484.残された『強欲』
『強欲』の右腕が灰のように崩れ、浅黒く染まった肉の塊が萎んでいく。
先刻まで自分達を苦しめた怪物の姿は、もうそこにはない。
「アルジェント……」
彼のへと突き立てた刃を引き抜きながら、アルマは自らの胸が締め付けられるのを感じた。
最期の瞬間。アルジェントは正気に戻ったのではないだろうか。そう思わずには居られない。
サーニャが教えてくれた。この感情は、『後悔』なのだと。
アルマは心の内で、アルジェントが正気に戻る事を願っていた。
生まれて初めて出来た、気兼ねなく付き合える友人だったから。
出逢いが世界再生の民でなければ、叶っていたかもしれない可能性。
どうしてもそれを、思い浮かべてはしまう。
「すまなかった……」
それでも、アルマは自分の行いは間違っていないと考える。
放置しておけば、『強欲』の悪意は全てを呑み込んだだろう。
だから、こうするしかなかった。袂を分かったあの日から、覚悟はしていた。
「やりたいこと」を全て押し通せるとは限らない。
少年は口の中に広がる血の味を通して、生涯この日を忘れないだろう。
ほんの少しだけ、大人になったこの日を。
……*
「じいや!」
深手を負ったオルテールの身を案じて、オルガルが駆け付ける。
抉られた腹部を抑えながら、オルテールはニイッと口元の髭を動かして見せた。
「面目ありません。年甲斐もなく、無茶をしてしまいましたな」
「本当だよ、全く……」
表面こそズタズタに裂かれているが、臓器にまでは届いていない。
だから「大丈夫」だというオルテールの言葉に、オルガルは胸を撫でおろした。
「フフフ。黒髪の小僧よ、見たか。儂の身を案じてくださる若の姿を。
やはり、儂らの絆は貴様より一枚上手だ。若は本当に、子供の頃からお優し……いたたたたた」
この場に居ないシンへ一方的な勝利宣言を行うオルテールだったが、笑った表示に傷が開く。
気付けば彼は痛みから逃げるように、身体を丸めて蹲っていた。
「じいや。そんなことを言っている場合じゃないだろう」
オルガルは痛みにのたうち回るオルテールを心配する一方で、呆れてため息を吐いていた。
最早、憧れている自分以上にシンの事を意識しているのではないかとさえ思える。
自分は同じぐらい、オルテールも尊敬しているというのに。
「しかし、なんだ。相変わらずよく動くジイさんだな」
右手を失ったまま、ライラスがよろよろと近付く。
皆、アルジェントとの戦いで痛手を負った。しかし、『強欲』との戦いはまだ終わっていない。
「アイツ、まだ!」
宿主を失って尚、『強欲』が動き続けている。
撒かれようとする悪意を必死に食い止めるのは、魔獣族の王と妖精族の女王。
黄龍や人造鬼族だって、まだ残っている。
銀狼や黒狼。鬼族は、その身を呈して残る敵からミスリアを護っている。
この様を見て、立ち上がらない訳にはいかなかった。
「……じいや、ごめん。僕は一足先に、戦場へ戻るよ。
皆さん、怪我人を……。じいやを、任せます」
決意に満ちた顔で、オルガルは宝岩王の神槍を手に取る。
オルガルの瞳には、平和を求める戦士が映りこむ。立派に成長を遂げた、バクレイン家の当主の姿が。
「はい。行ってらっしゃいませ」
大丈夫。何も心配はいらない。
オルテールは心から、オルガルの背中を頼もしく思った。
……*
適合者であり、宿主でもあるアルジェントの死は『強欲』にも影響を与える。
魔力の供給が断たれても尚動き続けるのは、これまで注ぎ込まれた悪意の大きさによるものだった。
宿主の感情という一種のフィルターを失い、『強欲』は己の本能に忠実となる。
――全テガ欲シイ。手ニ入ラナイノデアレバ、壊シテシマエ。
衝動的な行動により、悪意の塊はより狂暴性を増していく。
魔獣族の王と妖精族の女王は、剥き出しの悪意へと立ち向かっていた。
「こやつ、急に力が!」
両手に装着した神爪の刃が、食い込んでは離れない。
自らの腕に神爪が食い込んだまま、『強欲』は3メートルを超える獣人を軽々と持ち上げていく。
「アヒィ」
