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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
終章 祝福
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519.救われる者たち

 ――ころして。


 目の前にいる子供は、確かにそう言った。

 シン・キーランドにとっては、耳を塞ぎたくなるような願い。

 否が応でも苦い記憶が掘り起こされる。

 今でも強い自責の念を抱き続ける、『罪』を犯した日の事を。


 10年前。

 シンは初めて、愛する女性を手に掛けた。

 

 皮膚を裂き、じわりと血が滲み出る光景も。

 刃越しに伝わる柔らかい肉の感触も。

 今でも鮮明に覚えている。


 どうして彼女の要望を、言葉のままに受け入れたのか。

 それは自分が幼かったから。弱かったからだ。

 

 何が正解かも判らず、フェリーはきっと悪くないと心の中で思いつつも、彼女へ刃を突き立てた。

 彼女が『死』に救いを求めていたから。フェリーを救う為だと言い聞かせ、状況に流されるだけの自分を擁護してしまった。


「このまま、じゃ。ぜんぶ、こわしちゃう。だから、ころして。おねがい」


 鎖に繋がれたままの子供は、たどたどしい言葉で再度の願いを告げる。

 子供は知っている。眼前の青年が、心優しい事を。

 沈黙を貫いているのも、自分の懇願に対して躊躇しているのだと思った。


 けれど、今はもうその時間すら勿体ない。

 自分が『死』を渇望したのだ。殺したとしても、気に病む必要はない。

 むしろ、世界を救った英雄として未来永劫称えられるべきだ。


「おねがい……」


 再三の頼みを前にして、シンは漸く重たい口を開いた。

 真っ直ぐに、純白の子供を見下ろしながら。はっきりと聞こえるように。


「断る」


 その瞬間。子供が大きく目を見開いたのが判る。

 驚きと絶望に隠された本心を、シンは見逃さなかった。


「それだとぜんぶ……こわれちゃう!」


 迫力がないながらも、声を張り上げているのが伝わった。

 シンは表情を変えないまま、続ける。


「お前を殺すことが本当の願いなら、俺は叶えてやりたいと思う。

 でも、違うだろう? お前は死にたいなんて、思っていないはずだ」

「でも、ぼくは……。あくいをあつめて、ぜんぶをこわして……」


 心とは裏腹に、殺して欲しいと懇願を続ける邪神。

 このやり取りにも、既視感がある。何があっても、自分は死ななくてはならないと思っている。


 フェリーだって、きっとそうだった。

 あの時、『死』に救いを求めたのは自分と同じでどうすればいいか判らなかったから。

 自分が取り返しのつかない過ちを犯したと思って、贖罪の方法がそれしかないと思ったから。


 この子供も同じだ。

 世界を救う為だと『死』を懇願しているが、結局のところはそれしか方法を知らないからだ。

 

 だからこそ、シンは伝えなくてはならなかった。

 あの時、フェリーにはしてやれなかった事を。

 少しだけ大人になったからこそ、出来るようになった事を。


「……俺も、お前と同じだ。自分はいつか、死なないといけない。

 死ぬべきだと思っていた。フェリーを何度も傷付け、大勢の命を奪った自分が嫌いだった」


 毎日、毎日。違う人間の血で手を汚し続けて来た。

 唯一の例外はフェリーだけ。気が狂いそうになりながらも、彼女を殺し続けた。


 どんどん自分が嫌いになっていった。

 一番生きる価値がないのは、自分だと思っていた。

 当たり前だ。ただ命を奪うだけの存在となった自分が、赦されるはずもないのだから。


 フェリーが不老不死の呪いから解き放たれるまで。

 そう言い聞かせながら、彼女の時間を独り占めした。

 罪深い行為だと自覚はあった。でも、彼女の元から離れる事は考えられなかった。

 

 不用意に交わした約束さえも守れない男になりたくなかったというのは詭弁だ。

 ただ好きだったから。傍に居たかったから。自分はずっと、我儘を通して生きていた。

 

「俺には生きる価値なんてない。そう思ってた。

 だけど、違ったんだ。俺が幸せになることを願ってくれるひとたちがいたんだ。

 嬉しかったんだ。俺は生きてもいい。幸せになっていいって思えた。

 生きたい。幸せになりたいって、心から願えた」


 我儘になってもいい。願いを言ってもいい。

 そう言って支えてくれた、掛け替えのない仲間がいる。

 シンはあの日、間違いなく救われた。


「だから、俺は戦う。願いを叶えるために。

 皆が望んでくれたものを、この手に掴むために」

 

