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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
終章 祝福
550/576

505.『愛』

「ファニルさん!」


 張り詰めた声が、乾いた空気を震わせる。

 肌の水分が奪われるような熱気を前に、ファニルは血の気が引いた。

 一瞬。ほんの一瞬。何よりも己の身を案じてしまった事を恥じる。

 炎の翼を纏ったフェリーが接近するだけの時間を与えてしまったのだから。


「もう、こんなコトはやめてよ!」


 妖精王の神弓(リインフォース)による光を浴びた灼神(シャッコウ)霰神(センコウ)は、より強力な力を放つ。

 邪神の右腕から枝分かれするように伸びた腕を払いながら、着実にファニルとの距離を詰めていく。


 自らの悪意を限りなく注いだ、愛する息子の願いを叶える器はずっと反応が芳しくない。

 迷っているのか、肉体の修復を行っているのか。兎も角、不安定な状態ではフェリーの相手を任せるには心許ない。


 しかし、最早ファニルに逃げると言う選択肢は存在しない。

 ビルフレストの味方で居られるのは、もう自分しかいない。

 意を決した彼女は、邪神から迸る悪意をその身に纏い始めた。


 絡みついた悪意はまるで鎖の如く、ファニルの武器であり防具となる。

 フェリーが持つ灼神(シャッコウ)霰神(センコウ)に対抗するが如く、二振りの剣を以て応戦する。

 

「どうして? やめる必要なんてないじゃない!

 私たちがやらなくても、きっと誰かは誰かを傷付ける!

 下らない不幸の連鎖を眺めるだけで溜飲を下げろだなんて、受け入れられるはずがないじゃない!」


 共に底知れずの力がぶつかり、衝撃を生み出す。

 奥歯を噛みしめるフェリーの意図を汲み取り、ユリアンは決して退かない。

 炎の翼が得た推進力の全てを、全身へと注ぎ込んだ。

 

「そんなの! 誰かをキズつけていい理由になんかならないよ!」

「なるのよ! 私は、私こそは! 抗うことも出来ず、大切なものを奪われたのよ!?

 だったら、私には奪う権利がある! 与える権利がある!

 可愛い息子に、愛情を注ぐことの何がおかしいの!?

 偽りの愛情じゃなくて、本物の愛情を与えてあげなきゃ、救われないじゃない!!」


 息子を眼の前で奪われた母親の悲痛な叫び。

 フェリーは彼女の気持ちを、正確な意味で把握できてはいない。

 それでも、ファニルの主張は間違っている。それだけは間違いないと、言い切れる。


「偽りの愛情だなんて……。そんなの、ファニルさんが勝手に決めつけてるだけじゃない!」


 紅の刃はその温度を高める。

 ファニルの言葉を否定するかの如く、身体を圧し込んでいく。


「真実を語ってるだけじゃない! 奴らは他人で、私はたった一人の母親!

 血が繋がっている私の愛情こそが真実で、向こうは偽物よ!」

「違うよ! ビルフレスト(あのひと)を育てた人たちは本当の子供だと思っていたんでしょ!?

 だったら、自分の子供に愛情を注いだ。たったそれだけのコトなんだよ!」


 自分がそうだったからこそ、フェリーは断言する。

 アンダルは。大好きなおじいちゃんは、自分を大切にしてくれた。

 カンナだって、ケントだって、リンだって。家族のように接してくれた。

 血の繋がりなんてなくても、確かな愛情がそこにはあったと。


「それはあなたが、本当の愛情を知らないだけよ!

 親から棄てられたあなたを、お人好したちが同情をしていただけ。

 血の繋がった親に必要とされていないのが、何よりの真実よ!」


 フェリーの動きが、一瞬固まる。

 思い出されるのはクロエとの会話。本当に自分に興味が無かったのだと、よく解ったあの瞬間。

 

「――っ! 違う! そんなの、カンケーないよ!」

(フェリー……)


 ユリアンもまた、その出来事の彼女の内側から把握していた。

 いや、その前から。フェリーが幼少期から秘めていた想いを知っている。

 

 本当の子供であるシンやリンと分け隔てなく接してくれる女性。カンナ・キーランド。

 彼女が居たから、漠然と母親という存在に憧れを抱いていた事を。


 尤も、自分に母親という存在がいない事を不幸だとは思っていなかった。

 幸せだったから、考えようともしなかった。

 

 探してしまったから。知らなくていい事を知ってしまった。

 その行動は確かに、彼女にとっての幸福では無かったかもしれない。

 

 けれど。だからこそフェリー・ハートニアは胸を張って言える。

 自分はこれまでの人生で、多くの人に愛されてきたと。多くの人を心から愛してきたと。


「血が繋がっているかどうかなんて、愛するかどうかにカンケーないよ!

 だって、そうでしょう!? 好きなひとといっしょになって、家族になるんだよ!

