490.あなたへ最後に贈るもの
力が入らない。身体が朽ちていく。
コーネリア・リィンカーウェルは、敗北を認めた。
500年の時を経て訪れた、今際の際。
思い起こされるのは、魂に宿る彼方の記憶。
……*
(――お前、本当に出て行くのか? この国はどうするつもりなんだよ?)
胸の内から揺さぶるのは、『始まりの魔術師』による感情。
不満を露わにする様は、心臓を破るのではないかと感じるほどだった。
「兄上や皆なら、きっと上手く纏めてくれます。何も心配要りません」
男は胸に手を当て、師へ宥めるように語り掛ける。
一片の動揺も見当たらない姿は、その言葉に偽りがない事を証明していた。
だが、師は。コーネリア・リィンカーウェルはまだ納得をしていない。
抱いた疑問を、弟子へと投げかける。
(つっても、お前。兄貴に気を遣ってるんじゃないだろうな?
今回の戦いで結果を残したのはお前なんだ。家督を譲る必要なんて、無いだろうが)
ミスリア国王の座を兄へ、遠慮して譲ったのではないか。
彼女はそう考えている。事実、この弟子はそういう人間であると知っているから。
「いやあ。全くないと言えば嘘になりますけど……。
でも、ずっとミスリアを護るために魔族と戦っていたのは兄上です。
世界をふらりと旅して、最後に戦っただけでの僕とは国民感情も違うでしょう。
継ぐべきは、兄上ですよ」
確かに、自分と共にこの弟子は世界中を旅していた。
彼の兄はその間も侵攻する魔族から、ミスリアを護っていたのは紛れもない事実だ。
ただ、この弟子とて遊んでいた訳ではない。
世界を巡り、仲間を募り、遂には魔族の王を退けた。
それを「ふらりと旅をして」で済ませるのはどうかと思う。
後世に『英雄』と呼ばれてもおかしくない存在だという自覚が、本人には足りていない。
「それに、国王になってしまえばおちおち旅も出来ないじゃないですか。
僕はまだ、魔術を極めていません。ずっと玉座に居座るのは、落ち着きませんよ」
(全く。この馬鹿弟子が……)
こっちの理由が本音なのだろうとコーネリアは察した。
祖国を愛しているのは確かだが、性に合わない。
この弟子は、魔術に人生を捧げたいのだ。恐らくは、一生。
(そういうことなら、アタシはもう何も言わねえ。
お前の人生だ。お前の好きにしろ)
呆れながらもコーネリアは、彼の気持ちを尊重する事に決めた。
個人的に思うところはあるが、この弟子は案外意思が固い。
本人が国王の座に未練が無い以上、何を言っても無駄だろう。
「いや、好きにしろって言いますけどね」
(あん?)
ただ、弟子の方は素直に「そうします」とはならなかった。
彼も自分はさておき、師へ問いたい事が残っていたのだ。
「師匠こそ、フォスターに言わなくてもいいんですか?
肉体は朽ちたけれど、まだ完全に死んだわけじゃない。『魂』は、僕の中にあるって」
トン。と弟子は、指の腹で自らの胸を押す。
自分の中で同居している『始まりの魔術師』。コーネリア・リィンカーウェルの『魂』に向かって、問いかけた。
魔族との戦いの中。己の肉体が朽ちようとするコーネリアは、最後の賭けに出た。
自らが生み出した生命と魔力を紡ぐ秘術を使い、『魂』を弟子の肉体へ移したのだ。
無尽蔵の魔力を持つコーネリアは、その力を弟子へと分け与えた。
結果。彼女の尽力もあり、弟子は魔族の王を撃退するに至る。
(あー……)
頭の中で重い声を漏らしているコーネリアは、何を考えているのか判らない。
弟子としては、旅立つ前に師へ気を遣ったつもりだった。
(いいよ。別に)
「どうしてですか? フォスターは師匠が死んだと思っているんですよ?
