57.提案
祈りを終えたリタは口を真一文字に結んでいた。
探せど探せど、レイバーンの姿が見当たらない。
行先を尋ねても、帰ってくるのは知らないという返答のみ。
魔獣族まで知らないというのは流石におかしい。
ドアに挟まれていた手紙をルナールに見せると、彼女は耳を立てて顔を訝しめた。
「何が書いてあるの?」
「ええと、『シンと出かけてくる。遅くとも夕飯までには帰る』だそうです」
「……どういうこと?」
「私に言われましても……」
レイバーンもシンも、一体何処へ姿を消したのだろうかと首を傾げる。
第一、昨日の片付けだってあるし、居住特区の話も進めないといけない。
それを簡単に放っておける男ではない事を、リタは理解している。
ともなれば、のっぴきならない事情があるのかもしれない。
そう考え、ルナールに尋ねても彼女は首を横に振る。
なんとも言えない顔をしながら、「私にも教えてはくれませんから……」と呟くルナールが印象的だった。
……*
「あ、リタ。お帰り。お祈り終わったの?」
家に戻ると、イリシャが朝食を用意してくれていた。
豆や野菜を煮詰めたスープに、パン。それといくつかの果物が並べられていた。
鼻腔を擽る匂いに、胸が躍る。リタはイリシャの作る料理が大好きだ。
「うん。もうお腹ペコペコだよぉ」
並べるのを手伝っていたが、リタはある事に気付く。
食器は二人分しか用意がされていない。自分と、恐らくイリシャの物だろう。
「あれ? フェリーちゃんはまだ寝てるの?」
普段なら朝食の時間には起きている。というより、匂いに釣られて出てくる。
ここ最近は二人で揃って舌鼓を打つのが日課となっている。
「なんか足バタバタしながら、『まだいらない』って言っていたわ。
だから、先に食べておこうかなって」
「ふーん。シンくんが居ないのに関係してるのかな?」
料理を並べていたイリシャの手が止まる。が、彼女はすぐに平静を取り戻し台所へ戻る。
「……イリシャちゃん? 何か知ってるの?」
「なにが?」
振り向いたイリシャは、きょとんと目を丸くしている。
リタは長年の付き合いから知っている。イリシャは本当に驚いた時、そんなにわざとらしい顔をしない。
「イリシャちゃん、何か知ってるでしょ」
「知らないってば。居ないのなら、どこかほっつき歩いてるんじゃないの?」
リタは確信した。イリシャは何かを知っている。
彼がフェリーを大切にしている事は、イリシャも知っているはずだ。
シンが意味も無くほっつき歩くわけがない。
「ふーん。じゃあ、コレ。ますます何なのか意味がわかんないね」
ドアに挟まれていた手紙を開け、イリシャへと見せる。
イリシャは魔族語が読めるようで、その内容に頭を抱えそうになる。
(レイバーン……。いつの間にこんな物を……)
この置手紙さえなければ、自分がどうにか誤魔化したというのに。
リタはずっと訝しんでいる。居住特区の事もあるし、下手な嘘はつかないほうがいいだろうか。
「あー、困ったなー。イリシャちゃんでもわかんないなら、もうフェリーちゃんに訊くしかないよねー」
わざとらしく声を上げるリタ。そこに女王の気品は感じられなかった。
「……解ったわ、話すわよ」
イリシャは観念して、事の成り行きを説明する事にした。
隣の部屋で足をバタバタさせているフェリーに、聞こえないように。
……*
「――というわけで、シンは隣国へ向かったわ。
レイバーンも戻っていないなら、ついて行ったのね」
「いや、なんで止めなかったのさ!?」
「フェリーちゃんの為だもの。言っても聞かないわよ」
「それは、そうかもだけど……。フェリーちゃん、シンくんが勝手に出て言った事、絶対怒るよ」
「それも言ったわよぉ」
リタも知っている。シンがずっと悩んでいた事を。
ずっとフェリーの調子を心配して、居ない間は捕虜の男と会話を試みていた。
あの時、フェリーに打ち込まれた鏃の事を気にしているようだった。
フェリーに変わった様子は特になかった事もあって、リタは次第に気にしなくなっていた。
でも、シンにとっては違うのだ。気になる何かがある。
だから、確かめに行った。
自分には鏃が何を意味しているのか、解らない。
ただ、気持ちは解る。
シンはフェリーが心配で、レイバーンやイリシャはそんなシンを心配した。
それだけは、解る。
「もー……。男衆はさ、ずるいよ」
自分だってフェリーに恩がある。相談して欲しかった。
力になれる、お礼をするチャンスだったというのに。ずるいと思った。
「男はそんなものよ。ちょっとカッコつけて、突っ走っちゃう」
自分の夫や息子の事を思い出し、イリシャがくすくすと笑った。
