59.別れの祭壇
シンとテラン、二人は歩みを進める。
先刻の会話以降、何故かテランが生き生きとしている。
かと言って、重要な質問に答える訳では無いのだが、兎にも角にもテンションが上がっている。
これが彼の素なのかもしれない。心を開いたのかもしれないが、シンは鬱陶しく感じつつあった。
因みに、捕虜は交渉のカードとして何の役にも立たなかった。
テラン曰く「何も知らないから、好きにしていい」との事だった。
一応、それなりに情はあるらしく出来るなら殺さないでやってあげて欲しいとは懇願されたが。
しかし、口が堅いと思っていたのだが何も知らないとは思わなかった。
フェリーが居ないタイミングを見計らって、尋問した自分が馬鹿馬鹿しくなる。
全てが鬱陶しいというわけでもなく、一応有益な情報も得る事が出来た。
相変わらず目的を語る事は無かったが、妖精族を再び狙うような真似はしないだろうと言っていた。
放っておいてもそのうち気付くだろうとテランは言ったが、リタやレイバーンは安心するだろう。
……*
「ここは……?」
相変わらず方向感覚を狂わせる道を歩かされていたが、二人は広間に出た。
壁は通路と同じような石で、テランの魔力に反応をして淡い光を灯す。
それは石から石へと魔力を伝っていったのか、やがて部屋全体を灯らせた。
魔力の消費が通路よりも大きいのか、テランの眉がピクリと動いたのをシンは見逃さなかった。
壁伝いに伝って行き、最後に灯りがともった場所。
部屋の反対側には大きな石造の台が見える。
テランの魔力を吸い取る様子もなく、ただそこに在る鈍色の台。
それを守護するように隣で立ち尽くしている石像。人間よりもやや大きく造られているだろうか。
何を表現しているのか、人の形を成してはいるが翼を身に纏い杖をついている。
所々が風化して欠けているものの、台や像に施された彫刻がそれらを特別な物と認識させるには十分だった。
「……祭壇、かな」
ぽつりと、テランが呟いた。
彼の言葉に引っ張られた訳ではないが、シンも同じ印象を抱いていた。
台の上は何も置かれていないが、この部屋は特別な物。
そう思わせるには十分な造りをしている。
祭壇もそうだが、壁に使われている石も通路より強く光を放っている。
純度が高いのか、別の物質なのか。明らかに他の物とは線引きがされている印象だった。
「そうみたいだな」
部屋を漁ったシンが見つけたのは、同じ意匠が施された石造りの匣。
経年劣化により歪んでいるのか、堅く蓋されたそれを壊さないようにゆっくりと開ける。
中に収められていたのは、殆ど壊れてしまっていた。
辛うじて形を保っているのは、短剣ぐらいか。
他は割れていたり、朽ちていたりと正しい形を成していない。
破片から聖杯や、香炉が入っていたのだろうと推測が出来るぐらいだった。
「一体、なんだろうね」
テランが呟いた。
ドナ山脈より北に存在している以上、人間の物ではない。
それはこの遺跡を見ても明らかだった。
シンは言った、魔導石に近い性質を持っているかもしれないと。
だが、それはあくまで近いというだけ。
魔導石と違って使用者の意図を汲まない。一方的に吸い取っていくだけの道具。
いや、それは道具ですらない。ただの捕食者だ。
それに気付いた時、異変はすでに起きていた。
石像の眼光が、鈍く輝く。パラパラと砂粒を溢し、ギシギシと関節を鳴らしながら石の身体を動かしていく。
「っ……」
テランがまた顔を歪めた。これもどうやら、彼の魔力を吸い取った上の結果らしい。
「どうやら、魔造巨兵みたいだな」
魔造巨兵は、さながら守護者のようにゆっくりとテランへ歩み寄る。
シンは魔導弾を込め、迎撃に備える。
石像は持っていた杖を手放し、そのまま――。
テランへと、跪いた。
「……ええと、これは?」
「俺が知るか」
……*
あれから、色々と試してみた。
テランの魔力で動いているからか、この魔造巨兵は彼を主と認識しているらしい。
彼の後ろをぴったりと歩いている。
因みに、シンが触れようとすると全力で拒否をしてくる。
何なら、杖で突かれそうにもなった。
「いや、だからってこれは何をすればいいんだい?」
「だから、俺が知るか」
テランは扱いに困っていた。
部屋に入ったら勝手に魔力を吸収する挙句に、付き纏ってくるのだから無理もないが。
「第一、この魔造巨兵の意味はなんなんだ?」
シンの疑問は、真っ当なものだった。
この遺跡を守護する物として設置されたなら判る。
もっと言えば、魔力を奪いつつ牙を向くのであれば魔術師相手なら相当な脅威になるだろう。
