508.守護と救済
『羽・銃撃型』による砲撃は、『暴食』を捉える。
アメリアが優先するのは、仲間を襲い掛かろうとする漆黒の液体だった。
(アイツ……)
瞼を開いたヴァレリアはその行動に戸惑いを見せるが、直ぐに納得をした。
考えてみれば、アメリアの性格ならば当然の選択だった。
彼女もまた、仲間が傷付く事を恐れている人間の一人なのだから。
(クレシア、グロリア。悪い……)
言葉には出さないが、ヴァレリアは喪われた二人の妹へ謝罪の言葉を送る。
視線の先で、紅と黒の刀身は今も交わり続けている。
士官学校の同期でもあるビルフレストには、恨みもある。まだまだ言い足りない事もある。
けれど、彼との決着はイルシオンへ託した。
自分に残る力を託す先は、彼ではない。
生真面目で、少し融通が利かない。思いやりの強い女騎士へ、向ける。
ヴァレリア・エトワールはゆっくりと身体を起こしながら、霞む視線を手の甲で強く擦った。
……*
足を止められ、追い付く事は叶わない。
アメリアが『羽』を放ったのは、苦肉の策でもあった。
しかし、彼女は直後に思い知らされる。
自分の考えがまだ甘かったのだと。
魔力による砲撃は『暴食』の半身を捉え、周囲へとはじけ飛ぶ。
これが並の魔物であれば、この一撃で危機を脱していただろう。
だが、これは悪意の塊。それも、ビルフレスト・エステレラの意識が色濃く反映された個体。
彼女が取る行動など、お見通しだった。
「――っ!」
バラバラに弾けた『暴食』は、より細かい雫となり散っていく。
大地へ触れた粒が消失により地面を抉った時、アメリアは己の迂闊さに血の気が引いた。
身を細かくし、標的を増やすばかりではない。
雫ひとつひとつの表面積が増え、威力と引き換えに消失の範囲を広げている。
『羽』を撃てば撃つほどに、状況が悪くなっていく。
「待ちなさいっ!」
それでも、アメリアは手を止める訳にはいかない。じっくりと思考する時間も与えられない。
止まってしまえば、全てが終わってしまう。
加速した『羽』は仲間の元へと向かう『暴食』を追い越し、立ちはだかる。
けれど、その程度で悪意の塊が怖気づくはずもなかった。
『暴食』は構わず突進を続ける。一方で、アメリアは砲撃を躊躇する。
一瞬の差が、より状況を悪化させる。漆黒の液体は『羽』へと取りつき、消失で六枚のうち二枚を呑み込んだ。
「っ!」
翼が捥がれ、アメリアの表情が険しくなる。
反対に、『暴食』にとっては流れが向いている証明でもあった。
彼女自身を狙う半身が無数の雫へと分裂し、弾丸のようにアメリアへと襲い掛かる。
「好きにはさせません」
いくら状況が悪くとも、アメリアはまだ諦めていない。
蒼龍王の神剣の蒼い刀身が淡く輝く。
負傷を押して振るわれた神剣は数多の雫を斬り落とすが、その全てを落とせはしなかった。
またも小規模の消失が、アメリアの肉体を僅かではあるが抉り取る。
「くぅ……」
悲鳴を堪えようと歯を食い縛るが、本能には抗えない。
苦痛の声を漏らす様に、心なしか漆黒の液体は悦んでいるようにも見えた。
一方で、アメリアはこの状況に違和感を覚える。
蒼龍王の神剣で斬った雫が分裂したにも関わらず、自分を襲わない現状に。
思えば、最初の攻防もそうだった。
自分へと届いた液体は、『羽』で撃ち漏らしたもののみ。
ひとつの仮説が、アメリアの中で組み立てられる。
(蒼龍王の神剣で斬られたものは、もう動けない?)
