48.後の先
シンが蝕みの世界を使う魔術師を気絶させる、少し前に遡る。
突如現れた暗闇の存在に、当然フェリーも気付いてはいた。
シンが、リタが、レイバーンが黒い外套を着た魔術師と共に闇の中へと消える様を目の当たりにした。
焦りが、動揺が全く無いと言えば、嘘になる。
一刻も早く、あの黒い半球を茜色の刃で斬り裂きたいと思っている。
だが、目の前の男がそれを許さない。
ギランドレの将軍、ガレオン。
増強され、巨大化した腕を惜しげもなく振り回す。
そこに敵味方の区別は無く、破壊衝動に身を任せている姿はまるで子供のようだった。
力に溺れた者の末路ともいえる姿だった。
そんな彼を見て、フェリーは奇妙な感覚に捉われていた。ウェルカ領での記憶が蘇る。
彼女もまた人間が癒着し、取り込まれた姿だった。
突如、魔物に変貌する人間も居た。
程度や結果は違えど、ガレオンも『人間』である事を捨てた。
ウェルカ領では望んでその身を変えた者は居ない。
だが、この男は自らそれを受け入れた。
その覚悟は、決して軽視していいものではなかった。
フェリーには、この男の動きを止める必要がある。
どれだけ強力な力を持っていても、それだけでは自分を殺せない。
それはフェリー自身が一番理解している。
それでも、再生にどれぐらい時間を要するかは判らない。
もっと言えば肉片が飛び散り、それが再生する自分を想像したくもない。
自分はこの男に負ける訳には行かない。
自分の敗北は、妖精族の里が壊滅する事に直結する。
張られた結界が破られれば、妖精族は圧倒的な暴力の前に屈するしかないだろう。
シン達にしても同様だった。ガレオンの手であの半球ごと破壊されれば、一体どうなるか想像も出来ない。
ここで必ず食い止めなくてはならない。
相手はあれだけの質量を力任せにぶつけてくる。
長期戦は考えられなかった。
一撃で仕留めなくてはならない。
そう思うと、フェリーは自然と深呼吸をしていた。
呼吸をガレオンに合わせる。
攻撃の瞬間をガレオンに譲渡する。
自分から攻撃を仕掛けてはいけないと、フェリーの本能が『待った』をかける。
先に動けば、ガレオンの動きに対処できない可能性がある。
ただでさえ、今は自分の間合いではない。ガレオンはいくらでも行動を変える事が出来る。
最悪なのは目の前にいる自分を無視して、妖精族の里を狙われる事だった。
絶対に、先に手を出す事は許されない。
「っ……」
唇が渇く。先刻まで衝動に身を任せていた男が、フェリーに合わせるかのように沈黙をした。
彼もまたフェリーの強い意思と、自らの危険を感じ取っていた。
呼吸により互いの肩が、頭が、僅かに上下する。
何度目かの往復を終えた時、ガレオンは動いた。
「うおおおおおおっ!」
「……!」
力任せに振られた、横薙ぎの一振り。
巨大な刃は空気を切り裂きながら、フェリーの立っていた位置を瞬く間に通り過ぎた。
ガレオンの眼前は、何も残っていない。
邪魔をする者はもう居ない、見晴らしの良い景色。
「ふ……」
ガレオンは勝利を確信した。
自らの力で、あの化物は跡形もなく消えた。
邪魔をする者は、もう居ない。
「ふはははははははは! あーっはっはっは!」
笑いを堪え切れない。
今、この場で最も強い存在に自分は成ったのだ。
そう思うと、笑わずには居られない。
「……もお、ウルサイなあ」
少女の声が聞こえる。
忌々しい、あの不死身の少女。
自分の一振りで、身を散らしたはずの少女の声が。
チリチリと、熱を感じる。
甲冑と、剣と融合したこの身体が、熱を伝える。
「……なんだと!?」
リーチが違いすぎる。自分があの少女に、斬られるはずは無かった。
むしろ、自分が斬ってみせた。いや、消し飛ばして見せた。
ガレオンはそう思っていた。
だが、ガレオンはその感触を覚えてはいない。
自らの兵士を屠った時も、その手応えを感じてはいなかった。
だから、見誤った。
彼女がそこに居る事に、気付いていなかった。
「まずはコレ、なんとかしないと……ねっ!」
フェリーは、そこに居た。
ガレオンが振るった、その巨大な刃。その刀身に。
自らの魔導刃を突き立て、彼の剣に乗っていた。
誤算はタイミングが非常にシビアだったという事と、遠心力により危うく振り落とされそうになった事だった。
