478.集うは因縁
掴まれた首根は、酸素の供給を著しく低下させる。
ガンガンと鳴り響く騒音は、自分の頭の中だけで起きているのだろう。
脈打つように痛むそれは、リタに意識を失わせる事を許さない。
今まさにその華奢な身体に巨大な剣が振り下ろされようとも、痛みを味わなくてはならない。
逃げる事も抵抗する事も叶わず、させるがままに。
(ギルレッグさんは……)
抵抗する術を失ったリタが出来る事は最早、仲間の安否を気遣う事ぐらいだった。
真っ先に心配をしたのは、瓦礫に埋もれたギルレッグ。
姿こそ確認出来ないが、魔力は感じ取れる。まだ生きていることに胸を撫で下ろしながらも、彼女はこう願う。
どうか、そのまま出てこないで欲しいと。
魔力の揺らぎを見る限り、アルマやライラスも適合者であるアルジェントに苦戦を強いられている。
戦闘能力を有さないギルレッグが起き上がった時に、彼の身を護れる者が存在しないのだ。
ならばいっそ、このまま隠れておいては貰えないだろうか。
リタは我ながら自分勝手だと承知している。
けれど、折角出来た友人を失いたくはない。
だからどうか、生き延びて欲しいと強く願った。
他にも考える事はたくさんあるが、物思いに耽る時間はそう与えては貰えない。
魔剣の刃が眼前に近付くにつれ、リタの思考はひとつに集約されていく。
(……レイバーン)
永い刻を経て、想いを通じ合った男に思い馳せる。
魔王だけど、威厳より親しみやすさが勝っている彼。
その広い心と身体で、皆を包み込む優しい彼。
足りない。彼の好きな所を挙げようとしても、時間が足りない。
会いたい。話したい。触れたい。今際の際だというのに、浮かび上がるのは彼の事ばかりだった。
「……ごめんね」
先に逝ってしまうと、リタは謝罪の言葉を呟く。
悪意で塗り固められた漆黒の刃が、リタへ届こうとした瞬間だった。
「え……」
剣の切っ先が、その動きを止める。
代わりにリタの視界を覆ったのは、大きな影。
リタの身を斬り裂こうとする悪意の刃を、受け止める者がいた。
「リタに……何をしているのだ……?」
全身の毛を逆撫でながら、滴る汗を拭おうともせず。
その巨大な身体は、両の腕に携えた神器で『強欲』の剣を押さえ込む。
一生懸命に自分を護ってくれているその男性を、リタは知っている。
彼の姿を見間違えるはずもない。
「……レイバーン」
絶体絶命に陥っていた妖精族の女王を救ったのは、彼女の想い人。
魔獣族の王、レイバーンだった。
……*
「あの獣人は!」
「魔獣族の王……!」
レイバーンの姿を視界に捉えたのは、リタだけではない。
アルマやライラス。そして彼らと交戦を続けているアルジェントも、その姿を認識する。
「チッ。後少シデ、妖精族ノ女王ハ終ワリダッタノニヨォ……。ウゼェナ……」
心強い味方の到着に沸き立つアルマとライラスとは対照的に、アルジェントは上手く行かない事へ対する苛立ちを露わにした。
未だ形勢は自分に有利だと認識をしているが、彼にとって神器は相性が最悪の武器となる。
それを二本も携えている彼を放置する程、今のアルジェントに余裕はなかった。
「感動ノ再会ヲ果タシタンダ、モウイイダロォ!
二人仲良ク、同ジ場所ヘ送ッテヤルヨォ!」
「アルジェント!」
右腕から射出される無数の鱗はアルマとライラスを素通りし、封じられていた魔術を発動する。
その正体は大量の召喚魔術。描かれた魔法陣から現れたのは、黄龍の群れだった。
「ヤッチマエェ!!」
現れたの黄龍が一斉に大口を開ける。
放たれようとしているのは、風の息吹。
その照準はレイバーンとリタだけに留まらず、瓦礫に埋もれたままのギルレッグまで巻き込もうとしている。
「レイバーン!」
『強欲』と鎬を削っているレイバーンは、この場から動けない。
自分がやらなくてはと痛む身体を押して妖精王の神弓へリタは手を伸ばす。
「案ずるな、リタ。余たちには心強い味方がいるだろう」
尤も、レイバーンに焦りの表情はない。
リタがその理由を悟ったのは、直後の事だった。
無数の魔力が高速で接近するのを感じ取る。
刹那。分厚い氷の壁が聳え立ち、黄龍から放たれる風の息吹を受け止めた。
「ナッ……」
その氷の質に、アルジェントはまずフェリーの姿を脳裏に浮かべた。
しかし、アルジェントの視界に映ったのは彼女ではない。
透明な氷の向こう側で佇む者は、美しい銀色の毛を靡かせる魔狼。ヴォルクだった。
「よお、ジジイ。なに瓦礫の山でおねんねしてんだ?」
銀狼は小人王の神槌の柄を見つけるなり、その奥に埋もれるギルレッグを拾い上げた。
逆さに吊られたギルレッグとヴォルクの目が合うなり、小人族の王はバツが悪そうにそっぽを向く。
「フン、ちょっと不意を突かれただけだ」
「相変わらず、口の減らねえジジイだな」
憎まれ口を叩きながらも、ギルレッグとヴォルクは笑みを溢す。
彼の前脚に取り付けられた白銀の爪は、自分が鍛え上げた時と同じ輝きを放っていた。
「クッ……! ケドヨォ、一発防イダダケジャネェカ!
