46.奥の手
ガレオンからは、余裕の顔が失われていた。
手を組んだ妖精族は既に戦意を失い、拘束されている。
あれはもういい。元々、妖精族を手中に収める為、利用していたに過ぎない。
連れていくよう指示された、得体のしれない魔術師は役に立つと思っていた。
土魔術で大型弩砲を創り、死んだ兵士を屍人として再利用してくれた。
今も妖精族の女王と、魔獣族の王を相手取っている。
どこからともなく現れた男だが、これほどの魔術師はギランドレの歴史上で見た事がない。
人外が幅を利かせるラーシア大陸の北側で、貧弱極まりない自分の国をガレオンはどうにかしたかった。
皇帝もそれを解っているからこそ、妖精族の女王を手中に入れんとしている。
尤も、一度たりともまともに取り合っては貰えなかったが。
分不相応な人間国家は、消え失せろと言われているような気さえした。
――魔力の高い妖精族の子供を、自らの手足として動かせばいい。同じ妖精族同士なら、戦闘を叩き込んだ兵士が勝ち残るだろう。
そんな悪魔のような提案を切り出したのは、突如現れた奇妙な男。
男は部下だという魔術師を置いて、姿を消した。
魔術師は言った。「どうせどこかで監視をしている」と。
恐らく、魔術師を自由に使う報酬として妖精族の子供を一人、要求しているからだろう。
約束を反故にしない為の、保険だった。
しかし、先刻までは非常に心地が良かったのだ。
妖精族の女王は狼狽え、魔獣族の王は自らの命を簡単に捨てようとしている。
それが陽動とも知らず、未来を担うであろう子供が連れ去られるとも気付かず。
邪魔をしたのは、目の前で暴れている化物だった。
神弓による矢。魔力の高い妖精族が注ぎ込んだ、一本の矢。
腹に大穴を開けながらも、あの女はそれを受け止めた。
驚いたが、それでも良かった。
死んだのは人間だ。それを理由に、侵略をする大義名分を得たと思った。
だが、あの化物は生きている。腹に穴を開けながらも、それを再生させた。
それどころか、魔造巨兵を素手で殴りつける姿も見た。
普通じゃない。あれは悪魔憑きか何かだ。
もう一人、人間が邪魔をした。
マギアの武器を持ち、魔術付与されたミスリアの剣を振るう男。
事もあろうに獣人と手を組み、我らの本懐を妨げた。
人外が蔓延る世界で、最後に邪魔をしたのが人間だった。
俄かには信じがたい事だった。
もう引き下がる事は出来ない。
自分が下がれば、ギランドレは滅びを免れない。
戦う以外の選択肢は、残されていなかった。
……*
「覚悟? そうか、覚悟か」
茜色の刃を向けるフェリーを前にして、ガレオンは鼻で笑った。
「貴様のような小娘に、そんな物を語られる謂れはない!」
ガレオンはフェリーを取り囲むように、全ての兵士に指示を出す。
いくら不死身の怪物でも、戦い方はある。
動きを止めて、魔術師の男によって地中深くにでも埋めれば、二度とその姿を拝む事はないだろう。
だが、兵士は動かない。
屍人はノロノロと鈍い動きでフェリーを囲むが、生きている兵士は彼女に近付こうともしない。
「……どうした? 囲め、その女を囲むのだ!」
ガレオンの怒声で、ほんの少しだけ兵士が前に出る。
フェリーにその武器を届かせるには、まだ距離が足りていない。
「エラそーなコト言ってないで、オジサンが来なよ」
茜色の刃が、その周囲の景色を歪ませる。
兵士は知っている。あの刃が、どれほど強力なものであるかを。
仮にフェリーを取り囲み、目論見通りに地中深くへ埋めたとしよう。
それまでに、どれだけの犠牲が出るか。
誰が、あの炎に包まれるのか。
数は判らないが、そうなる人間は確実に出てくる。
たった二人の人間に、自軍が抑えつけられていた事実を将軍は軽く見ている。
そんな人間の指揮に命を預けようという気は兵士から失せつつあった。
兵士は気付いている。彼女は、戦意のない者まで斬るような人間ではない事を。
腹に大穴が開くと解っていても、躊躇なく飛び出してくるような大馬鹿者。
だからこそ、敵であってもその一線を越えないという確信があった。