心臓が大きく鼓動を打っている。今もまだ、落ち着かせようと必死になっている。
もう二度とこんな事はしないと、フェリーは心に誓った。
だが、目論見通りに事は進んだ。
間合いを詰め、彼の武器を無力化する絶対の好機。
その身に宿された、己の許容を遥かに超える魔力。
それを今、魔導刃を通して解放する。
「ぐ、ぐおおおおおおっ! 離れろ、離れろぉぉぉぉ!」
ガレオンは必死に腕を回り、フェリーを振り落とそうとする。
彼も必死だが、フェリーも必死だった。
落とされる訳には行かない。次のチャンスは恐らく回ってこない。
魔導刃は熱を伝え、鋼鉄の刃は橙色に熱されていく。
ぐにゃりと自重に負け、刃が下に垂れ……やがてそれは根本から折れた。
「まだ、まだぁ……っ!」
短時間の間に多くの血を吸った凶器が、まるで玩具のように破壊される。
この女は幾度、自分が描いた理想の風景を破壊すれば気がするのだろうか。
フェリーに対する憎悪が、ガレオンの身体を動かした。
「っ!?」
ガレオンの腕を伝っていたフェリーを、残った左手で捕まえる。
フェリーは直ぐに狙いを切り替え、彼の親指へと魔導刃を突き刺す。
発せられた高熱が、甲冑と一体化した指を灼く。
しかし、ガレオンにも意地があった。
親指を失いつつも、残る四本の指でフェリーを圧迫する。
ボキボキとフェリーの骨が、容赦なく折れていく。
「かはっ……」
肋骨が折れ、肺に突き刺さる。
呼吸が出来ない。それでも、この手を離す訳には行かない。
握られた茜色の刃は、その輝きを失う事は許されない。
意地のぶつけ合いで、負ける訳には行かない。
「……えっ?」
刹那、フェリーの髪が持ち上がる。空気の塊が、ガレオンの腕に命中していた。
瞬く間に魔導刃と溶け込み、茜色の刃はより強力な火柱となる。
それはガレオンの手首を斬り落とす時間を短縮させ、彼に握られていたフェリーはするりと地面へ落ちていく。
両手を落とされた事により、絶叫するガレオン。
フェリーは肺に溜まった血を吐きながらも、残る腕を再び駆けあがった。
「アナタ……はっ、ここ……までだよっ!!」
三度、魔導刃を彼に突き立てる。
心臓から高熱で灼かれ、身体の機能が失われていく。
やがてガレオンは、その生命を終わらせた。
ウェルカ領の出来事と違うのは、彼はその身を残している。
姿形は変わっていても、彼は「ガレオン」として死んでいった。
それが意味のある事なのかは、フェリーには解らなかった。
「はあっ……。はあっ……」
フェリーは呼吸を整える。折れた骨は徐々に回復をしている。
だが、危なかった。意識が本当に飛ぶかと思った。
あの時、援護が無ければやられていたかもしれない。
あれは知っている。シンの風撃弾だ。
それはつまり、彼が無事だという事。
「げほっ! ……シン!」
まだ呼吸が苦しい中、彼がいた方向を見る。
半球状の暗闇は消えており、シンがいた。リタやレイバーンも、無事のようだ。
「大丈夫か、フェリー?」
「シンこそ。……だいじょぶだったの?」
「ああ、この通りだ」
シンの隣には、黒い外套を羽織った魔術師が気絶をしていた。
見た所、魔術師も大した傷ではなさそうだった。一体何が起きていたのだろうかと、フェリーは首を傾げた。
……*
「これで終わりだな」
レイバーンは腰に手を当てながら、頷いた。
魔術師を拘束し、僅かに残った兵士は既に戦意を失っている。
幸い、妖精族に死傷者は出ていない。完全なる勝利だった。
だが、まだひとつだけ気掛かりがある。
魔術師が蝕みの世界を発動する前に、僅かに感じた殺気。
今はそれを感じ取る事は出来ない。一体、あれはなんだったのか。
(……魔術師が起きた時に、訊くしかないか)
シンは「ふう」と息を一度吐く。警戒を怠るわけには行かないが、戦いは区切りを迎えた。
「……たくさん、死んじゃったんですね」
リタがぽつりと呟いた。
排他的で、他人に無関心な妖精族。リタが生を受けてから他の種族と争ったという記録は、リタの知る限りは存在していなかった。
勿論、妖精族とて魔獣や獣を狩る事はある。だけど、これは違う。
自分の存在が発端となり、多くの命が失われた。その事実に責任を感じる。
そして、自分も相手の兵士を射った。確実に、自分が放った矢で失われた命は存在している。
