486.光の涙
自らに襲い掛かる閃光は、瞬く間に身体へ風穴を開ける。
遅れてやってくる苦痛に顔を歪める『強欲』。
この痛みは知っていると、クスタリム渓谷での戦いが脳裏を過った。
「ギャアアアアアアア!」
裂けた口から悲鳴がこだまする。
悪意を消し去っていくかのような、慈しみの祈りが捧げられた矢。
元は何も知らない、純粋な子供だと知ったが故の祈り。
しかし、『強欲』にとってそれは不要と教えられた感情。
気持ちが悪い。振り払わなくてはと、喉を掻き毟る。
模倣が維持できず、悪意によって生み出された無数の腕は崩れ去っていた。
「……今だッ!」
リタによって射抜かれた『強欲』の左半身。
力の分散か、はたまた同様か。連動するようにオルガルへの負荷が緩まる。
その一瞬を、オルガルは決して逃さない。
「お願いだ、宝岩王の神槍! 僕に力を貸してくれ!」
歯を食い縛り、武と大地の神へ祈りを捧げる。
宝岩王の神槍は主の願いに応え、強い輝きを放つ。
重力の矛先を変更するのは、悪意の境目。
力の。意思の弱まった『強欲』の右半身は、悪意によって象られた無数の腕だけを残して水平に落ちていく。
「――――ッ!!!」
模倣の腕だけを残して、オルガルから引き離されていく。
声にならない悲鳴を上げながら、『強欲』は手を伸ばした。
玩具の抵抗に激しい怒りを覚えている。報いは必ず受けさせると、手の先から模倣で腕を次々と生み出していく。
「お主は、まだ!」
『強欲』の執念に驚きつつも、レイバーンは自らの身体に鞭を打つ。
リタが、オルガルが繋いでくれた。自分もまだ動けるはずだと言い聞かせる。
だが、思いとは裏腹に激痛が身体に待ったを掛ける。
情けないと歯痒さを滲ませるレイバーンの元へ、一本の矢が放たれた。
矢の向こうには、妖精王の神弓を構えたリタが居た。
「おねがい! 妖精王の神弓……!」
彼女が放ったのは、治癒魔術を込めた光の矢。
とても温かく、優しい光に包まれる。折れた腕から痛みが、腫れが引いていく。
「リタ?」
感謝の笑みを浮かべるレイバーンだったが、リタは辛そうな顔を浮かべている。
無理もない。緊急事態で、それが治癒の魔術だったとしても。彼女は愛する者へ、矢を放ったのだから。
「……っ。お願い、レイバーン!」
否が応でも、妖精族の里での出来事が思い返される。
あの時。自分はレイバーンへ矢を放った。傷付けたいと、微塵も思っていなかったのに。
それは今まで、ずっと彼女の胸の内に棘として刺さり続けていた。
だから、レイバーンへ向かって弓を構えたくはなかった。
傷付ける為とは違うかどうかなんて、当たる迄は自分にしか判らない。
何より、どんな矢であろうともレイバーンはきっと避けようとはしない。
信じてくれている。愛してくれているのが嬉しいのに、少しだけ怖かった。
自分の所為で、彼が傷付くかもしれない。
その事実が、彼女に矢を用いた治癒魔術を使わせなかった。
だが、彼女は矢を放った。
後悔したあの出来事を清算する為に。皆の大切なものを護る為に。
ありったけの想いを乗せて、レイバーンの傷を治療する。
「うむ! 余に任せろ!」
勇気を出した彼女の想いを、レイバーンが無下にするはずがない。
強く、大きく頷いた魔獣族の王は癒えた傷を以て獣魔王の神爪を振るう。
引力により、『強欲』の右半身と崩れた左半身が再び引き寄せられる。
「こんなものは、不要だ!」
一方で、模倣によって生み出された腕へ鬼武王の神爪を振るう。
生み出された斥力が『強欲』から悪意の腕を引き離す。
「アアアアァァァァァァッ!」
激痛に苛まれながら、邪神の分体が憤慨する。
眼球を動かし続け、自分に抗う存在を視界に捉えた。
そこには受け入れられない光景が広がっていた。
魔獣族の王も、妖精族の女王も。人間までもが、自分を見下ろしている。
誰一人、邪神という存在に畏怖をしていない。少しだけ憐みの混じった、物悲しそうな眼差しが送られている。
