503.ずっと護ってくれていた
「フェリーちゃん……」
「マジか」
口元へ手を当て、呆然と見上げるイリシャ。
隣では、同じものを見つめていたマレットが眉を顰めていた。
何も彼女達に限った話ではない。
他の者も驚きのあまり、こぞって視線がフェリーへと釘付けとなる。
尤も、一番驚いているのは空を舞う不老不死の少女本人ではあるが。
「飛んでる! ユリアンさん、本当に飛んでるよ!」
(だから言っただろう。私を信じてくれと)
炎によって象られた翼を広げ、大空に浮かぶフェリー。
信じてマナ・フライトから飛び降りたものの、実際に浮くと驚きも感動もひとしおだった。
「でも、ユリアンさん。あたし、鳥さんじゃないんだし……。
空を飛び回ったりできないよ? どうすればいいの?」
ただ、問題が全くないと言えば嘘になる。
当然ながら、フェリーは空を飛んだ経験などない。
浮いたはいいが、そのままならただの的だ。
(心配しなくていい。この翼は、魔術によって形を維持している。
私が空を飛ぶ。君の翼となる。避けるのは任せてくれ。
君は、いつも通り二本の剣で戦ってくれればいい!)
「ん、わかった!」
難しい事は全て自分が受け持ついうユリアンの言葉を、フェリーは迷いなく受け入れた。
今の彼ならば、信じられる。任せられる。無条件の信頼を前にして、ユリアンは胸が熱くなるのを感じとっていた。
(じゃあ、行くよ。フェリー!)
「うん!」
ひとつの身体にふたつの心。今まで交わらなかった心が、互いの手を取り合う。
炎の翼は大きく羽搏き、邪神の持つ障壁へと向かって高度を上げていく。
「次から次へと、私たちを楽しませてくれるように頑張っているのかしら?
そんなことしなくても、壊れてくれるだけでいいのに」
その更に上空では、今までに見た事のない姿を前にしてファニルも驚きはした。
しかし、所詮は無駄な足掻き。余興に過ぎないと一蹴する。
「あたしたちも、ミスリアも! ゼッタイに壊れたりなんかしないよ!」
自分と息子以外の不幸を願う、歪んだ母親。
彼女を止めなくては、邪神はきっと救われない。
まずはファニルを邪神から引き離さなくてはならないと考えたフェリーは、魔導接筒を魔導刃・改へと接続する。
巨大な炎柱となった灼神が、全てを拒絶する魔力の障壁とぶつかる。
「凄い魔力……」
「流石というべきでしょうか……」
リタが、オリヴィアが。或いは、魔力を操る全ての者が。その一撃に慄いていた。
周囲の水分が一瞬で蒸発してしまうと感じるほどの斬撃。灼神が放つ熱気は、地表にまで届いていた。
「く、ぅ……!」
それでも、邪神には届かない。灼熱の刃は魔力の障壁によって阻まれる。
いくら力を込めても、フェリーの腕は障壁より上へは上がらない。
「無駄よ、無駄なのよ。いくら貴女の魔力が凄くても、邪神には勝てないわ」
邪神の肩から、ファニルはフェリーを見降ろしていた。
三日月島とは比べ物にならないほどに注がれた悪意と魔力は、邪神にとって確かな糧となっている。
その差が、見える形で突き付けられている。
「それ……でもっ!」
圧倒的な力を前に、フェリーの腕は押し返されようとしている。
だが、彼女が諦める理由にはなり得ない。必ず突破して見せると、灼神へ魔力を注ぎ続ける。
「しつこいわね。ぼうや、あの娘を撃ち落としてあげなさい。
何なら、一緒の方がいいかもしれないわね。あの二人、仲良しなんだし」
邪神の首筋をそっと撫で、新たな指示を出すファニル。
記憶の片隅にある、暖かな気持ちが読みがる。
彼女もまた、自分の分身を救うべくマギアで戦ってくれていた。
心の内に迷いが生じながらも、堰き止めていた悪意はもう止まらない。
邪神の指先から、無数の黒い閃光が放たれる。フェリーへ向かったそれは、シンよりもずっと近くにある。
「フェリー!」
閃光を躱しながら、シンが彼女の身を案じる。
だが、迂闊に近付く事すら出来ない。盾になる事すら出来ない。
無力感から奥歯を噛みしめるシンに、フェリーの元気な声が鼓膜を揺らした。
「あたしはだいじょぶ!」
シンを安心させるべく発した言葉に、嘘はない。
現にフェリーは、至近距離からでも黒い閃光を躱して見せていた。
彼女の背中から広がる炎の翼が、鳥のように大空を駆け回る。
「ユリアンさん、ありがとう」
礼が表す通りに、フェリーは自分では殆ど何もしていない。
ユリアンが彼女の内側から、炎と風の魔術を巧みに操り身体を動かしている。
(感謝をするなら、アンダルにだ。彼が得意とする炎と風の魔術が、『魂』を通じて私の中に残っている。
今、君を護っているのは君の大好きなおじいちゃんだ)
「おじいちゃんが……」
アンダルの名を聞いて、フェリーは感極まる。
大好きだったおじいちゃん。いつも優しくて、色んな事を教えてくれた。
『命』の尊さを誰よりも大切にしていたおじいちゃんが、自分を護ってくれている。
緊迫した状況にも関わらず、涙を浮かべずにいられない。
思えば、自分の魔力が炎を形成するのもアンダルの『魂』が由来なのかもしれない。
いつも傍に居てくれた。護ってくれていたのだと、今更ながらに気が付いた。
天国に居るアンダルへ届けと祈りながら、フェリーは「ありがとう」と呟いた。
