55.紛い物と借り物
テランが最初にシンの存在を知ったのは、ウェルカでの戦いだった。
ダールを処理する為に、主がウェルカへ訪れる。
自分が手を出す事が何も無いと知りつつも、テランは彼に同行した。
それ以外に、やるべき事を持っていないが故に。
そこで目にしたのは、魔王の眷属である双頭を持つ魔犬を斃す人間の姿。
神器である蒼龍王の神剣を持つ、アメリア・フォスターが首をひとつ斬り落としたまでは理解できる。
彼女は神剣に認められた人間なのだ。心身を疲弊させた状態でも、それぐらいはやってのけるだろう。
だが、マギアの武器を持つ男。彼が首の残った魔犬を斃したというのは俄かに受け入れ難かった。
彼は何度も奇妙な行動を見せていた。
マギアの武器である銃。魔術のように詠唱やイメージを必要とせず、強力な殺傷力を持つ鉛を撃ち出す武器。
その存在は、テランも知っている。だが、彼が放った弾丸は自分が知らない物だった。
氷を、雷を、風を、まるで詠唱を破棄して魔術を放つ姿は魔術師のようだった。
しかし、威力が足りない。
魔力を、想像力を練り上げれば書き換えや威力の上乗せが出来る魔術とは根本的に『理』が違う。
現に魔犬を仕留めるには至らない。
民家から彼の悲鳴が聴こえた時は、当然の結果だと思った。
それだと言うのに、民家から姿を現したのは彼一人だった。
何度も、繰り返されていた爆発。それが何を意味するのかは知らない。
テランが知っているのは、血で己の身を真っ赤に染めている勝者の姿のみ。
満身創痍で、歩くのもやっとなはずなのに、それを顔に出そうとしない人間の姿。
激痛に苦しんでいるのは誰の目から見ても明らかなのに、それを直向きに隠す男。
その男は、双頭を持つ魔犬だけでなく邪神顕現のための『扉』をも破壊してみせた。
マギアの生み出した、馬のように移動をさせる魔導具。それを爆発させて。
その後、彼は力を使い果たしたかのように倒れた。
不老不死の少女が、大粒の涙を溢しながら抱きかかえている。
テランには理解が出来なかった。
何も持たない者が、己の身に余る行動をした。ただ、それだけの事。
戦果は挙げたようだが、紛い物の魔術で魔力の塊を誘爆させた。
断じて、あの男の力ではない。条件さえ揃えば、誰にでも再現できる。奴はハリボテだ。
不老不死の少女には、逆の印象を持った。
華奢な身体に備わった膨大な魔力。いくら傷つこうと、完全な再生を果たす肉体。
聞けば、マーカスの生み出した『器』候補を消滅させたのも彼女だという話だった。
ビルフレストが新たな『器』として、彼女に可能性を見出すのにも納得した。
不世出の能力と言っても過言ではない。人外だという事が良く分かる。
そんな突出した能力を持つ彼女が、ハリボテの男と行動を共にしている。
不釣り合い。それがテランの率直な感想だった。
念のため、ウェルカに彼らが滞在している間に監視をつけた。シンという名前もその時に知ったが、然程興味は無かった。
魔力の乏しい者らしく、彼は治癒魔術の通りが悪い。アメリア・フォスターが頻繁に治療へ訪れている。
不老不死の少女が平然とギルドで子供と戯れているのを見ると、やはり持たざる者だと感じた。
自分達の存在が露呈する危険を考えて、始末や接触を避けた。
あの男だけならいざ知らず、不老不死の少女やアメリア・フォスター。おまけに得体の知れない子供。
全員を同時に仕留めるには骨が折れる。
ビルフレストもすぐに彼女と接触するつもりは無いと言っていた。
確かに不老不死は魅力的だが、それだけですぐに計画が完成する訳ではない。
その間、手綱を握るのも苦労しそうだという見解だった。
次に二人の存在を確認したのは、つい先日の事。
これも偶然だった。何かしらの縁があるのだろう。
妖精族と魔獣族を巻き込んだ茶番の中に、彼らは居た。
弟子はあれでも魔術の才がある。
兵器になり得るサイズの大型弩砲を創り、蝕みの世界を発動させるぐらいの器量は。
それらを悉く破壊したのは、ハリボテの男だった。
全員が妖精族の女王ならびに魔獣族の王に注目する中、紛い物の魔術で大型弩砲を破壊をする。
男は剣を振るっていた。あの意匠は、ミスリア製に違いない。
剣には魔術付与が施されている。持ち主を守護するように、水の膜が薄い壁を形成している。
それは羽衣のように薄く、儚く、それなのに彼を護るという意思が強く込められていた。
