480.向き合う相手
オリヴィアの発言に周囲が皆、顔を顰める。
コーネリア・リィンカーウェルとの戦いに於いて、アメリア・フォスターは紛れもなく天敵に近い存在だった。
彼女の武器は凡ゆる結界を斬り裂く神剣、蒼龍王の神剣。
加えて、魔力を砲撃に転換する『羽・銃撃型』まで備えている。
真言を用いても防ぎきれないそれらを持つアメリア以上に、コーネリアと戦うに於いて適任な者は見当たらない。
事実、コーネリアは既に脳内でアメリアの対策を組み立てつつあった。
それら全てに「待った」をかけたオリヴィアに、否が応でも注目が集まる。
「オリヴィア……」
ただ、姉であるアメリアだけは彼女の言いたい事を理解していた。
知っている。彼女はこれで負けず嫌いなのだ。このまま自分に後を託しては女が廃るとでも思っているのだろう。
「勝算は?」
「あります」
はっきりと。コーネリアにも聞こえるように、オリヴィアは言い切った。
勢い任せで言った訳ではない。彼女は明確に、勝機を見出している。
「へぇ……」
思わずコーネリアが笑みを溢す。狂言ではない事を理解しているからだ。
これまでの戦いで、オリヴィアは仲間と共に、自分へ迫ろうとしていた。
現に『暴食』の介入がなければ、分身から放たれる魔術は自分に届いていただろう。
しかし、知っていれば警戒も出来る。
オリヴィアからすれば分身は虎の子だっただろうに、不発に終わった。
それでも尚、彼女は勝算があると言い切ったのだ。
コーネリアの立場からすれば、興味を惹かれるのは無理もない。
「オリヴィア、本気で言っているのか!?」
「秘策でもあるのかい……?」
訝しむのは敵ではなく、味方であるストルとテランだった。
同じ魔術師だから余計に信じられないのだろう。あのコーネリア・リィンカーウェルに対してこうも自信満々で居られる事が。
「やってみれば分かりますよ。ですから、ご協力お願いします!」
ただ、その図は自分一人では完成しない。
力を貸して欲しいと頼むオリヴィア。
考えている猶予は無い。皆は彼女へ賭ける事を、受け入れた。
「オリヴィア。貴女の覚悟は受け取りました」
アメリアもまた、オリヴィアの願いを聞き入れる。
コーネリアへ向けられていた蒼龍王の神剣の切っ先が揺らぎ、方向を変える。
新たに先端が示した先には、漆黒に染まった悪意の塊。『暴食』が、聳え立っていた。
オリヴィアが頑なにコーネリアとの決着を主張した理由の半分は、『暴食』の存在が関係している。
左腕に備わる消失は、凡ゆるものを喰らい尽くす。
ビルフレストの吸収同様に魔力で拒絶出来るとはいえ、常に全神経を『暴食』へ張り巡らせなくてはならない。
身を以て思い知ったオリヴィアだからこそ、ある意味ではコーネリア以上に対策が必須だと捉えた。
故に、邪神を断てる存在。蒼龍王の神剣の継承者であるアメリアに全てを託す。
「お姉さま、すみません……。一番厳しい戦いを任せることになってしまって」
互いの敵を見据え、背中合わせの状態になった中でオリヴィアは謝罪の言葉を漏らす。
最も危険な戦いに、敬愛すべき姉を送り込むという後ろめたさがオリヴィアにはある。
しかし、アメリアは妹の葛藤さえも受け入れていた。
むしろそうするべきだと、彼女の背中を押す。
「謝る必要はありません。私こそ、邪神の存在は放っておけませんから。
コーネリア・リィンカーウェルにきつましては、任せましたよ」
「……はいっ!」
短い返事が合図となり、背中越しに伝わっていたアメリアの気配が遠くなる。
オリヴィアは「ご文運を」と呟き、己の戦う相手を真っ直ぐに見据えた。
「アタシとしては、フォスター二人がかりでも一向に構わなかったんだけどな。
まずはお前さんの秘策とやらを堪能させてもらうか。
下らない内容なら、承知しないからな」
ビルフレストの横槍に対する意趣返しか。
オリヴィア達の話が終わるのを待っていたコーネリアは、肩を竦める。
「ご丁寧にお待ち頂いて、ありがとうございます。
ご安心ください。きっと、退屈はさせませんから」
「楽しみにさせてもらうぜ」
戯けてみせても、流石は『始まりの魔術師』というべきか。
全身に突き刺さるような魔力が、オリヴィアの額に汗を伝わらせる。
策はある。それは決して嘘ではない。
ただ、どうやってその結末まで辿り着くか。専らの課題は、それに尽きる。
(この点に関しては、賭けですよね……)
