479.託すに足る者
迫り来る『暴食』の左腕。
全てを消し去る消失が、オリヴィアへ迫る。
徐々に視界を覆い尽くしていく消失を前に、オリヴィアの脳裏に浮かんだのは恐怖ではなく、後悔だった。
失敗した。迂闊だった。
コーネリア・リィンカーウェルに対して、強い対抗心を抱きすぎた。
ビルフレストの……。いや、邪神の分体への注意がいつしか疎かになっていた。
(せっかく、届きそうだったのに――)
まだ、自分には策がある。
相手が『始まりの魔術師』だろうとも、一泡吹かせる予定があったのだ。
勿論、現世に蘇ったコーネリアが全盛期そのままの強さだとは思っていない。
それでも、いち魔術師として彼女に一杯食わせたかった。
あの男はいつもそうだ。大切な所で割り込んでは、邪魔をする。
「オリヴィア!」
ストルが声を荒げている。
こんなに取り乱した彼の声は初めて聴いた。
そうだ、まだ知らない事がたくさんあるのだ。
知りたかった。知って欲しかった。だけど、その願いはきっと悪意によって塗り潰される。
(恨みますよ、本当に……)
オリヴィアは多くの心残りを抱えながらも、数秒後に訪れる自分の運命を受け入れる。
「チッ、つまんねえ結末にしやがって……」
ぽつりとビルフレストへの恨み節を呟いたのは、コーネリアだった。
済んでの所で現れた、小さな魔術師。自分の虚を突くための動きは賞賛に値する。
あの手この手で自分に迫ろうとするオリヴィアを、コーネリアは認めていた。
せめてあの攻防ぐらいはやり遂げたかったと思うものの、その願いは叶いそうにはない。
それだけではない。コーネリアにとって、「フォスター」の名は特別な意味を持つ。
かつての戦友の末裔が、こんなに呆気なく消えてしまう。
戦場に於ける無常さに、コーネリアはやるせなさを感じてしまった。
敵も味方も、本人さえもオリヴィアの『死』は免れないと感じ取っていた。
その意味は、ただ魔術師が一人離脱する程度では済まない。
現状に於いて、彼女は謂わば頭脳だった。
ヴァレリアがいくら気を吐こうとも、オリヴィア以上に戦況を見極める事は難しいだろう。
資質だけではなく、彼女が相対している者がビルフレスト・エステレラという点も含めて。
ギリギリで保っていた均衡は崩れる。
即ち、ミスリアの戦力を大いに削るまたとない好機。
『暴食』の左腕がオリヴィアへ触れようとする。
消失が彼女を喰らいつくそうとした時だった。
救済の神剣を持つ者が、悪意による横暴を阻止したのは。
「――はあっ!」
凛とした声と同時に、振り上げられる剣。
蒼い輝きを放つ刀身が、悪意を拒絶するが如く『暴食』の左腕を弾いた。
「お姉さま――!」
オリヴィアは彼女の姿を視認するよりも早く、声に出していた。
考えるまでもない。自分の窮地に現れた騎士は、敬愛する姉。
アメリア・フォスター以外にありえない。
そのアメリアはまだオリヴィアへ言葉を返さない。
何よりも優先すべき事は、まず彼女の安全を確保する事だと理解しているから。
右手に握られるは、悪意を断つ神剣。
蒼龍王の神剣が消失を、邪神の分体を拒絶する。
僅かではあるが、悪意の塊の身体が浮く。
次の瞬間、最速の龍族による一撃が『暴食』の身体をオリヴィアから引き離した。
「な、なんだ!?」
突如現れた女騎士と龍族に、コーネリアは驚きを隠せない。
それでも即座に迎撃体勢へ移ったのは、彼女自身も百戦錬磨であるが故にだった。
舞うように戦う彼女に見惚れている場合ではないと、本能が訴える。
狙うは女騎士の足が地に着いた瞬間。
いくら動きが早くとも、人間である以上は次の動作は限られる。
まずは足場を崩し、優位性を得る。
だが、アメリアも自分が次に隙を生む瞬間は理解している。
故に彼女は、コーネリアの裏をかかなくてはならない。
「なっ!?」
結果、アメリアの足は地に着かない。
彼女の肩から分離した『羽』が足場となり、アメリアに一瞬のアドバンテージを与える。
『羽』を蹴り、コーネリアへ斬りかかるアメリア。
虚を突かれたコーネリアは、彼女と自分の間に結界を張る。
その選択が誤りだと気付いたのは、アメリアよりもコーネリア自身の方が早かった。
「チッ、蒼龍王の神剣は――」
コーネリアは知っている。蒼龍王の神剣は、凡ゆる結界を斬り裂く神剣だと。
抵抗を許さず、横薙ぎに裂かれる結界。
