最終話.祝福の先で
丘の上からは、この小さな村を一望する事が出来る。
少女にとってはとても大切で、とても大好きな場所。
それなのに。
丘の上で聳え立つ大樹に寄り掛かりながら、少女は大粒の涙を溢し続けていた。
声が枯れても、涙は枯れない。ずっとずっと、泣きじゃくっていた。
「いつまで泣いてるんだ!」
そんな少女を覆うのは、小さな人影。
彼女と同じぐらいの背丈をした、少年だった。
……*
法導歴0589年。
わたし。イリシャ・リントリィは、カランコエに滞在をしていた。
シンとフェリーちゃんの最期を、看取るために。
一ヶ月ほど前。フェリーちゃんが、永遠の眠りについた。
病気に罹ったとか、怪我をしたとか。そういう話ではない。
充実した人生を、やり遂げた結果なのだ。
「イリシャさん。ありがとう」
最後に言葉を交わした時。フェリーちゃんはそう言ってくれた。
礼を言うのは自分の方だと伝えると、昔のような笑みを浮かべてくれた。
「シン。幸せだったよ」
続けて彼女は、シンの手を握り締めながらそう言った。
短く「ああ。俺もだ」と返すと、彼女はやっぱり柔らかな笑みを浮かべていた。
そのまま眠るようにして、彼女はその生涯を終えた。
98歳。肉体の成長が止まっていたことを考慮しても、88歳。
彼女は幸福に満たされながら、この世を去った。
シンが息を引き取ったのは、それから一週間後のことだ。
おしどり夫婦なのは知れ渡っていたから、後を追うように逝ったと思う人もいた。
けれど、わたしは違うと思う。
シンはフェリーちゃんより10歳分も老いている。
本来なら、彼が先に亡くなってもおかしくなかった。
でも、シンは最期までフェリーちゃんに寄り添っていた。
ずっと一緒にいる。ずっと護ると、約束を交わしたから。
彼は生涯を駆けて、大切な人たちとの約束を成し遂げたのだ。
だから、休む時が来たのだ。
シンもまた、眠るように息を引き取った。
わたしは二人の友人でいられたことを、誇りに思う。
二人の葬儀には、大勢の人が訪れてくれた。
リタやレイバーンはわたしのように長居が出来ないことを謝っていた。
だけど、最期の瞬間にも立ち会ってくれたのだ。二人とも、嬉しかったと思う。
……*
「イリシャさん。ずっと居てくれて、ありがとう。
じいちゃんも、ばあちゃんも。来てくれて嬉しかったと思うよ」
頭を下げる黒髪の男性は、カイン・キーランド。シンとフェリーちゃんの孫だ。
今でこそ立派な大人だが、小さい頃はよくシンとフェリーちゃんに懐いていた。わたしもよく、お世話をしたのを覚えている。
当時の光景を思い出すと、少しだけ目頭が熱くなる。
「ううん。わたしの方こそ、ありがとう。
ところで、あの子たちは――」
「きっと、あそこじゃないかな。
よく、じいちゃんとばあちゃんに連れて行ってもらってたから」
わたしが周囲を見渡していると、カインは丘を指差した。
大樹に茂った葉が、ゆらゆらと風に揺れている。
「そう。じゃあ、迎えに行かなきゃね」
丘を目指すべく踵を返すと、背中からカインの声が聴こえた。
「イリシャさん。あの子たちのこと、よろしくね」
「ええ、もちろん」
わたしは振り返り、カインへ頷いて見せた。
カインはほっとした表情を見せながらも、深々と頭を下げていた。
……*
丘へ向かうまでの間。わたしはカランコエの村を見渡す。
今日で暫く見納めとなるのだから、この眼に焼き付けなくてはならない。
「あっ……」
ふと目に入ったのは、奇抜な形をした建物だ。
恐らく、言われなければ誰も教会だとは思わないだろう。
こんなことになった原因はみんな。シンとフェリーちゃんを取り囲むみんなだ。
二人が結婚式を挙げると言った時。教会を建てようという話になった。
誰が言い出したかは、もう覚えていない。たぶん、リタだったと思うけれど。
そこからがもう、大変だった。
我が我がと、激しい主張合戦の始まりだったのだから。
まずはミスリア。
フローラ殿下やイレーネ殿下が、マギアとの友好の証だと手を挙げる。
アメリアちゃんやイルシオンくんに至っては、私財を投入してもと言い出す始末だ。
対するマギアも負けてはいない。
国王であるロインくんが、マギアの土地なのだから譲らない。
バクレイン家を再興出来たのはシンたちのおかげだと追従する、オルガルくん。
勿論、リタやレイバーン。ギルレッグさんも黙ってはいない。
彼らが滞在していたのは妖精族の里だし、妖精族が信仰する神は愛と豊穣の神だ。
永遠の愛を誓うにはもってこいだと、リタは主張する。
レイバーンに関しては、「親友の余が、贈り物をするのに不都合はなかろう」の一点張りだ。
一切の小細工がない分、ある意味一番強かった。
ギルレッグさんに至っては、「ワシ以上に立派な教会を建てられるのか?」と神器を振りかざす。
