500.求められし者
『暴食』との激闘が繰り広げられる中。
一足先に邪神と相対しているリタ達は、攻めあぐねていた。
邪神すらも救いたいというシンの願いを慮っているというのは簡単だが、素直にそうだと頷けない。
気を遣っている余裕などありはしないというのが、実状だ。
「妖精王の神弓、お願いっ!」
渾身の祈りを込めて放たれる、光の矢。
天へと昇るはずだった一筋の光は、道半ばで強い衝撃と共に消えてしまう。
「また……!」
打ち消された光の矢を、リタは呆然と眺める。
言葉通り「また」なのだ。巨大な障壁が、あらゆる攻撃を受け止めている。
決して邪神へは届かない、絶対防御。
「下からが無理でも……!」
打ち上げるように放たれた攻撃を受け止めても、側面からならば。
そう考えたピースの『羽・強襲型』は、放たれた魔力の波動を泳ぐようにして突き進む。
だが、結果は変わらない。
邪神の誇る障壁は、翠色の刃を難なく受け止めた。
「無駄よ。何をしても、無駄なのよ。
私のかわいい坊やにそんな攻撃が届くはずないじゃない」
「偉そうに何を! 肩の上で眺めているだけの傍観者が!」
「あら、おじいさんたら。それが現実じゃない。八つ当たりは止めて欲しいものね」
ファニルは邪神の肩で、くすくすと妖艶な笑みを浮かべる。
彼女は邪神が顕現してからというものの、一歩も動いてはいない。
その現実が、力量の差をはっきりと突き付けるものとなった。
こちらの攻撃は障壁に阻まれ、向こうの攻撃は一方的に届く。
絶望的な状況であるにも関わらず、オリヴィアはその事実に違和感を覚えていた。
「アルマ様。邪神って元々、身を護るように創られたんですか?」
「それは、どういう意味だ?」
違和感を解消するべくアルマへと尋ねるオリヴィアだったが、肝心のアルマが質問の意図を理解していない。
振り下ろされる拳から懸命に逃げながら、オリヴィアは細かく問い直す。
「えっと、世界再生の民にとって邪神が切り札なのは解ってます。
だから、決して斃されないように防御を固める想定がされていたのかどうかが知りたいんです」
というのも、肩に乗るファニルからはそんな意思が感じられないからだ。
彼女は愛する息子の為に、ただ邪魔となる存在の破壊を命じている。
ならば、この障壁は邪神の意思によって発せられているのではないかと仮定した。
「いや……。ビルフレストやマーカスが裏で動いていれば解らないが……。
少なくとも、僕は破壊の化身として創られたと認識している」
「ふむ」
アルマの回答と現状を元に、オリヴィアが突破口を探り始める。
魔力を温存しないといけない以上、自分が役立てるのは頭を回す事だけだった。
「オリヴィア、何か心当たりがあるのかい?」
「心当たりというか、腑に落ちないんですよね」
ストルの問いに対して、オリヴィアは顎へ手を当てながらそう答えた。
初めはファニルに何度促されても、邪神は攻撃を抵抗をしていた。そして、全ての攻撃を受け止める障壁。
確証はないが、ふたつの事実からひとつの仮説が導き出される。
邪神はまだ、悪意に抗っている。純白の子供である部分が残っているのではないか。
破壊の化身であるならば、本能のままに暴れれば良いだけだ。
事実、ファニルやビルフレストはそれを望んでいるだろう。
分体の持つ能力からも、そんな思想が垣間見える。
だが、邪神は決してそれをしようとはしない。
それどころか、自分の身を護る事に力を割いていた。
まるで本心では争いを拒んでいるかのように。
「邪神はきっと、まだ躊躇ってます。
この障壁は自分や肩のオバサンを護ってるわけじゃない。そんな気がするんです」
「でも、こっちの攻撃が届かないことには変わりないよ!」
「はい。どちらにしろわたしたちは、あの障壁を突破しなくては始まりません」
まだ救える。希望は潰えていないと安堵する一方で、こうも考える。
この障壁が即興で造られた物であるのならば、突破する事は決して不可能ではないと。
(早く、早く来てくださいよ)
そして、その手札は存在している。
もどかしい思いを抱えながら、オリヴィアはただひたすらに来るべき合図を待ち構えていた。
「オリヴィアちゃん。ここは私たちが何とか耐えるから。
ストルと一緒に、準備だけしておいて!」
「リタ様、しかし!」
「これは女王からの命令!」
逡巡するストルを、リタが一喝する。
彼女同様、ストルは可能な限り魔力を温存しなくてはならない。
リタやレイバーンに護られながら、二人は徐々に邪神から離れていく。
「あの娘。皆に護られているし、やたら目立っているし。
いいわね、貴族って。本当に好き勝手出来るんだもの。
私じゃ、絶対にあんなことできなかったわ。本当に、腹立たしい……」
オリヴィアの行動を見下ろしながら、ファニルは嫉妬と憤怒の感情が色濃くなっていく。
自分があんな風に、自由に振舞えたのなら。きっと息子へ惜しみなく愛情を注げたというのに。
だからこそ、壊したかった。エステレラ家と同じ、五大貴族を。
戦う気がないのなら、尚更だ。ここで肉塊と成り果てて、自分と息子の糧になるべきだ。
様々な感情を入り混じらせながら、ファニルは矛先をオリヴィアへと向ける。
「ねえ、あの青髪の娘。さっき殺しそこねちゃったでしょ?