黄龍ドモ、散ッテ戦エバイインダヨォ!」
どうしてこうも、邪魔ばかり入るのか。
アルジェントは怒りのままに、黄龍へ散開するよう指示を出す。
四方から風の息吹を浴びせれば、いくら銀狼といえど氷は薄くならざるを得ない。
黄龍なら突き破れるだろうという算段だった。
だが、援軍は銀狼だけではない。
この状況でこんな簡単な事にすら気付けない程、アルジェントは怒りで我を忘れていた。
「レイバーン、ヴォルク。先を急ぎすぎだ。
私たちだけではないと言っているだろうに」
呆れた声を漏らしながら、黄龍へ喰らいつく一匹の魔狼。
悪意の塊とは違い、どこか気品さを感じさせる黒は黒狼のものだった。
「おお、すまぬな。余としては、リタの危機にじっとしておられんかったのだ」
「へっ、なんでオレたちがノロマに合わせないとなんねぇんだよ。
あいつらだって、二本の足があるんだ。全力で走りやがれ」
「お前というやつは……」
気持ちを正直に話すレイバーンとは裏腹に、憎まれ口を叩く銀狼に黒狼は呆れた。
本当は瓦礫から小人王の神槌の柄が見えた事に動揺したからだというのに、決して語ろうとはしない。
魔獣族の王に、純血の魔狼である銀狼と黒狼。
リュコスの言葉通り、援軍は彼らだけではない。
「姐さん! 大丈夫ですか!?」
鼓膜が破れるかと思うほどの大声と共に、黄龍に硬く握りしめた拳を打ちつける者がいた。
魔狼達から遅れるものの、必死に食らいついてきたのはレイバーンに負けず劣らずの巨躯を持つ種族。鬼族。
恩人であるリタを覆うようにして、彼らはアルジェントの前へと立ちはだかった。
「レイバーン、みんなを……」
「うむ! 相談をしたらな、快く了承をしてくれたぞ!」
『強欲』を力付くで引き剥がしながら、レイバーンは笑顔で答える。
リタも彼の行先は聞いていた。クスタリム渓谷で手を取り合った、魔狼族や鬼族に協力を申し出ると。
ただ、彼らにとって人間の争いは興味が持てるものではないだろう。
断られる可能性も十分頭に入れていた。
だが、彼らは来てくれた。その事実が、リタにとって何よりも嬉しい。
「おやおや。暫く見ねぇ間に随分と格好よくなったじゃねぇか」
変わり果てたアルジェントを見下すよう眺める銀狼。
凡そマトモな人間とは言い難い姿を指摘され、アルジェントは奥歯を噛み締める。
「テメェラニ、オレッチノ苦労ナンカ解ンネェダロウガヨォ……!」
「ああ、興味がないからな」
かつて魔狼族も鬼族も、この男に振り回された。
何を一人だけ被害者ぶっているのだと、黒狼は呆れ果てていた。
「オルゴの野郎もそうだが、オレたちはテメェも気に入らねぇんだよ!
