58.見つけたもの
テランは改めて、自分が置かれている状況を整理していた。
目の前には銃口を突きつける男。
自分の魔力は殆ど残っていない。
移動する前に天井を見上げたが、かなり深い所まで落ちてきた事が判った。
逆に、何故この程度の負傷で済んでいるのかとテランは首を傾げる。
それが自分の放った影縫によるものだと云う事に、彼はまだ気付いていない。
ともあれ、上から脱出するのは、困難を極めるだろう。
下手に昇ろうとして、瓦礫が落ちて来よう主なら対処が出来ない。
今いる位置から、地上へ戻る手段があるかという保証もない。
周囲はうっすらと発光する、謎の魔術付与が施された石。
刻まれた文様に心当たりはない。古代の文字だろうか。
唯一の光明は、落ちた部屋から見えたひとつの暗闇。
それが通路のように見える事ぐらいだろうか。
二人が恐る恐る近付くと、それは周囲の壁と同じようにうっすらと発光した。
単独での脱出は困難を極めるだろう。
それは、きっと彼も同じだと思った。
いや、もしかすると自分以上に打つ手がないのかもしれない。
魔術が使えず、魔力も殆ど持たない。
この遺跡が魔力に準じる物だとすれば、シンは何もできずに朽ちていく可能性すらある。
最悪の事態を避ける為に、休戦を提案したと考えれば納得できる。
現在、優位なのはシンだ。それは間違いない。
詠唱を破棄して魔術を放つ程の余裕はなく、詠唱に気付かれれば銃弾が飛んで来る。
取っ組み合いで勝てる気もしない。銃の初動が速すぎる。
他にも理由はある。
テランは、シンが解からなくなっていた。
自分と同じ空っぽの人間だと思った。
何者でもないし、何者にもなれない。今でも、その考えは変わらない。
だから、道標に示された道をただなぞっていくだけ。
テランも、シンもそういう人生を歩むものだと思っていた。
しかし、気付いてしまった。眼前にいるこの男が、自分とは違う可能性に。
そう思うと、尚更興味を持ってしまった。
シンの提案を耳にした時、驚きよりも先に出た感情は喜びだった。
尤も、テランはその感情を自覚しては居なかったのだが。
「仕方がない、ここから出るまでは協力しよう」
テランの口から、自然と出た言葉が部屋に反響していた。
……*
冷たい空気の流れる石造りの道を、シンとテランは歩いていく。
一時休戦とはいえ、互いを信用したわけでは無い。いつ戦闘に入ってもいいように、警戒は怠らない。
テランもそれを理解しているのか、不用意な発言や殺気を出す事は避けているように見えた。
意外と話が分かる奴だと思ったが、フェリーを狙った事実は覆らない。
その点に関して、シンは彼を許すつもりは毛頭無い。
続いていく通路を歩いていくにつれ、いくつか判った事がある。
まず、落ちた部屋や通路に使われている石。通っていく通路に沿って輝くので便利なものだと思った。
触るとほんのりと暖かいのだが、一定の距離を離れると途端に灯りが消える。
「どうやら、この石は魔力を吸い取って発光しているらしい」
指の背でコンコンと叩きながら、テランが言った。
自身の魔力回復が鈍い事に違和感を覚えた結果、その答えへとたどり着いた。
最初、彼は灯りについては魔術付与によるものだと評していた。
だが、実際は違うようだ。歩いている二人というよりは、テランを中心に灯りが灯っている。
その理由が、テランの魔力を吸収している。大きな消費ではなく、魔力の回復を鈍らせる程度ではあるが。
「魔力を吸収している……か」
その話を聞いて、シンが真っ先に思い浮かべたのは魔導石だった。
フェリーの魔導刃のように、魔力を注ぎ込む事でその効力を発揮する魔導具。
自動でオンオフが切り替えられないという点は不便だが、同じような性質を持った石だともいえる。
「つまり、僕が居なければ君は暗闇に囚われてしまうという事だ」
テランが得意げに胸を張る。主導権を握っているのは自分だと言わんばかりに。
「その時は、お前を半殺しにして魔力だけ吸わせるとしようか。