結論から述べると、彼女の仮説は正しい。
蒼龍王の神剣は大海と救済の神の手により、新たな神剣としての役割を与えられている。
邪神を断つ救済の神剣。それが、今の蒼龍王の神剣へ託された想いの形。
(なら、尚更私の元へ集めなくては……)
その事実に気付いた以上、じっとはしていられない。
アメリアは痛みを堪えながら、大地を踏みしめる。重い肩を、懸命に上げる。
『暴食』を倒せるのは、自分だけだと己を奮い立たせる。
「ギッ!」
反面、残った『暴食』は身の危険をいち早く察知した。
肉体の一部ならばまだ構わない。適合者であるビルフレストの魔力と悪意によっていくらでも後から補充出来るのだから。
問題は、彼女が自分の『核』を斬り払った場合だ。
こぶし大程度の大きさである『核』だけは、悪意の雫へと溶かす事が出来ない。
万が一、アメリアが破壊してしまえば。いくら適合者が手を施そうとも復活は不可能となる。
『暴食』自身、この悪意に満ちた世界を二度と堪能できなくなる。
まだまだ、この世界にはご馳走が待っている。
『暴食』は何としても、『核』の存在を隠し通さなくてはならなかった。
「これは――」
悪意による液体は形を変える。薄く広がった膜が形成され、アメリアの周囲を覆う。
視界一面が薄暗く染まっていく。『核』を隠す為の、カモフラージュ。
「そういうことですか……」
自分の逃げ場は奪われた。同時に、仲間の元へ向かう『暴食』の様子も探れない。
焦りを誘発される状況の中、『暴食』の狙いとは裏腹にアメリアの反応は落ち着いたものだった。
計らずとも、悪意の塊はヒントを与えてしまったのだ。
今更視界を覆うという事は、何か隠したいものがある事の証左。
更に踏み込むならば、蒼龍王の神剣で斬られると困るものだろうか。
「『核』……」
ふと、ピアリーでシンから渡された石の存在を思い出す。
悪意を煮詰めたような色をした、濁り切った石。
ウェルカで、それを破壊されては困ると発狂した貴族が居た。
壊されては困るもの。
アメリアは『暴食』の行動からほぼ最短距離で、『核』の存在へと辿り着く。
(この様子だと、『核』は液体で逃げる様な真似は出来なさそうですね)
自分の視界を切るという事は『核』は一度地表へと現れている。
或いは、離れすぎると肉体が維持できない等の弱点があるのだろうか。
そうだとすれば、危険を最小限まで抑えるだろう。
相手はあの、ビルフレスト・エステレラの分身なのだから。
自分から最も遠い位置。正確に言えば、離れていった個体。
仲間の元へと向かう漆黒の液体の中に、『核』は存在している。
「そうと判れば……!」
掴んだ蜘蛛の糸を手繰り寄せるように、アメリアは答えへと辿り着いた。
ならば、やるべき事はただひとつ。「思い通りにはさせない」それだけだった。
漆黒の膜を蒼龍王の神剣で斬り裂き、光を取り戻す。
多少強引でもいい。『羽』で足止めをしながら、『核』を狙い撃つ。
アメリアの考えは間違っていない。
ただ、『暴食』は危険であるが故に不安を消したかった。
悪意の塊もまた、ここで確実にアメリア・フォスターを仕留めるべく動いていた。
「っ!?」
意表を突かれたアメリアの身体が強張る。
自分から逃げているはずの漆黒の液体はとうに、その全てが視界から消えていた。
地面の中へと潜り込んだのは明白で、アメリアは視線を周囲に動かす。
ほんの僅かでもいい。悪意の塊が噴出していれば、そこを狙うというのに見つからない。
消失によって抉られた傷が痛み、熱を持つ。それでも、集中力を切らせる訳にはいかない。
焦りから、汗が頬を伝う。
『暴食』が仲間の元へ向かっているというのなら、こうして立ち止まっている時間そのものが術中に嵌っている事を意味する。
アメリアは残る『羽』を先行させ、仲間の護衛を務めさせた。
彼女の手札が失われた瞬間。
悪意は、彼女へと牙を剥く。
消失により再び崩れる足元。
足元から浸水するかのように、漆黒の液体が湧きだした。
「私が狙いですか……っ!」
その可能性はアメリア自身も考慮していた。氷の魔術を薄く張り、即座に足場を造るアメリア。
