54.分断と誘導
明けていく空を見ながら、テランは退屈に耐えていた。
今日一日もあれば、この国は地図から消え去るだろう。
後は弟子をどうするか、その方向に考えをシフトさせていく。
早く仕事を終えて、ビルフレストの元へ戻らなくてはならない。
それが自分の存在意義なのだから。
「……おかしい」
不意に、異変に気付いた。既に屍人を操る術式は完成している。
結界の形をとり、ギランドレ全体を覆っている。この城塞都市内であれば、死体は自動的に自分の支配下になる。
予め命令された通りに動き、増え続けていくはずの屍人。
その反応が、減っている。
三流の死霊魔術師であるまいし、同士討ちをするような術式は組まない。
考えられる理由はひとつ。何者かが邪魔をしている。
妖精族か、魔獣族……。
先日の報復としてやって来るにしては、屍人が減っていく速度が遅い。
「ああ、そうか」
それが意味する事に気付いた時、テランは自然と笑みを浮かべていた。
……*
壁の向こう、ギランドレ内に入ったシンとレイバーンは屍人と戦闘を繰り広げる。
単調な行動で倒す事自体に苦労はしない。だが、数が明らかに多かった。
まだ血液を垂らしている個体もいる。きっと、死んだ直後から屍人として操られている。
そう思うと、二人は歯痒くなった。
「シン、強行したはいいがどうするつもりだ?」
「屍人を操っている奴を探す。そいつがきっと黒幕だ」
あるいは、妖精族の里を襲撃した時のように遠隔で操作をしている可能性もある。
しかし、あの時は介入していた屍人の操作に魔術付与された道具を使っていた。
今回は、この数を同時に操って破壊行動をしている。
術者が近くに居る可能性は、十分にある。
「レイバーン、術者を鼻で調べる事は出来ないか?」
「やっておるが、血の臭いが満ちすぎている。
それに、まだ生きている人間の反応はいくつかあるが……」
シンは下唇を噛む。「いくつか」というのが、逆に状況を難しくしていた。
相手が単独なのか、徒党を組んでの術式なのかも判らない。
それに、まだ民間人が生きている可能性もある。
理由は他にもある。術者の狙いが証拠の隠滅だと断定して強行を決意した。
度を過ぎた破壊は相手の思惑通りになる可能性がある。
レイバーンも同様の事を考えているのか、獣魔王の神爪の使用は避けている。
あくまでその身で、襲い掛かる屍人を振り払っている。
「魔力から判断できたりしないか?」
これだけ大規模なら、術者の位置が解りやすいかもしれない。
「無理だ。余は魔力の感知が不得手だ」
レイバーンは首を振った。この状況で術者の特定をするのは難しい。
かと言って、民間人を見殺しには出来ない。
シン達は、この国に踏み入ってしまった。
術者達が報復を理由に罪を擦り付けてくる可能性を考えられる。
元より、フェリーに打ち込まれた石の手掛かりはここにしか残ってはいない。
退くという選択肢は存在していない。術者を見つける事は必須だった。
不意に、子供の泣き声が聞こえた。
いち早く察知したレイバーンが、声の方向へと走り出す。
路地に座り込む、幼い少年。今まで裸足で駆けてきたのか、その足の裏は擦り切れていた。
両腕は袖から先が真っ赤に染まり、頬にも血痕がこびり付いている。
その血は、少年のものではないとすぐに理解した。
少年へゆっくりと近付く一体の屍人。
赤いペンキを塗りたくったかのように、服を真っ赤に染めた女性。
彼と同じように足をボロボロにし、近付いていく。
少年は諦めたように、彼女の顔を見上げる。
怯え、哀しみ、そして信じられないと言った感情が入り混じった表情をしていた。
女は細い腕からは想像できない力で少年の首に手を回し、持ち上げた。
ゆっくりと、その輪が小さくなる。合わせるように、少年の目が上を向く。
「やめるのだ!」
レイバーンが咄嗟に女から、少年を奪い取る。
急な負荷に朽ちた肉体は耐えられず、女の腕が肘から千切れる。
女は苦痛の声を上げる事も、顔色を変える事も無かった。
それなのに、千切れた腕の根本から血が滴り落ちる。