まあ、みんな建設自体は小人族にお願いするつもりだったみたいだけれど。
シンとフェリーちゃんの知らないところで行われていたこの戦いに終止符を打ったのは、二人と最も付き合いの長い女性だった。
「そんなモン。アタシが金を出すに決まってんだろうが」
栗毛の尻尾を揺らしながら、ベルちゃんは鼻息を荒くする。
ミスリアも、マギアもまだ完全に復興したとは言い難い。
そんな中で血税を投入したり、私財を投げ売られても二人は素直に喜べないだろうと一蹴した。
そんな中。自分ならば、持て余す程に金を持っている。
だから、金を出すのは自分だ。絶対に譲らないと、強引に話の主導権を奪っていた。
要するに、ベルちゃんも二人を祝福したかったのだ。そして、誰にも譲りたくはなかったのだ。
当時のことを思い出すと、思わず笑みが零れてしまう。
結局、資金はベルちゃんから。
ミスリアからは装飾に使う魔術金属を。マギアからは魔石を。アルフヘイムの森からは、樹木をはじめとした資材が贈られた。
末永く村を護ってくれるようにと込められた魔術付与は、今も健在だ。
これで解決……。と思いきや、まだ問題は残っている。
次は意匠をどうするかという話だが、これもまた揉めに揉めた。
皆が皆、自分の世話になった神を模したものを要求するものだから。
特にリタは、愛と豊穣の神を何が何でも取り入れて欲しかったらしい。
愛を誓う神なのだから、気持ちは解るけれど。
その問題に終止符を打ったのは、ピースくんの一言だった。
「おれの居た国では、八百万の神って言われていて――」
ピースくんが言うには、彼の生まれた国ではあらゆるものに神が宿るという考えがあるみたい。
彼がそこからどう話を繋げようとしたのかは、解らない。
ただ。その場にいた皆は恐らく、彼の意図とは違う解釈を始めてしまった。
ひとつの教会に、あらゆる神を祀ってもいいではないかと。
その結果が、この奇抜な教会の誕生だ。
外から見れば奇抜だが、中身はしっかりしているのが流石は小人族と言わざるを得なかった。
フェリーちゃんは皆からの贈り物に喜んでいたけれど、シンは反応に困っていた。
最も、後から訊くと嬉しかったようで安心はしたけれど。
時にはこういう風に、皆に振り回されることもあったけれど。
二人は荒れ果てたカランコエを、周囲の力を借りながら立て直した。
次第に活気づく中。目についたのは、人間以外の住人が増えていったことだろうか。
妖精族の里から来た妖精族や小人族、獣人は勿論のこと。
他の種族も引き寄せられるように、カランコエを訪れる。
今ではすっかり、居住特区のように種族の垣根が感じられなくなっていた。
その理由が、丘の上にある大樹。
妖精族の里に聳え立つ樹と、同じもの。
どうやらフェリーちゃんも、丘の上に同じ木の実を埋めてみたらしい。
アルフヘイムのように魔力濃度の高い土地ではないから、発芽はしないと思われていたのだけれど。
意外にも妖精族の里同様。ううん、それ以上の速度で樹は成長していく。
様子を見るために訪れたリタは、首を傾げながらこう言った。
「ユリアンさんの魔力だけじゃなくて、他の力も入り込んでいるんじゃないかな」と。
それが何なのか、正解は解らない。けれど、少しだけ想像がつく。
要するに。やっぱりシンとフェリーちゃんから、目を離せはしないのだ。
だって、みんな。二人が大好きだから。
今から向かう先にも、そんな子たちがいる。
わたしはあの子たちに、見せてあげなくてはならないものがある。
……*
「フィン! べそべそするな!」
「シオン……」
黒髪の少年は、いつまでも泣きじゃくる妹を叱咤する。
少女は兄を見上げながらも、重力に沿って涙を溢し続けたままだった。
艶やかな黒髪を持つ少年と少女。シオンとフィンは、双子の兄姉だ。
今年で12歳になる二人は、シンとフェリーから見れば曾孫となる。
「でも、フィン。もっとひいおじいちゃんとひいおばあちゃんとお話したかったもん。
たくさん、たくさん。お話したかったもん……」
フィンは二人が大好きだった。
ひいおばあちゃんは、優しく裁縫を教えてくれた。
自分とシオンの黒髪をいつも優しく撫でてくれた。
とても心地がよくて、そのまま眠ってしまう事もあった。
ひいおじいちゃんは、時々料理を作ってくれた。
カランコエやマギアの料理だけじゃない。色んな国の料理を知っている。
ほっぺたが落ちそうなほど美味しいって言うと、頬を優しく撫でてくれた。
でも、もうそれは叶わない。
そう考えるだけでとても辛くて、大粒の涙がぽろぽろと零れていく。
「そんなの、おれだって……。おれだって……」
妹の様子を見て、シオンも堰き止めていた者が溢れ出る。