最早、屍人は殆ど残っていなかった。
元々は命を落とした自国の兵士を、突如現れた謎の男が屍人として再利用したもの。
死してなお、国の為に戦う事を強要される兵士の姿を頼もしいと思う皇帝と将軍。
兵士もその気に当てられ、最初は頼りになると思っていた。自らの盾になると。守ってくれるものだと。
だが、真実は違う。自分が命を落としても、その身を弄ばれるだけだと気付いてしまった。
気付いていないのは、未だに自国が覇権を握ろうと考えている者。
妖精族の子供を拉致し、自らの戦力にするという狂った提案を受け入れた者。
ガレオンただ一人だった。
勘案している間にも、フェリーは屍人を斬り捨てる。
無抵抗の人間に手を出さないが、降りかかる火の粉は全力で振り払う。
ましてや自分の友人を傷付けられた以上、手心を加えるつもりは無かった。
文字通り生命線を越えるという意思は、兵士から消え失せていた。
「……どうやら、後はオジサンだけみたいだけど?」
最後の屍人を、フェリーが斬り伏せた。
ガレオンの口元が、怒りで歪んだ。
計画を始める前。あの男が言った事を思い出す。
――もしもの事があれば、その魔術付与を使うが良い。
得体の知れない魔術付与を使用する事には迷いがあった。
だが、今使わなくては意味がない。
「いいだろう。私が相手をしてやる」
ガレオンは、自らの甲冑と剣に付与された魔術付与を解放する。
それがどのような物かすら知らずに、力を欲した。
刹那、ガレオンはその身を歪める。
魔術付与された甲冑が、剣が、彼の身体の一部となる。
身体が肥大していく。魔造巨兵などという玩具とは違う。そう確信出来る。
心地良い感覚だった。欲した物が、力が、手に入っていると実感する。
この力を欲望のままに扱ってみたいと思った。
そう思った時には腕と一体化し、巨大化した剣を薙ぎ払っていた。
「――えっ!?」
その切っ先が弧を描いてフェリーを襲う。
咄嗟に魔導刃で受け止める。
全力で魔力を込め、茜色の刃が高熱を発する。
「いっ……たぁっ!」
質量差と体重差に負け、フェリーの身体が吹っ飛ばされる。
せめてものの抵抗で、触れた先の刃は焼き切っていた。
だが、あくまで切っ先。その刀身は長さを殆ど変えていない。
追撃を警戒し、フェリーはすぐに立ち上がる。
巨大な剣を振り回した反動か、ガレオンはふらふらとよろめいていた。
肥大を続けている身体は、ついには5メートルに達しようとしていた。
「っ……」
フェリーは、息を呑んだ。
力任せに振るった暴力は、仲間であるはずの自国の兵士をもバラバラにしていた。
ある者は剣圧で身体が弾け、ある者は刃に触れてしまい真っ二つ。
血飛沫が舞い、肉片が飛び散る。一瞬の間に凄惨な場が生み出されていた。
「は、はははははは! これだ、この力だ! ずっと欲しかったものだ!!」
己が何を斬り捨てたのか、ガレオンは理解をしていない。
理性は朧気になり、代わりに欲しかった力を得た。
それだけで満足だった。
「……やっぱり、オジサンはサイテーだよ」
咽るような血の臭いが、飛び散った肉片が吐き気を催させる。
フェリーは、シンを先に行かせて心底良かったと思った。
――この怪物は、あたし向きだ。
……*
「レイバーン!」
「リタ! それにシン!」
レイバーンと合流したリタは、抱擁を交わしたい気持ちを抑える。
まだ、終わっていない。レイバーンの力になる為、ここまで走ってきた。
「レイバーン、怪我は大丈夫なの?」
「ああ、気にするでない! かすり傷だ!」
そうは言っているが、彼の身体には魔術による傷が多くできている。
妖精族の子供、そしてルナールを庇った際に出来た数々の生傷。
黒い外套を羽織った魔術師は、奇妙な魔術を使用する。
リタの妖精王の神弓による矢をも飲み込んだ、奇妙な穴。
それが一体何なのか、見極める必要があった。
「チッ、どいつもこいつも使えねぇな」
魔術師は毒づく。
レチェリは拘束され、ガレオンはその兵を殆ど失っている。
