488.先の領域へ
オリヴィア・フォスターは自分が優れていると自覚している。
反面、それは今まで積み重ねて来た魔術の歴史の恩恵を受けているとも理解している。
そして、自分自身もまたその一部なのだと。
研究に没頭したのはその為かもしれない。
正しく歴史の一部で在りたい。先を生きる者への道標となりたい。
魔術を愛しているが故の、彼女なりの誠意だった。
そう。オリヴィアはこれまでの人生で様々な魔術に触れ、生み出してきたのだ。
積み重ねて来た彼女の歴史が、新たに開花する時が訪れた。
(放ったのは紅炎の新星。コーネリアさんだって、完結した魔術を放ち続けるわけじゃない)
襲い掛かる溶岩を前にして、オリヴィアの頭は至って冷静だった。
真言を用いた魔術ではなく、コーネリア・リィンカーウェルが世に広めた魔術を使用した理由。
それは決して彼女の広めた魔術が、真言に劣っているとは一概に言えない事を意味する。
当たり前だ。『神の代行者』から『始まりの魔術師』と成った理由が、この手段による魔術の普及なのだから。
極めて効率的な魔術の生成方法は、生み出したコーネリア本人にとっても扱い易い。そして、魔力の効率が良い。
完結していない魔術を掻き消せるのは、真言を扱う自分のみ。彼女にとっては、通常の魔術を使わない理由が無い。
そう思っていた。この瞬間までは。
(魔術は完結していない。綻びがある)
オリヴィアは溶岩の迫る速度が、とても遅く感じていた。
極限にまで集中している証。彼女の細い指先が、紅炎の新星へと伸びる。
「――消えて」
オリヴィアは、指先と溶岩の接点から魔力を注ぎこむ。
次の瞬間。溶岩はその熱を失い、融けた岩が彼女の足元へと転がった。
「オリヴィア……?」
「今のは、まるで……」
コーネリアによって放たれた炎を難なく掻き消した。
その光景を目の当たりにして、テランやストル。ピースまでも、信じられないと目を丸くする。
掻き消された張本人であるコーネリアもまた、オリヴィアの引き起した結果に驚きを隠せない。
「あれは……」
魔術の綻びを利用し、魔術そのものを崩壊させる。
自分が真言で披露したものと、同様の現象をオリヴィアは再現してみせた。
オリヴィア・フォスターは、自分と同じ領域へ達した事を意味する。
「ふう。上手く行きましたけど、魔力の消耗がハンパないですね」
額の汗を拭いながら、オリヴィアは大きくため息を吐いてみせた。
一先ず上手く行ったし、周囲の反応も上々。しかし、そう何度も乱発は出来そうにない。
ただ、彼女は賭けに勝った。真言と同じ現象を引き出せるという事実が与える影響は、決して小さくない。
「フォスター! アンタ、いつの間に真言を!」
流石のコーネリアも、驚きと同様を隠そうとはしない。
魔術の神髄である真言は、ただ言葉を知っていればいいというものではない。
短い言葉の中に含まれた意味を解き明かした者だけが扱える、言わば特権のようなもの。
「いやあ、真言なんて判りませんよ。
歴史書に残ってませんでしたし、今後の研究テーマにしたいなとは思いましたけど」
「なっ……」
あっけらかんと言ってみせるオリヴィアに、コーネリアは面を喰らう。
復活したばかりの彼女は、知らない。オリヴィア・フォスターが積み上げて来たものを。
彼女が生み出した魔術は、流水の幻影。
水を用いて、己の分身を創り出す魔術。分身からは、魔術を放つ事だって出来る。
即ち、オリヴィアは既に並列的に魔術を扱えるだけの素養を持っていた。
そして、彼女は扱ってきたのだ。
妖精族の扱う精霊魔術、ベル・マレットの生み出す魔導具。
ふたつの異なる完結した魔術を、ひとつの魔術へ組み込む為に。
転移魔術を創るにあたり、彼女は魔法陣に出来上がる繋ぎ目を懸命に削り取っていた。
丁寧に、丁寧に。綻びが出ないように、転移魔術の術式を完成させている。
彼女は自らの意思で、魔術の綻びを知覚する経験を得ていた。
流石に綻びを利用して掻き消すという発想は持ち合わせていなかったが、こう何度も眼の前で見せられれば否が応でも考えてしまう。
「自分の手札として、扱えないだろうか?」と。その目論見は、見事に成功をした。
「わたし、運がいいって自覚してるんですよね。
アメリアお姉さまが在るべき姿を見せてくれたことも。
死にそうになっても生き永らえたことも、皆で魔術の研究が出来たことも。
――こうして、『始まりの魔術師』にご指導いただけていることも」
不敵な笑みを浮かべながら、オリヴィアはコーネリアへと言い放つ。
オリヴィア・フォスターは紛れもなく、優れた魔術師である。
その強さの源泉は、己の糧となったものを決して無駄にしないところにあった。
「オリヴィア、君ってやつは……」
ストルとテランは顔を見合わせ、苦笑した。
運がいいのは自分達だってそうだ。常にオリヴィアやマレットが前向きだからこそ、研究を続けて来られた。
だからだろか。彼女が一歩先へ進むのが喜ばしくもあり、対抗心を燃やしてしまうのは。
