475.襲い掛かる『強欲』
時を同じくして、王宮では。
思わず地に膝をついてしまいそうな程の揺れを前にして、悲鳴にも似た声が上がっていた。
「王妃様! 大丈夫ですか!?」
「ええ。ありがとう、イディナ。私は大丈夫です」
慌てて王妃の身体を支えようとするイディナ。
突然の揺れに驚きながらも、フィロメナは決して取り乱したりはしない。
そうでなければ、前線へ出ている者へ申し訳が立たないからだ。
「フィロメナ様。やはりここは危険です。
イレーネ様同様、妖精族の里へ――」
激化する戦闘を前に、妖精族の里へ非難する事を提言するロティス。
しかし、フィロメナは決して首を縦には振らない。
「なりません。私が先に逃げてしまえば、民はどうなるのですか。
それに、妖精族の女王であるリタ様が力を貸してくださっているのです。
民のために。そして、力を貸してくださる方々のために。
私はこの場で出来ることを、最後までやり遂げなくてはなりません」
「っ……」
毅然とした態度を前に、ロティスはそれ以上何も言えない。
事実、フィロメナ自身も治癒魔術を用いて負傷者の治療を行っている。
この緊急時に於いて、王妃である彼女が送る励ましの言葉は効果覿面だった。
「……解りました。けれど、もしもの時は必ず避難して頂きます」
「ありがとう、ロティス」
フィロメナに押し切られる形で、ロティスは彼女の決意を聞き入れる。
無理を言って申し訳ないとフィロメナがはにかんだ瞬間だった。
大量の飛来物が王宮へと落下し、更なる揺れを与えた。
……*
「つ、ぅ……」
大地へと張り付いた背中を起こしながら、リタは頭の中を整理する。
光精の帯で『強欲』が放つ悪意の矢を受け止めた所までは覚えている。
放たれた矢は威力もさることながら、尋常ではない数が生成されていた。
いくら妖精王の神弓で光精の帯を強化していたとしても、限度がある。
威力と勢いに押し切られたリタは、王宮の城壁にまで吹き飛ばされてしまっているようだった。
ふらつく頭を抑えながら、リタは自分へ向けられた悪意に背筋を凍らせる。
あちこちに散らばっている瓦礫が威力を物語っている。
防御が間に合っていなければ、今頃は立ち上がる事すら出来なかっただろう。
「っ! そうだ、ギルレッグさんは!?」
自分がこの位置まで飛ばされたという事は、ギルレッグにも被害が及んでいるかもしれない。
リタは今一度、周囲を見渡す。瓦礫に埋もれる小人王の神槌の柄を見つけるのに、そう時間は要さなかった。
「ギルレッグさん!」
小人王の神槌があるという事は、ギルレッグも近くに居るはず。
だけど、彼の姿は見当たらない。もしかすると、瓦礫の山に埋もれてしまっているのかもしれない。
一刻も早く救いださなくてはと焦るリタだったが、悪意は息を吐く間すら与えてはくれない。
「邪神の分体……っ!」
遊び相手を見つけた。或いは、まだ玩具が壊れていないと見たか。
裂けた口を開きながら、『強欲』は目線をリタへと向ける。
次の瞬間。模倣によって生成された悪意の矢がひとつに押し固められていく。
一本に凝縮されたそれは、見た目の小ささとは裏腹に明確な殺意が宿っていた。
「うそ……」
リタは直撃をしてしまえば、ひとたまりもないだろうと確信をする。
かと言って、避ける訳にはいかない。瓦礫の山に埋もれているであろうギルレッグに当たってしまえば、死は免れない。
「清浄なる光よ。全てを解き、魔を滅さん――」
『強欲』が矢に力を凝縮している間。リタはそれを防ぐべく詠唱を始める。
彼女の魔力から光が放たれる様を見て、『強欲』は彼女を『的』だと認識した。
「――イヒィ」
薄気味悪い笑みと同時に、『強欲』の手から矢が放たれる。リタが魔術を放ったのは、そのコンマ数秒前。
光り輝く、魔力による結界。光精の盾が、悪意から身を護るべく生成される。
光の盾と悪意の矢がぶつかり、周囲に強い衝撃波を生み出す。
膨大な魔力を持つ妖精族。その女王であるリタが詠唱までした防御魔術であるが、押し固められた悪意の前では薄壁も同然だった。
呆気なく破られる光精の盾。リタの眼前に、悪意が迫ろうとする。
「させない! 妖精王の神弓、お願いッ!!」
だが、リタもそうなるであろう事は読んでいた。
彼女が取れる選択肢はふたつ。光精の盾を強化するか、光の矢を攻撃として放つか。