乾き始めた唇を軽く舐め、オリヴィアはより深く魔力の支配するこの空間へと意識を沈めていく。
はっきりと公言したからか、緊張感とは裏腹に彼女の頭は妙に冷え切っていた。
真言。精霊魔術。『羽』。魔導弾。
これらから導き出されるは、ひとつの可能性。
オリヴィア・フォスターはまたひとつ、無限の可能性に手を伸ばそうとしていた。
……*
「アメリア! 妹は良いのか!?」
妻のセルンと共に『暴食』と戦闘を繰り広げていた蒼龍王は、アメリアの接近に眉を顰めた。
参戦する直前。妹の危機に不安を露わにしていた彼女を知っているからこその心配だった。
「はい、オリヴィアは出来た妹ですから。
あの子が『大丈夫』だと言うのであれば、私はその言葉を信用します」
しかし、その心配は杞憂に終わった。
妹と話し終えたアメリアの表情はすっきりとしている。
寧ろ、自分のするべき事を見据えた者の顔つきだ。
「そうか。余計な心配だったな」
カナロアは一度不敵な笑みを浮かべると、即座に大きく息を吸う。
『暴食』へ向かって放たれるのは、水の息吹。
巨大な質量が悪意の塊を押し流さんと迫るが、『暴食』の左腕はそれらを難なくと喰らい尽くした。
「チッ」
舌打ちをする蒼龍王。
水圧により『暴食』の接近を防ぐが、消失により有効打ともならない。
何度繰り返しても結末は変わらない。
速度を活かして接近を試みたいと考えるものの、やはり懸念点として挙がるのは消失の左腕だった。
巨体故に的が大きい蒼龍は、掴まれてしまえば一巻の終わりだ。
ビルフレストの吸収によって喰われたフィアンマを見ているからこそ警戒を強めてしまう。
対する『暴食』もまた、水遊びに対して憤りを抱いていた。
思うように動けない苛立ちは、その身をより深く悪意に染めていく。
互いが決め手を欠く膠着状態だったからこそ、アメリア・フォスターの行動は大きな意味を持つ。
瞬く間に懐へ潜り込んでは、悪意を払うかの如く蒼龍王の神剣を振る。
「アァァァ!!!」
『暴食』もまた、不意に現れたアメリアを歓迎していた。
良い加減、水を飲むのにも飽き飽きしていたところだ。
口直しにと振り下ろされた左腕が、蒼い刀身へと触れた。
「ぐう……っ」
邪神を断つ救済の神剣と悪意によって押し固められた存在がぶつかり、激しい衝撃を生み出す。
アメリアは腰を落とし、大地を踏み締める。
コーネリアによって亀裂の入った地面は不安定で、必要以上に神経が削られていく。
それでも尚、蒼龍王の神剣は自らに課せられた新たな使命を忘れはしない。
自らを喰らい尽くそうとする消失を打ち消し、『暴食』の左手から悪意を剥ぎ取っていく。
剥がれた表面から覗かせるものもまた、全てを飲み込まんとする漆黒の闇だった。
「っ! あなたは、もう……」
垣間見えた光景を前にして、アメリアは言葉を失う。
『暴食』もきっと、初めは何も知らない純白の子供だったに違いない。
しかし、今の姿にその面影は見当たらない。
どれだけの悪意に晒されて、浸されたのか。
その様子を思うだけで、アメリアは胸の内にやるせなさを抱いていた。
「アァァァァァァッ!!」
だが、アメリアの思いなど『暴食』にとっては関係がない。
適合者の悪意を一身に受け続けた『暴食』は、世界再生の民の望んだ邪神に最も近い存在だった。
漆黒の身体に詰め込めれているのは、全てを喰らい尽くしたいという己の欲求に集約されていた。
消失を以てしても、蒼龍王の神剣には届かない。むしろ、押し返されている。
その事実は確かに、『暴食』の神経を逆撫でするものだった。
しかし、捕食を行うのは何も左腕だけではない。
なんの為に立派な口がついているのか。そう言わんばかりに、大口を開いた『暴食』がアメリアへ覆い被さろうとする。
「アメリア!」
「っ! 問題ありません!」
アメリアを飲み込むよりも早く。『暴食』の口に、魔力の塊が押し込まれる。
彼女の肩から放たれた『羽・銃撃型』が、砲撃を以て『暴食』の頭を押し返していた。
「ガアァァァァァァッ!!」
「くっ!」
頭を仰け反らせながら、苛立ちから地団駄を踏む『暴食』。
亀裂の入った大地が僅かに揺れ、アメリアの体勢を崩そうとする。
蒼龍王の神剣と消失が離れた以上、深追いは禁物だと判断したアメリアは一度下がって仕切り直す事を選択した。
「アメリア、大丈夫か!?」
「ご心配をお掛けしました。私はこの通り、無事です」
敢えて「私は」と付け加えた理由は、依然として視線を外さない『暴食』にあった。