当たり前だ。大好きなひいおじいちゃんとひいおばあちゃんに会えないのに、平気でいられるはずがない。
気付けばシオンも、大粒の涙が零れ落ちていた。
ひいおじいちゃんは、たくさん冒険の話をしてくれた。
魔物や悪者を倒すのはかっこいいと思ったけれど、もっと大切なものを教えてくれた。
大切な仲間や友達がいれば、それだけで幸せだと言っていた。
ひいおばあちゃんは、へたっぴと言いながらも魔術を教えてくれた。
自分やフィンが炎を出せた時、凄く喜んでくれた。
読み聞かせてくれる本は古くてボロボロだったけれど、なんだか心地よかった。
二人はよく『命』についても話してくれた。だけど、なんだか難しくて。
それに、大好きなひいおじいちゃんとひいおばあちゃんが居なくなるなんて想像も出来なくて。
居なくなって初めて、とても大切な事を話してくれていたのだと理解した。
「ひいおじいちゃあん……。ひいおばあちゃあん……」
「あいたいよう……」
丘の上で泣きじゃくるシオンとフィンは、もう止まらない。
互いの手を握り締めながら、大好きだったひいおじいちゃんとひいおばあちゃんの名前を呼び続けた。
「見つけたわよ、二人とも」
そんな二人の前に、一人の女性が現れる。
とても美しい銀色の髪を靡かせた、大人の女性だった。
「……イリシャちゃん」
シオンとフィンは、嗚咽混じりにその名を口にした。
彼女の事はよく知っている。ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんの大切な友達。
おじいちゃんとおばあちゃんも。お父さんとお母さんも、彼女にはよく懐いている。
無論、シオンとフィンも例外では無かった。いつも優しい彼女の事が、大好きだった。
「ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんがいなくなって、辛かったのよね」
「……うん」「さびしい……」
イリシャが二人の涙を拭いながら尋ねると、同時に首が縦に振られる。
そんなシオンとフィンの頭を、彼女は優しく撫でた。
「そっか。でも、ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんは嬉しいと思うわ。
二人が、泣いてくれるぐらい好きでいてくれたってことが」
シオンとフィンの涙が止まらないのは、本当にシンとフェリーが大好きだったからだ。
どれだけの愛情を注いで来たのかが判る。
「でも、いつまでも泣いてちゃ心配するから。
ちょっとずつ、泣かないようにしましょう?」
「……うん」「わかった……」
またも同じタイミングで、二人の首が縦に振られる。
口では「わかった」と言っても、涙を流す日は訪れるだろう。
だから、イリシャは見せてあげたかった。
その為の準備は終えたと、シオンとフィンの手を取る。
「あのね。さっき、シオンとフィンのお父さんとお母さんにお願いしてきたの。
二人を少しの間、旅に連れて行ってもいいかって」
「たび……?」
小首を傾げるフィンの動作は、どことなくフェリーに似ていた。
くすりと笑みを浮かべながら、イリシャは続ける。
「そう、旅。いくつかの国を回って、妖精族の里へ行きましょう」
「妖精族の里! リタちゃんたちがいるとこだ!」
「行きたい、行きたい!」
シオンとフィンの顔が、パアっと明るくなる。
大好きなひいおじいちゃんとひいおばあちゃんにしてもらった話の中でも、特に好き場所。
特に、時々子供を連れて遊びに来てくれるリタに二人は懐いていた。
「ええ。まずはミスリアを目指して。そこから、妖精族の里へ行きましょう。
二人の知らないひいおじいちゃんとひいおばあちゃんの活躍を、見せてあげるからね」
「うん、見たい!」「フィンも、見たい!」
次第に元気を取り戻していくシオンとフィンの頭を、イリシャはもう一度撫でて見せた。
シンとフェリーは、何者にもならなかった。きっとこれから先、歴史の中で埋もれていくだろう。
だけど、シンはこうも言った。「皆が覚えてくれていれば、それで十分だ」と。
二人の事が大好きなシオンとフィンだって、その『皆』であるべきだと思う。
大好きなひいおじいちゃんとひいおばあちゃんがどれだけ素敵な人物だったかを、知るべきだと思う。
「準備が終わったら、すぐにでも行きましょう。
ひいおじいちゃんとひいおばあちゃん。たくさん皆を笑顔にしてきたんだから」
「ホント?」「すごい……!」
「ええ、本当よ。ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんが救った世界を、見に行きましょう」
優しく微笑みながら、イリシャは二人の手を取る。
シンとフェリーが紡いだ子たちに、祝福に満ちたこの世界を見せてあげる為に。