51.滅びゆく国
ラーシア大陸の南北を分ける、ドナ山脈。
その北側では人間の世界では考えられない程の魔力濃度を秘めていた。
元々その地域に備わっていたものなのか、それともドナ山脈が溢れる魔力を遮っているのかは解らない。
隔てた先にある国、魔術大国ミスリアが発展を遂げたのにはドナ山脈から漏れた魔力が要因ではないか。
そう考える者も、少なくは無かった。
ならば、ドナ山脈を越えて国家を作る事が出来れば。
それは世代を重ねるごとに強大な力となり、いずれは人間の世界で覇権を握る事が出来るのではないか。
その発想が小国家であるギランドレ帝国のはじまり。
とある貴族の分家。さらに言えば五男に生まれ、跡継ぎ候補ですらない人間が始めた事であった。
幸い、こちら側に帝国を名乗る事に異論を唱える者は居なかった。
魔族はどれも好き勝手に王を名乗っており、城とある程度の臣下さえいれば大体が魔王に見える。
人間が思っているより彼らは遥かに温厚であり、侵略を試みる者は殆ど居ない。降りかかる火の粉を全力で払い除けているに過ぎない。
彼らもまた、ドナ山脈の南側が自分達にとって住み易い世界ではない事を知っているからだ。
隣に面している妖精族の里に関しては、彼らに全く興味を持たなかった。
矮小な人間が何をしようとも、興味が無かった。
信仰する神が穢されたり、武力を持って侵攻でもしない限りは他種族と関わる気がない種族だった。
そういう背景をうっすらと知っているからこそ、アルフヘイムの森に面する形で国を興した。
周囲はドナ山脈に遮られ、自分達に興味の無い妖精族。
じっくりと力を蓄えるには丁度いい環境だと思っていたのだ。
だが、すぐに浅はかだったと思い知らされることになる。
自分達以外の人間が殆ど居ないという心身への負荷。
経験した事のない強力な魔物の襲撃。
貴族の跡取りとして候補にも挙がっていなかった事もあり、知識もないままでの舵取り。
熟練の冒険者でも山越えに臆する理由はすぐに理解できた。
単純な戦闘以外の能力も、多くを求められていた。
しかし、後戻りは出来なかった。したくなかった。
代用品以下の扱いには、耐えられなかった。
その劣等感が、彼を突き動かした。
自分についてきてくれた者が、せめて安心して過ごせるよう生活の基盤を作る必要がある。
魔物が忌避するオクの樹を植えてはみたが、環境が合わないのかすぐに枯れてしまっていた。
その結果、生まれたのは城塞都市だった。
元は魔族か、はたまた他種族なのか、廃墟と化した遺跡を基礎にそれは造られた。
人々は高い壁により安眠を得た。そして、この土地に合う作物で農業を始めた。
魔物の肉も、食べられるものがあった。生活の基盤は手に入れた。
ただ、いつまで経っても、世代を重ねても魔力が増える事は無かった。
焦燥感から、魔族や妖精族に相談をしてみた。
取り扱ってくれる種族は居なかった。
相互不干渉が故に生まれた国家なので、相手からすれば在っても無くても同じなのだ。
人間が彼らに自分達のメリットを提示する事は出来なかった。
世代を重ね、有難い事に人口が増えていった。もう、それだけで良いと思えた。
だが、それが滅びの始まりでもあった。
城塞に囲まれた都市では生産に限界がある。
初代皇帝は知識も経験も持たぬまま王となった。城塞都市の拡張性までは、考えて造ってはいなかった。
未来に夢見て建国したにも関わらず、自分についてきてくれた者の生活を豊かにする事しか考えていなかったのだ。
まずは食糧難に陥った。やがてそれは、治安の悪化に繋がる。
武力による鎮圧を行った。兵士達が増長する切っ掛けになった。
目の届かない所で、暴力は振るわれた。人が減り、インフラの整備が滞る。
生産性が落ちる。また治安が悪くなる。
内乱状態という負のスパイラルに陥った。皇帝は頭を抱えた。
そんな時だと言うのに、皇子が恋に落ちた。
たまたま視界に映った妖精族の女王。リタ・レナータ・アルヴィオラに。
皇帝はそれを好機と捉えた。
かつては袖にされた妖精族と、改めて友好な関係を築く事が出来れば。
アルフヘイムの森にある潤沢な資源と、妖精族特有の強大な魔力。
この国を潤し、最初の目的を達成できるのではないだろうか。
幸い、城壁に囲まれて国の惨状は晒されていない。
臭い物に蓋がをしている状態だった。
計画を成就すべく妖精族へアプローチを試みたが、リタにとっては「知らない人」なのだ。
魔王レイバーンに恋する彼女からすれば、ただ煩わしいだけの提案だった。
更に人間の国家に興味がない妖精族に受ける道理もない。
何代重ねようが、妖精族の答えは同じだった。
淡い希望は呆気無く断たれた。
途方に暮れたギランドレへ、起死回生の謀略を吹き込む者が現れた。
自らを皇帝の遠い親戚だと名乗る、魔術師の男。彼は言った「奪えばいい」と。
それから先はとんとん拍子に計画が練られ、進んでいった。