だが、そうではないのだ。
魔力を供給している張本人であるテランを守護している。
逆に、魔力を供給していないシンへ牙を向こうとしているのだ。
「それが分かれば苦労しないよ。
ここが何なのかすら、分からないんだしさ」
祭壇に触れてみたり、シンが見つけた匣を置いたりしてみても特に反応は無い。
中の道具が壊れてしまって、その機能を失ったのだろうか。
心配事は、もうひとつあった。
この部屋から先に繋がる道は、無いのだ。
つまり、行き止まりという事になる。あるいは、終着点とでもいうべきか。
「せめて、出口でも見つかればいいのんだけどね」
テランがそう呟いた瞬間、魔造巨兵の瞳が怪しく光った。
ギシギシと関節を鳴らし、祭壇の奥にある壁へと重い足取りで歩いていく。
そして、魔造巨兵は手に持った杖で均整の取れた石壁を突いた。
崩れた石壁の先には、階段があった。見上げると、うっすらと灯りが見える。
明らかにこれまでの道とは違う光。それは自然によるものだと判る。
「……ああ、成程」
二人は、同時に納得をした。
この魔造巨兵は守護者ではなく、案内人なのだ。
自分を動かす事が出来た相手への、案内人。
そうでなければ、徒労を踏まされるだけという仕組みだったのだ。
テランが礼を言うと、魔造巨兵は恐縮したのかまた跪いた。
これまでの自分が当たり前のように行っていた行動なのだが、やられる立場になるとなんだかむず痒くなった。
「行こう」
シンが階段を登るべく、一歩を踏み出した時だった。
「……なんだ?」
部屋が揺れる。劣化している中で、壁を崩したからだろうか。
均整に並べられていたはずの石壁が砕け、天井から砂粒がパラパラと舞い落ちる。
このままだと、崩れるのは時間の問題だった。
「おい、急ぐぞ!」
シンはテランへ手を差し伸べる。
だが、彼はその手を決して取ろうとしない。
「何をしている、早く来い」
「……ここでお別れだ」
「お前は、何を言っているんだ。ここは崩れるぞ」
テランはそれでも、シンの手を取ろうとしない。
「君と地上に上がったら、休戦も終了だろう。
そうすれば、また戦わなくてはならない。僕には、もうその気は無くなってしまった」
「だったら、俺と一緒に来ればいい」
「それは、捕虜って意味だろう? 悪いがそれは出来ないよ。
僕は、まだ主を裏切るつもりはない。あっちは、そうは思っていないかもしれないけれどね」
任務に失敗した以上、主は自分を始末するだろう。
今まで、その時は仕方のない事だと思っていた。だが、今は『死』を迎えたくないとはっきりと認識している。
テランは揺れていた。主を裏切るつもりもなく、かと言って死ぬつもりもない。
だからこそ、ここでシンと別れなくてはならない。
自分が『己』で在りながら、生き残る為には。
「――常しえの闇よ、世界を区劃せよ」
詠唱を始めるテランに対して、シンは防衛本能から銃を向ける。
それを護るように、魔造巨兵が二人の間に立ちはだかる。
魔造巨兵が出張るより前に引鉄を引かなかったのは、休戦を受け入れたテランへの最後の信用だった。
「遮断壁闇」
詠唱を簡易にし、威力を効果を大幅に絞った遮断壁闇。
殺傷性を抑えた代わりに、ある能力だけを発現させる。
それは、影の帯による視界の分断。
魔造巨兵が壊した階段への道を、遮断壁闇にて覆い隠した。
「お前……っ」
遮断壁闇による切断能力を目の当たりにしている事もあり、シンにそれ以上踏み入る事を躊躇わせた。
壁、そして天井がガラガラと崩れる音だけがシンに部屋の状況を説明していた。
「シン・キーランド。ここでお別れだ」
「ふざけるな! だったら、お前の知っている事を吐いていけ!」
テランは思わず苦笑した。
主を裏切るつもりはないというのに、彼はしつこい。
(ああ、でも……)
ひとつ、彼にとって重要である事を伝えていなかった。
せめてもの土産に、これだけは持たせてあげよう。
「そうだな。それじゃあ、フェリー・ハートニアの事をひとつ」
「……なんだと?」
シンの動きが止まる。姿が見えないのに、テランはその様子がはっきりと判るぐらいに露骨な反応だった。
やはりシンにとっての『光』は彼女で、それは変わらないのだろう。きっと、死ぬまで。
「彼女の中には、何かがいる。得体の知れない何かが。
精々、気をつけるんだね」
「……なんだと?」
それは、今日。いや、一緒に旅をした10年間。それらに起きた事全てを上塗りするような言葉だった。
フェリーの中に、何かがいる?