幸い、勝手に位置を知らせてくれるしな」
銃口をテランに向け、シンが返す。
まるで鉄の塊に空いた穴が、冥府への入り口だと言わんばかりだった。
「冗談に決まってるだろ……」
「どうだか」
二人は小一時間ほど歩くが、この道が何処へ続いているか検討もつかない。
というのも、階段を上がったり昇ったり。時には道が僅かに弧を描いていたりと方向感覚が狂わされていた。
はじめはあまり会話を交わす事の無かった二人だが、流石に沈黙が息苦しさを覚え始める。
先に口を開いたのは、シンだった。
「……お前に訊きたい事がある」
「いいよ。答えられる範囲ならね」
「お前達は、一体何なんだ? 何を企んでいる?」
「いきなり核心を突いてくるね。君はせっかちだ」
「いいから答えろ」
テランは左手を上げ、首を振った。
「流石にそれは言えないよ。言ったら、僕は殺されてしまう」
現段階でも、任務が果たせなかった故に殺される可能性はある。
死ぬ事を恐れている訳ではないが、主を裏切る訳にもいかない。
それをしてしまえば、自分は本当に空っぽになってしまう。
「なら、質問を変える。お前達は、フェリーを狙っているのか?」
どうするべきか。と、テランは思索した。
確かに、主は彼女に興味を持っている。
だが、計画に利用する事は考え直した。不確定要素が強すぎて、安易に手を出せないと判断している。
ウェルカでも、妖精族の里でも彼女を見つけた事は偶然だ。
最高の実験体が、たまたま転がり込んできたにすぎない。
「ウェルカでも、妖精族の里でも見つけたのは偶然だよ。
不老不死の身体っていうのは興味があったのは事実だけれど、今は考え直しているところさ。
怖い番犬に噛みつかれる事だしね」
シンが知りたいのは、フェリーについての事だろう。
きっと「今は狙っていない」と伝えれば、彼は安心するに違いない。
テランの目論見は、ある程度成功したと言える。
同時に、『番犬』という単語が自分の事を示していると考えているシンの姿に気付いた。
勿論、その言葉に彼自身の事も含まれている。だが、それ以上に危険と感じたのは彼女の潜んでいる怪物だ。
彼はきっと、フェリーの中に何が潜んでいるかを知らない。
「君ばかり質問をするのは不公平だ。僕も訊かせてもらうよ」
「答えるとは限らないけどな」
「それでもいいさ」
意趣返しのつもりだろうが、テランとしては構わなかった。
どうせ、歩いている間の暇つぶしのようなものなのだ。
そのついでに、少しでも情報を得ようという互いの思惑がぶつかっているだけ。
「君と不死身の少女は、どういった関係なんだい?」
普通に名前を呼び捨てにしているところを見ると、主従関係にあるとは思えない。
「幼馴染だ」
「君も大変なんだね」
シンは眉を顰めた。少しの潜考した後に、気付いた。
恐らく、テランはフェリーが初めから不老不死だと誤解している。
わざわざ訂正する事でも無いので、シンは黙っておく事にした。
「君は、平気なのかい?」
そう思ったシンだが、テランが言葉を続ける。
自分の読解が誤っているのかもしれない。
「何がだ?」
「彼女は、光だ。これからも、きっと誰かにとって重要な人間で在り続けるだろう。
君は力も無いのに、そんな彼女に付き纏っている。足手まといになると、考えた事はないのかい?」
率直に言うと、この時のシンは苛立ちを隠せなくなっていた。
何も知らずに、『付き纏っている』と評したこの男に対しての怒りが沸く。
だが、歯を食いしばってその感情を押し殺す。
テランに当たったところで、何も意味を成さない。
フェリーとの約束や関係を、赤裸々に語るつもりもない。
それに、一時休戦を持ちかけたのは自分だ。それを破るわけには行かない。
「一緒に旅をすると決めたのは、俺自身だ。
もしもフェリーがそれを拒絶するなら、その時に考える」
一緒に旅をして、いつか必ずフェリーを殺す。
彼女に頼まれて、必ず成就させると誓った。
……そう意気込んではいるものの、10年の歳月で手掛かりは何も得る事が出来ていない。
