529.フェリー・ハートニアに祝福を
法導歴0518年。
妖精族の里に、一際大きなため息が轟く。
「はぁぁぁぁぁ〜……」
声の主は、妖精族の女王。リタ・レナータ・アルヴィオラ。
頬を机にべったりと密着させながら、大きく肩を落とす。
「リタったら。また、ため息ついて」
ふっと笑みを浮かべながら、イリシャはリタへ紅茶を差し出した。
ここ最近の彼女は、いつもこうだ。
「だって、やっぱり寂しいのは寂しいんだもん」
「そうね、わたしも同じ気持ちよ」
甘い香りに誘われ、リタは顔を上げる。
イリシャ落ち着いた様子を見せながらも、彼女に同意をした。
世界再生の民との戦いが終わって半年。
その間に、様々な別れがあった。
アメリアやオリヴィアは、フローラと共にミスリアへと帰った。
今は傷付いたミスリアを一日でも早く復興させる為に汗を流しているだろう。
「でも、まさかストルまでついていくなんてね」
「ね、私もびっくりだよ」
イリシャはミスリアの在る方角を向きながら、感嘆の声を漏らす。
妖精族であるストルも、彼女達に同行したのは驚きだ。
アメリア達に同行したのはストルだけではない。
テランもエステレラ家の要請で、ミスリアへと向かってしまった。
研究チームは、その戦力の大半と離れ離れになってしまった。
「ベルちゃん、寂しくないのかな?」
ぽつりとリタが、呟く。
自分でさえこうなのだ。一緒にいる時間が長かった彼女は、その比ではないだろう。
「いや? アタシはそこまで悲観してねぇけど」
「ベルちゃん」
小腹が空いたのか。マレットが栗色の髪を尻尾のように揺らしながら、現れる。
彼女は並べられた茶菓子をひょいと拾い上げ、軽快な音を鳴らす。
その音だけで涎が出そうになるのだから、イリシャの料理は凄いとリタは改めて感じた。
「今生の別れってわけじゃないし、転移魔術でその気になれば会いに行ける。
トリスの兄貴やサーニャのこともあるんだ。ちょいちょい顔は合わせるだろ」
「そうかもしれないけど……」
ケタケタと笑うマレットは、妖精族である自分より達観している。
リタだって、理屈では分かる。けど、やはり寂しいものは寂しいのだ。
マレットは元より、妖精族の里に残ると決めていた。
彼女は多くの同志と研鑽の日々を送ったこの場所を、第二の故郷と称してくれた。
リタからすれば、最高の誉め言葉。
そして、彼女が残るからか。ピースも共に残るらしい。
尤も、彼の持つ違う世界の話はリタ達にとっても興味深い。
ピースがアイデアを出して、マレットが設計。ギルレッグが製作をする。
どうやら、研究チームには相変わらずの日々が待ち受けているようだ。
「それより、アイツらはどこまで辿り着いたんだろうな」
紅茶を啜りながら、マレットは天を見上げる。
誰の事を指しているかは、すぐに解った。事あるごとに、彼女は気に掛けているから。
「フェリーちゃんとシンくんなら、寄るところがあるって言ってたからね。
マギアへ帰るのはまだまだ先じゃないかな?」
「ったく。転移魔術があるってのに」
折角作ったのにと、後頭部を掻きながらマレットはぼやく。
非効率だなんだと言っているが、要するに早く連絡が欲しいのだろう。
二人は最も付き合いの長い彼女は、なんやかんやで心配性で面倒見がいい。
「いいじゃない。のびのびと旅が出来る機会なんて、二人にはなかったんだから」
「まあ、そうだけどな」
くすくすと笑みを浮かべながら、イリシャは空になったカップへ紅茶を注ぐ。
カップの中で穏やかに揺れる水面のように。穏やかな時間が、彼らに訪れて欲しい。
そんなささやかな祈りを、捧げながら。
「リタ!」
やがて、話に花を咲かせる三人を大きな影が覆う。
魔獣族の王、レイバーンがその巨体を揺らしながらリタをひょいと抱える。
「レイバーン? どうかしたの?」
同じ高さの目線から、リタはきょとんと目を丸くする。
対面するレイバーンは、彼女よりもずっと大きな瞳を輝かせている。リタが彼と同じ眼になるのは、その理由を教えてもらった直後の事だった。
「芽が出たぞ!」
「本当!?」