死んだ直後だという事実を、否が応でも突き付けてくる。
その上で、屍人として操られている。
やるせない気持ちになるレイバーンだが、彼女は既に命を落としている。
どうしようも無かった。
「おかあ、さん……」
少年が声を振り絞る。ほんの少し前まで、母だった。
それが、怖いものに変わった。逃げていたけれど、諦めた。
もう母ではなくなったと頭では解っていても、声に出してしまう。
レイバーンの胸が、締め付けられる。
小さな声だが大切な人を失った、悲痛な叫びが耳に響く。
「……すまない」
少年に対して、何故謝罪したのかレイバーン自身も解ってはいない。
だが、口に出さずには居られなかった。
「レイバーン! 後ろだ!」
追い付いたシンが、大声を上げる。
振り向いたレイバーンの眼前には、黒い矢が迫っていた。
「むっ!」
少年を抱えたまま後ろへ飛び、それを間一髪で躱す。
しかし、敵の狙いは別の所にあった。
「――遮断壁闇」
「なっ……!?」
矢が刺さった先から、空へ闇が伸びていく。
正確には闇ではないのかもしれない。だが、そうとしか見えなかった。
シンも、レイバーンも見た事がない魔術。瞬く間に、黒い幕が二人を遮断した。
「シン、大丈夫か!?」
レイバーンの声が聞こえる、一先ずは無事のようだった。
闇はカーテンのように広がっていき、出口が見えなくなっている。
簡単には、合流させてくれそうになかった。
「こっちも問題ない。レイバーン、その子を安全な場所に連れて行ってくれ」
「シンはどうするのだ?」
自分をレイバーンを分断するのが目的だったのだろうが、ミスを犯した。
相手は動いた。ならば、辿ることも可能だ。
「――俺は、相手を追う」
矢の射出方向に合わせ、狙撃銃を構る。
装填しているのは、水流弾。
撃ち込もうと、照準器を覗いた時だった。
「っ!」
シンより一手早く、二の矢が放たれる。
咄嗟に横へ跳ぶが、狙撃銃が広がったカーテンに切断される。
零れ落ちた水流弾が、地面を濡らした。
どうやら、あの膜は分断するだけが目的ではない。
立派な攻撃手段だった。躱してからも、油断はできない。
「シン、大丈夫なのか!?」
「ああ、お前は生き残っている人達を頼む!」
この場にいつまでも留まっていると、狙い撃ちにされる恐れがある。
相手の目論見通りになるとしても、ここを動く必要があった。
「……解った、無理はするなよ!」
レイバーンの足音が遠くなる。
そういう訳には行かない事を、シンは肌で感じていた。
まずは、黒い矢の対処が先だ。
シンは射線から外れるように、家の壁へとその身を潜める。
思考を整える時間が必要だった。
狙撃銃を破壊したのは、遠距離攻撃を警戒しての事だ。
つまり、相手は自分達の位置を把握しながら一方的に攻撃が出来る位置にいる。
レイバーンには機動力があっても、今は子供を抱えている。
無茶を頼む訳には行かない。それに、自分にとってもその方が良かった。
勝手に付いてきたとはいえ、レイバーンにもしもの事があってはいけない。
彼は魔獣族の王だ。それに、今となっては妖精族との懸け橋でもある。
自分の戦いは、自分で決着をつける。
独りになった事で、自由に動く事も可能になった。
この死霊魔術師は、必ず捕らえる。
まずはどう移動をするか。屍人から隠れつつ、家の中を突っ切るべきか。
そもそも、術者は移動をしているのか。その考察も必要だった。
外から見る限り、ギランドレはそう広くない。
人間が移動をしてくれた方が、見つけ易い。
現に、先の二発は同じ方向から撃たれた。術者の移動はない。
同じ理由で、術者は単独。仮に複数居たとしても、同じ位置だと仮定をした。
シンは決断した。
建物を突っ切ってでも、最短距離で一気に詰める。
だが、その目論見は相手に読まれていた。
黒いカーテンが、シンの真横を掠める。
最短距離を走るべく入った家が、真っ二つに両断される。
位置が割れている。
ある程度、自分の行動を把握していたとしても精度が高すぎる。
何かを見落としている。
走りながらも、状況を精査していく。
外へ出た瞬間、ふと屍人と目が合った。