「ちょこまかと、本当に!」
一方で、攻撃が当たらない事に苛立ちを覚えたファニルが親指の爪を噛みしめる。
シンといいフェリーといい、こうも逃げられ続けては面白くない。
邪神へどう命令を下すべきかと逡巡したその隙を、シン・キーランドは見逃さなかった。
「――今だッ!!」
黒い閃光による攻撃が途切れる。ファニルの思考も、一瞬のタイムラグが生まれる。
その隙間を潜るかのように、シンは操縦桿を傾ける。
魔導石から風の逆噴射で高度と姿勢を維持しつつ、マナ・フライトの中心から重心が露わになる。
「――何をする気!?」
その瞬間。ファニルは我に返った。
思考の隙間で生まれたロスを埋めるべく、邪神の両腕をシンへと向けさせる。
彼は姿勢を保とうとしている。つまり、逃げられない。
油断から生まれた唯一無二の好機を生かすべく、黒い閃光が放たれた。
「ダメっ!」
だが、閃光はシンへと届かない。
伸びるように放たれた氷が、閃光を受け止めている。
「おじいちゃん、シンも護って……!」
それは祈るように行われた動作だった。
フェリーは咄嗟に魔導刃・改から魔導接筒を引き抜く。
刃を形成したままもう一度接続をすれば、矢の如く刃が放たれる事は空白の島で実証している。
あの時は灼神で行ったが、今回は霰神で同じ状況を引き起こす。
結果。大気中に生まれた巨大な氷の柱が、邪神の閃光をシンから護っていた。
「フェリー・ハートニア……!」
ファニルは思い知らされた。やはり、この少女は厄介なのだと改めて認識をする。
この攻防で彼女がシンへ与えたのは、時間にして数秒に過ぎない。
だが、その数秒は状況を一変させるには十分すぎる時間だった。
「ピース、行くよ」
「勿論!」
シンがマナ・フライトから砲身を剥きだしにした瞬間。
地上では、二人の魔術師が自らの役目を全うするべく動いていた。
「頼むぜ、二人とも」
ここから先は自分でも干渉できないと、マレットが同行を見守る。
テランとピースの二人には、極めて精密かつ、多くの魔力を要求される。
彼らが為さなくてはならない仕事とは、マナ・フライトに取り付けられた『羽』を操る事に在った。
「なにをするつもり!?」
砕けた氷の向こう側で起きている光景に、ファニルは訝しむ。
到底、自分の常識では理解できない現象が起きているからだ。
マナ・フライトの展開した両翼が。装甲が。一枚一枚剥がれていく。
それら全てが『羽』であり、魔導羽砲を放つ為の砲身となる。
先端を覆うように接続された『羽』は、そのまま砲身を回転させていく。
シンは姿勢を維持したまま。魔導砲を魔導羽砲と連結させる。
弾倉と直結した砲身は、回転する『羽』によって周囲の魔力を吸着していく。
フェリーが大気中に魔力を放出している事もあって、充填は瞬く間に完了をした。
「――行くぞ」
シンが引鉄を引いた瞬間。真っ白な光が、周囲に居る者全ての視界を奪った。
魔導羽砲の砲身は溶け、制御不能となった『羽』はボロボロと崩れ落ちる。
放った弾丸はどうなったのかと、視力が戻らないままにシンは天空を見上げた。
「――ア、アァァ」
視力が完全に戻るよりも早く、邪神の漏らした声によりシンはその結果を知る事となる。
魔導羽砲は、間違いなく邪神の障壁を撃ち抜いている。
「……なんてこと」
邪神の身に起きた惨状を最も早く認知したのは、間近にいたファニルだった。
彼女は魔導羽砲が引き起す強い衝撃を前に、邪神の身体へとしがみついていた。
故に、目が霞みながらも状況が容易に解る。
正気を突き破った光は、邪神の左腕から肩までを消滅させていた。
自分に直撃していたらと思うと、背筋が凍った。
同時に、ボロボロと『羽』が落ちる音に安堵もした。
二度は撃てないのだと、証明されたのだから。
ならば、ここは一度障壁を張り直して回復に務めなくてはならない。
ビルフレストへ敵が集中しないよう、適度に相手をしながらというのは難しいかもしれない。
けれど、自分と邪神なら出来る。やらなくてはならない。
「フェリー! ユリアン! 頼む!」
「うん!」
(任せろ)
だが、その通りにさせてくれる人間が相手ではなかった。
シンの声と同時に、ユリアンは炎の翼を用いて上昇した。
(フェリー!)
彼女の身体が突き破られた障壁に触れた瞬間。
フェリーは再び魔導接筒を灼神へ繋ぎ変え、灼熱の大剣を造り出した。
「いっけえええええええ!」
魔導羽砲が開けた障壁に刃を滑り込ませ、炎を走らせる。
大穴の開いた障壁に炎が走り、修復より先に燃え尽きていく。
フェリーはただ我武者羅な行動だったが、シンとユリアンにはある程度この可能性は予測していた。
邪神の能力でもなく、一方的な攻撃を可能とする障壁。それはつまり、内側からの干渉に弱いのではないかと。
結果、その予測は当たっていた。
邪神を護っていた障壁は消え、悪意の器への道が拓ける。
「今、行くぞ」
シンは装甲の剥がれたマナ・フライトを上昇させ、邪神の顔と同じ高度にまで上がる。
その時だった。邪神が縋るような表情を見せたのを、シンはまだ僅かに霞む眼で捉える。
邪神は。純白の子供は、まだ救える。
彼が確信を得た瞬間でもあった。