フェリーがもしも自分に見切りをつけるのなら、その時はきっと受け入れるだろう。
その方が彼女の幸せになると言うのなら、シンはそれでも良かった。
想像すると少しだけ胸が痛んだが、それは自分が耐えればいいだけだった。
「自分で決めた……か」
テランは羨望の眼差しを、シンへ送った。
紛い物と借り物で構成された男だと思っていた。
実際に、そうである事は疑いようもないのだろう。
だが、違った。彼は空っぽでは無い。
「それじゃあ、ここに来たのも――」
「フェリーに訊いたら、絶対止めるに決まっている。
だから、勝手に来たに決まっているだろう」
だから、不老不死の少女は居なかったのか。
納得すると同時に、自分で何かを決めたという事がテランは羨ましかった。
自分の主が正しいとか、間違っているとかいう話ではない。
ただ、何かを自分で決めた。感情の赴くままに動いたというのが羨ましかったのだ。
眩い光をうろつきながらも、そんな生き方が出来る事に。
「君が羨ましいよ」
「何がだ?」
「僕は、何も決めた事が無かった。ただ、命令に従っただけ。
今までも、そしてこれからも。
そうか、君は自分で決めたのか……」
「ひとつ、訊かせろ」
自分とは違うと顔を曇らせるテランに対して、シンは質問を投げかける。
「俺を狙ったのは、誰の命令だ?」
「え……?」
テランは目を丸くした。それは、自分の行動に混乱していると言った顔だった。
主から、この国から自分達の痕跡を消すように言われた。
実際、侵入した以上はシンもその対象に入っている。
だが、シンから執拗に狙う必要は無かった。でも確かに、自分はシンを狙った。
任務を忘れた訳では無い。実際、並行して屍人は動かしていた。
だが、シンと接触する事が自分の目的で上位に位置付けられていた。
主の命令に、人物の優先順位は無い。
そうばると、他の誰でもない自分の意思によるものだった。
よもや屍人にやられると思っては居なかったが、この手で彼に思い知らせたかった。
空っぽの人間が、単独で動いても何の意味も持たない事を。
自分も空っぽなのに、それを示そうとしていた。
何てことはない。自分の意思で、自分の願いでシン・キーランドへ執着していた。
今、この瞬間だってそうだ。
主の命令は無い。自分で判断しなくてはならない。
いや、失敗した以上は『死』を選ぶべきだったのだ。
それなのに、自分は彼と一時的にとは手を組んだ。
「それに、ここに落下している時に魔術を使ったのは俺を殺す為か?」
「……なんだって?」
シンは、落下の際にテランが咄嗟に影縫を放った事を説明した。
自分が治療を施した事と、手を組む事を提案するに至った経緯として。
やはり、無意識だったようだ。
その状況で殺そうとするなら間違いなく瓦礫を伝ってシンと影を纏わせるだろう。そう言っていた。
落下する瓦礫から逃げられないようにして、圧し潰すだけだそうだ。
実際にやられていると、あの時は回避しようが無かった。九死に一生を得た形だった。
ただ、同時にそれを行っていれば自分も無事では済まなかっただろうとも言っていた。
それはシンを殺すことより『生』に対する執着の方が強かった事を意味する。
死ぬ事を恐れている訳ではないと思っていた。
だが、それは空っぽの自分にそういう意味を貼り付けているだけ。そう、思い知らされた。
「は、はははは」
気が付くと、テランは笑っていた。
隣でシンが若干引いていたが、全然構わなかった。
ずっと空っぽだと思っていた自分が、『己』を見つける事が出来た。
それが何よりも嬉しくて堪らなかった。
気になる人間へ固執もするし、命も惜しい。
自分はそういう人間だったのだと、テランは自分を理解した。
「何を笑っているんだ。気持ち悪い」
「ごめんごめん。でも、ありがとう」
「……何がだ?」
「いや、こっちの話さ」
テランは、晴れやかな顔をしていた。
その一方で質問に答えないどころか、笑っている彼の姿に対してシンは眉間に皺を寄せていた。