シンはこれまで彼女と共にした時間で、その『何か』を見た事は無い。
泣いて、笑って、怒って。その全てが自分の知っているフェリーだ。
直接、フェリーと接触していないテランに何が判るというのか。
そう言いたい気持ちも、否定は出来ない。同時に、テランの言う事も否定できない自分が居た。
自分の知っているフェリーが、故郷を焼き尽くすなんて事はあり得ない。
彼女に巣食う『何か』が、行ったのだとしたら。
「おい、それはどういう――」
シンが言い終わるより先に、大きな音を立てて部屋は崩れていく。
テランの反応は、すでに無くなっていた。
「おい、答えろ! おい!」
シンの叫びが、テランに届く事は無かった。
……*
崩れゆく部屋の中で、テランは笑っていた。
自分が知っている、不老不死の少女についての情報。
それをシンの役に立つのかは、判らない。
ただ、その時に彼はどんな顔をしたのだろう。
自らの光に到達するかもしれない。その情報に対して。
しかし、シンはぶっきらぼうで文句を言いながらも、中々付き合いのいい男だと思った。
再び逢う事が出来たなら、話をしたいと思う。もしかすると、また戦闘になるかもしれないが。
「そういえば、一度も名前を呼ばれなかったな」
次は、絶対に名前を呼ばせよう。
自分の名は『お前』ではない。テラン・エステレラだ。
「まずは、この崩れゆく遺跡から生き残る方が先か」
昨日までは持ちえなかった、『生』への執着。
それは息苦しさも感じるが、不思議と心地よかった。
……*
階段を登ると、ギランドレから少し離れた位置にある荒野。
そこにある朽ちた遺跡。そのひとつと繋がっていた。
ギランドレの領地にならなかったのは、荒れ果てているからだろうか。
そう考えたのだが、理由はすぐに判った。
魔獣の気配が、あちこちからしている。
人間が住み着くには、ここは危険すぎたのだろう。
銃を構え、魔獣との戦闘に備えるシンだったのだが、一向に襲ってくる気配がない。
鼻を利かせ、シンの臭いを確認する。
刹那、怯えたように去っていくのだ。
「……?」
理由は簡単だった。シンの身体には、魔獣族の王の臭いがこびり付いている。
逆らう訳には行かないと、彼らの本能が身を引かせたのだった。
シンがその事に気付く事は無かったが、おかげでゆっくりとギランドレへ戻る事が出来た。
歩きながら反芻するのは、別れ際に言ったテランの言葉。
――彼女の中には、何かがいる。
思えば、シンはフェリーの事を何でも知っているつもりだった。
だけど、本当は知らない事がたくさんある。
彼女を引き取ったのはアンダルで、彼の死後は自分の両親が引き取った。
アンダルは言っていた。人買いに売られた彼女を乗せた馬車が、魔物に襲われたと。
それを救って、唯一の生き残りであるフェリーを育てる事にしたと。
どうして、フェリーを育てる事を決意したのかは判らない。
もしかすると、アンダルは気付いていたのだろうか。『何か』の存在に。
フェリーは引き取られるより前の事は殆ど覚えていないと言う。
自分も、彼女が笑顔になるとは到底思えないから訊く事は無かった。
でも、向き合う必要があるのかもしれない。
それがフェリーを悲しませる事になったとしても、知らなくてはいけないのかもしれない。
彼女を『救う』方法が、隠されている可能性が僅かでもあるのなら。