消失は靴の底を抉り取るに留まる。
だが、あくまでそれは囮。
彼女が人間である以上、足場は決して無視できない。
そして、ひとたび意識を下へ向かせてしまえば上空は手薄となる。
「上から!?」
自分を覆う影の存在に気付いたアメリアは、天を見上げる。
ずっと警戒はしていた。それなのに、どうして上空を取られたのか。
(まさか、離れた位置で……)
『暴食』が取ったであろう行動を察した時、アメリアは下唇を噛みしめた。
遠く離れた位置から、『暴食』は細かく分裂した己を射出したのだ。
上空で再びひとつの塊となり、落下と共に自分を喰らい尽くす為に。
(間に合う? いえ、これは……)
例え蒼龍王の神剣を突き立てたとしても。
蜥蜴の尻尾を切るように『核』は己を逃がすだろう。
そして残った漆黒の液体が、自分を喰らい尽くす。その結末が、うっすらと脳裏に浮かんでしまった。
『羽』は遠くへ放ってしまった。
諦めてはいけないと心の中で思いつつも、状況を覆す手段が思い浮かばない。
無念がアメリアを呑み込もうとした瞬間。彼女を護る者は、最後の力を振り絞った。
「――!?!?!?」
地面に潜む液体も、上空から降り注ぐ液体も。『暴食』の全てが、宙へ浮いていく。
あまりに不可解な状況に、『暴食』自身も混乱していた。
「あんまり、調子に乗るなよ……」
「ヴァレリアさん……!」
視線の先には、赤い雫を大地へ浸み込ませながら黄龍王の神剣を大地へ突き立てるヴァレリアの姿があった。
彼女の想いを。祈りを乗せた守護の神剣は、力強い風を生む。
亀裂の入った大地の底から吹き上がる風は、アメリアを護る壁となる。
「アメリア、頼む。アタシにはこれが限界だ!」
懇願するように、ヴァレリアは叫んだ。
強い脱力感が彼女へと襲い掛かる。これが神器の能力を解放した結果なのかと、笑みを溢す。
「……はい! ありがとうございます!」
ヴァレリアは神剣を杖のように身体を支え、文字通り力の全てを注いでいる。
国王亡き後、彼女はミスリアを護るべく誰よりも奮闘してた。
最後の最後まで悪意へ抗う姿に、アメリアの心が動かされないはずはなかった。
「大海と救済の神様。蒼龍王の神剣。ここで必ず決めます。
――私に、力を貸してください。この世界を、救うために」
ありったけの祈りを大海と救済の神へと込め、蒼龍王の神剣は彼女の純粋な想いに応える。
救済の神剣は悪意を消滅させるべく、今までより一層強く輝ていた。
「ギッ!?」
自らに迫る命の危険を察した『暴食』は、己を拘束する風の壁に強い憤りを感じた。
『核』だけでも逃がさなくてはならないと、消失を用いて周囲の風を喰らい尽くしていく。
結果的に、それが自分の寿命を縮めたと気付いたのは直後の事だった。
「なるほど。そこが、『核』ですか」
アメリアがぽつりと溢した言葉に、『暴食』は慄然とした。
『核』を逃がす事に執着したあまり、彼女へ報せてしまったのだ。己の位置を。
「ギィイィイィイィィィッ!?」
壁に穴を開けたのは、『核』の周囲のみ。他は未だ、風によって覆われている。
逃げ場はない。いくら吠えようとも、アメリアの視線が遮られる事はない。
「行け、アメリア!」
自らが力を振り絞って生み出した決定機。
ここで決めてくれと、ヴァレリアが吠える。
「――終わりです」
ヴァレリアの分まで祈りを乗せ、アメリアは蒼龍王の神剣を振り切った。
光を纏った刃は『暴食』の『核』を捉える。
液体化していた肉体は結晶へと変貌し、風に舞って散り散りになっていく。
「よし……!」
「……分体は救えなくて、すみません」
『暴食』の『死』に小さく拳を握るヴァレリア。
対照的に、アメリアは彼女へ聴こえないよう謝罪の言葉を口にした。
悪意に染まった存在は、もう救けられない。
頭では理解をしていても、元は純粋な子供だった事を想うとやるせない気持ちになる。
「ですが、あなたの本体はきっと――」
せめて、本体は。シンが救うと決めた者だけは。
アメリアは山のように聳える邪神を見上げながら、自分の祈りを彼へと捧げた。