レイバーンの報せを受けて、リタの表情が明るくなる。
「なんのことだ?」と尋ねるマレットに対して、イリシャは納得したように手を叩いた。
「ああ! フェリーちゃんから貰った木の実のこと?」
彼女が指しているのは、フェリーを含めた三人で旅をした時。
リオビラ王国で譲り受けた木の実の存在だった。
「うん、うん! そうだよ! やっぱり、まだ生きてたんだよ!」
握った拳を上下に動かしながら、リタは何度も頷く。
500年も前の代物だが、フェリーの魔力を吸い続けた結果。生命としての活動を取り戻した。
魔力濃度の高いアルフヘイムの森ならば発芽するかもしれないというリタの想いは、確かに伝わったのだ。
「イリシャちゃん。これ、フェリーちゃんの魔力だから。
ユリアンさんの魔力でもあるよ! ちゃんと樹に育ってくれれば、イリシャちゃんの傍で見守ってくれるんだよ!」
満面の笑みを浮かべるリタに対して、イリシャはハッとする。
もう消えてしまった。二度と逢えない、愛する夫が遺してくれたものが、命として芽吹いた。
フェリーからリタへ。大切な友人を通して、紡がれていたのだ。
イリシャの眼から、自然と涙が溢れ出る。
「よかったな。イリシャ」
「ええ、ええ……」
止めどなく溢れる涙を拭っていると、マレットはイリシャの頭に手を乗せる。
少しだけ気恥ずかしそうにしながらも、イリシャは大きく頷いた。
「フェリーちゃんにも、見てもらいたいな。
……早く、また逢いたいなあ」
先刻まで落ち込んでいたのが嘘のように、リタは元気を取り戻す。
きっとフェリーも、同じ空の向こうで笑っているだろう。
だって彼女の傍には、最も大切な男性が居るのだから。
……*
シンとフェリーは、マギアの在るリカミオル大陸の南方。
ネクト諸島へと、足を運んでいた。
どうしてもマギアへ。カランコエへ戻る前に、寄らなくてはならない場所だったから。
とある墓前をじっくりと眺めるように、二人は身を屈める。
刻まれた名は、シーリン・ハートニア。アンダルの妻が眠る場所だった。
30年前のアンダルと交わした約束を果たす為に、シンは彼の愛娘を、この地へと導いた。
「遅くなってごめん」
「おばあちゃん、はじめまして」
まずは簡単な挨拶から。
そのまま祈っても良かったのだが、シンは鞄からひとつの小瓶を取り出す。
中には目の荒い砂が、半分ほどの高さまで詰められている。
「シン、それは?」
「カランコエの砂だ。イリシャを追い掛けた時に、ちょっとな。
じいちゃんが最後に居てくれた場所だから。少しでも、ばあちゃんに伝えたくて」
本当なら、アンダルの遺品でも供えた方がいいのかもしれない。
けれど、燃え尽きたカランコエに彼の痕跡は残されていない。
シーリンにとっては縁もゆかりもない代物だが、自分達にとっては大切なアンダルの思い出の一部。
彼は愛してくれた。そして、愛されていた。
それが少しでも伝わるようにと考えた末の、供え物。
「そっか。おじいちゃんも、その方が喜ぶよね」
「言ってくれてもよかったのに」とは、言わなかった。
シンは案外照れ屋だと知っているから。ただ、人の心に寄り添ってくれる彼がフェリーは大好きだった。
「おばあちゃん、はじめまして。フェリーだよ。
あのね、あたし。大好きなおじいちゃんと一緒に過ごせて、すっごく幸せだったよ」
フェリーは墓前で手を合わせながら、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
アンダルがくれた沢山の愛情を思い返すと、自然と頬が綻ぶ。
「それでね、おじいちゃんはおばあちゃんのこと大好きだっていつも言ってたよ。
だから、おじいちゃんがおばあちゃんと過ごした時間は、とっても幸せだったと思う。
おじいちゃんが好きなひとだから、あたしもおばあちゃんとお話ししてみたかったな」
アンダルが沢山の愛情を注いでくれたのは、それがどれだけ尊いものかを知っているからだ。
きっと、その源泉は妻であるシーリンと共に育んだに違いない。こうやって、シンに墓参りの約束を取り付けるぐらいなのだから。