「……いや、イリシャちゃんも共犯だからね?」
「このまま黙ってたら、リタも共犯よ?」
リタは口を真一文字に結ぶ。やっぱりイリシャはずるいと思った。
そんな事情を聞かされたら、フェリーに話す事にも罪悪感が芽生えるでないか。
「お、おはよ。えっと、朝ごはん……ある?」
ようやく落ち着いたのか、フェリーがひょこっと顔を出す。
幸い、会話は聞かれていなかったようで安心した。
「フェリーちゃん、おはよう」
「ごはんあるわよ。今、ご飯よそうわね」
「やったー!」
二人の少しぎこちない笑顔に、フェリーは気付かない。
フェリーが朝食を頬張る中、二人はどうやって時間を稼ごうか頭を悩ませていた。
……*
「む……?」
レイバーンは、教会で身を寄せ合う住民を護りながらもその異変に気付いた。
急に屍人の動きが止まったのだ。鼻を利かせても、死体が動いている気配はない。
「シンか?」
考えられるとすれば、屍人を操っている魔術師の撃破。
だが、シンの臭いも辿る事が出来ない。何かが、彼の身に起きている気がした。
最後に彼が向かったのは、城の方向だったはず。
彼の身に万が一があってはいけない。向かわなくては。
屍人は活動を停止している。今なら、きっとこの場にいる者たちも襲われる事はないだろう。
そう考えたレイバーンは、教会を後にしようとする……のだが。
助けた子供に、右脚の裾をぎゅっと掴まれる。
反対側には、別の子供がしがみついていた。
「どうしたというのだ?」
「行かないで……」
レイバーンの眉が思わず垂れる。
助けたはいいが、自分の風貌から人間に怯えられていた。
それでもよかった。
例え怯えられても、見殺しには出来ない。
だけど、その子供たちが今は自分の脚を掴んでいる。
むず痒くて、それでいて嫌ではない。
自分が受け入れられたことを、レイバーンは素直に喜んだ。
今、この状況でなければ。
「む、大丈夫だ。屍人はもう居ないぞ!
我は友人を探しに行かなくてはならないのだ!」
「行っちゃ……やだ……」
子供の裾を握る力が、強くなる。
ズボンに刻まれた皺が、自分への気持ちを表しているようで嬉しくなる。
シンを探しに行きたいのに、この手を力づくで振りほどけない。
(ああああああ! 余はどうすれば良いのだ!?
リタ! イリシャ! 教えてくれ!)
初めての事態に、レイバーンは強く困惑している。
今はここに居ない二人に、助けを求めた。
……*
自分の顔にパラパラと当たる砂粒。
眠りを妨げるように降り注ぐそれへの不快感で、テランは目が覚めた。
「つ……」
痛む頭を抑えながら、その身を起こす。
「これは……?」
指先に慣れない感触が引っかかる。何かが頭に巻き付いているようだった。
よく見れば、腕や脚。至る所にも巻かれている。
一部が赤く染まっており、そこが出血していた部分だと判る。
「起きたか」
声の先に、目を向ける。
その先には、自分が空っぽと称した男が居た。
「……シン・キーランド」
彼もまた、身体の所々に包帯を巻いている。
どうやら、自分の手当をしたのもこの男のようだった。
だが、テランには判らない。シンが自分の手当をする理由が。
「……これは、何のつもりだい」
「お前には訊きたい事がある」
そう言うと、シンは銃口をテランへ向けた。
どうやら、自分が気絶している間に武器を回収したらしい。
テランは魔術の生成を行い、臨戦態勢に入ろうとする。
だが、岩の針は姿を現さない。魔力を使いすぎたようだった。
使い慣れた岩石針が生成できないなら、他の魔術などもってのほかだろう。
詠唱をしようにも、その瞬間に撃たれるのがオチだ。
自分は今、抵抗する術を失っている。
「そんなモノ突き付けて、尋問のつもりかい?」
「ウェルカでフェリーを狙った屍人を操っていたのはお前か?」
テランの言葉に耳を傾ける事なく、シンは質問をした。
(ああ、成程……)
得心が行った。シンが、この国に訪れた理由が。
彼は、フェリーを襲った相手を探していたのだ。
やはり、彼の光はフェリー・ハートニアで間違いない。
「そうだと言ったら?」
引鉄にかかる指の力が、強くなる。
「……何をフェリーに打ち込んだ? お前達の目的はなんだ?」
(さて、どう答えるべきか……)
自分にとっての主に近い存在だと考えると、沈黙はそのまま自分の死を意味する。
かと言って、全てを話すと自分が主に殺される。
テランは考える。シンが納得する落としどころは、一体何処なのかを。
余り時間をかける訳にも行かない。時間が経つほど、自分の言葉を信用しなくなるだろう。
素早く、簡潔に目の前の男を納得させなくてはならない。