あれだけの悪意に染まってしまった肉体だ。恐らくはもう、空白の島の時のようには分かり合う事は出来ないだろう。
(シンさん、すみません。邪神の分体はもう、難しいようです)
思い浮かべるは、邪神を救いたいと言った青年の姿。
『暴食』に彼の優しさは届きそうにない。それだけが悔しくて堪らなかった。
しかし、アメリアは決して俯きはしない。
救えないのなら、せめて蒼龍王の神剣を以て祓う。いつかの救済に繋がると信じて。
それは他の誰でもない。自らが成し遂げる必要があると感じていたから。
「……カナロア様。セルン様。邪神の分体は、私が引き受けます」
大きく息を吐き、アメリアははっきりと口にした。
『暴食』を一人で受け持つと。
「待て、それは危険だろう!」
「そうですわ! 貴女一人に負担を――」
当然ながら、二頭の蒼龍は彼女の提案を受け入れられない。
現に先刻も、消失以外でアメリアを喰らい尽くそうととしていた。
水の息吹や動きの速さで撹乱するなどして、連携を取った方がより確実に勝てるだろう。
「仰る通りですが、お二方にはお願いしたいことがあるのです」
ほんの少し逡巡しながらも、アメリアは二頭の蒼龍へある事を託す。
シンの願いを叶えてあげられないと悔やむ中。
アメリアにはもうひとつ。叶えさせてやりたい願いがある事に気が付いた。
「イルくん……。紅龍王の神剣の継承者に、道を拓いてあげてはもらえませんか?」
今、この場で誰よりも己を殺している少年。
イルシオン・ステラリードが自らの闘いへ赴けるよう、道を切り拓いて欲しかったのだ。
「イルくんは新種の魔物相手に、独りで奮闘しています。
けれど、本当はビルフレストをこの場にいる誰よりも許せないはずです。
お二方には、理解出来ないかもしれません。ですが、イルくんにとってはとても大切なことなんです。
どうか、お願いします……!」
余計なお節介かもしれない。
それでも、アメリアは意味のある闘いだと思っている。
ビルフレストの手によってずっと側に居た相棒。クレシア・エトワールを失った。
復讐の為にフェリーの力を利用しようとした事もあった。
それは単に、イルシオンにとってかけがえの無い存在だという証左に繋がる。
単純にクレシアの仇というだけなら、アメリアはこんな頼み事をしなかったかもしれない。
ビルフレストは彼女の得意とする魔力操作を自らのモノとして扱っている。
死後も弄ばれるクレシアの気持ちを鑑みると、浮かばれない。イルシオンの怒りは、想像を絶するものだろう。
それでも尚。彼は仲間を、民を護る為に紅龍王の神剣を振るう。
独りで大量の人造鬼族へ立ち向かう彼へ、アメリアは手を差し伸べたかった。
「あなた……」
思案する夫の顔を、セルンが覗き込む。
すっきりとした表情をしなカナロアは次の瞬間、セルンと共にアメリアの前から姿を消す。
「……ありがとうございます」
それがそのまま、答えだと理解するのに時間は必要なかった。
……*
「くっ! 邪神の分体に、蒼龍族まで……!」
孤軍奮闘。人造鬼族との戦いを繰り広げるイルシオンは、変わり続ける状況から離されつつあった。
いくら斬り伏せようと、一向に数は減らない。
このままでは疲労で先に力尽きてしまう。そんな最悪の状況が脳裏を過った瞬間。
それらを否定するかの如く、二頭の蒼龍が人造鬼族の群れを蹴散らせていく。
「なっ……」
音を感知した時には、既に自分の周囲から人造鬼族は消えていた。
これが最速を誇る龍族の力なのかと畏怖すると同時に、イルシオンは眉を顰める。
人造鬼族よりも厄介な存在が蔓延る中。
縁もゆかりもない自分の元へ、どうして蒼龍王とその妻は駆けつけたのか。
その意図を図りかねていたからだ。
「蒼龍王……。どうして、オレを……?」
恐る恐る、イルシオンは蒼龍王へ意図を尋ねた。
アメリアと共に来たのだから、敵ではないと判っている。それでもやはり、緊張は免れなかった。
「アメリアの願いだ。お主に『暴食』の適合者との決着につけさせてやりたいというな」
「……っ!」
イルシオンはアメリアへ顔を向ける。
彼女は自分の方を向いてはいない。『暴食』と今も懸命に戦っている。
それでも、彼女の想いは受け取った。
我慢しなくてもいい。
自分の願いを、叶えるべきだと。
「露払いは引き受けた。お主は、お主の闘いをするがいい」
「……ありがとう」
ただそれだけを伝えて、イルシオンは向き合う。
宿敵である、ビルフレスト・エステレラの方を。