『魂』だけでも残っているって知ったら、絶対に喜びますって」
男は知っている。フォスターが、コーネリアへ思いを寄せている事を。
そして、コーネリアがそれを満更でもないと感じている事も。
(いや、お前。フォスターがそんなの知ったら、旅についてくるだろ)
「フォスターがそう願うのでしたら、僕としては構いませんけど」
男は友人であるフォスターと、師の恋路を応援したかった。
旅に同行するというのであれば、特に断るつもりもないからこその提案。
(そんなん、お前もアタシだけじゃない。フォスターも気を遣うだけだろ……。
もうアタシの肉体は朽ちたんだ。『魂』が残っているだけで、死んだも同然なんだよ)
『魂』が残っていたとしても、肉体はもう存在しない。
下手に報せてしまえば、フォスターに未練が残るだけ。
他の誰かを愛する機会を、奪ってしまうかもしれない。
ならば、いっそ知られない方が良い。彼を想うが故に、コーネリアは自分の存在を隠そうとする。
「でも、この秘術を使えば師匠は永遠に生き続けることだって……」
(もう使わん。この術は、お前に使った一回こっきりだ)
弟子から提示されたのは、永遠に存在し続ける可能性。
確かに。いくつもの肉体を渡り歩けば可能だろう。
だが、コーネリアははっきりとそれを否定した。
(自分が『魂』だけの存在になったからこそ、分かったよ。
誰かの人生を横取りするこの術は、使うべきじゃない。
お前に使ったのだって、お前のヘッポコ魔術だけじゃ魔族の王に勝てないと思ったからだしな)
そう。あくまでコーネリアは、弟子に自分の力を授ける為にこの秘術を使用した。
その過程で自分という存在が消えても構わないと思っていたのだ。
だが、結果はこうだ。ひとつの肉体に、ふたつの魂が同居している。
(お前の中だって、いつまでも居座るつもりはない。
そのうち消えるつもりだ)
「僕の中からは、無理に消える必要ありません。
一緒に魔術を極めていきましょうよ」
自分の役目は終わったと言わんばかりの師に物悲しさを覚えた弟子は、ぽつりと声を漏らす。
果てしない魔術の道のりを歩むには、独りでは荷が勝ちすぎている。手伝って欲しいというのは、偽りのない本心だった。
(はあ。しゃーねぇなぁ……)
これからの人生に於いて邪魔になるからこそ身を引くつもりだったのだが、彼の中ではそうではないらしい。
そう言われてしまえば、自分とて魔術の世界に未練はある。
時間の許す限り。弟子と二人三脚で、オマケの人生を過ごしていく事を受け入れた。
(でも、フォスターには言うなよ。アイツ、絶対追ってくるから)
「解りましたってば」
ただ、恋慕を抱いた相手との関係は終わり。
弟子の。他者の人生の一部を奪う形になったからこそ言える。
フォスターには、残る人生を肉体すら持たない自分に縛られて欲しくはない。
彼の幸せを心から願うが故の、恋の終わりでもあった。
……*
力が抜けていく中で、自分の身体を覆う影。
自分と同じ領域を踏み込んだ魔術師。オリヴィア・フォスター。
その青い髪は、コーネリアに懐かしさを反芻させた。
彼女の名を耳にした時。コーネリアは、僅かだが胸を躍らせた。
フォスターは自分に縛られる事なく、幸せになったのだと実感ができた。
「なあ、フォスター」
「なんでしょうか?」
自分に残された時間は、そう長くはない。
それを理解しているからこそ、訊かずには居られなかった。
対するオリヴィアも、コーネリアに反撃の意思がないと感じ取っている。
尊敬する人物。『始まりの魔術師』と言葉を交わす機会は、きっと訪れない。
どんな言葉を遺すのだろうかと、耳を傾ける。
「お前、好きな男はいるのか?」
「はへ!?」
しかし、彼女の口から出たものはオリヴィアが予想だにしていないものだった。
余りに唐突で俗っぽい内容に動揺した影響で、声が裏返る。
「いや、その……」
オリヴィアは下唇を噛みしめ、周囲を見渡す。
幸い、コーネリアの言葉は誰にも聴かれていないようだった。
「わたしも一応、年頃の乙女ですから……。
そりゃ、気になるひとのひとりぐらいはいますよ」
断じて誰にも。
特にストルには聴こえないように、オリヴィアは小さな声で返答をする。
「ははっ、そうか」
どこか嬉しそうな反応を見せるコーネリア。腹の内が読めず、オリヴィアは首を傾げる。
いくら伝説上の存在とはいえ、彼女も乙女だった時期があるという証明だろうか。
そう思うと、急に親近感が湧いてきた。
「アメリアはどうなんだ?」
「お姉さまは、その。こないだがっつり失恋しました」
「……すまんかった」
姉はどうなのかと問うコーネリアへ、渋い顔で答えるオリヴィア。
流石のコーネリアも、申し訳ないと口を真一文字に結び直す。
「こほん。お前の方は、どうなんだ?」
「……それは、まだなんとも」
仕切り直しと言わんばかりに、コーネリアは咳払いをする。
改めてオリヴィアはどうなのかと問うものの。彼女の返答は歯切れが悪かった。
芳しくはない。というよりは、まだよく判らないというべきか。
しかし。頬を僅かに赤く染めるオリヴィアから、彼女なりに育みたい気持ちはあるのだと察した。
「なあ、フォスター」
「はい?」
自分が愛した者の末裔とこうして話すのは、不思議な感覚だった。
けれど。永遠に紡いでほしいからこそ、コーネリアは言葉を贈る。
「幸せになれよ。応援してるぞ」
「は……はい?」
どうして自分は、恋路の背中を押されてるのか。
訳も分からないまま、オリヴィアはコーネリアの言葉に頷く。
ただ、どこか見守られているようで、悪い気はしなかった。
(フォスター、よかったな。お前の子孫は、立派に育ってるよ)
首を傾げながらも頷くオリヴィアを見上げながら、コーネリアは笑みを溢す。
そこに自分の血が混じっている訳ではないが、まるで親のように暖かい視線を交えながら。
自分に残された時間を、こうして他愛もない話で埋め尽くしていきたい。
そんな欲を抱いたコーネリアだったが、悪意はそれを許さない。
「――――――!!!!」
その雄叫びは、とても声とは形容しがたい代物。
曇天とは比べ物にならない、立ち上がるだけで周囲を闇で覆い尽くす悪意の塊。
目覚めた邪神が、悪意を身に纏い絶望を届けに現れる。
「もう……。来ちゃいましたか……」
自分を覆い尽くす影を見上げながら、オリヴィアは早すぎると声を漏らす。
まだ『暴食』も。ビルフレストだって残っているというのに、邪神が現れてしまった。
頭上から降り注ぐ絶望を前に、オリヴィアは息を呑む。
『始まりの魔術師』に勝利をしたという喜びは、あっという間に掻き消されてしまっていた。