 そして、今。その願いを叶える為にここまで来た。

 この純白の子供を殺しはしない。このまま死なせてやる気なんて、毛頭ない。


「お前はどうだ!? 悪意だとか、破壊だとか。それは他の誰かが勝手に望んだものだ。

 本当にお前がやりたいことは、そんなものなのか!?」

「……ちがう」


 シンの問いに、純白の子供は首を左右に動かす。

 もう、考える必要はない。シンの手は自然と、漆黒の鎖を掴んでいた。


「っ……」


 悪意によって繋がれた鎖が敵意を感じ、抵抗を始める。

 異物である青年を排除するかの如く、彼の身体に巻き付いては締め上げた。


「やめて! ぼくをころせば、おわるんだ!」

「終わらない」


 子供の訴えを、シンは全力で否定する。

 絡みつく鎖に魔導砲(マナ・ブラスタ)弾倉(シリンダー)を押し当て、魔力を吸着していく。


「でも、ぼくはじゃしんで……」

「それはお前の存在そのものじゃない! 誰かの望みを、押し付けられただけだ!」


 邪神という存在に拘る子供を、シンは一喝する。

 勝手に生み出して、勝手に与えられた役割に溺れる必要はないと。


「お前の名前はなんだ!?」

「……ない」


 シンの問いに、子供は首を横に振る。

 自分は『邪神』という役割を与えられた存在で、名前なんて必要ない。

 そういう風に造られた、悪意の器。


「だったら、決めろ。口にしろ。 お前の名前を! 願いを! 欲しいものを!

 俺が祈ってやる。お前がなりたいものになれるよう、祈り続けてやる!」


 これまでの人生で、シンは神へ祈りを捧げた事など無かった。

 単に信仰心が薄いというだけではない。その存在が、恩恵が感じられない程に希薄な存在だったからだ。


 けれど、この旅で少しだけ認識を改めた。

 神は確かに存在する。様々な形で、自分達に力を貸してくれていた。


 祈りは、ヒトと神を繋ぐ手段。

 神が神である為の、証明のように思えた。


 だからこそ、シンは告げた。本当に成りたいものを、教えて欲しかった。

 『邪神』だなんて与えられた役割ではなく、自らが望む存在と成る為に。


「……みんなに、えがおでいてほしい」


 ぽつりと、純白の子供が漏らしたもの。

 分体を通して見て来た青年が、沢山生み出してきたもの。

 

 自分も彼のようになりたい。

 多くの笑顔に対して、心からの祝福を送りたい。

 偽りのない、本心だった。


「――わかった」


 短く返答をした後、シンは生まれて初めて神へ祈りを捧げる。

 零れ落ちた言葉が真実かどうかなんて、考える必要はなかった。

 純粋で心優しい子供は、思った通りの存在だった。その事実が、堪らなく嬉しかった。


 子供の身体へ、温かいものが流れていく。

 分体を通してシンと触れ合ったものと、全く同じ温もりだった。


 同時に、自らの肉体に変化が訪れているのを感じ取った。

 邪神という与えられた役割。悪意によって創られた衣が、不要と言わんばかりに剥がれ落ちていく。

 

 それは子供にとって、不思議な感覚だった。

 身体が、心が軽くなっていく。気付けばシンの腕を、小さな手で掴んでいた。


「ぼくは……。ぼくは、もう、ひとをきずつけたくない」

「そうか」


 思わず漏らした言葉にも関わらず、シンは受け入れてくれた。

 ポンと、頭の上に手を乗せる。彼の手は硬かった。でも、とても温かかった。


「だったら、お前はもうこんなものに縛られる必要はない」


 魔導砲(マナ・ブラスタ)の引鉄を引くと同時に、迸る魔力が刃を形成する。

 白色の流星(ヴァイスメテオール)による疑似魔導刃(マナ・エッジ)が、漆黒の鎖を断ち切った。


 全てを破壊する存在(もの)に仇名す、外敵による攻撃。

 耳障りで甲高い悲鳴と共に、鎖は蛇のようにシンへと襲い掛かる。

 まるでひとつの意思に統一されたように蠢くそれは、ある人物を彷彿とさせた。


「お前たちの憎しみを、こいつに押し付けるなっ!」

 

 聞こえていなくても構わないと、鎖を再度切り払いながらシンは吠えた。

 自らの悪意を力に変えようとしている者。この子供を破壊の化身として君臨させようとした者。

 憎悪の連鎖を生み出す存在、世界再生の民(リヴェルト)への怒りを露わにする。


「お前の願いは、俺が必ず叶えてやる」

「ありが、とう……」

 

 純白の子供の願いを、シンは聞き入れる。

 もうこの子供に、誰も傷付けさせやしない。力を悪用なんてさせない。

 これは決意であり、祈りでもあった。


「まずはここから出るぞ」

「でも……!」


 その為には、悪意で生成されたこの泥の中から抜け出さなくてはならない。

 しかし、純白の子供は知っている。自分が捕らえられていたこの空間が、いかに強固で抗い難い存在であるかを。


 蓄積された悪意や強い憎悪が混ざった異質の空間の突破は、決して一筋縄ではいかない。

 気遣わしげな表情を浮かべる子供から不安を取り除くべく、シンは再び頭へ手を乗せる。


「大丈夫だ。俺()()は、独りじゃない」


 先だけを見据え、曇りなき眼でシンは呟く。

 彼の言葉が真実だったと証明されるのは、その直後。

 今までに彼が紡いできた想いが、願いが、少年の眼に光を灯す。

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