屍人が襲い掛かってくるより速く、拳銃で額を撃ち抜く。
倒れゆく屍人の、濁った瞳を見てシンは気付いた。
妖精族の里での出来事。
屍人越しに、フェリーを狙っていた。
ある程度屍人と視界を共有できる術があってもおかしくない。
つまり、屍人は自分達を監視する役割も兼ねている。
逆に、屍人の視界に映っていなければ位置を逆算する事も出来る。
思った以上に厄介であり、シンは自分の失敗に気付いた。
屍人と視界を共有しているのであれば、いつ標的がレイバーンに変わるかも解らない。
子供がいる限り、彼はきっと全力で護ろうとするだろう。
あくまで、標的を自分に向かせておかなくてはならない。
猶予は、恐らく自分が思っているよりはるかに短い。
一気に距離を詰めるべく、シンは拳銃に魔導弾を装填した。
……*
「安心しろ、お主らに指一本触れさせはせん!」
シンの心配とは裏腹に、レイバーンは子供たちを護りながら戦いを続けていた。
現在地は、街の片隅にある教会。生き残った人達が、そこで身を寄せ合っている。
レイバーンはまず、その周辺の屍人を狩りつくした。
教会へ屍人が侵入する度に彼らが怯えるので、なるべく外で戦う事にした。
段々と行動範囲を広げ、生き残った人を教会へ行くように促す。
人間より発達した嗅覚が、圧倒的な初動で血の臭いから屍人を捉える。
段々と一箇所に人間が集まるので、必然的に取り残された人間の位置も把握できるようになる。
そうした臭いの元へ優先して向かい、教会へ逃げ込むように促した。
はじめは突如現れた魔族に驚くギランドレの人間だが、屍人から救ってくれた事に感謝し、素直に従う。
段々とレイバーンの行動範囲が増える事によって、彼の位置が解りにくくなっていた。
唯一の欠点は、同じ位置に避難民が固まっているという事。
教会を狙われると、テランの目的は労せず達成できることになる。
だが、彼はそうしなかった。元より、優先順位は決して高くなかった。
ギランドレの民より、魔獣族の王より、優先すると決めていた人物が居たからだ。
彼は今も必死に、策を巡らせ足掻いている。
突如、大きな爆発がギランドレを囲んでいる壁を破壊する。
テランの魔術ではない。
シンが放った魔導弾。広範囲を爆発する爆裂弾だった。
ウェルカで失った事により、所持しているのはこの一発のみ。
だが、それで十分だった。
元より、この魔導弾は広範囲を爆発させる事により使用が難しい。
今のように、誰も巻き込まないように使用する場所が限られていた。
だが、その威力は絶大だった。壁は崩れ、周囲の屍人は肉片へと変わる。
監視が途切れ、相手の視界は確実に減らされる。
相手の証拠隠滅に、少なからず助力をしてしまうが仕方がない。
舞い上がる煙に乗じて、シンは距離を詰めていく。
状況の打破を、優先した。
それを知ってか、相手の攻撃パターンが変わっていた。
レイバーンと分断された時のように、黒いカーテンを創り出す矢は射出されなくなっていた。
シンには知る由もないが、遮断壁闇は魔力の消費が大きい。
闇を生み出す魔術は燃費が悪く、あまり無駄に連発をする事が出来ない。
ただ、魔術による牽制が無くなった訳ではない。
岩石や氷による魔術が、シンが居ると思われる方向に撃ち込まれる。
ある時は見当違いで、またある時はかなり際どい位置に。
相手も大まかに自分の行動パターンに見当をつけている、最初はそう思った。
その狙いに気付いたのは、シンが術者にかなり近付いてからだった。
シンがどう避けるかを予測して、術者は魔術を放っていた節がある。
そうする理由は、行動の限定。
自分の意思で避け、前進していたと思っていた。
しかし、本当はここに誘導されていたとしたら。
その事に気付いたのは、向かい合う相手の姿を見ての事だった。
ギランドレの城内、そこに彼は居た。
驚く様子もなく、当然と言った顔で。
黒いローブを身に纏った、隻腕の男。
灯りのない場内でも、その瞳は紅に輝いていた。
「やあ、初めまして。僕はテラン。
会えてうれしいよ、シン・キーランド」
テランは、うっすらと笑みを浮かべた。