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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第一部:第五章 妖精と魔族と
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47.蝕みの世界

「なに、あれ……」


 目の前に広がる異様な光景を前に、思わずイリシャが呟いた。


 将軍を名乗っていた居丈高な男は巨人とも、魔造巨兵(ゴーレム)とも見間違うような風貌に変質している。

 巨大な刃と一体化した右腕は、一振りであらゆる物を肉塊に変えてしまうだろう。

 事実、先刻まで群がっていた彼の部下は、既にその大半を失っている。


 ある者は肉塊となり、またある者は縦に横に真っ二つと、()()()死ぬ事が出来た者はまだいい。

 きっと苦しむ時間は無かったのだろうから。


 悲惨なのは、()()()生き残ってしまった者たち。

 手を、足を、四肢を捥がれてどうする事も出来なくなった者。

 流れ出る赤い液体が、命の残り時間を否が応でも報せてくる。

 必ず訪れる『死』に怯え、拒絶する事も叶わない。

 ただ無情に、『死』を実感する事だけを強要されていた。


 いくら不老不死の魔女であっても、あのひと振りをまともに喰らえば弾け飛んでしまうだろう。

 尤も、それでフェリーに『死』が訪れるとは到底考えられない。

 それぐらいで事が済むのであれば、きっとシンはとっくの昔に彼女を殺している。


 そのシンはリタと共にレイバーンの元へ合流を果たし、魔術師と戦闘を繰り広げていた。

 遠目に見ても誰かが倒れたという風には見えなったのだが、どうやらあちらも様子がおかしい。


 突如現れた半球状の暗闇に、彼らは揃って捕らわれている。

 純然たる黒。絶対的な闇。ストルが張っている妖精族(エルフ)の里にある結界とは明らかに質が違う。

 一体何が起きたのか、その中で何が起きようとしているのか、イリシャには想像もつかなかった。


 だが、彼女は()()()()()

 

 シン・キーランドはここで命を落とす事はない。

 そして、フェリー・ハートニアもまた同様にここが彼女の終着点ではない事を。

 

 今となっては、それがイリシャにとって心の拠り所となっていた。

 願わくば、全員が無事である事を祈らずには居られなかった。


 ……*


「これって……」


 暗黒に覆われた世界で、リタは思わず呟いた。

 黒、闇、無。そんな表現しか思いつかないこの空間が、否が応にも気持ちを沈ませる。

 

「リタ、無事か!?」

「レイバーン! 私は大丈夫だよ」


 レイバーンの声が聞こえ、リタはひとまず安心をする。

 大丈夫、声は聴こえる。

 

「そうか、それは良かった」

「わっ!」


 蝕みの世界ダークネス・イクリプスの発動時、傍にいたレイバーンがその記憶を頼りにリタを抱きかかえる。

 暗闇の中で不意に起きた事に対して思わず声が漏れたが、分厚い胸板と獣の毛から彼がレイバーンだと確信は持てた。


「シンは居るのだろうか?」

「一緒に入ってるとは思うんだけど……」


 魔術の発動時、シンだけが二人と離れていた。

 彼の反応が無い事には、状況が判らない。


「匂いは……判らぬな」


 空間の効果だろうか。人狼であるレイバーンの鼻は何も捉えない。

 触覚と、聴覚がきちんと働いているだけまだ救いがあるとさえ思った。

 そうでもなければ、気が狂いそうになる。


 リタは妖精王の神弓(リインフォース)に魔力を灯し、光の矢を生成する。

 自分を抱きかかえているのが間違いなくレイバーンである事に、一先ずは安堵した。

 強いて言えば、顔が近すぎて驚いてしまったぐらいだった。

 

 だが、どこまでも広がる暗黒の世界まで照らす事は出来なかった。


 レイバーンから「位置を知らせるだけになる」と言われたので、リタは言われるがままに光の矢を消した。

 確かに、奥まで照らせないのであれば一方的に攻撃を許す可能性が高い。

 