『強欲』は判らなかった。
一体どうして、この者達はこんな表情をしているのか。
ただ、注ぎ込まれた悪意が認識を歪ませる。
受け入れてはいけない。こんな顔をさせる存在を認めてはいけない。
『強欲』は、彼らの想いを否定する為に身体を起こそうとする。
「もう、いい! もう、お主は還るのだ!」
戦意を失わない『強欲』を止める為に、レイバーンは獣魔王の神爪を振るう。
放たれた引力が邪神の分体へ負荷をかけていく。
「っ! マギアの時のようには、行かないのか!」
歯痒さを胸に抱えながら、オルガルも宝岩王の神槍を突き立てる。
真っ直ぐ下へ。本来の向きへ与えられた重力は引力と合わさって『強欲』の身体を圧し潰していく。
「――グ、ガ、ガアアァ!」
胸を、喉を、頭を潰しながらも叫ぶ『強欲』。
仰向けとなった『強欲』が曇天に見たものは、一筋の光だった。
「……ごめんね」
ぽつりと言い残したリタは、妖精王の神弓による光の矢を天へと放った。
大きく弧を描た光はレイバーンの引力に引き寄せられ、オルガルの造り出した重力に乗る。
涙の雫がすっと落ちるようにして落ちた光が、『強欲』の身体を貫く。
断末魔の叫びを上げる間もなく、『強欲』はその身を完全に世界から消滅させた。
……*
「なんだよ、全員ボロボロじゃねぇか」
満身創痍の仲間を見て、銀狼は肩を竦める。
周囲に転がるは黄龍や人造鬼族の群れ。
魔狼族と鬼族がミスリアを脅威から護った証。
「相手が相手だ。お前だって、前は酷い目に遭っただろう」
「ちっ……」
クスタリム渓谷での出来事を黒狼に蒸し返され、ばつが悪そうにするヴォルク。
彼とて本気で言った訳ではなかったが、そこを突かれるとどうにも痛い。
「そうだぞ。ちゃんと姐さん達の攻撃を見たのかよ? スゲェ一撃だったじゃねぇか」
「だから、姐さんはやめてってば……」
クスタリム渓谷での戦い。レイバーンの言葉は嘘ではなかったのだと、深く頷く鬼族。
疲労困憊のリタは、突っ込む気力も残っていない。
それでも彼女は、まだやらなくてはならないと立ち上がる。
「おじいさん。どれぐらい回復できるかはわからないけど……」
レイバーンに支えられながら、リタは傷が深いオルテールの元へと向かう。
マギアの人間は魔力が高くないと知りつつも、彼女は治癒魔術を唱える。
「すまぬな、娘っこ」
「これでも、私の方が年上なんだけどね」
礼を述べるオルテールに、リタは苦笑をする。
思った通り、治癒魔術の効きはよくない。それでも、まだシンよりはマシだとリタは少しだけ胸を撫でおろした。
「リタ、お主も傷だらけなのだ。あまり無理をするな」
「うん。でも、治癒魔術は自分に使っても仕方ないから。
私は私に出来ることを、しなきゃ」
身を案じるレイバーンに笑みで返しながらも、リタは仲間の治療を続けていく。
傷を負って、魔力も大分消費をした。それでも、彼女は決して手を止めない。
王宮への脅威は去ったが、戦いは全く終わっていないと知っているから。
曇天模様が、遠くで蔓延る魔力が教えてくれる。
合成魔獣が現れたという郊外で、まだ仲間は戦っているのだと。
一刻も早く、援軍へ向かいたい。
親友は。フェリーは今、大切な戦いをしているはずだ。
もしかすると、もう彼女は不老不死でなくなっているかもしれない。
だから、怖いものは自分達で取り除いてあげたかった。
彼女の眩しい笑顔をこれからずっと、見る為にも。
……*
「皆さん!」
王宮内の脅威も完全に去ったのだろう。
イディナとロティスが、王妃の護衛を務めつつリタ達の元へと寄っていく。
「イディナちゃん。まだ敵が来るかもしれないから、王妃様は安全な場所で護っておかないと」
「いいえ、リタ様。私が無理を言ってここまで連れてきてもらったのです」
まだ危険だと窘めるリタへ、フィロメナが首を横に振る。
彼女はミスリアの王妃として、自らの身の安全よりも力を貸してくれた来訪者へ誠意を見せたかった。
