522.迫りくる終わりの中で
昂るファニルに対して、邪神を構成していた悪意の塊が動きを止める。
邪神と一体化しようとしていた影響で、ファニルとの接続は完全に途絶えていない。
結果。悪意の塊はより強い憎悪へ吸収される事を受け入れた。
「返して……。返しなさい! 邪神を、私のぼうやを!」
悪意の泥を浴びても尚、ファニルは求める。
未だ悪意は、自分と純白の子供の間でせめぎ合っているのだ。
『核』である子供を。悪意の器はやはり必要だと、追い求めた。
子供を抱きかかえるシンを捉えるべく、漆黒の鎖をドレスから放つ。
しかし、それらは彼へと届かない。
「ファニルさん……っ! ダメだってば!」
割って入るのは、炎の翼を身に纏った少女。フェリー・ハートニア。
放たれた鎖は右手に握られた真紅の剣によって灼き斬られている。
左手が持つ透明な剣によって氷が張り巡らされ、ファニルの進路を妨げる。
「どいて……。どきなさいっ! あの男は私から全てを奪う害虫なの!
邪神は私のものなの! 私が造り上げた! 奪り返して何が悪いの!?」
「造り上げたって……。あの子は、そんなコト望んでないよ!」
「当たり前じゃない! 悪意をかき集める、器なのよ!?
望む望まないなんて、関係ないわ! 惑わせているのはあなたたち! おかしいのは、あなたたちなのよ!」
「違うよ! あの子の気持ちを、訊いてあげてよ!」
怒り狂うファニルに対し、フェリーは一歩も退かない。
息子に対する、深すぎるまでの愛情を持つからこそ。純白の子供の気持ちも解るはずでないのか。
あの子供は邪神という役割を望んでなどいない。だからこそ、シンの腕の中へ埋もれている。
事実を認め、気持ちを尊重してあげて欲しい。フェリーからファニルへの、最後の願いでもあった。
「気持ち? 必要ない……。いいえ、芽生えるはずなんて無かったのよ。
仮に芽生えたとしても、破壊を愉しむ存在だったはずだわ!
ぼうやを狂わせたのはあなたたちじゃない。
……そうよ、そうなのよ。あの時から、ぼうやの心は奪われていたんだわ。
早く治してあげないと。取り返しがつかなくなる前に。ビルフレストが望むものを、手に入れられるように!」
しかし、フェリーの想いが届く事は無かった。
身に纏った悪意が再び純白の子供の元へと向かう前に。
全てを手に入れるべく、ファニルは己に宿した力を解放する。
(フェリー、いくら話しても通じない。もう無理だ)
「……うん」
心の内から頭へ、ユリアンの声が響き渡る。
彼の言う通り、ファニルは何を言っても止まってはくれないだろう。
ほんの少しではあるが、フェリーはファニルが見せる『母』としての愛情を肌で感じた。
息子の為なら、どんな苦労も厭わない無償の愛。
一方で、邪神――。純白の子供に対しては違う。
生み出したと豪語しながらも、そこに愛情は見当たらない。
「ぼうや」と呼んでいるのもあくまで上辺だけだ。
ひとつの『命』としては無関心に扱う様は、幼少期の自分を思い起こさせる。
同じだと思った。都合のいい言葉だけを並べる、自分を産んだ女性と。
利用する価値を見出したから、求めている。求められる側の気持ちは、関係がない。
シンが純白の子供を抱きかかえている姿を愛おしく感じたのは、そのせいだろうか。
求める、求めないではない。相手の気持ちに寄り添おうとしてくれる。
少しだけ羨ましいとも思うが、今はその時ではない。
大丈夫。自分はたくさん知っている。
彼の温もりを思い出すだけで、頑張れる。
大丈夫。自分もそうだったから。
彼の温もりがあれば、あの子もきっと救われる。
「ファニルさん! ゼッタイに、あの子は奪わせない!」
