49.潜むモノ
男は、ずっとそこに居た。
事の成り行きを、観察していた。
この場において男が興味を惹かれたのは、ふたつだった。
ひとつは、蝕みの世界の効果。
この魔術の基礎を開発したのは、男の上役だった。
人間が殆ど扱う事のない、闇の魔術。
それはひとえに人間が扱うにはイメージに限界がある事に起因する。
他の種族に比べ、闇を克服する事を真っ先に覚えた種族。
本能に刻まれた闇への抵抗感が、人間に根付いている。
だからこそ、人間が闇魔術を創り出す事に固執していた。
大まかには成功したと言える。
既存の結界魔術を軸に、闇の要素を取り入れるように詠唱術式へ改造を加えていく。
その中に取り入れた『邪神』という単語。
自分達が求める事を見失わないように、忠誠心を確かめるために、そして各々が持つ邪神のイメージを具現化するように入れた文言。
想像以上の結果は得られた。自分の想定より強大な半球状の闇。
あの魔術師の、闇や邪神に対するイメージが現れた形だった。
尤も、魔術の発動には時間を要した。
邪魔をされてはかなわないので、助力をしてしまった。
傍観者であるつもりだったか、こればかりは仕方がない。
もうひとつは、ガレオンと不老不死の少女。
ガレオンはつまらない男だった。
己の身体を強靭に、人間を超える肉体を手に入れる魔術付与を使用してもあの程度だった。
いや、ただの武具に魔術付与を付与しても求める領域には到底届かないと判っただけでも収穫だろうか。
そう思うと、ウェルカ領の出来事は非常に遺憾だった。
マーカスの生み出した『核』は、驚異的な再生能力と肉体の同化吸収を可能とした。
女ばかりだというのが懸念点であったが、研究を進める事が出来れば『器』候補として最右翼だった。
尤も、そのマーカスは身柄をミスリアに拘束されている。
ダールが奪い返した『核』こそ取り戻したが、下手に扱う訳には行かない。
あれの全容は、マーカスにしか判らない。
興味はそれを圧倒した不老不死の少女に移る。
ウェルカでの報告は自分も耳にしている。実際、目の当たりにもした。
身の丈に合わぬ魔力を備え、何をしても朽ちない身体。
奴が『器』の予備として考えている事にも頷ける。
何なら、自分がここで試してもいい。
男は、ひとつの意思を取り出す。鏃のような形をした、ドス黒い石。
マーカスが研究していた『核』に比べると、純度は低い。
それでも、並の肉体であればその力に耐え切れず死に至る。
彼女は邪神の『器』足るだろうか。
興味と期待を乗せ、男は鏃を撃ち込んだ。
……*
「フェリーちゃん!」
崩れ落ちるフェリーに、リタが駆け寄る。
撃ち込まれた鏃は、彼女の身体に吸収されてしまったのか影も形も残ってはいなかった。
妖精王の神弓の矢を受けても意識を失わなかった彼女が、ぐったりと倒れている。
それが異常だという事は、一目で判った。
得体の知れない攻撃はそれだけでは済まなかった。
魔術で生み出された岩の矢が、魔術師の男目掛けて一直線に撃ち込まれる。
「むっ!」
先の一撃で警戒を強めていたレイバーンが、それを砕く。
明らかな口封じ。その狙いをみすみす成就させる訳には行かなかった。
刹那、シンが岩の矢の道筋を逆走するかのように魔導弾を放った。
景色に溶け込む、僅かな違和感を目掛けて放たれたのは最速の弾速を誇る稲妻弾。
それを放つと同時に、シンは地面を蹴っていた。
稲妻弾は最後の一発だが、そんな事はどうでもよかった。
「くそっ……」
シンは自らを罵る言葉を反芻し続けていた。
迂闊にも程がある。何が警戒を怠らないだ。
ただの感情に身を任せて、自分の苛立ちを解消するためだけにレイバーンを殴って。
その結果、フェリーが凶弾に撃たれた。