 闇は何もしてこない。だが、二人の精神を確実にそぎ落としていく。

 互いの温もりだけが、かろうじて冷静さを保たせていた。

 

 魔術師の男は、その闇の中で笑みを浮かべていた。

 蝕みの世界ダークネス・イクリプスは未完成の魔術であり、自身もその効果の範疇にいる。

 どのような詠唱を組み立てれば、自分が望む効果になるかも実験段階の闇魔術。


 理想を言えば、自分が入る必要のない世界。もしくは、五感を全て奪う事が完成形だった。

 現段階で奪えているのは視覚、嗅覚、そして魔力の感知。

 視覚と嗅覚は自分も失われているので、今後の課題だ。


 それでも、妖精族(エルフ)の女王と魔獣族の王の動きを奪っている。

 この光を失った世界で、自分だけが魔力の感知を可能とする。

 強大な魔力を持つ、二人の位置は筒抜けだった。


 ずっと何もない暗闇の世界に居るだけで、人はその精神に異常をきたす。

 時間の経過は判らず、焦りと不安が加速度的に増えていく。

 今は互いの温もりだけが支えになっていても、それはつまり離れる事を許されない。

 何かの拍子に離れれば、二度と再会は叶わない。それを許さない。


 まずは精神を壊す。

 それから、苦しむ姿を音で愉しむ。

 抜け殻となった頃に解放し、今度は眼で愉しむ。


 どれぐらいで壊れるだろうか。

 出入りが出来ないこの世界で、どれだけ平常心を保てるだろうか。

 それを考えるだけで魔術師は口元が緩む。


 だが、男は侮っていた。ただの人間を。

 一番脆弱で、魔力も殆ど持たない人間。

 それはつまり、()()()()()()()()()()()()()という事に。


 シンは、この空間に於いて最も強かった。


 乾いた音が、暗闇に響き渡る。

 銃弾が魔術師の肩を撃ち抜く。

 

「――ハァァァァッ!?」


 理解が出来なかった。

 何故、正確な攻撃が出来るのかを。

 何故、ひとつの動揺もないのかを。


 驚きは疑問より先に錯乱をもたらす。

 気付いた時には、魔術師の背中が地面と重ね合わされていた。

 その上に、(シン)は居る。馬乗りになって。


「な、なんでここが……」

 

 シンは答えない。

 魔術が発動した瞬間の位置関係から推測を立てて、銃を放ったに過ぎない。

 自分の足元が変わっていないから、結論付けた。

 一種の賭けだった。もし位置が変わっていなくても、魔術師に当たらなければ判らないままだった。


 結果として、それは成功した。

 後はその声を頼り、動いたに過ぎない。

 闇に乗じて、人を殺めた経験。その消し去りたい過去が、皮肉にも彼を前に進めた。

 

 魔術師の男は、失敗をした。()()()()()()()()()()()()

 そうすればシンは独り、暗闇に囚われるはずだったのだ。


「この空間を解け」


 シンが冷たく言い放つ。余計な事を話すつもりはない。

 

「ハッ! 誰が――っつう!?」


 拒否の言葉を放った瞬間、魔術師の耳に激痛が走った。

 乾いた音と同時に、突き刺さるような痛みが襲い掛かる。


「もう一度言う。この空間を解け」

「何を偉そうに……」


 詠唱を破棄して魔術を放とうとした魔術師の腕に、激痛が走る。

 切り裂かれたような、鋭い痛み。


「何度も言わせるな」

「はっ、脅しているつもりか? 俺を殺せば二度とここからは出られ――」


 乾いた音と同時に、腹に痛みが突き刺さる。


「な、なんで……」


 脅し文句も、この男(シン)には一切通用しない。

 男は弱者を甚振るのが好きで堪らなかった。

 強者の心が折れる様を、見るのが好きで堪らなかった。


 だが、この男(シン)は違う。

 躊躇も容赦も、恐怖の色すら見えない。


 甚振られているのも、心を折られているのも、自分だ。

 それに気付いた時、全身の汗腺が開いた。

 吹き出る汗が『死』への恐怖を呼び覚ます。

 

