53.何も持たない男
まずは人間を片付ける。
それを屍人にする。
回数を重ねるごとに手駒が増えていく、効率的な方法だった。
屍人に単純な破壊を命じるだけであれば、複雑なイメージも長時間の集中も必要としない。
何度も唱え、何度も操り続けた魔術だ。詠唱を使えば扱いに狂いは起きない。
自分達がギランドレに関わったという痕跡。それらを全て消し去る。
ビルフレストの命令は、テランにとって絶対だった。
そうでなければ、自分の存在価値はない。
邪神を妄信的に信奉している訳ではない。
ビルフレストに、特別な恩義を感じている訳ではない。
ただ、テランにとっては必要だった。
彼が『テラン』である為の理由として。
生まれた時から、仕える相手が決まっていた。
そうでなければ、己に存在価値が無いと教え込まれた。
効率的に、感情が混じる余地もなく彼に付き従う。
そこに自我は必要なかった。
テランは『己』である為に、『己』を棄てた。
主であるビルフレストが見ている世界が見たい訳では無い。
特段、役に立ちたい訳では無い。尊敬している訳でもない。
彼の意図を汲み取り、手足となって動く。ただそれだけだった。
幸か不幸か、テランには彼の右腕となる程度の才覚が備わっていた。
ビルフレストはきっと、大きな事を成し遂げるのだろう。
そうでなければ、自分の存在意義が矮小なものとなってしまう。
彼は眩い光で、自分はそれに群がるだけの存在だ。
そこに『己』は、必要ない。
ふと見上げると、凄惨な地上とは正反対の美しい東雲の空が視界を覆った。
地上の方が、自分に似合っていると思った。
どちらも朱に染まっているのに、どうしてこんなに違うのだろうか。
いや、テランにとってはどうでもいい事だった。
「ああ、そうだ」
ふと、テランは思い出す。捕らわれの弟子の事を。
ビルフレストは痕跡を全て消すように命じた。
アレも、重要な事は何ひとつ知らされていない。ビルフレストの存在さえも。
だからと言って、放置しておく訳にも行かない。自分の事は知っているのだ。
「どう処分するか」
今の妖精族の里は、警戒が強まっているだろう。
突破するのには骨が折れる。屍人を使うのも、芸がない。
ディダは、多少魔術の才を持つが故に勘違いした男だった。本質的にはガレオンと何も変わりはしない。
ガレオンと同じように、魔術付与で自我を破壊しておくべきだったか。
それならば、悩む必要は無かったのに。
屍人を巧みに操りながら、テランは考えに耽る。
一糸の乱れもなく、屍人はギランドレをいう国を破壊し続けていった。
……*
茜色の空が、世界を彩っていく。
フェリーの魔導刃のような、シンにとって見慣れた色だった。
「ところで、どんな置手紙を残してきたんだ?」
レイバーンの背中で、シンが尋ねた。
見た目とは裏腹の整った毛並みが、暖かくて心地よい。
フェリーならこのまま眠ってしまいそうだとさえ、思ってしまう。
「む? 気になるのか?」
「それは、まあな」
内容によっては、フェリーやリタの神経を逆撫でしかねえない。
ある程度ならイリシャが宥めてくれるだろうが、限度はある。
「案ずるな!」
レイバーンが己の胸をドンと叩く。彼の背中越しに、その振動が伝わった。
「手紙の内容はだな――」
……*
「え、ええ……?」
リタは言葉を失った。
いつものように信仰する神へ祈りを捧げようと、フェリーより早く目が覚めた時の事だった。
ドアに挟まる、半分に挟まれた紙。
開いた先には、ミミズがのたくったような字。魔族語だった。
その魔族語だという確信も、右下に押されているやたら大きい肉球のお陰で辛うじてわかる程度だった。
自分の家にこんな事を仕掛ける魔族は、レイバーンしか知らない。
勿論、リタは魔族語など読めはしない。
ただ、もしかするとレイバーンから自分に対する初の恋文。
その可能性を考えると、胸の鼓動が早くなる。