経緯は知らないが、あの男は新たな力を手にしていた。
それもやはり、彼自身の魔力を必要としない魔術付与。言ってしまえば、誰かの魔術を借りているに過ぎない。
紛い物と借り物。あの男はやはり、何も持ってはいない。
そんな男が、不完全とはいえ蝕みの世界を打ち破った。
理由はすぐに推察できた。
空間内には妖精族の女王と魔獣族の王が居た。
彼らはきっと、その強い魔力が自然とその位置を知らせてくれたであろう。
あの男は、逆なのだ。殆ど魔力を持たないが故、あの世界では闇の中に溶け込んだ。
それだけの事なのだ。
不老不死の少女をはじめとした、眩い光が常にあの男の傍に居る。
注目を浴びない中で、警戒されていない中で、隙を突いているに過ぎない。
あの男。シン・キーランド自体には何もない。
空っぽの男だ。
眩い光に惹かれて、うろついているだけ。
自分と何ら変わらない。
光が無ければ、存在に意味がないというところまで含めて。
屍人を通して交戦した事で、確信に変わった。
自分の光を奪われた事に我を失い、後先を考える事無く戦いを挑んできた。
結果、彼女に潜んでいる怪物に気を取られてしまい、敗れてしまった。
心情は痛いほどに理解出来る。
自分も突如ビルフレストを失えば、その意味を失うだろう。
だからこそ、テランは壊したかった。
今、この場で、何も持たない男。
何者でもない彼をこの手で壊したかった。
どうやって接触しようかと考えていた相手が向こうから転がり込んできた。
天恵だと思った。壊すなら、今しかないと思った。
唯一、魔獣族の王を連れてきた事だけは頂けない。
新しい光をいくつも見つけていては、節操がない。
だから、分断をさせてもらった。
利点があるとすれば、不老不死の少女から引き剝がすよりは幾分か楽だったぐらいだろうか。
目的は達成したのだから、それで良しとしよう。
……*
「……お前は誰だ」
銃口を突きつけながら、シンが訝しむ。
目の前にいる男を見るのは、これが初めてだ。
ただ、対面していて重圧を感じるのは確かだった。
紅の瞳は揺らめく事なく、シンを観察している。
こちらがどう動いても対処できる。その余裕を見せつけられているようだった。
「自己紹介が遅れたね。僕はテラン。君と同じさ」
その言葉が、合図となった。
挨拶代わりと言わんばかりに、岩で生成された針が空中に現れる。
「岩石針」
無数の岩石が、シンに向かって放たれる。
咄嗟に距離を取るが、シンの移動速度よりも岩石針の射出、生成が上回っていた。
「ちっ……」
剣を前に突き出し、水の羽衣で威力を減衰させる。
威力より数と速度が厄介だが、それ以上にシンの意識を奪うものがあった。
この魔術は、知っている。
妖精族の里で、フェリーを襲った屍人。
その屍人が使っていた魔術と、同じだ。
「お前っ……」
見つけた。フェリーを襲った魔術師を。
聞き出す。何としても、あのドス黒い石の事を。
咄嗟に最後の風撃弾を放つ。
突風が岩石の矢を吹き飛ばし、道が拓ける。
間髪入れる事なく、地面を蹴りテランまでの最短ルートを突っ切る。
「お前の知っている事、全てを吐いてもらう」
「君には無理だよ」
テランもまた、シンの行動は予測していた。
彼はこれまで、眩い光に隠れていた。合理的な行動で自分を大きく見せ、戦果を挙げていた。
シンが何も持たない人間であるからこそ、取る事が出来た行動。
タネさえ割れていれば、恐れるに足りない。
岩石針を紛い物の魔術で無効化しようと、焦る必要はない。
自分の狙い通りに事が進んでいるのだから。
猪のように突進するシンへ、構わず岩石針を放つ。
先刻より数は絞る代わりに、大きく生成したそれを放つ。
シンは魔術付与された剣を前に構える。
水の羽衣が、岩石針を受け止めた。
威力が上がって、何発も受けられる物ではない。
そう判断し、矢を受け止めた瞬間。
互いの視界が岩に隠れるその時を、シンは狙った。
羽衣で岩石の矢を受け止めつつ、横っ飛びでテランの視線を切る。
薄暗い室内を利用し、一気に距離を縮めようとするシンだが――。
「――だろうね」
その狙いもまた、テランに読まれていた。
シンなら、そうするだろう。借り物の力で、空っぽの自分を隠すに違いない。
マギアの銃に、ミスリアの剣。