「二度と消えないのなら、どこかで同様の事象があるはずだ。

 少なくとも俺は知らない。言い切るのはお前の保身の為だろう。

 なら、ここで検証をするのは悪い賭けじゃない」


 魔術師は、馬乗りになっている男が狂っている事に気付いた。

 例えそうだとしても、自分の身を、仲間を犠牲にしてまで行うにしては早計すぎる行動だった。

 しかし、奴は本気だった。少なくとも、男にはそう感じた。


 腹部に強烈な激痛が走ると同時に、魔術師は気を失った。


 ……*


「あ、あれ……?」


 突如、闇が晴れる。

 リタは周囲を見渡したが、アルフヘイムの森で間違いない。

 その身をレイバーンの腕に抱え上げられ、彼女は戻ってきた。


「む……。これは一体……」


 レイバーンも同じように、周囲を見渡した。

 腕の中にはリタ。そして、少し離れた位置にシンと魔術師がいる。


「仲が良さそうだな」

「えっ? あっ! えっと、これは……!」


 シンに自分達の状況を指摘され、揃って顔を紅潮させる。

 リタは慌ててレイバーンから離れ、視線をやるべき場所を求めて泳がせる。


「こ、これは暗闇で離れ離れにならないようにだな!

 ……む。シンよ、それは何なのだ?」

「これか?」

 

 しどろもどろになるレイバーンだったが、シンが持つ()()()に気がついた。

 その手に握られれているのは、決して戦闘で使う物では無かった。


 一角ウサギ(アルミラージ)の角。

 アルフヘイムの森へ入る前に、退治した魔物のそれ。

 イリシャに「便利だから」と言われて斬り落とした角だった。


 実はと言うと二発目以降の銃弾は、空に向かって撃たれていた。

 あくまで自分が撃たれたと魔術師に錯覚させる為、撃ったに過ぎない。

 

 撃たれたような痛みは角で突かれただけ、切り裂かれるような痛みは角で引っかかれただけ。

 致命傷には程遠い、唾でもつけておけば治りそうな小さな傷しか生み出さない。

 

 魔術師を脅す手前、殺す事に躊躇がないように振舞ったが、それはシンの望む所では無かった。

 前例がないという事も、あくまで知ったかぶりで言ったに過ぎない。

 最低限の魔術知識はあっても、シンは魔術師ではない。専門家以上の知識など、持ち合わせていなかった。

 

 それに、万が一にも永遠に閉じ込められるとなればリタやレイバーン。彼女達を慕うものに申し訳が立たない。

 フェリーとの約束も果たせなくなる。

 シンにとっては、それが何よりも心苦しい。


 だから、ある意味では賭けだった。

 魔術を解いてくれれば良し。気絶して解除されるなら、それも良し。

 最悪なのは奴が頑丈かつ、絶対的な意志の持ち主だった時だった。


 実際の男は、そんな精神性とは程遠かった事もあって杞憂に終わった。

 気絶で魔術が解除されない可能性もあったが、その時は無理矢理にでも起こすつもりだった。

 心をへし折るまで、何度でも続ける。拷問をしても構わないと考えていた。


 そういう意味では、一角ウサギ(アルミラージ)の角は非常にいい仕事をしたと思う。


「……確かに、役に立ったな」

 

 先人の言葉には、きちんと耳を傾けるに限る。

 イリシャの言った通り、本当にこんな物が役に立った。


「お主は何を言っておるのだ?」


 レイバーンが首を傾げる。

 リタと顔を見合わせるが、二人して「分からない」という顔を見せあっただけだった。


「こっちの話だ。それに、まだ終わってない」


 フェリーはまだ戦っている。

 援護をしなくてはならないと、気を引き締めた。

 

 余談だが、イリシャは一角ウサギ(アルミラージ)の角を砕いて粉末状にする事により薬が作れる。

 そういう意味で「便利」だと教えたつもりだった。

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