姐さんを傷付けた報いは、向けてもらうぜ!」
「だから、姐さんはやめてってば!」
残された禍根を思い返しながら、鬼族も怒りを滲ませる。
自らを欺いたオルゴの分まで、借りは返さなくてはならないと語気を強めていく。
「言ワセテオケバ……」
アルジェントにとって、これ以上の屈辱はない。
かつて、彼らの上澄を掠め取った者達から向けられる敵意。
黙って奪われていればいいのに。皆が皆、こうして自分に牙を剥く。
「『強欲』の男よ。余たちは皆、お主らの行いを見過ごせばしない。
それでも奪い取るのいうのであれば、全力で抵抗させてもらおうではないか!」
アルジェントに慈悲を与えた訳ではない。
邪神すらも救いたいと語った、自らの親友の為に啖呵を切るレイバーン。
これは彼にとって、最後の忠告でもあった。
「ハ、ハハハ……。言ウジャネェカ。オ仲間揃エテ、モウ勝ッタ気デイヤガンノカヨォ!?」
だが、今のアルジェントにとってレイバーンの言葉は逆効果だった。
アルジェントは上手くいかない苛立ちを募らせていた。そのフラストレーションが頂点に達し、彼は怒りを爆発させる。
「『強欲』! コイツラ全員、好キニ壊シチマエ!!」
本能のまま、命さえも奪って見せろ。
宿主の命を受け、『強欲』は高らかに吠えた。
煮詰められた悪意による圧迫感と、好きにしていいという高揚。
邪悪な笑みを浮かべる『強欲』を前にして、もう戻れないのだとレイバーンは悟った。
「そうか……。残念だ……」
ぽつりと声を漏らしながら、レイバーンは両手に携えた神器を構える。
獣魔王の神爪と鬼武王の神爪は彼の気持ちに応え、輝きを放っている。
「レイバーン、私も……」
「リタ」
彼だけに戦わせる訳にはいかないと、リタは立ち上がる。
彼女自身はよろけながらも、握られた妖精王の神弓はまだ輝きを失ってはいない。
「言っても聞かぬよな」
「えへへ」
これまでの付き合いで、リタの性格はよく把握している。
彼女は決してひき下がりはしない。
誇り高き妖精族の女王として。心優しき一人の少女として。
「ならば、余はリタの盾となろう。後は、お主に任せるぞ」
「うん、ありがとう」
ならば、彼女の意思を尊重するべきだとレイバーンは考える。
自分も彼女の為ならば、いくらでも力が湧いてくる。
なんら問題はなかった。
「アルジェント、もうよせ!」
「ナンダァ? 仲間ガ増エタ途端、強気ジャネェカ」
未だ自分へ立ち向かおうとするアルマを、アルジェントは鼻で笑う。
その様子が気に食わないのか、魔狼族と鬼族も彼へと食ってかかった。
「そちらこそ、まだ余裕なのは恐れ入る」
「状況が見えてないバカなだけかも知れないだろう」
黒狼と銀狼のやり取りは、滑稽だ。自分達の実力を過信している者のそれなのだから。
彼にとっての脅威は、神器を持つリタとレイバーンのみ。
『強欲』が彼らを相手取る以上、いくら束になろうと問題にならない。
そう、思っていた。
けれど、アルジェントと因縁を持つ者は彼らだけではない。
王宮の向こう側から現れるふたつの人影を前にして、アルジェントは眉を顰める。
「テメェラ……」
彼らの姿には見覚えがある。
かつて砂漠の国で交戦した宝岩王の神槍の継承者達。
「ふむ。新種の魔物かと思えば、あの時の小僧か。
今時の若者は、奇抜な格好を好むようだな」
顎髭を摩りながら、オルテールは敢えて挑発の言葉を投げかける。
自分を格下だと侮る所作が、アルジェントの神経を逆撫でする。
「そのやり取りは、もう終わったぞ」
「む、お主は敵ではないのか?」
共通認識なのだと、半笑いでオルテールに声を掛ける銀狼。
多種族が入り乱れ、敵味方の判別がついていないオルガルとオルテールは有効的に接する彼に目を丸くしていた。
意気揚々と現れたはいいが、この状況では誰と戦うべきなのかが判らない。
「オルガル、オルテール。この犬ッコロとデケェのは味方だ!
龍族と、邪神を!」
「ギルレッグさん!」
二人とマギアを旅したギルレッグが、簡単に状況を説明した。
面識のある彼の言葉ならば、二人は信じられる。二人は槍の切っ先をアルジェントへ向け、宣戦布告する。
「つまり、僕たちは『強欲』の適合者からミスリアを護ればいいのですね」
「奇抜な格好をしていようとも、本質は変わるまい。問題ありませぬな」
またも自分の存在を軽んじられたアルジェントは、額に大きな青筋を浮かべる。
それは力で屈服させた、上澄を奪った結果の自分とは違う繋がりを持つ者へと嫉妬が含まれていた事に、彼は気付いていない。