507.悪知恵
己の心を吐露したイルシオン。
彼の言葉は、同じ想いを抱えるヴァレリアの胸を打つ。
大切な妹達。クレシアとグロリアの命に報いる為にも。
その為には何としてもミスリアを、世界を護らなくてはならない。
(そうだ、イル。お前の言う通りだ)
段々と痛みを感じなくなっていく。
決して傷が塞がっている訳ではなく、着実に命の灯が消えようとしている証明だとヴァレリア本人も理解していた。
それでも。まだ身体が動くのであれば。やはり自分にも役割があるはずだ。
ヴァレリア・エトワールは、その強固な精神を以て己を奮い立たせる。
尤も。残った気力を振り絞っているだけという事実は覆らない。
自分が戦いに加われるのは、贔屓目に見ても後一度が限度だろう。
そう冷静に判断したヴァレリアは、自らの血で紅に染まっている黄龍王の神剣へそっと手を添えた。
(お願いだ、黄龍王の神剣。あと一回。一回だけ、アタシに付き合ってくれ)
戦場だというのに、瞼を閉じる事に抵抗は無かった。
暗闇越しに戦闘音が聴こえる。心の内を不安で掻き乱そうとするそれを、グッと堪えた。
ヴァレリアは自覚している。自慢ではないが、自分には落ち着きが足りないと。
簡単に挑発に乗ってしまうし、本当は人を纏められるような器でもない。
仕方がないじゃないか。と、愚痴を溢したくもなる。
皆を纏めるより、自分が身体を張った方が精神的に楽なのだ。
騎士団員が倒れる度に、気がおかしくなりそうになる。
昨日まで笑い合ったり、稽古でコテンパンにのめしたり、そのせいで恐縮されたり。
いつかその日が終わるかもしれないという不安を、皆で紛らわせていた。
でも、悪意は容赦なくその瞬間を訪れさせる。
自分がもっと強ければ。前に立って、皆を護れるのに。
そう考えた時。ふと、前の継承者である国王の存在が脳裏を過った。
彼もそうだったからこそ、黄龍王の神剣を手放さなかったのではないかと考える。
(はは、アタシらが不甲斐無いからからだな)
乾いた笑いを溢すヴァレリア。情けないと後悔をしても、もう遅い。
いくつもの命が、自分の手から零れ落ちた。もう取り戻せない。
しかし、彼女はその膝を折る事は無かった。ただの一度も。
怒りや悔しさは、全て次に自分が為すべき事へ向けた。
粗っぽいながらも高潔で逞しい精神を持つ彼女を、黄龍王の神剣が選んだのは偶然ではない。
彼女ならば、より多くの者を護れるに違いない。
そして、黄龍王の神剣の判断は間違っていなかった。
今も尚、彼女の心は萎えていない。
強き想いは祈りとなり、天空と守護の神へと届く。
守護の神剣は、ヴァレリア・エトワールの願いに応えようとしていた。
……*
『羽・銃撃型』から放たれるのは、魔力による砲撃。
アメリアは己を中心に、大きな円形の溝を造り出した。
(これで、どうにか……)
『暴食』の肉体は液体に近い性質を持った。
大地を這いずるように進まれてしまえば、捕える事は出来ない。
だからせめて、溝を作る事で『暴食』の移動方向を限定しようと考えたのだ。
仲間の元へ向かおうものなら、蒼龍王の神剣で即座に断つ。
皆を護る。その一点で考えれば、アメリアの考えは間違っていない。
ただそれは、『暴食』の持つ悪意を全て自分の身で受け止めるという覚悟が必要だった。
呼吸を整え、全神経を耳に集中させる。
リタのような魔力感知があれば、容易に捉えられたかもしれない。
そんな考えが脳裏を過るが、出来ないものは仕方がない。
不安が残ろうとも、出来る限りの方法で悪意へと立ち向かう。
(ビルフレストさんの影響か、あの分体は明らかに他の個体より知恵を持っていた)
知性と表現したくなかったのは、その行いがとても醜いものだからだ。アメリアには到底受け入れられない。
彼女が受け入れたのは、今までに戦ったどんな相手よりも危険だという事実のみ。