不気味な笑みを前にして、魔王であるはずのレイバーンが気圧される。
この存在は、純粋なる悪意の塊だ。営む為の秩序を必要としない、ただ他者から奪うモノ。
「どこまで歪んで……!」
今の『強欲』はシンによって聞かされた話からは、対極の位置に居ると言っても差し替えがないだろう。
純粋で何も知らない子供が悪意に染まり切った姿を見るのは、見るに堪えない。
どうにか『罪』を重ねる前に、止めてやらなくてはならないと強く思った。
「ぐ、う……」
だが、『強欲』にとって彼らの胸の内を知る由などない。
本能のままに、悪意の塊はその身を動かしていく。
今、欲しいモノは体毛に覆われた両腕だ。
硬く、強い両腕を引き千切って、自らの蒐集品に加えたい。
きっといつまでも雄々しく聳えるそれは、腕力で勝った自分の力強さを永遠に語り継ぐ証明となるだろう。
尤も、自分の腕に食い込んでいる神爪は気味が悪いので要らない。
腕を胴体から引き離した後は、邪魔だからそこいらに棄てて置けばいいだろう。
「ぐ、ああああああああ!」
どうすれば千切りやすいのか。悪意の塊は拙いながらも頭を使う。
試しに捻じってみた所、レイバーンが強い悲鳴を上げる。
声の大きさに比例して効率的に引き千切れるに違いない。
そう考えた『強欲』は、彼の腕をねじ切る事に舵を切る。
「レイバーンを……離してっ!」
尤も、苦しむレイバーンの姿をリタが黙ってみていられるはずはなかった。
妖精王の神弓から繰り出されるは、光の矢。
レイバーンへの想いに愛と豊穣の神が応え、より眩い光が放たれた。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!?」
肩、肘、手首。『強欲』の関節を的確に狙った矢が、次々と巨大な身体に突き立てられていく。
力を加えていられないと『強欲』の拘束が緩まった瞬間。リタは、レイバーンの腕へも光の矢を放っていた。
「リタ、感謝するぞ!」
妖精王の神弓から放たれた光の矢の先端が獣魔王の神爪と鬼武王の神爪へ触れる。
刹那、互いの神器は共鳴をするかの如く、輝きを増した。
矢から形成される光の帯が、レイバーンの両腕を優しく包み込む。
レイバーンは腕の痛みが和らぎ、力が増していくのを感じ取っていた。
「これならば……!」
獣魔王の神爪と鬼武王の神爪の爪がより深く、『強欲』の腕へと食い込んでいく。
引っかかった鉤爪はレイバーンが力任せに腕を引くと同時に、裂けられていく。
先刻とは対照的に、『強欲』の絶叫が周囲へと喚き散らされた。
腕の向きに沿って、真っ直ぐに刻まれた四本の線は『強欲』の腕を四分割していた。
天へ向かって悲鳴を上げる『強欲』。だらりとぶら下がる、裂けた腕。
「今だ! リタ!」
「うん!」
生まれた隙を前にして、レイバーンとリタは更なる追撃を試みる。
めいっぱいの想いを祈りとして、妖精王の神弓に力を注ぎ込むリタ。
戦と獣の神に祈りを捧げ、獣魔王の神爪を構えるレイバーン。
二人の渾身の一撃が、『強欲』を貫かんとする。
一方の『強欲』は、ぶら下がった腕に呆然としていた。
動かそうと思っても、動かせない。まるで初めから自分に搭載されていた玩具のようにも見えてくる。
これはこれで楽しめそうだが、今は必要がない。
そもそも、腕はやはり必要だ。この数秒間の間でも、不便だと思い知らされた。
だから、『強欲』は腕を求める。
屈強な腕を、自らで創り出す事を選んだ。
問題はない。幸い、宿主が死ぬ直前に腕を手に入れたのだから。
彼からの最期の贈り物を、『強欲』は有難く使わせてもらう事とした。
「アハァ……」
口から涎を垂らしながら、『強欲』はだらしのない笑みを浮かべる。
それほどまでに高揚した。やはり、腕は必要だと実感させられる。
今まで、多くのものを模倣で生み出した。
『強欲』にとって、その中のどれよりも有意義なモノを創り出した。
義手の魔導具を模した、模造品の腕はそう確信できる程の出来栄えだったのだ。
悪意はまた、新たな力を以て自身の欲望を満たそうとする。