わざわざ用意した屍人をきれいさっぱり使い切って、挙句に切り札の魔術付与まで使っている。
あれを使った以上、ガレオンはもう正気には戻れないだろう。
あの男が付与した魔術付与が、弱小国の将軍程度に解除できるはずもない。
獣人の女は、妖精族の子供を連れて森の中へと姿を消した。
つまり、任務は失敗だ。自分の序列も据え置き。いや、ひょっとしたら下がるかもしれない。
それだけは勘弁願いたい。せめて、何かしらの成果は見せる必要がある。
しかし、魔術師に思考する時間は許さない。
シンが剣を振り落ろし、魔術師へと斬りかかる。
「……って、お前! 人が考えてんのに邪魔すんなよ!」
「知るか」
こいつは厄介だ。あの『穴』の正体が解らない。
ルナール達が逃げ切った以上、周囲の心配も不要になった。
一刻も早く、倒す。
「ったく。お前が一番ムカつくんだよ!」
屍人を暴き、渾身の大型弩砲を二度も壊し、妖精族の子供が逃げる切っ掛けとなった張本人。
この中で一番興味のない、一番つまらないただの人間。
そんな男に邪魔をされた事が、魔術師の矜持を傷付けた。
魔術師は岩石を削り出し、矢のように放つ。
何度も反芻し、いつでも簡単にイメージが出来る岩石の魔術。男の得意魔術。
土による大型弩砲を二度作り、岩石の弾丸を好む。
彼が地属性の魔術を得意とする事は、シンにも予測がついていた。
至近距離から放たれたそれを、シンは水の羽衣で受け止める。
「はあっ!?」
リタに補助してもらった強化は解け、通常の魔術付与へと戻る。
リーチこそ戻ったが、守るという意味ではこちらの方が楽に扱える。
すかさず、水の膜越しに銃弾を撃ち込む。
利き腕でない左手からの発砲だが、この距離なら身体のどこかには当たるはずだった。
「ああ、鬱陶しい!」
だが、魔術師の創り出した『穴』が銃弾を吸い込む。
間髪入れずに放たれた妖精王の神弓による矢も、同じ『穴』に消えていく。
「ならばッ!」
死角に回り込んだレイバーンが、神爪を振りかぶる。
しかしその行動は、魔術師に読まれていた。
「爆炎よ、紅き炎で仇なす者を焼き尽せ。爆炎の柱」
「ぐうっ……!」
天へ向かって舞い上がる火柱が、レイバーンの身体を焼く。
黒い煙を上げ燃え盛る身体を、シンが水の羽衣がかき消した。
「レイバーン! 大丈夫!?」
「むう、あの男。中々に手ごわいな」
表面こそ派手に焼けているものの、致命傷にはなっていないようだった。
シンが魔術師へ斬りかかっている間に、リタが治癒魔術でレイバーンを治療する。
一方で魔術師の男は、焦っていた。
正直に言うと、かなりギリギリで均衡を保っている。
魔力が尽きた瞬間、自分が制圧されるのは目に見えている。
撤退を試みようにも、女王の神弓が厄介だった。
脚を止めれば、魔王が一瞬で距離を詰める。
人間の男も、ある意味では一番得体が知れない。
自分がこの窮地を脱するには、三人を同時に抑えるしかない。
魔術師は、最後の切り札を使う事を決めた。
見た目の割に威力は大したことのない爆発を、詠唱を破棄して放つ。
警戒したシンはその本質を見誤り、その隙に魔術師が距離を取った。
詠唱の時間を稼ぐ為に。
「深淵なる闇の遣いよ、高貴なる贄を捧げる。その世界で、永遠に魂を喰らい続け給え。
我は闇の遣い。邪神の棲み処を求めし者――」
「邪神だと……!」
その単語を聞いて、シンは走り出した。この男は何かを知っている。
多少強引にでも詠唱を止めようと、魔導弾を撃とうとした時だった。
「――ッ!」
強烈な殺気が、シンの動きを止めた。
その出所は判らないが、目の前にいる男ではない。
まだ伏兵が居るのかと、警戒心を強める。
同様のものを、リタとレイバーンも同時に感じ取っていた。
姿は見えない。だが、殺気を放った男の狙いはそれだった。
魔術師の詠唱は、終わった。
「――蝕みの世界」
魔術師の放ったそれはシン、そしてリタとレイバーンを巻き込み辺り一帯が闇に囚われる。
生み出されたそれは何も見えない、純然たる闇の世界だった。