どんな女性だったのだろう。一度でいいから、逢ってみたかった。
素敵な人に違いないと、フェリーの想像を掻き立てる。
「おばあちゃんのお話は聞けないけど、あたしの話は聞いてくれると嬉しいな。
おじいちゃんとの思い出、たくさんあるんだよ。
今日だけじゃ話しきれないから、何回も何回もお参りに来るね」
同時に、彼女の知らないアンダルがどう過ごしたか。そんな話もしたかった。
勝手な想像だけれど、彼女は笑顔で聞いてくれると思ったから。
「おじいちゃん。たくさん、たくさんありがとう。
シンと逢わせてくれて、ありがとう。おばあちゃんと天国で逢えてるといいな。
おじいちゃんにも、これからたくさんお話するから、聞いてね。
――大好きだよ」
続けてカランコエの砂が入った小瓶へ、フェリーは祈りを捧げる。
アンダルのお陰で、自分の人生は幸福に満ちていた。
死後の世界が在るかどうかは解らない。ただ、もしも存在するというのなら。
大好きなおじいちゃんには、愛する妻と再会を果たしていて欲しいと心から願う。
それからフェリーは、時間の許す限りたくさんの事を話した。
友達のこと。旅のこと。そして、これからのことを。
向こう側で、穏やかな表情を見せるアンダルとシーリンが頷いてくれているような気がした。
次も、その次も。きっと同じぐらい話し込むだろう。
だって、これからも話したい事が増えていく一方だろうから。
「――とと。シン、ゴメンね。あたしばっかり、お話しちゃって」
「いや、いい。じいちゃんとばあちゃんも、フェリーの話が聞けて嬉しかったと思う」
「えへへ。そうだといいな」
照れくさそうにはにかむフェリーだが、流石に自分だけで終わらせる訳にはいかない。
名残惜しさを感じつつも、その先はシンへと譲った。
「ばあちゃん。じいちゃんと約束したのに、遅くなってごめん」
シンは墓前で、再度遅くなった事を詫びる。
伝えたい事は大体フェリーが伝えてくれた。
自分の口から語る内容は、限られている。
ただ、それはとても大切なものだった。
だから、シンは二人の前で誓う。これから先、自分達の未来についてを。
「今、たくさん話してたのがフェリー。じいちゃんとばあちゃんの娘だよ。
見ての通り、いつも明るくて表情がコロコロ変わるんだ。見ていて飽きないよ」
「むぅ……」
子供扱いされているようで、恥ずかしかったのだろうか。
隣で頬を膨らませるフェリーに苦笑しながら、シンは続ける。
「過去で出逢った時、俺はじいちゃんと約束が出来てよかった。
フェリーを傷付けたくないって、ちゃんと思えることが出来たから。
それに、思い出せたんだ。じいちゃんが死んだ時、ずっとフェリーの傍にいるって心の中で誓ったことを」
今も昔も、フェリーへの想いは変わらない。
もう揺れたりはしない。だからこそ、シンは墓前の二人にこの言葉を伝える。
「だから、約束を守るためにも。いいや、違う。好きだから。
俺はフェリーと結婚したい」
「……シン」
不意打ちのプロポーズに、フェリーは己の顔を手で覆う。
嬉しくて堪らない。顔の火照りが、指先へと伝わっていく。
自分は今、どんな表情をしているのだろうか。
落ち着かない様子ながらもフェリーは、彼から目が離せなかった。
「一方的だけど、じいちゃんとばあちゃんには聞いて欲しかった。
約束を守るためだけじゃない。俺やフェリーが幸せでいるために。
じいちゃんやばあちゃん。俺の家族みたいに、なれるように頑張るから。
どうか、見守っていて欲しいんだ」
一通り話し終えたシンは、そっとフェリーと向き合う。
まだきっと顔は紅潮しているけれど、フェリーも彼の顔を見上げる。
「フェリー。順番が逆になって悪い。改めて言わせてくれ。
カランコエに帰って、落ち着いたら。
――結婚しよう」
真っ直ぐな眼差しを向けながら、シンは改めて結婚を申し込む。
考えるまでもない。差し出された彼の手へ、フェリーはそっと自分の手を重ねた。
「……はい」
大粒の涙を溢しながら、フェリーはシンの手を握り締める。
肉厚で、硬くなった。たくさんの努力をしている人の手。
フェリーの大好きな、手だった。