今度こそ、やってしまいましょう。大丈夫、上手くできたらきちんと褒めてあげるから」
邪神の首筋を、ファニルが指の腹でなぞっていく。
悪意によって覆われたその奥に込められた感情は、歪んだ愛情。
困惑しながらも、拒めない。自分は悪意を集める器だから。
何より、欲している愛情も確かにそこにあるから。
本当は壊す事が正しいのではないか。
次第に邪神の心の内が、闇へと染まっていく。
指先から放たれるは、黒い閃光。
「みんな、避けて!」
まずい。
リタがそう直感した時には、既に閃光は大地の上を走っていた。
ワンテンポ遅れて巻き起こる魔力による爆発の波が、地形そのものを巻き込んで破壊していく。
「マジかよ……!」
『羽』による板に乗り回避を試みるピースだが、爆発による影響は免れない。
制御不能となった『羽』は、各々が別の方向へと流され少年を大地へと叩き落した。
「これは、そう耐えられそうにないね……」
「すまない、テラン」
テランは咄嗟に放った影縫でアルマを連れて邪神から距離を置く。
破片というにはあまりにも大きな土塊を義手で防ぎながら、聳え立つ脅威に慄いていた。
「じいや! ぐっ!」
至近距離に居たオルガルとオルテール。更にリタとレイバーンに至っては、回避が間に合わない。
宝岩王の神槍による重力操作で閃光そのものの軌道を変えたはいいが、オルガルは身が焼かれる程の激痛を身体中へと走らせた。
「じいや、無事かい? つぅ……」
「若こそ、しっかりしてくだされ!」
「はは、なんとか生きてるって感じかな……」
オルテールに心配をかけまいと痩せ我慢をするオルガル。
尤も。宝岩王の神槍の穂先が触れたのは偶然なのだ。そうでなければきっと、命は無かっただろう。
「リタ、余の背中に!」
「レイバーン!?」
そしてリタとレイバーンはというと。
爆発からリタを護るべく、レイバーンが彼女の盾となる。
リタは咄嗟の出来事で判断が遅れてしまう。
いくら前へ出ようとしても、もう間に合わない。リタには祈る事しか出来なくなってしまった。
「鬼武王の神爪! リタを護ってくれ!」
ただ、レイバーンも無策で邪神の攻撃を受けとめるつもりはない。
鬼武王の神爪が放つ斥力を以て、全力で爆発の影響を喰らい留めていた。
巨体に打ち付けられる瓦礫が、爆発の余韻が彼の身を裂いていく。
それでも、レイバーンは愛する者を護りきった。
「っ。本当に、下らない……」
思い通りに進まないと、ファニルは舌打ちをする。
程度の違いはあれど、まだ邪神の攻撃で誰も命を落としてはいないではないか。
せめてあの青髪の少女だけでもと、ファニルは視線をオリヴィアへと移した。
ただ、彼女がそこで見たのは俄かには信じられない光景だった。
……*
黒い閃光が眼前の景色を反転させる。幸い、攻撃の軌道は逸れ、直撃は免れた。
だが、爆発による影響が避けられないのはオリヴィアとストルも同様だった。
「くそ!」
巻き上がる土塊も、精霊魔術で無理矢理に魔造巨兵へ変えてしまえば被害は抑えられる。
魔力の消耗は避けられないが、その手段を採るべきだ。
ストルがそう判断を下そうとした瞬間。オリヴィアの表情が、変わった事に気が付いた。
「来た……!」
目の色が輝いているのは、明らかだった。理由は、ストルも知っている。
杖の柄に取り付けていた、一枚の板が淡く輝いているからだ。
(コーネリアさん。魔導石、使わせてもらいます)
オリヴィアはストルと顔を見合わせ、互いに頷く。
ここから先に、言葉は不要だった。
(爆発の影響を考えると、読み上げている時間はない。詠唱は、全部破棄!