「……理性を失い、狂暴化させる魔術付与を付与した鏃だよ。
尤も、打ち込んですぐ反応が消えちゃったから失敗したみたいだけどね」
テランは考えた末に、シンが欲しいと思われる言葉を混ぜる事にした。
きっと、彼が本当に知りたい事は彼女の容態に変化が訪れたかどうかだ。
その点について、嘘をつく理由は無い。どうせ時間が経つにつれ、知られるのだから。
だったら、その点を肯定して安心させてやればいい。
「……そうか」
シンの眉が僅かに下がった事を確認して、テランは目論見の成功を確信した。
ほぼほぼ答えを言ってしまったが、邪神の『器』にしようとした事だけは口が裂けても言えない。
「次の質問だ」
「まだあるのかい?」
核心を突かれるような質問をいくつも投げられると、流石に逃げきれない。
最悪の場合は命を失う事も覚悟しなくてはと、テランは気を引き締める。
「ここは、どこなんだ?」
「どこって、そりゃあギランドレの――」
城。と続けたかったのだが、何やらおかしい。
自分が城を魔力で盛大に破壊した事までは覚えている。
その結果、崩壊した城の中で目を覚ましたのかと思った。
だが、実際は違っていた。
転がる瓦礫は、間違いなくギランドレ城の物だ。
自分達が座っている床も、立っている位置そのままだ。
だが、周囲の景色は違う。同じ大きさに切りそろえられた石が均整に並ぶ壁。
城壁のような作りにも見えるが、明らかに素材が違う。
目を凝らせば、何やら文様のようなものが見える。
それに、その石は発光している。
暖かな、心が穏やかになるような光。
魔術付与のように、魔力を帯びている。
明らかに、ギランドレの文化とは違うそれだった。
「……なんだい、これは?」
「だから、俺もそれを訊いている」
シンは銃口の角度をテランの顔に合わせる。
その眼光が、嘘は許さないと語っている。
適当な事を言うと、有無を言わさず撃たれそうだとテランは感じた。
かと言って、知らないものは知らない。
ふと、テランが思考の迷路に迷い込む。
(いや……、それだとおかしいか?)
だったら何故、シンは自分の治療をしたのか。
死なれると困るからだろうか。いや、知りたい情報は既に答えたはずだ。
殺さずに、明確な答えが得られそうにない質問を続ける意図が読めない。
「本当に僕も解らないんだよ。
元々、この国は遺跡の基に国を興したらしいから、地下の存在に気付かなかったのかもしれないけど」
あるいは、調べようとして残していたのか。
今となっては判らない事だが、遺跡の残りだという線は当たっているだろう。
「遺跡……か」
シンは、光る壁に触れて確かめている。
ほんのり暖かいようで、何度も触れては離してを繰り返していた。
「こっちも、質問いいかな?
どうして、君は僕を助けたんだい? さっきまで殺す勢いだったのに」
シンは眉を顰めた。
それが意味する事を、テランは理解していない。
……*
爆発が起き、シンとテラン。二人の足場がそのまま沈んでいく。
いくつか柱が壊れたのか、崩れた天井や壁が頭上から落ちてくる。
逃げ場は無かった。
状況を打破したのは、シンでは無かった。
テランが詠唱を破棄し、魔術を使用する。
シンの身体に巻き付いた影の帯。影縫。
それを、落ちてくる瓦礫に向かって放っていた。
帯が瓦礫と瓦礫、影縫はあらゆるところに巻き付いて勢いを殺す。
同じように、落ちる地面に向かって放たれたそれはクッションとなって二人への衝撃を和らげる。
そのまま、魔力を使い果たしたテランは気を失った。
致命傷は避けたとはいえ、あちこちに負傷はした。
特にテランは頭を割ったのか、床に赤い水たまりを作ろうとしていた。
結果的にそうなっただけかもしれないが、このまま死なれても目覚めが悪い。
命を救われたシンは、せめてもの誠意として応急処置を施した。
反応を見る限り、テランはその一部始終を覚えていないようだ。
無意識に放ったのか、とぼけているのかは表情から読めない。
ただ、強い『生』への執着を感じた。
だから、助けた。合理的な行動でないとしても、そうするのが正しいと思った。
フェリーに打ち込んだ石についても、きっと全て真実を語っている訳ではないだろう。
だが、体内から消えたというのは本当だと思った。
言葉の前半部分は何か考えながら話しているようだったが、後半は滑るように舌を回らせている事から確信をした。
それなら、自分の目的は達成したに近い。
次の目的は……ここから脱出するぐらいだろうか。
「なあ」
シンは、テランに声を掛ける。
「一時休戦と行かないか?」
その提案に、テランは目を丸くしていた。