「それはこっちの台詞よ!」
もう二度と、あの子供を悪意に晒したりはさせない。
強い決意の下、灼神と霰神を構えたフェリーが、刃をファニルと交錯させた。
(もってくれよ)
炎と氷の刃が、吸い込まれそうな程に黒く染まった闇と交わる中。
ユリアンは一人、フェリーの身を案じていた。
蓄えた魔力が失われていくのを感じる。
刻一刻と迫る限界時間と、彼もまた戦っていた。
……*
「おい、あのバカ。このまま落ちてくるつもりじゃないだろうな?」
「いや、まさかそんな……」
落下しながらもファニルへ金色の稲妻を放つシンを見上げながら、マレットは訝しむ。
釣られてオリヴィアも苦笑いを浮かべるが、血の気が引いているのがはっきりと判る。
「魔導砲の魔術付与は壊れちまってるし」
「簡易転移装置は、渡してません。というか、コーネリアさんとの戦いで壊しちゃいました」
銃身から伸びる縄も、簡易天使装置も持ち合わせていない。
皆の知る限り、彼が宙に浮くような手段は存在していなかった。
加えて、左腕は純白の子供を抱えて碌に動かせない。ある意味では、絶体絶命とも言える状況。
直後、魔導砲から地面へ向かって疑似魔術が放たれる。
放たれたのは緑色の暴風。風を放った反動により、シンの身体は僅かに浮き上がる。
重力へ逆らうように二発、三発と繰り返されたそれは、次第に落下の速度を減速させつつあった。
「小僧の奴、もしや……」
「バカだろ。いや、マジで」
オルテールがぽつりと呟くと、マレットが呆れるようにため息を吐いた。
間違いない。シンは空中で何度も緑色の暴風を放って、極限まで落下の衝撃を和らげるつもりだ。
フェリーがファニルを抑えている現状は良いが、突破をされてしまえばひとたまりもない。
まさに綱渡りの状況で、彼は細い糸に可能性を委ねている。
「おい、そこの魔術師。魔導具の弾丸を持っていただろう。重力を放つ弾丸だ!」
「重力弾を?」
「それを小僧の落下地点へ放て!」
見ていられないと感じたオルテールが、テランへ重力弾を要求する。
一見するとシンの考えを乱す自殺行為にも思えるが、彼の眼は真剣そのものだった。
彼の両手に握られた宝岩王の神槍が、全てを物語っている。
「……失敗しないでおくれよ」
「小童が、誰にモノを言っとるんじゃ!」
オルテールが成そうとする事を悟ったテランが、苦笑いをする。
不安は残るが、彼に任せるしかない。言葉を信じて、テランは重力弾を放った。
「シン、フェリーちゃん。……ユリアン」
そんな最中。イリシャは天を見上げる。
何も力になれない自分を情けなく感じながらも、祈るように呟く。
「どうか、皆が無事であるように」と。
……*
「フェリーさん……」
『羽』に身体を預けるアメリアは、フェリーの援護を行うべく力を振り絞る。
しかし、最早余力は残されていない。『羽』の上で立つ事すら、ままならなかった。
このままでは援護どころか、足手まといになってしまう。
自分に出来る事は、もう残っていない。
口惜しさの中、アメリアは『羽』に施された仕掛けを見つけた。
「これは……」
マレットとギルレッグの突貫工事によって取り付けられた、弾倉。
魔力を吸着するそれに、蒼龍王の神剣を押し当てる。
己の残った魔力を全て、『羽』へと預けた。
例え出涸らしでも、ほんの僅かでも。彼の役に立てるようにと。
「お願いします。シンさん、フェリーさん、ピースさん」
強い脱力感に見舞われる中。彼女は託す。
自分の全てを、世界の命運を預けられる仲間へ。想いと共に。
アメリアの想いが通じたかの如く、ピースの操る『羽』は降下を始めていく。
最後の希望を、シンへ届けるかの如く。