ストル、しっかりと魔法陣を組み上げてくださいよ!)
コーネリアの遺した魔導石から、魔力が迸る。
膨大な魔力を、脳内で組み立てた術式の中へと溶かしこんでいく。
オリヴィアが描くは、巨大な円。それはこれまでの縁を繋ぐ為の、第一歩。
(また、予定と違うことを……)
ストルは頭の中で毒づきながらも、魔力の残滓へと手を伸ばす。
オリヴィアが描いた円は、魔力が込められている。
この魔力の中には、彼女が脳内で組み上げた術式が溶け込んでいた。
本来ならばこの動作は、詠唱と行うはずだった。紡がれた言葉を頼りに、ストルが魔法陣としての体裁を作っていく。
だが、状況の緊急性からオリヴィアは詠唱そのものを省略。
術式を融かした魔力を宙へと描いている。だから、ストルも己の記憶を頼りに魔法陣を完成させなくてはならない。
(出来る。オリヴィアは詠唱を破棄したのは、私を信頼しているからだ)
苦手なアドリブを要求されているにも関わらず、ストルは落ち着いていた。
彼女の手癖を知っている。これまで幾度も、一緒に魔術を組み上げるべき研鑽してきたのだから。
畏れる事はない。いつも通り、彼女の魔術の癖を読み取ってやればいい。
妖精族の指は筆となり、魔法陣の中で縁が紡がれていく。
ふと、オリヴィアの口元が緩んだ。釣られて、ストルの口元も緩む。
正しく魔法陣が描かれた証だった。
「さあ、遅刻ですよ。来てください!」
次の瞬間。オリヴィアとストルに強い脱力感が襲い掛かる。
コーネリアの魔導石とストル。
加えて、オリヴィアが僅かに残していた魔力さえも急激に魔法陣へ吸い取られていく。
それは、魔法陣が正しく機能している事の証明。
そして、マレットの想定した「一番あり得る可能性」が現実のものとなった証明。
黒い閃光と対を為すような激しい光は、転移魔術による光だった。
即興で造られたのはそれは、転移元を指定していない。言うなれば、『扉』とも呼ぶべき魔術。
現れたのは、誰もが必ず来ると信じていた者だった。
「ふはは、漸く来たか」
魔獣族の王が、口元を緩める。
「ホント、待ち侘びたよ」
ふたつの人影に、リタは安堵した。
「フン、どれだけ遅れれば気が済むのだ」
「絶対に来るって思ってただろうに」
鼻息を荒くするオルテールと、肩を竦めるオルガル。
「君はやはり光なんだね」
「どうしたいか……」
自分の目に狂いは無かったと笑みを浮かべるテラン。
彼が遺した言葉を、反芻するアルマ。
「はは。みんなやってくれるよ、本当に」
前世で自分もこんな風に生きられていればと、ピースは胸に熱いものが込み上げてくる。
「あなた」
「ああ。何も疑ってはいなかったがな」
カタラクト島での事を思い出し豪快に笑って見せるカナロアと、慎ましい笑顔を見せるセルン。
「ワシとベルの最高傑作のお出ましだな」
自分を覆う巨大な影に、ギルレッグは期待で胸を膨らませる。
「あいつら……」
「そうか、また……」
嬉しさが込み上げる反面、彼らを見るとどうしても立ち上がらなくてはならない。
ヴァレリアとフィアンマは、傷付きながらも身体を起こす。
「来てくれたのか!」
過ちを犯しかけた自分を救ってくれた者の姿に、イルシオンは歓喜の声を上げた。
恥ずかしい姿は見せられないと、自然と力が漲ってくる。
「現れたのか……!」
一方で、イルシオンと対面するビルフレストは忌々しく感じ取った。
あの男は危険だ。一刻も早く、消さねばならないと本能が訴える。
皆が皆、光の向こうから現れた影に気を取られていた。
はっきりと姿が見えなくても、誰が現れたのか解っている。
「……シンさん。フェリーさん」
何も持たない。でも、皆を紡いで来た青年。
自責の念に苛まれ、それでも一生懸命に生きようとした少女。
人生の中で、出逢えた事が最も幸運だと思えた二人の男女。
彼らの名をアメリアは呟いた。
「みんな!」
「悪い、遅くなった」
シン・キーランドが、フェリー・ハートニアが。
最後の決着をつけるべく、魔術大国ミスリアへと舞い降りた。