接近したままだと分が悪いと感じたコーネリアが、距離を取る。
「逃しません!」
しかし、アメリアも魔術師相手に易々と距離を置かせるつもりはなかった。
裂け目から『羽・銃撃型』による魔力の砲撃が放たれ、コーネリアへと迫る。
「――真水。いいや、違う!」
真言を持って砲撃を掻き消そうと試みるコーネリアだが、即座に誤りに気付く。
彼女の肩から射出されたそれは、明らかにオリヴィアやピースの『羽』に酷似している。
完結した魔術だと考えるのが自然だと考えを改めて、自らの眼前に結界を張り直した。
だが、それでも防御は間に合わない。僅かに『羽・銃撃型』の砲撃は、コーネリアの肩を掠めていた。
「つぅ……。やるじゃないか……」
砲撃を浴びた肩を抑えながら、コーネリアは不敵な笑みを浮かべる。
身のこなしといい判断といい、鮮やかとしか言い表しようがない。
当代の蒼龍王の神剣を継承者として、申し分のない人間だと感じていた。
一先ず、オリヴィアの危機は去った。
ふう。と、胸を撫で下ろすアメリアへ、オリヴィアが駆け寄る。
「お姉さま!」
「オリヴィア、皆さん。遅くなってすみません」
オリヴィアの様子から無事を確認したアメリアは、安堵の表情を見せる。
彼女をこの場へと運んだ二頭の龍族も彼女同様、『暴食』を牽制したまま笑みを浮かべた。
「この娘がアメリアの妹君か。よい面構えをしている!」
「本当、お姉さんに似て綺麗な娘ね」
「え? あ、はい。ありがとうございます」
見上げる先に聳える二頭の龍族は蒼龍族の長であるカナロアと、その妻のセルン。
アメリアが戦場へ姿を現す事ができたのは、龍族の中でも最速を誇る一族の彼らによる力が大きい。
「蒼龍王!? どうして……」
「お主は紅龍の。そうか、翼を失ったという話は真であったか……」
翼をもがれたフィアンマの姿を目の当たりにしたカナロアは、痛々しい表情を浮かべた。
自らも邪神の能力に遅れをとったからこそ、その悔しさは十二分に理解できる。
「どうしてと言うのは、そうだな。他でもない、アメリアに頼まれたからだ。
彼女たちは我の島を、カタラクト島を邪神から護り抜いてくれた。
そのアメリアが、今度は力を貸して欲しいと頭を下げに来たのだ。
王たる者として、応えぬわけには行かぬだろう」
カナロアの隣で、セルンも力強く頷いた。
ミスリアへ助力する事は、カタラクト島の総意でもあった。
自分達の楽園を護ってくれた者へと、恩返しとして。
「へぇ……」
カナロアの話を受けて、コーネリアはまたも口元を緩める。
今のミスリアに腐った人間が居るのは、事実だろう。
しかし、やはりそれは一面だけだ。
別の一面ではこうやって、皆の為に力を振える者が居る。手を貸してくれる者が居る。
自分の弟子を思い出しているようだった。
彼もまた、人と人を繋ぐ事を大切にしていた。
想いはきちんと受け継がれている。その一端が垣間見えた事を、コーネリアは嬉しく思った。
コーネリアがアメリアと蒼龍王へ心中で賞賛している最中。
一方で、当のアメリアは浮かばない顔をしている。
「思ったよりも世界再生の民の動きが早くて……。
遅くなって、申し訳ありません」
アメリアは蒼龍王の神剣を構えたまま、申し訳ないと謝罪の言葉を口にする。
まさに間一髪と言えるタイミングだった。後一秒でも遅れていたならば、オリヴィアは『暴食』に喰われていた。
大切な妹を危機に晒してしまったと、アメリアは苦悩の表情を見せる。
「いいや、ある意味ではバッチリだよ」
あまり自分を責めるなと声を上げるのは、ビルフレストと相対しているヴァレリア。
彼女にとって、このタイミングは悪くない。むしろ、完璧ですらあった。
何せ、ここまで悔しさを露わにするビルフレスト・エステレラの顔を特等席で拝めたのだから。
「アメリア・フォスター……!」
(フォスター? そうか、あの嬢ちゃんも『お姉さま』つってたな)
コーネリアはここで漸く、蒼龍王の神剣を持った女騎士。アメリアもまた、フォスター家の末裔なのだと知った。
自分がフォスターを言っているのは、もう500年以上も前の話。
それでも、あの生真面目さはどことなる昔の仲間を思い起こさせた。
彼女が懐かしむ傍で、ビルフレストの心中は穏やかではない。
世界を統べる魔剣を握る力が、自然と強まる。