 はじめは他人からなんだよ。自分じゃない誰かを愛して、家族が出来ていくんだよ!?」


 血の繋がりが何よりも強い。優先されるというのなら。

 誰かを好きになる気持ちは弱いというのか。

 そんなはずはない。何よりも強いからこそ、より強い絆が生まれるのではないか。


 フェリーは自分を産んだ人間に、愛されなかったかもしれない。

 けど、だからこそ。彼女は誰よりも少しだけ愛情の形を深く知っている。

 彼女の存在理由(アイデンティティ)が、そこに全て詰まっているから。


(フェリー……)


 そして、また一人。

 己が持つ強い愛情によって道を踏み外した人間の心が動かされる。


 彼女の言う通りだった。

 ユリアンは、他人であるイリシャに恋焦がれたからこそ全てが始まった。

 点と点が繋がったからこそ、今がある。ユリアンは改めて、彼女と出逢えた奇跡に思いを馳せる。


 繋がった線は、そう簡単に断ち切れない。

 芸術の国(クンストハレ)で、彼女も同じ気持ちだと知った。


 ずっと、一緒に居られれば良かった。

 けど、それは過ちだった。でも、やるべき事は見えた。


(……ありがとう)

 

 ユリアンは、自分の気持ちを改めて気付かせてくれた少女へ感謝の気持ちを示す。

 自分の愛した女性(ひと)がいるこの世界で、最期にやるべき事が見えた。

 

 ユリアンがある決断を下す一方で、フェリーとファニルの戦いは激しさを増していく。

 身体能力ではフェリーが勝るものの、邪神の本体から発せられる魔力と悪意はその源泉たるファニルへ力を齎す。


「ファニルさんだって、さいしょは好きなひとがいたから!

 だから、もっと大切だと思える子供が生まれたんじゃないの!?」

「――知った風な口を利かないで!」


 フェリーが『愛』を語る度に、ファニルの額に青筋が浮かぶ。

 小娘に説法を解かれる謂れはないと、怒りを露わにした。


「誰かを愛しても、所詮は他人じゃない!

 本当の絆は、血の繋がりでしか生まれないわ!」


 フェリーの語る綺麗事が、耳障りで仕方ない。

 血の繋がりを越えるものなど、存在するはずがない。してはいけない。

 

 そうでなければ、どうして自分の周囲から人が消えていくのか。

 失い、奪われ。精神(こころ)の上で孤独だったファニルにとって『血』は何よりも確かな絆そのものだった。

 

「そんなコトない! あたしはシンが好きだもん!

 シンとの絆がウソだなんて、ゼッタイにないよ!」


 あくまで血の繋がりに拘るファニルと、そんなものは関係無いと声を張り上げるフェリー。

 交わらない主張と裏腹に、幾度となく交わる刃。

 

 その都度に、ファニルはフラストレーションを貯めていく。

 思い通りにならない不満そのものが悪意となり、邪神へと注がれていく。


 そして、その悪意の根源が愛する者。

 ビルフレスト・エステレラは依然として、地上でその悪意を振りまいていた。


 ……*

 

「シン・キーランド。フェリー・ハートニア……」


 周囲を覆う閃光が鳴りを潜めた頃。ビルフレストはその中心を視界に捉えていた。

 空の上で邪神と、自分の母と対峙する者の名を、ビルフレストは口から漏らす。

 

 オリヴィア・フォスターが仲間と共に造り上げた魔法陣は、召喚。いや、転移魔術をこの瞬間の為に改良したものだろう。

 何にせよ、自分達にとって一番厄介で受け入れられない存在が現れた。


 苛立ちが胸の内を掻き立てる。一刻も早く、彼らを消さなくてはならないと本能が告げる。

 全てを破壊し世界を創り直す為にも、こんなところで足踏みはしていられなかった。

 

「余所見をする余裕があるのか!?」

「ないと思われていることの方が、心外だ」


 幾度も刃を交え、その度にイルシオンは傷を増やしていく。

 それでも彼は、決して退かない。シンとフェリーに頼り切りではいけない。

 せめてビルフレストは。この悪意の権化だけは、自分達で止めると気を吐く。


 だが、気合だけで刃が届く相手ではない。

 巧みにヴァレリアやフィアンマとの位置を操られ、思うように攻めきれない。

 アメリアの援護も、魔術の射線を遮る事により封じ込めていた。


 流石に強いと、認めざるを得ない。

 反面、イルシオンはやはり許せない。その力を以て、悪意に身を委ねた事が。


「ビルフレスト! 貴様は本当に、自分に眠る血で……。

 魔族の末裔だという世迷言で、自分の進むべき道を決めたというのか!?」


 紅炎の槍(ファイアランス)を放つイルシオン。

 背後からは、フィアンマが炎の息吹を吐いている。


「結果的に私の中に、魔族の血が宿っているというだけだ。結果は変わらなかっただろう」


 ふたつの炎を難なくいなしながら、ビルフレストはイルシオンの問いに答える。

 確かに、当時は切っ掛けとなったかもしれない。

 けれど、例えファニルから真実を明かされなかったとしても結果は変わらなかっただろう。


 薄気味悪くて仕方が無かったのだ。息子の才覚を自分の手柄のように語る両親の姿が。

 成し遂げるのは自分だというのに、どうして得意げになるのか理解できない。

 偽りの両親だと知ってからは、忌避感が加速した。


 尤も、ビルフレストの認識には誤りがある。

 自分の息子が褒められる様を、親は誇らしいと思う。

 それは決して、自分の功績だと思っているからではない。

 

 ただただ嬉しいのだ。

 自分以外の者に、息子が愛されているような気がして。

 

 ビルフレスト・エステレラは、そんな簡単な事さえ気付かずに居た。

 いや、根本的に愛情というものを理解できていない。するつもりもなかった。

 幼少期から時間をかけて育てた底なしの悪意が、認知を歪めていたから。


 彼はその才覚を、破壊へと費やす。

 周囲は誰もついて来られなかったが、構わない。

 結局のところ、自分と邪神がいればそれでいいのだから。

 

(――いつまで寝ているつもりだ)


 証明するかの如く、ビルフレストは己の左腕へ悪意と魔力を注ぎこむ。

 辿り着く先は山のように聳える邪神本体ではない。邪神の分体である、『暴食』(ベルゼブブ)


 ビルフレスト・エステレラは気付いていた。

 あの程度で、自分の分身が早々くたばるはずはないと。

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