「リタ」
レイバーンが、リタの頭を優しく撫でた。
優しい声なのに、それがリタには怖かった。
彼は自らの命を差し出し、妖精族の子供を護ろうと魔術師とずっと交戦していた。
レイバーンだけが、その手を血に染めていない。
彼は人を殺めた事が無いと言っていた。
自分は、その一線を越えた。レイバーンがどう思っているのか、判らない。
無論、レイバーンもその心中を察している。
だからこそ、彼女の頭に手を置いた。
「余は、リタが無事で良かったと思うぞ。
リタばかり、辛い思いをさせてすまなかった」
リタの眼から涙が溢れた。レイバーンに拒絶されると思った自分を、恥じた。
彼はずっと真っ直ぐに、自分を想ってくれていた。
「……そうだな」
シンが、ゆっくりとレイバーンに近付く。
この拳は固く握られていた事に、誰も気がついてはいない。
「おお、シン! お主にも礼を言わねばな!」
「そんなものは要らない」
レイバーンは身を屈め、シンに目線を合わせる。
シンにとっては、都合が良かった。
「まあ、そう言わ――」
不意に、レイバーンの顔に強い痛みが走る。
首が回って、景色が変わる。
何が起きたのか理解が間に合わず、レイバーンは目をぱちくりとさせた。
「シン!?」
「な、なにを……」
シンの拳が、レイバーンの顔を捉えていた。
目いっぱい、一切の加減無しに、レイバーンを殴りつけていた。
ふたつ目の怒りを、その相手にぶつけていた。
「ちょっと、シン! なんで……」
流石のフェリーも、シンの行動が理解できなかった。
一体何故、シンがレイバーンを殴る必要があったというのか。
戸惑うフェリーとリタをよそに、シンは続けた。
「レイバーン。お前、言っただろう。
リタを『孤独にしたくない』って」
「えっ?」
一体何の話をしているのか、リタには解らない。
ただ、自然と顔が赤くなっていた。
何故だか、恥ずかしい。
レイバーンはシンの言葉を、その真意を理解した。
自分が自らの居城にて、シンに語った事。
彼もまた、その言葉に共感をしてくれていた。
「……あれは、嘘だったのか?」
本当は解っている。シンも、同じ状況なら命を差し出すかもしれない。
リタを想っての行動だという事は、痛いほどに判っている。
だからこそ、腹が立った。自分を見ているようで、怒りが沸いた。
レイバーンにやった事は、ただの八つ当たりだ。
それでも怒りをぶつけずには居られなかった。
最低だと思いつつも、シンは彼を殴らずには居られなかった。
「シンの言う通りだな」
だが、レイバーンは納得をした。そこにシンに対しての蟠りは無い。
その通りだと思ったからだ。リタの為だと思った行動は、結果的にリタを孤独にするものだった。
考えが足りなかった。フェリーに「ズルっこ」と言われて返す言葉もない。
「リタ、済まなかった。辛い思いをさせてしまったな。許してくれ」
深々と頭を下げるレイバーンの頭を、リタが撫でた。
「……リタ?」
「あ、ごめん。その……なんとなく」
いつも遥か頭上にあるレイバーンの頭が、丁度良かったのでつい手が伸びてしまった。
初めて撫でる彼の頭は、温かかった。
リタはこの温もりが、愛おしいものに感じた。
「私の為にしてくれた事だから、レイバーンは謝らないで。
……私こそ、ごめん」
「む、リタこそ謝る事はない! 余が――」
「ううん。私が――」
「ふふっ」
互いを庇い合うリタとレイバーンの光景を見て、フェリーは自然と笑みが零れた。
「あのふたりは、だいじょぶそうだね」
「……そうだな」
二人のじゃれ合う姿を見て、シンも毒気が抜かれてしまった。
殴ってしまった事も、あの姿を見るとなんだか恥ずかしくなる。
「それにしても、シンってばそんな話してたんだ。へぇ~」
「……なんだよ」
「ううん。べっつにー」
案外、レイバーンの居城でも楽しくやっていたのではないだろうか。
どんな顔をしてシンはレイバーンと話をしていたのだろう。
想像をしてみたら、フェリーも自然と笑みが零れてしまう。
自分もその顔を見てみたい。そう思った。
その時だった。
何かが、フェリーに刺さる。
その先端は、悪意を煮詰めたようなドス黒い色をしていた。
「あ……れ……」
不老不死の少女の身体が、崩れるように倒れ込んだ。




