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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
終章 祝福
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497.抗いし者たち

 悪意の塊は、振り上げた拳を未だ下ろさない。

 多くの人間が肉塊に代わる様を求めているファニルにとって、それはつまらないものだった。


「どうしたの? お腹が空いて堪らないでしょう?

 いいのよ、全て食べ(こわし)ちゃって頂戴。これは生まれて来た貴方への、お祝いなのだから」


 耳元で囁く声は、邪神を悪意へと誘う。

 抗う必要はない。抱いている素直な欲求に従うべきだという、甘い言葉。


「心配しなくてもいいわ。人間(おかわり)はいーっぱいいるもの。

 少しぐらいつまみ食いしたって、無くなったりしないから」


 ファニルの感情が。人間への憎しみが邪神の中へと流れ込む。

 そっと触れる手はほのかな温もりとは裏腹に悪意に満ちていた。


「ウ、ウゥ……」


 必死に抗う邪神が思い浮かべるのは、ある青年の姿。

 ファニルのものとはまるで違う。力強い抱擁。邪神が真に求めて止まないもの。

 解っている。この手を振り下ろせば、あの温もりから遠ざかると。


 しかし、注ぎ込まれている多くの悪意がそれを許さない。

 自分は全てを破壊し、恨みを晴らすべく生まれた願望の器。

 代行者として生まれた使命の前に、やがて堰き止めていたものが溢れ出る。


「――――!!!」


 声にならない雄叫びを上げ、邪神は地団駄を踏む。

 亀裂の刻まれた地表が波打ち、逃げ場を奪う。


「くそっ!」

「無茶苦茶じゃないか!」


 大地に挟まれそうなところを、影縫(シャドウシャックル)で抜け出すテラン。

 『(フェザー)』に乗り、影響の出ない高さまで逃げるピース。

 各々に出来る手段で回避を試みる中。オリヴィアはその場を動けないでいた。


(正真正銘、これが最後の魔力。こんなことに使うわけには……)


 右手に握り締めた魔導石(マナ・ドライヴ)。その輝きは、コーネリア・リィンカーウェルのもの。

 彼女の残滓を託されたオリヴィアにとって、その意味はとても大きい。

 

 勝つために魔力を使用した先刻とは違う。

 本当の勝利を得る為だからこそ、彼女にとって最後の魔力を消費する訳にはいかなかった。


「疲れ果てちゃったのかしら? ねえ、まずはあの娘でいいんじゃないかしら。

 若くて可愛いから、きっと気持ちよくなれるわ」


 しかし、解き放たれた悪意にとって彼女の事情は関係がない。

 耳元で囁くファニルに従うがまま。邪神は振り上げていた拳を、オリヴィアへと振り下ろす。


影縫(シャドウシャックル)!」

「くそっ! これじゃ、近付けない!」


 咄嗟に影縫(シャドウシャックル)で回収を試みるテランだが、悪意による拳は脆弱な魔術を弾けさせる。

 同時に生み出す魔力による気流が、『(フェザー)』の上に立つピースの挙動を著しく不安定にした。


「オリヴィア!」


 だからと言って、仲間を。オリヴィアを諦める理由にはならない。

 割れた大地を幾重にも重ね、オリヴィアを護る土塊の盾を生み出そうとするストル。


「頼む! オリヴィアを……!」


 歯を食い縛りながら、血潮と共に魔力を巡らせる。

 奥歯の割れる音がした。剥き出しの神経から、激痛が走る。


 だが、彼はそんな些細な事には動じない。

 自分の魔術が形となって、オリヴィアを護る。ただそれだけを求めて、土塊を操り続けた。


「その程度の魔術で、この子を止められるはずがないじゃない」


 ファニルは無駄な足掻きだと、邪神の肩で嘲笑をする。

 一方で、そこまで必死に護りたい女の命を奪った時。どれだけの絶望が生み出されるのかには興味があった。

 理不尽に大切な者を失った時こそ、ヒトはどうしても悪意を抱かざるを得ないと知っているから。


(いけない。例えわたしがここで死んでも、可能性をゼロには出来ない)


 一方で、オリヴィアは迫りくる拳を冷静に見上げていた。

 コーネリアの魔力を遣えば、この一撃は凌げるかもしれない。だが、それだけだ。

 その先に在るものを求める為には、必ずこの魔力が必要となる。


 何も術式は自分独りで組み上げた訳ではない。

 ストルが居る。彼になら託せる。何も心配はいらないと、オリヴィアは腹を括った。


 ……*

 

「オリヴィア!」


 邪神の拳が落とされる様子を、アメリアもまた視界に捉えていた。

 本気で撃ちこまれた拳なのか、まだ本能に抗っているかだなんて、どうだっていい。

 単純な質量で潰されてしまうのは、一目瞭然だった。


 テランやストルの魔術は、拳が生み出す魔力の衝撃によってかき消されてしまっている。

 威力に慄く一方で、蒼龍王の神剣(アクアレイジア)ならば防げるかもしれない。

 

 妹を救うべく動きだしたアメリア。

 そんな彼女の前に立ちふさがるのは、やはり悪意が生み出した怪物だった。


「アヒ」


 自分はまだ遊び足りない。もっと付き合って欲しいと訴える『暴食』(ベルゼブブ)

 幾度となく蒼龍王の神剣(アクアレイジア)に防がれた左腕には、無数の切り傷が刻まれている。

 