コーネリアによって魔力が乱されていたが、探知を用いて周囲の状況は把握しているはずだった。
それでも、彼女を探知できなかった。否、認識より早く現れた。
最速の龍族である蒼龍族は、一説によると音よりも速く空を駆けると言われている。海ならば、それ以上だ。
接近していると気付けていれば、『暴食』の投入は然るべきタイミングがあった。
邪神を断つ救済の神剣。その継承者であるアメリアに、不意を突く事だって出来たというのに。
「おいおい、ビルフレスト。アメリアにばっかり熱視線を送るなよ、妬けるじゃねぇか」
「そうだな。さっきまで、ボクたちと遊んでいたじゃないか」
鬼の形相でアメリアを睨むビルフレストの前に、ヴァレリアとフィアンマが立ち塞がる。
今の彼ならば、冷静さを欠いているかもしれない。手負いのヴァレリアにとっては、またとない好機となる。
「邪魔をするなら、まずは貴様らから血祭りにあげてやろう」
「ビルフレスト、お前は冗談が下手だな。
そう言ってさっきから仕留めきれてないじゃねぇか。
それとも何か? まだ本気を出してなかったってヤツか?」
この程度の挑発がビルフレストへどれだけの影響を与えるかは解らない。
けれど、ヴァレリアにも意地がある。アメリアだけに全ての期待と責任を、背負わせるつもりはない。
「……後悔するなよ。ヴァレリア・エトワール」
「後悔なんて、お前の企みが見抜けなかった時点で死ぬ程してるんだよ!」
その言葉を皮切りに、ヴァレリアとビルフレストは再び刃を交える。
フィアンマを交えて尚、ビルフレストは互角以上の戦いを繰り広げていた。
ビルフレストはヴァレリアとフィアンマが受け持った。
残る敵。その中で唯一人間の形を保っているコーネリア・リィンカーウェルは、フォスターの末裔へと熱い視線を送る。
「よぉ、お前さんもフォスターなんだってな」
「そうですが……。貴女は……?」
「お姉さま。あの人、コーネリア・リィンカーウェルです」
コーネリアの素性を知らないアメリアへ、オリヴィアが耳打ちをする。
アメリアも当然ながら、その名を知っている。だからこそ、眉を顰めた。
「コーネリア・リィンカーウェルって……。オリヴィア、本気で言ってますか?」
「その嬢ちゃんの言ってることは本当だよ。正真正銘、アタシがコーネリア・リィンカーウェルだ」
「信じられないですけど、嘘のような本当の話なんです。多分、どこかのゲスが彼女の魂を呼び覚ませたんですよ」
コーネリアの自己申告は兎も角、オリヴィアがここまで言うのだから本物なのだろう。
ミスリアにとって、伝説的な人物さえも利用する。その行いに、アメリアは強い憤りを感じていく。
対するコーネリアは、術者が下した絶対的な命令。ミスリアを滅ぼすという点には逆らえない。
実際、腐った貴族の話を聞けばそうなって然るべきではないかと思う部分もある。
だが、一方で自分を止められるだけの人材が居れば。
この危機も、救った先で歪みも正せるのではないかという希望を持っているのも事実だ。
その可能性を感じさせる者達。二人のフォスターへ、コーネリアは告げる。
「信じるかどうかは、好きにすればいいさ。
けど、アタシはそこの男前たちとミスリアを破壊する。
それが嫌なら、止めてみな」
わざとらしい言葉ではあるが、嘘ではない。
両の手に魔力を込めながら、圧迫感を放つ姿は紛れもなく『始まりの魔術師』に相応しい姿だった。
「ミスリアを。私たちの国を破壊するというのでしたら。
貴女がコーネリア・リィンカーウェルかどうかは関係ありません。
全力を以て、阻止します」
尤も。アメリアにとってコーネリアの存在は些細な問題だった。
蒼龍王の神剣の継承者として、ミスリアに災いを齎す存在を断つ。
それが自分の役割だと、理解をしているから。
「ああ、それでいい。掛かってきな!」
コーネリアも、アメリアがどう思っていようと構わない。
ただ、自分が見極めたかっただけだ。未来を託すに相応しい人物かを。
相対する二人に緊張感が走っていく。
次に呼吸する間にも、戦闘が始まる。
周囲でさえもそう感じ取った瞬間だった。
「お姉さま、待ってください。コーネリアさんは、わたしたちでなんとかしますから」
その戦いに、オリヴィアが待ったを掛ける。
彼女はまだ、コーネリアに勝つ事を諦めていなかった。