撃ち込まれた石を、シンははっきりと目撃していた。
悪意の煮詰まったようなドス黒い石。ピアリーで見た怪物の『核』にも似たような石。
それがフェリーに撃ち込まれた。
怖い。
彼女が、大切な女性が怪物に変貌してしまうのではないか。
引っかかるような不安が、シンを突き動かす。
フェリーの再生能力の前では、それすらも無効化されるのか。
それとも、害を為さない物質として変貌を受け入れてしまうのか。
判らない。だから、怖かった。
フェリーで無くなる可能性が僅かでもある事が、怖かった。
自分に出来る事はひとつ。これを撃ち込んだ者を捕らえ、吐かせる。
手段を選ぶつもりはない。焦りから、呼吸が浅くなっていた。
……*
「さあ、どうなるのか……」
鏃が無事にフェリーの体内に吸収された事を確認し、男は鏃と魔力を接続させた。
ついでに口封じをしておこうと放った岩石針は防がれたようだが、あくまでついでだった。
あの不老不死の少女が邪神の『器』として覚醒すれば、瞬く間に周囲を喰らいつくすだろう。
その時に口封じも出来る。妖精族の女王と魔獣族の王も喰らってくれれば、儲けものだ。
邪神顕現への第一歩として、男は接続した魔力を解放させた。
男はまだ、気付いていない。
不老不死の少女、フェリー・ハートニア。
その力の源を。華奢な身体に潜むモノを。
――私に、許可なく触れるな。
「――なにッ!?」
頭に響き渡るは、声。
――私の、邪魔をするな。
刹那、男の右腕が炎に包まれる。
全てを焼き尽くす獄炎。それは男の腕を瞬く間に灰にしていく。
このままではその身が全て焼き尽くされる。
男はそう判断し、自らの右腕を風の魔術で肩から斬り落とす。
消えた声は、一体何だったのか。
接続した先には、何が居たのか。
それを考える間は、男に存在していなかった。
シンの放った稲妻弾が、男の胴を撃ち抜いた。
身体が痺れ、思うように動かす事が出来ない。
フェリーの先にいる存在。それに気を取られ、シンの存在が意識から消えていた。
しかし、シンが駆け付けるにはまだ時間がある。
痺れが取れ次第、離脱する事は可能だ。
そう思っていた。
「――!?」
突如、身体が重くなる。
周囲の樹は枝がへし折れ、葉は一瞬にして全てを散らす。
自分が乗っていた岩石は、大きなヒビが入り割れていく。
魔導弾のひとつ、重力弾。
稲妻弾と同時に、放たれていた弾丸が時間差で着弾していた。
重力弾が生み出すのは、重力。
それは周囲の空間を歪ませ、男から行動の選択肢を奪う。
膝をつき、身体を支える。それがまた地面へと圧され、更に行動の余地を奪っていく。
時間的猶予は、既に使い果たしていた。
「――お前か!」
……*
シンは見つけた。仮面をつけた男を。
あの魔術師と同じような、黒い外套を羽織った隻腕の男を。
直感した。確信した。あの男が、フェリーを傷付けた人間だと。
今は稲妻弾と重力弾で、その動きを止めている。
躊躇は無かった。今、フェリーがどうなっているかも判らない。
一刻も早く戻らなくてはならない。
だから、この男はすぐにでも殺す。
純然たる強い意志を持って、シンは剣を振るった。
強化された重力に乗せて加速する袈裟斬り。
隻腕の男は咄嗟に身体を転がすが、その右足が胴から離れた。
「アレは何なんだ!?」
男は答えない。仮面の中で、どんな顔をしているか判らない。
それがシンを焦らせ、苛立たせる。
明確な殺意を、男へと向けた。
男もただではやられまいと、岩石針を生成する。
魔術師を狙ったものとは違い、一回り小さいそれは大きさと威力を代償に、シンに向かって連射される。
シンを護るために発動した水の羽衣を数の暴力で貫く。
肩に、脚に、頬に、腹に岩の針がシンの身体を赤く染める。