「……よしっ」
リタはそそくさと泉へ向かう。
祈りを捧げ、レイバーンに会うのだ。
そして、どんな事を書いたのかを尋ねるのだ。
一体彼はどんな顔をするのだろう。自分も、それを聞いたらどんな顔になるのだろう。
そう考えると、自然とリタの頬が緩んだ。
少し遅れて、フェリーの目が覚める。
彼女は後悔していた。己の行動に、その浅はかさに。
すぐ酔いが醒めたせいで、はっきりと記憶に残っている。
シンに対してどんな行動をとったのかも。
「あ、あぁぁぁぁ~……」
うつ伏せになり、脚をバタバタと布団に叩きつける。
情けない音が、リタの部屋で鳴っては消えていく。
「なんで……。ああ、もう。やっちゃった……」
彼女が気にしているのは、宴会での出来事。
自分の頭を、シンの肩へ乗せた事だ。
完全にフィットしていて、ぐっすりと寝てしまった。
起きた時には既に素面となっていたのに、寝ぼけている振りをして誤魔化した。
「どんな顔して会えばいいの……」
思い出して、また足をバタバタとさせた。
フェリーは気付いていない。まだ、シンが居ない事に。
……*
「――『シンと出かけてくる。遅くとも夕飯までには帰る』だ!」
こいつは何を言っているんだ。と、シンは眉を顰めた。
確かにレイバーンには歩きながら説明をした。置手紙はその前に書いたものだろう。
だが、いくら何でも説明が雑過ぎる。これでは何も言っていないのと同じだ。
実際はそもそも魔族語だから読めていないという事を、シンはまだ知らない。
「第一、そんなにすぐ帰れるものなのか?」
「シン、お主……まさか全く把握していないのか?」
「ああ、西にある事しか知らない」
レイバーンは「本気で言っているのか?」と顔を顰めた。
ギランドレへ行くにはドナ山脈に沿って、西側に歩く。シンの認識は、その程度のものだった。
距離すら正しく把握をしていない。どれ程の時間を要するのかも把握していない、無鉄砲極まりない行動だった。
イリシャがそこを責めなかったのは、半日も掛からない距離だという事を知っているからでもあるが、下調べをしていると思っていたからだ。
彼女もまた、シン・キーランドという人物を見誤っていた。
レイバーンは絶句した。フェリーに対しても自分の命を救ってくれたが、その自分の身を軽んじた行動には驚きを隠せなかった。
感情的になりやすいフェリーをシンが嗜め、制御しているものだと思っていた。そういうコンビなのだと。
だが、実際のシンは違う。彼もまた、必死なのだ。
或いは、自分がそうさせたのかもしれない。
フェリーから聞いた。シンに、何度も殺してもらうように頼んでいる事を。
彼はフェリーから金銭を受け取る事で、それを成している。
守銭奴ではない事は勘付いていた。ただ、理由を無理矢理作っているだけなのだ。
本当はやりたくない事に、理由をつけているに過ぎない。
ルナールから聞いた。自分が身を差し出した事により、フェリーが飛び出す結果に繋がっている。
それを、シンは止めなかった事を。走る彼女を見送った。きっと歯を食いしばりながら。
結果、彼女の身体は貫かれた。そして、戦いの後に彼女へ打ち込まれた奇妙な石。
シンの精神は、自分が思っている以上にギリギリのバランスで成り立っているかものかもしれない。
それこそ、フェリーの前で普段通りに振舞っているのが奇跡なぐらいに。
ならば、自分の責任は決して軽くない。
彼に尋ねても、きっと否定するだろう。シンは、全てを自分で抱え込もうとする。
だから、勝手に力を貸す。シンが嫌がっても、必ず力になるとレイバーンは心に決めた。
いや、決して責任が無くても力を貸すだろう。シンは友なのだから。
「ギランドレ自体は余の脚ならもうすぐにでも着くだろう。
小国だから、街中を走る必要はない。高い壁に囲まれてはいるがな」
「城塞都市か……」
