然ながらミスリアには存在しないものだった。
フェリーを眠らせた際に持ち物を物色していたブルーゴだったが、その見た目からただの棒にしか見えず、その価値を見出せなかった。
魔導刃の他に短剣を所持していたせいか、そっちが彼女の得物だと大きな勘違いをしてしまっていた。
ブルーゴからすると、突然わけのわからないところから現れた刃が、自分の得物を斬り落とした。
この状況に理解も納得も追い付かない。
一方で魔導刃があれば、こんな男は敵ではない。
フェリーは迷う事なく、地面を蹴った。
「う、うおおお!」
一直線に突進してくるフェリーに対して、ブルーゴは柄だけとなった戦鎚で反射的に突く。
自慢の鎚頭は失ったがまだリーチの長さで分がある。
真っ直ぐ向かってくる彼女を貫けば、あの訳の分からない刃も自分には届かない。
それを待っていたと言わんばかりにフェリーは槍となった鉄槌を躱し、掃う様に魔導刃を戦鎚の柄に交差させる。
瞬く間に戦鎚の柄は真っ二つに斬り離され、ただの鉄の棒と化した。
刹那。
狼狽えるブルーゴの視界全てを、魔導刃を持ったフェリーが支配した。
「ひっ……!」
ブルーゴが「殺される」と直感した時には、魔導刃を持ったフェリーの右手が既に眼前にあった。
空気が焼かれ、肌がチリチリと乾燥する。発せられる熱は、『死』を予感させるには十分なものだった。
「せいっ!!」
フェリーはそのまま魔導刃を握ったまま、その拳を彼の顔面に打ち付ける。
「ぶはっ……!?」
首と胴体が離れる覚悟をしていたブルーゴだが、予想外の出来事にパニックを起こす。
その隙を見逃すはずもなく、フェリーが脇腹を左の拳で彼の脇腹へ鋭い一撃をお見舞いする。
「ぐえ……」
背中がくの字に曲がり、頭が下がる。
そのまま、天を衝く勢いでブルーゴの顎を打ち抜いた。
ブルーゴは勢いそのまま仰向けに倒れると、白目を剥いて意識を失った。
「あっ……」
崩れ落ちるブルーゴを見ながら、フェリーは「しまった」と声を漏らした。
他の村人の事を確認すれば良かったと悔やむ。
……*
「おい、見たか?」
「ブルーゴがやられたぞ……」
「なんだよあれ……」
その様子を陰から見ていた使用人達がフェリーに畏怖の念を抱く。
このままだと自分達も同じ目に遭わされかねない。
彼女に見つからないよう、踵を返した瞬間。
「何をしているんだい?」
後ろ手を組んだマーカスがその様子を見ていた。
「だ、旦那様……!」
「何のためにお前たちを雇っていると思ってるんだ?」
声色こそ穏やかだが、言葉の節々から怒りの感情が汲み取れる。
「い、いや。それは……」
「……まぁ、いい」
呆れつつも笑みを浮かべ、マーカスが指を鳴らした。
……*
「ひっ……!」
「うわあぁぁぁ!」
「助けてくれぇ!」
部屋の外から聞こえてくる悲鳴でフェリーは振り返った。
声の主の姿は見えず、代わりに飛び散る鮮血が廊下を赤く染める。
「やぁ。随分片付けが捗っているようだね」
血塗られた廊下を気にする事なく歩きながら、小太りの中年が姿を現す。
ここの主である、マーカスその人だった。
「おかげ様で。ダンナ様に掃除をお願いされていましたからね」
「はは、仕事熱心だね」
たっぷりの嫌味を返すが、マーカスの貼り付けたような笑顔を崩す事は出来なかった。
「……他の女の子たちはどこにいるの?」
魔導刃の刃先をマーカスへ向けるが、彼の表情は変わらない。
「魔力の刃かい? 不思議な物を持っているね」
「いいから、女の子の場所を教えて!」
刃から発せられる熱で空気が乾燥する。
焦げるような熱気が、眼前の空気をゆがませる。
「……っ!?」
同じタイミングで部屋を覆う空気が重たいものに変わった。
「答えてあげてもいいけど、どうやら時間切れみたいだ」
マーカスの背後に現れたのは、人と呼ぶにはあまりにも異形なものだった。
肌は黝く、痛々しさすら覚える。
膨れ上がった上半身に比べて、あまりにも貧弱な下半身。
肩や首の位置すら分からず、団子のように膨れ上がったそれに腕や頭を無理矢理くっつけたような異様さ。
返り血で所々赤く染まっているが、それを意に介している様子はない。
フェリーは館へ入る前に感じた、肌のざらつく感じを思い出した。
あの感覚はブルーゴやゴッドーではなく、この怪物から発せられていたようだった。
「さぁ、行きなさい。あぁ、そうだ。あの武器は興味深いから壊さないようにしなさい」
「オォオ、オオオオォォォ……!!」
マーカスが合図をすると、怪物は呻き声を上げながらフェリーへと襲い掛かった。