負けられない。負けたくない。
自然と湧き上がる闘志が、『始まりの魔術師』へと向けられる。
だが、『始まりの魔術師』がこの程度で萎えるはずはない。
コーネリア・リィンカーウェル自身もまた、眼の前に現れた才媛を前にして闘志を燃やす。
自分の領域に踏み込もうとする魔術師を、心から歓迎するかのように。
「ははっ! 『指導』ね」
高らかに笑うコーネリア。確かに、全くその気が無かったと言えば嘘になる。
悪意によって現世へ蘇った自分は、どう足掻いてもミスリアへ牙を剥ける立場にある。
尤も、それ自体は構わない。醜い貴族の行動に腹を立てたのは事実なのだから。
ただ、一方で邪神による世界の破壊を望んではいなかった。
課せられた命令と、複雑な心境。これらを呑み込み、己が意思を貫き通す存在を探し求めていた。
そして見つけた。新たな希望の灯となり得る存在を。
その少女は決して俯かなかった。コーネリアはその事が嬉しくて堪らない。
腐ったミスリアを浄化しうる存在。それがあのフォスター家の末裔なのだから、奇妙な縁だと思った。
「フォスター。真言ではなくても、その領域に踏み込んだんだ。
アンタは大した魔術師だよ」
この灯を消したくはない。己の全てを呑み込んで、更に先へと踏み込んで欲しい。
何十年。何百年と、自分の祖国が正しい道を歩む為。コーネリアは自分の全てを以て、彼女を導いていく。
師弟ではなく、ただひとりの敵として。
「……ありがとうございます」
『始まりの魔術師』から送られるのは驚嘆からの称賛。
オリヴィアも決して悪い気はしない。だが、奢りや油断。焦燥もないという事実を突きつけられた気がした。
先刻は上手く行ったが、綻びを見つけるのは中々に神経を使う。
加えて、既に生み出された魔術を掻き消しているのだから魔力の消耗は特に激しかった。
乱発をすれば圧倒言う間に魔力切れだと感じ取っていた。
だから、あくまでこれは最終手段。それも、攻撃としてではなく仲間の命を護る為の。
(でも、コーネリアさんの反応からして警戒は解かないはず)
オリヴィアは相手の立場になって、状況を洗い出す。
ストルとピースは、真言によって攻撃を無効化できない。
テランに関しては魔術は掻き消せても、魔導弾という対抗策はある。
そして自分は、魔術の綻びに触れられる者同士。
警戒を緩めるべき相手はいない。戦い続ければ、確実に魔力と神経を消耗させられる。
長期戦が有効なのは明らかな一方で、迂闊には攻められない事もオリヴィアは正しく理解していた。
それは単に、コーネリアの魔術が単純に強力な事にある。
数の優位が呆気なく掻き消される様を、オリヴィアは見せられていた。
(攻撃だけじゃない。防御だって、あの結界が突破できない)
魔術の強さは何も、攻撃だけに留まらない。
彼女が防御手段として用いる結界を突破できたのは、アメリアの蒼龍王の神剣のみ。
後は正面からだと、受けきられてしまっている。
だからこそ悔やまれる。
流水の幻影による奇襲が失敗してしまった事が。
(あんの黒ずくめ……)
オリヴィアはイルシオンやヴァレリアと刃を交えるビルフレストへ、心ばかりの怒りを向けた。
あの奇襲が失敗したのは、本当に痛い。お陰でストルやピースが結界の裏側を狙っても、コーネリアが警戒を怠らないのだ。
彼女へ一撃を与えるのであれば、予想外の一撃が必要となる。
ならば、どのような手段ならコーネリアの不意を突けるのか。
オリヴィアの考えは、自然とその方向へとシフトしていく。
真言に掻き消されない、完結した魔術。
加えて、コーネリアの警戒を掻い潜る手段。
そんな都合のいい存在を求めて、オリヴィアは頭をフル回転させる。
「……あ」
不意に、言葉が漏れる。
気取られてはいけないと、慌ててオリヴィアは口を閉じた。
(この方法なら、きっと一撃を……)
だが、確かにまだあったのだ。
コーネリアの知らない攻撃方法が。
「どうしたんだ? 続けようじゃないか、お前さんの言う『指導』をさ」
オリヴィアが物思いに耽ったからか。突如生まれた硬直状態を嫌って、コーネリアが手招きをする。
真言を扱うコーネリアは把握している。魔力の消費量を鑑みても、オリヴィアはそう何度も魔術を消せない。
この『指導』は、もう終わりが近付いているのだと。
「ええ、わたしとしても色々と教わりたいのですけど……」
コーネリアの挑発を受けたオリヴィアが小さく頷く。
しかし、オリヴィアの回答はコーネリアの望んだ答えとは若干異なるものだった。
「わたしたち、これでも結構後が閊えていまして。
みんなできっちり、勝たせてもらおうと思っています」
「へぇ……」
名残惜しいが、今は自分自身を磨く時間ではない。
そう告げたオリヴィアを前にして、コーネリアは口角を上げた。
彼女は現状を正しく把握している。自分に残る魔力も、成さねばならない事も。
だからこそ、期待をしてしまう。愛する祖国を託すに足る器であって欲しいと、心から願っていた。