何があっても、自分が食い止めなくてはならない。
ほんの僅か、アメリアが気を張った瞬間。『暴食』は動いた。
「――そこっ!」
アメリアは自らの足元へ蒼い刀身を突き立てる。
彼女も、僅かな振動を足の裏から感じ取っていた。同時に、予想もしていた。
頭が回るのであれば、最も避けるのが難しい。そして判断する時間が無い足元を狙ってくるだろうと。
「――ッ!!!!」
その読みも、判断も間違っていない。
現に『暴食』は、声にならない悲鳴を地の裏から叫んでいる。
だが、知恵が回る。その認識も、間違っていなかった。
身体を貫かれた『暴食』は、その身が朽ちる前に周囲のもの全てを喰らい尽くす。
自分が触れていた大地を消失で焼失させた結果、アメリアの足が沈んでいく。
周囲の亀裂から液体と化した無数の『暴食』が湧き出たのは、その直後の事だった。
「しまっ――」
右足が地面へ沈む中で、アメリアは己の置かれている状況を把握する。
一杯食わされたと、思わず眉根が寄る。
自分の足元から襲い掛かる『暴食』は囮。
いや、奇襲が成功するという期待も少しはもっていたかもしれない。
しかし、アメリアは察していた。知恵を持った『暴食』が保険を用意するのは必然だった。
もしも奇襲が失敗に終わったのであれば、自分はアメリアの自由を奪おう。
そして、残った者で確実に仕留めるのだ。
ひとつの意識を無数の肉体に分散させながら、『暴食』は淀みのない連携を行う。
これは全て、彼女を悪意によって絶望の淵へ叩き落す為の準備。自らが愉悦に浸る為、とても大切な事。
大地より吹き出た『暴食』は、自分へ襲い掛かる。
咄嗟に迎撃態勢を取るアメリアだったが、思い通りにはいかない。
『暴食』は彼女には目もくれず、力を使い果たした仲間の元へ向かおうとしているのだd。
「っ! あなたの相手は、こちらです!」
虚を突かれたと同時に、状況の悪さを悟ったアメリアが『羽』から砲撃を放つ。
足を取られたこの数秒。『暴食』にとって、自分は脅威ではない。
自分が最も嫌がる行動をいとも容易く行う様は、まるでビルフレストそのものだった。
何としても標的を自分へ移さなくてはならない。
アメリアは必死なあまり、見落としていた。『暴食』の肉体は、まだその全てを出し尽くしてはいない事に。
「――っ!?」
背後から迫る殺気に、血の気が引いた。
残る『暴食』の肉体が無数の雫となり、アメリアへ襲い掛かっている。
「こっちが本命……!」
今、改めて理解した。
『暴食』は初めから、自分を標的に据えていたと。
『羽・銃撃型』による砲撃も、蒼龍王の神剣による斬撃も全てを撃ち落とせはしない。
沈んだ足では、逃げる事も叶わない。撃ち漏らした漆黒の雫は、僅かではあるがアメリアの身へと触れた。
消失がアメリアの肩先を、大腿を掠める。
まず激痛が走り、ワンテンポ遅れてアメリアの服を赤く染めていく。それでも、彼女は悲鳴を上げなかった。
奥歯が割れそうなほど食い縛り、凛とした表情を決して崩さない。
そうしなければ、この悪意の塊を悦ばせる結果になるだけだと知っているから。
(身体は……。大丈夫、どこも動く……)
『羽』による砲撃を、無作為に放ったのが結果的に救われた。
漆黒の液体は自分の身体を深く抉ってはいない。まだ戦えると、神剣を構えるアメリア。
どこまでも毅然とした姿が、『暴食』には不快で堪らなかった。
完全に虚を突いたというのに、凌いで見せたのだから尚更だ。
しかし、肩を負傷しては今までのように神剣を振るえはしまい。
足を負傷しては、思うように逃げられまい。
戦況は自分優位へと傾いた。畳みかけるならば今だと、肉体の半分は踵を返す。
残る半分は、変わらず力を使い果たした獲物の元へと向かわせる。
勿論、アメリア・フォスターから余裕を奪う為に。