「皆さま。この度はミスリアを護って下さり、心より感謝しております。
今はこのような行動でしか示せないことを、お許しください」
「あ、ありがとうございます!」
フィロメナが深々と頭を下げ、追従する形でイディナとロティスも頭を下げた。
彼女が頭を下げた理由はこの場に於ける感謝だけではない。
事の発端は世界再生の民。つまり、ミスリアが生んだ歪み。
マギアにも、魔獣族にも、鬼族にも。
妖精族や魔獣族と同じように迷惑を掛けた。
その事実を前にして、フィロメナはふんぞり返るなど出来るはずが無かった。
「フン、テメェらのために動いたわけじゃねぇ。借りを返しに来ただけだ。
だから、礼を言われる筋合いなんかねぇんだよ」
「素直じゃないやつだな」
鼻息を荒くする銀狼に、黒狼は苦笑する。
確かに建前はそうかもしれない。けれど、内心では嬉しかったはずだ。
自分の力が必要とされたことも、新たな爪を拵えてくれた小人族の王に再会する事も。
指摘をしようものならヘソを曲げるだろうと、敢えて口にはしなかったが。
「こっちも、なあ? オルゴの野郎のせいで余計なモンが出来ちまったし。
姐さんやカシラも無事だったから、気にすることはねえよな」
鬼族達は互いに顔を見合わせながら、うんうんと頷く。
彼らは魔狼族以上に、深く考えてはいない。ただちょっと、有り余ったエネルギーを消化したに過ぎない。
「ロイン様の頼みでもありましたが。僕たちはミスリアでお世話になりましたから。
そうやって王妃様に頭を下げられることが、むしろ恐縮してしまいますよ」
「本当に……。ありがとうございます」
照れくさそうに指先で頬を掻きながら、オルガルは頭を下げ返す。
皆の優しさに触れたフィロメナの目元には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「それで、皆さまはこれから――」
どうするつもりなのか。そうロティスが問おうとした時。
皆は曇天の発生源。合成魔獣が現れた、ミスリアの郊外へと視線を向けている。
まだ戦いは終わっていないと。次の戦いを、見据えていた。
「あそこへ向かう予定だ。皆がまだ、戦っているのだろう?」
「うん。オリヴィアちゃんたちを救けないと」
リタを背に乗せながら、レイバーンは行先を告げる。
深い毛に覆われた温もりを感じながら、リタも強く頷く。
「ですが、皆さまはまだ傷が――」
「それは、あっちの仲間だってそうかもしれないよ。
だったら少しでも、楽にしてあげないと」
戸惑いの表情を見せるフィロメナに、リタは大丈夫だと首を横に振る。
治癒魔術を使い続け、誰よりも疲弊しているはずのリタがそう言うのだ。
「自分は残る」と言う者は、誰一人としていなかった。
「なにも死ににいくわけではない。余たちは全員で生き残るために戦っているのだ」
「いざとなったら、シンくんが来るだろうしね」
顔を見合わせ、笑い合うリタとレイバーン。
二人はシンが来ると思っているが、きっとまだ知らないのだろうとイディナが恐る恐る告げる。
「でも、転移装置は壊されちゃって……」
オルガルとオルテールが現れた経緯から、郊外にある転移装置は作動しない。
マギアと違い、シン達は別の場所へと転移してしまった。
戦いを知る手段は持たないし、知ったとしても辿り着けないと、イディナは眉を下げる。
「なに、その程度のこと。何も問題はない」
「うん。大丈夫だよ、何も心配要らないから」
だが、そんな事は問題にならないと二人は一蹴をする。
思っていたよりも早い決戦となってしまったが、ここまで皆が懸命に繋いで来た。
知っている。世界再生の民を。悪意を止める為だけではない。
邪神すらも救いたいと考えている、ある青年の願いを叶える為に奔走した者達の事を。
そして、その青年は期待を裏切らない事も知っている。
「絶対に、来る」
リタとレイバーンの声が重なる。
それは遠く離れた地で己の戦いに準じている親友への、信頼の証だった。