堅固な壁に守られた国。力づくで突破するには相当の労力が必要になるだろう。
侵入にしてもそうだ、固く閉ざされていれば困難を極める。
案外、レイバーンが付いてきてくれたのは僥倖だったのかもしれない。
話し合いで済むなら、それに越したことは無い。
「ほら、見えてきたぞ」
レイバーンがそう言うと、壁に囲まれた街が見えてきた。
小国だとは聞いていたが、それは想像よりも狭い世界だった。
きっと、ウェルカよりも規模は小さい。
こっち側で、人間が寄り添って集まる事の難しさを現しているようだった。
「……?」
先に異変を感じたのはシンだった。
はっきりとおかしいとは言い切れないのだが、何かがおかしい。
「レイバーン、すまない」
シンはそう言うと、彼の肩に狙撃銃を固定するように置く。
照準器越しに除いたのは、ギランドレの入り口。門と、その門番だった。
「どうかしたのか?」
「……やっぱり、おかしい」
通常、この手の門番は見張りの役割も兼ねている。
それにも関わらず、周囲に注意を払っている様子が無い。
具体的に言うならば、微動だにしていないのだ。
周囲で動いている者は、自分を乗せたレイバーンぐらいだ。
照準器なしでも、何かが動いている事には気付いてもおかしくない距離。
障害物があるわけでもなく、真っ直ぐに互いを視認できる範囲。
それなのに、門番はこちらを見ようともしない。
「止まってくれ」
言われるがままに、レイバーンは足を止める。
ギランドレには、まだ少し距離があった。
「何かあったのか?」
「門番が一切動かない。いや、動けない? 動く必要が無い……?」
ぶつぶつと呟きながら、門の様子を予測するがどれもしっくりしない。
「動く必要がない。立っているだけでいい、そういう体裁が取れれば……」
そこまで考えて、シンはハッとした。
ギランドレ側には死霊魔術師がいる。
立っているのが、人間ではなく屍人であれば動かない理由にもしっくりくる。
そして、門番ではなく案山子の役割を果たしているとするなら――。
「シン、何があったのだ?」
「レイバーン。お前の嗅覚はどれぐらいまで判るんだ?」
「む、嗅覚か? 侮るでない。ここからなら、あの城壁の向こうぐらいは余裕で判るぞ」
丁度良かった。シンはその嗅覚を頼らせてもらう事にする。
「どんな臭いがするか教えてくれないか」
「ふむ、承知した」
言われるがままに、レイバーンはその嗅覚を発揮する。
彼の鼻腔を強く刺激したのは、鉄の臭い。
減るどころかどんどんと増えていくその異臭に、思わず咽返りそうになる。
この臭いは知っている。
「……血だな」
レイバーンは、そう呟いた。
「シン、あの中で血の臭いがしておる。
それも、かなりの量だ」
「血……だと」
妖精族やレイバーンの部下が報復したとは考え辛い。
そんな動きがあるなら、自分だけでなくリタやレイバーンが勘付いているはずだ。
だとしたら、ギランドレの侵略が失敗したと知った他の魔族の仕業だろうか。
「この周辺に、ギランドレを侵略しそうな国はあるか?」
「いや、無いな。そもそも、この周辺に人間国家へ興味を示すものはおらん。
居るなら、もっと早く滅ぼされていたであろう」
彼の言う通りだ。あの規模の小国家、しかも人間なら魔族がその気になればすぐにでも滅ぼせるだろう。
そうしなかった理由は、興味が無いからに過ぎない。
そうなると、血の臭いの原因は内部からという事になる。
シンは思考を組み立てなおす。
(内乱? いつからだ? 妖精族の侵攻前から?)
違う、どうにもしっくり来ない。そんな状況なら、ガレオンは妖精族の里に出向いただろうか。
部下を平然と斬り捨てるような真似をするだろうか?
そこまで考えて、シンは走り出した。
「シン!? どうしたというのだ!?」
「急ぐぞ! 奴らの狙いは――」
外敵でも内乱でもないのだとすれば。
「証拠の隠滅だ」