「どいてください!」


 まだ立ち塞がるのかと、アメリアは焦燥感を露わにした。

 『暴食』(ベルゼブブ)の持つ消失(バニッシュ)は、蒼龍王の神剣(アクアレイジア)によって防がれている。

 

 尤も。その左腕を破壊するまでには至らない。

 邪神の力を断つ神剣と全てを呑み込む悪意の左手の力は共に反発をし、双方の肉体に傷をつけていく。


「アァアアァァアア……!」


 解っていた事ではあるが、アメリアの言葉は『暴食』(ベルゼブブ)へは届かない。

 既に悪意に染まり切った肉体は、今もなお適合者から淀みなく悪意と魔力が注ぎ込まれている。


「――っ!」


 迫りくる『暴食』(ベルゼブブ)消失(バニッシュ)を、蒼龍王の神剣(アクアレイジア)が拒絶した。

 生まれた衝撃がアメリアを仰け反らせる。


 『暴食』(ベルゼブブ)はまだ倒れていない、追撃で喰われる訳にはいかない。

 直ぐに身体を起こし、もう一度繰り出される左手を神剣で受け止めた。

 

 それは同時に、アメリアの動きが止まった事を意味する。

 彼女が振り下ろされる邪神の拳を止める術は、失われた。


「オリヴィア――」


 咄嗟に肩から『羽・銃撃型』(ガン・フェザー)を放ち、魔力による砲撃を放つ。

 最後の抵抗だったが、テランやストルが行った結果と変わりはない。

 拳が生み出す魔力に掻き消され、邪神へ届く事は無かった。


「さあ、最初のごちそうよ。たーんと召し上がれ!」


 邪神の肩で高らかにファニルが宣言をする。

 愉悦を確信した彼女の表情が醜く歪んだのは、直後の事だった。


 持ち上げられた無数の砂が、オリヴィアの頭上を覆い尽くす。

 重力の向きを変えられた砂粒はいくら魔力よる波動で散らされても、瞬く間に元の位置へと返っていく。


「これって……」


 今まで感じていた圧迫感。悪意による影とは、全く異なる影。

 目を丸くするオリヴィアだったが、盾としては役に立たない。あくまで日傘程度のもの。

 この瞬間までは、そう思っていた。

 

「ぬおおおおおお!」

「レイバーンさん!?」


 間髪入れずに砂粒の間へ潜り込むのは、魔獣族の王(レイバーン)

 ありったけの祈りを込め、獣魔王の神爪(レイシングスラスト)は引力により砂粒を押し固めていく。


「今だ、リタ!」

「任せて!」


 レイバーンの叫びと共に、妖精王の神弓(リインフォース)から光の矢が放たれる。

 愛と豊穣の(レフライア)神の祈りは愛する者を護る為、他の神と手を取り合う。


 宝岩王の神槍(オレラリア)によって放たれた砂粒は、獣魔王の神爪(レイシングスラスト)によって繋ぎ合わされた。

 出来上がった砂の幕を、妖精王の神弓(リインフォース)は何倍にも力を増幅させた。大切な仲間を護るという、リタの祈りを叶えるが如く。


「リタさん……。みなさんも!」

 

 神々の力によって造られた盾は、邪神の振り下ろす拳を受け止める。

 目まぐるしく変わる状況に、息を呑むオリヴィア。

 その一瞬を見計らって、レイバーンは彼女を連れて邪神から距離を取った。

 

 レイバーンに抱えられながら、オリヴィアは目を丸くしていた。

 『強欲』の男がどれだけの進化を遂げていたのか。ボロボロとなった彼らの様相で、十分に伝わってきたからだ。


「みなさん、ボロボロですね」

「それはお互い様であろう」

「返す言葉もありません」


 自分を抱えるレイバーンと顔を見合わせ、苦笑するオリヴィア。

 確かに傷だらけだが、クスタリム渓谷へ行ったレイバーンを含めた皆がいる。

 誰一人欠けていないという状況に、彼女は安堵した。まだ希望は繋がっているのだと。


 ……*

 

「オリヴィア……。よかった……」


 リタ達の到着により、オリヴィアは難を逃れた。

 胸を撫でおろすと同時に、アメリアの不安がひとつ取り除かれる。

 妹は頼りになる仲間へ任せ、自らは神剣の刃を『暴食』(ベルゼブブ)の喉元へと突き付ける。


「あなたはここで、私が止めます」


 抗っている邪神とは違い、『暴食』(ベルゼブブ)は好き好んで喰らい尽くそうとしている。

 遠慮や同情はあれど、容赦はしない。アメリアの決意が、悪意を斬り裂いていく。


「――ッ!?!?」


 一瞬の出来事に、『暴食』(ベルゼブブ)は理解が追い付かない。

 力は競っていると思っていた。油断をしていた訳でもない。

 それでも切っ先が触れるまで、『暴食』(ベルゼブブ)は完治できなかった。


 裂かれた喉から空気が漏れる。

 粘土をこねるかのように喉元を抑えつけるが、傷口は塞がらない。


 この時。『暴食』(ベルゼブブ)は初めて意識をした。

 自分は喰う側ではなく、喰われる側である可能性に。


「――――!!」


 笑みは消え、代わりに両の肩が持ち上がる。

 たかが人間一人に、神の化身である自分が敗けるはずはない。

 必ずこの女を喰らい尽くすと、『暴食』(ベルゼブブ)は漆黒の左腕を構えていた。

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