斥候に出ていた妖精族の女。彼女は妖精族の里を憎んでいた。
彼女と共謀する形で、計画は練りなおされた。
更に魔術師の男は、力を授けてくれた。
屍人として死んだ兵士を操り、魔術付与したという武具を授けてくれた。
急に得た力に、皇帝を含めた全員が全能感に包まれた。
妖精族の子供を攫って、育てるという悪魔のような案も最適解だと錯覚してしまった。
ここまで良くしてくれた男が、間違っているとは思えないと自分に言い聞かせる。
滅びゆくぐらいなら、悪魔になった方がマシだと考えていた。
その結果、失敗した。
帰ってきたのは、戦意の喪失した僅かな兵士のみ。
忠実な部下であった将軍も、妖精族の子供もそこには居ない。
皇帝は狼狽えた。姿を現さない、魔術師の男を必死に探した。
王宮の一室に部屋を用意したはずなのだが、彼は一度たりとも呼び出しには応じなかった。
再び現れた魔術師の男、何が起きたのか片腕を失っていた。
彼の傍には数人の仲間が居た。全員が似たような恰好をしており、性別すらもよく解らない。
ただ、一人だけ騎士のような男が居る事は気になった。
「貴様! 言う通りにしたはいいが――」
それが皇帝の最後の言葉だった。
刹那、騎士により首と胴が切り離される。
玉座に座ったままの身体から、噴水のように血が溢れ出る。
王妃と皇子が、固まる。真っ赤に染まる玉座を見て、血の気が引いた。
こんなにあっけなく『死』が訪れるのかと、恐怖に支配される。
しかし恐怖からはすぐに解放される事になる。意識を飛ばされるという形で。
「連れていけ」
「この二人は殺さないのですか?」
騎士の命令に、魔術師は問う。皆殺しではないのかと。
「一応、こいつらはドナ山脈の北側で生まれ育った。
我々とは違う部分があるかもしれん。何もなければ、その時に処分をする。
テラン、お前達は残りを処分しておけ」
「……仰せのままに。ビルフレスト様」
テランと呼ばれた隻腕の魔術師は、頭を垂れた。
彼が頭を上げた時、騎士の男は既に姿を消していた。
「処分。か」
テランはぽつりと呟いた。
今回の件で妖精族と魔獣族、少なくともレイバーンの一派は協力関係を築く結果になっただろう。
他の種族も、人間が侵略を試みたと知ればこの国を野放しにするとは思えない。
尤も、それも計画の内ではあったのだが。
欲しかったのはあくまで妖精族。後は適当に実験の検証が出来ればよかった。
妖精族さえ入手できれば、後は罪をギランドレに擦り付けるつもりでいた。
元々、内乱でそう遠くない未来に滅びたであろう国だ。
最後に邪神様の糧と成れる事を栄誉だと受け取るべきだと、ビルフレストは言っていた。
まさか、子供一人攫う事すら失敗するとは思っていなかったが。
おまけにテランの弟子であるディダは妖精族に捕らわれ、自分は右腕を失った。
その結果で得たものが、滅びゆく小国の王妃と皇子だ。全く以て割に合わない。
そう思ってはいても、何も変わらない事は知っている。
結局のところ、自分もこの国と同じなのだ。
あの男にとっては、駒のひとつ。
この国より多少、邪神顕現の役に立つというだけ。
ただそれだけの存在。
フェリー・ハートニア。
彼女もその駒となるはずの存在だった。
ウェルカで彼女の存在を知った時、ビルフレストはその身体に可能性を見出した。
決して朽ちる事のない身体。邪神の『器』として耐えうる身体を求めていた我々に、答えが転がり込んできた形だと思った。
だが、違った。
彼女の中に巣食うモノは、想像を絶するモノだった。
邪神の『核』として、マーカスが創り出した石。
その欠片を打ち込んでみた。魔力で発動させ、癒着し、やがてその身を取り込んでいく。
邪神の『器』として覚醒させるために。
だが、結果は逆だった。
彼女に打ち込んだ『核』は、消えた。彼女の体内で、完全に消え去った。
それだけではない。ほんの僅かな魔力を辿り、自分の腕を焼き尽くした。
触れてはいけないモノがある。
そう、忠告された気がした。
ビルフレストは、フェリー・ハートニアを計画に利用する事を考え直した。
完全に諦めた訳では無い。だが、安易に手を出してはいけないと。
長年追い求めていた計画に、近道など存在しなかったのだ。
ただ、フェリー個人への興味は増したらしい。
何としても手に入れたい。彼はそんな顔をしていた。
それが判ったのであるなら、部下の腕一本ぐらいは軽い。
ビルフレストは、間違いなくそう考えている。
「……僕も同じだな」
テランは自嘲気味に笑った。
今回の件で、自分も彼の駒のひとつに過ぎない事を思い知らされた。
しかし、他の生き方など知らない。生きられるとも思っていない。
せめて、一日でも長く仕えるとしよう。
自分も彼に処分されない程度には。
ただ、テランにも個人的に興味を持つ人間が出来た。
シン・キーランド。
フェリーという存在に翻弄され続ける男。
あの男は、自分と同じだ。
眩い光に群がる、一匹の虫だという所まで。