だが、そんなものはどうでも良かった。
そんな事で、今のシンは止まらなかった。
シンの剣は、男の首を斬り落とす。
答えないのであれば、一刻も早くフェリーの元へと戻りたかった。
重力弾によって、転がった首から男の仮面が剥がれた。
「これは……」
仮面の先は、土色の顔をしていた。
その男は、屍人だった。
いや、屍人は通常、魔術を使う事はない。
きっと屍人の身体を通して、自らの魔術を放っていたのだろう。
さながら、操り人形のように。
……*
「は、はははは」
ギランドレの王宮。その一室で、男は失った右腕が炭化する様を眺めていた。
屍人はおろか、それを操る自分にまで逆流する魔力。
人の身に非ざるモノへ、安易に手を出した代償。
不老不死の少女には、とんでもないモノが潜んでいる。得体が知れない化物。
いつの間にか、撃ち込んだ鏃の接続は消滅している。
彼女を手に入れる事は困難を極めるだろう。
そして、それは同時にフェリー・ハートニアが計画最大の障害となる事を意味していた。
男は失った腕を見る。
何も持たない自分が、腕を一本失った所で計画に変更はないだろう。
ただ、男は右腕を代償に純粋な興味を得た。
不老不死の少女ではなく、血相を変えて走ってきた男。
シン・キーランドに。
あれは、自分によく似ていると思った。
……*
「シン!」
戻ってきたシンを出迎えたのは、リタにレイバーン。そして、フェリーだった。
「フェリー。無事……だったのか?」
「え? あー、うん。いつも通りだよ。
何があったかは、よくわかんないケド……」
フェリーは飛び跳ねてみたり、くるくると回って見せたりする。
彼女が言う通り、いつものように回復をして元気に動いている。
「……そうか」
シンは安堵した。
一生引き摺るような後悔は、もうしたくなかった。
フェリーが無事で居る。それだけで良かった。
力が抜け、その場に座り込む。
大きく息を吐くと、少しだけ心が落ち着いた。
「シン、敵は……」
「居たのは、屍人だった。だが、魔術を使用していた。
きっと遠隔で操作していた奴が居るんだろう」
或いは殺気を放った瞬間以外、魔力による接続を断っていたのかもしれない。
どちらにしろ、この場で動かせる駒は無くなったはずだ。
「レイバーン、リタ。悪かった。
フェリーを任せてしまって……。ありがとう」
「いや。余の方こそ援護に行けず、すまなかった」
援護に来られなかった訳では無い。
レイバーンは魔術師が口封じに殺されないか、警戒を続けていた。
リタは、倒れたフェリーが目を覚ますまでずっと看てくれていた。
「いや……。助かった」
我を失った自分がするべき事を、代わりにしてくれた。
それがとてもありがたかった。
「シンが焦ったって聞いて逆にあたしがビックリしちゃったよ。
あたしが死なないの、一番知ってるクセに」
人の気も知らずにと言いたい所だが、それでいい。
フェリーには、そうであって欲しかった。
「……悪かったな」
「でも、シンが焦ってるトコは見たかったかも!」
軽口を叩いては見るが、フェリーは零れる笑みが隠せない。
シンが、自分の事で焦ったり怒ったりする事が嬉しかった。
自分はシンにとって、特別だと感じられる事が嬉しかった。
「見世物じゃないぞ」
「ちぇー」
けたけたと笑うフェリーを見て、リタも安心をした。
この二人のように軽口を叩ける関係を築きたいとも、思った。
「ところで、ボロボロじゃん。……だいじょぶ?」
「掠り傷だ」
(……ウソだ! ヤセガマンだ!)
痛みと、変化の兆しと、新たな謎を残してアルフヘイムの森での戦いは終わりを告げた。
今は、それだけで良かった。
妖精族の里に戻ったシンがイリシャの手当を受け、顔を歪めるのはこれから少し先の事だった。