どちらも彼自身の力ではない。シン・キーランドを構成するものとして、存在していない。
今、その身にそれを思い知らせる。
「影縫」
漆黒の矢が放たれ、シンを狙う。
薄暗い空間が、矢の姿を隠す。灯りが乏しい方を狙い、駆け抜けようとした事が裏目に出ている。
水の羽衣を突き破り、シンへ襲い掛かる。咄嗟に剣で軌道をずらし、直撃を避ける。
シンの身体を通り過ぎた矢はそのまま、床へと突き刺さっていった。
ここは不利だと考え、シンは日の射す方へ走ろうとするが――。
「残念、影縫からは逃げられないよ」
「っ!?」
地面に引っ張られるように身動きが取れなくなる。
何かが、自分の身体に絡みついている。
「なんだ、これは……っ」
黒い、陰の帯が自分の胴。それと左腕に纏わりついていた。
しなやかに伸びるそれを、力尽くで引きちぎる事が出来ない。
「くそっ!」
咄嗟に銃口を向ける。
「させないよ」
引鉄を引くより速く岩石針がシンの右手を撃ちつけられた。
カラカラと音を立てながら、銃が床に転がっていく。
「会いたかったんだよ。シン・キーランド」
動きを封じられたシンに、テランが近付く。
彼が何をしようとも、対処出来る。テランにはその自信があった。
「……俺は、お前の事なんて知らない」
「そうだろうね。僕も君を見つけたのは偶然だった。
ウェルカでも、アルフヘイムの森でも」
「……なんだと?」
シンは目を見開いた。
ウェルカでの出来事を知っている。
やはりフェリーに打ち込まれた石は、ウェルカでの一連の事件と関りがあった。
「君も僕と同じなんだろう?
フェリー・ハートニアという光に付きまとっているだけの、醜い虫。
彼女が居なければ、君は何者でもない」
「そのフェリーに、何を打ち込んだ。あの石は何なんだ」
「僕も空っぽなんだ。主の命令が無いと、何も意味が無い。
主の役に立たないと、この身に価値は無いんだ。
彼がいて、僕はやっと『僕』で居られる」
シンの質問を無視して、テランは話を続ける。
「お前の身上話に興味はない」
「この状況でも強気なのは、いい事だよ。
自分の立場を理解していない、かつての僕のようだ」
テランは苦笑した。
彼もまた、昔は自分に価値を感じていた。
否定された。いや、自分に中身が無いと感じない事を理解したのは唐突だった。
主であるビルフレストが居なければ、自分に関わる者は居ない。
ビルフレストの右腕。ただそれだけだった。
羨望も、栄華も、全ては彼に基づいて存在しており、テラン単体にそれを得る事は出来なかった。
身の程を知った。自分には何も無いのだと。
同時に、自分がやるべき事を理解した。
目の前の男は、それを知る前の自分だ。
ビルフレストは全て処分するように命じた。
この国に来た以上、シンも例外ではない。
その前に思い知らせてやりたかった。
自身が眩い光に群がり、棄てられないよう効率よく立ち回っただけの虫だという事に。
「フェリー・ハートニアを気にしているが、その資格はあるのかい?
彼女は、君が居なくても誰かの希望であり、目標であり、壁であり続けるだろう。
君は必要無いんだよ。身の程を知りなよ。僕が君を壊してあげるからさ」
シンが奥歯を噛みしめる。
我慢をしているようなその表情が、テランを心地よくする。
だが、テランはシンの心情を読み誤っていた。
勝手に共感しただけで、彼はシンを何ひとつ理解をしていなかった。
奥歯を噛みしめたのは悔しいからではない。不甲斐無いからではない。
フェリーを苦しめた相手が眼前に居るのを許せなかっただけだった。
「ガタガタ、煩い!」
シンは咄嗟に動く右手で一発の銃弾を宙に投げる。
敵に投げつけるわけでもなく、銃弾はふわりと空中を舞う。
黄土色の弾頭が、光に反射をして輝いていた。
テランの視線が、その行動に意味を求める。
一瞬出来た隙を逃さず、シンは左手に持った剣を右手へと投げる。
ここから先は、一か八かの賭けだった。
シンはその銃弾を、剣で地面へと叩きつけた。
「――なっ!?」
刹那、現れたのは壁。
土で造られた壁が、シンとテランを分断した。
魔導弾のひとつ、土を生成する創土弾。
シンの目論見は成功した。
勝手に自分を空っぽだと、何も持たないだと認定するのは好きにすればいい。
だが、フェリーだけは。フェリーに打ち込んだ石の事だけは、何としても吐かせる。
決着は、まだついていない。