どちらも決して成功率は高くない。だからこそ、リタは後者を選択した。
たった一度、攻撃を防いだところで意味はない。元である『強欲』を叩かなくてはならないと、強く思っているから。
尤も、リタとて相打ち上等という訳ではない。
光精の盾よりも防げる可能性が高いと見たからこそ、決断をした。
妖精王の神弓から放たれた矢は、『強欲』との身長差も相まって下から打ち上げる形となる。
光精の盾を突き抜ける一瞬。僅かに鈍った悪意の矢に向かって、一射目の矢が放たれる。
それは僅かに矢の軌道を逸らし、虚空へと旅立っていく。
曇天の中に消えていく悪意の矢を、『強欲』はいつまでも視線で追っていた。
破壊こそ出来なかったが、これはこれで気に入っている様子が見受けられる。
リタはその隙を見計らったはずだった。
だが、直後に思い知る事となる。『強欲』は決して油断をしている訳ではない。
単純に、余裕から来る行動だったのだと。
「――ヒヒィ」
厭らしく口角を上げながら、『強欲』は模倣にて剣を精製する。
アルマがアルジェントから奪った魔剣。炸裂の魔剣を模したものを。
本物よりも一回り以上大きいそれは、もはや別の武器と化していた。
剣の腹で妖精王の神弓の矢を受け止め。漆黒に染まった大腿を膨張させる。
「――っ!」
次の瞬間。『強欲』は一瞬にしてリタとの距離を詰める。
咄嗟に放った光精の帯で動きの拘束を試みるも、背中に敷き詰められた針鼠のような針に食い破られてしまう。
「こないで!」
ならばと妖精王の神弓から光の矢を放つものの、『強欲』は避ける素振りすら見せない。
この攻防で『強欲』は見極めていたのだ。この程度の輝きならば、刺さった所で影響はないと。
「――アハァ」
「っ!」
間近で口が裂ける様を見て、リタは鳥肌が立った。
嫌だ。怖い。負の感情が、懸命に戦う彼女を覆い尽くそうとする。
気持ちが一歩引いた瞬間を、『強欲』は見逃さない。
リタの首根を掴んでは、その華奢な身体を地面へと押し付けた。
「……め……っ!」
妖精王の神弓へ手を伸ばそうとするリタだが、『強欲』の剛腕によって弓を構える事が出来ない。
喉が抑えつけられ満足に呼吸も出来ない中、彼女の視界に巨大な影が覆いかぶせられる。
模倣によって創られた炸裂の魔剣が、今まさに振り下ろされようとしている瞬間だった。
……*
リタが『強欲』に首根を捕まえられる瞬間より、僅かに遡る。
「リタさん!」
邪神の分体に蹂躙される様を、黙ってみてはいられない。
リタを救おうと試みるアルマとライラスだったが、彼女へ近付く事もままならなかった。
『強欲』の適合者であるアルジェントが、未だ彼ら二人を抑え込んでいるからだ。
「アルマッチ、ツレネェナァ。前ハモット、オレッチノ遊ビニ興味シメシテクレタジャンカヨォ」
「アルジェント! これは遊びなんかじゃ!」
「遊ビダヨ」
多くの人が、今まさに傷付いている。
それを「遊び」とはとても言えないと訴えるアルマだが、アルジェントは決して自分の意見を曲げようとはしない。
「ダッテヨォ。オレッチミタイナ平民ニ、ミスリアガ大慌テナンダゼ?
愉シクテショウガネェヨナァ!」
「君って奴は……!」
大手を振って、今の状況を愉しむアルジェント。
彼は自分が他者から得るだけでは飽き足らず、他者の不幸まで望むようになってしまった。
悪意に染まり切った彼を見るのは、かつての友人として心苦しい。
だが、アルジェントはそんなアルマの心情を汲み取っていた。
だからこそ、気に食わない。同情をしている。まだ自分を、下に見ている。
そう受け取ってしまったからこそ、『強欲』の男は止まらない。
何もかも失ったと思い込んでいる王子に、更なる絶望を与えなくてはならない。
アルジェントが今、心の底から欲しているもの。それは、アルマ・マルテ・ミスリアの絶望だった。
彼が世界再生の民で、ミスリアの転覆に成功していれば。
自分もその恩恵に肖れるはずだったのに。
今や、アルマだけのうのうとミスリアに与している。
それどころか、自分は度重なる敗北で化物のような姿へと変貌してしまった。
あり得ない。許せない。
彼が護ろうとしているもの全てを破壊しなくては、割に合わない。
その欲望を具現化する為のものが、右腕に連なる鱗が大量に射出されていく。
天高く昇ったそれは曇天の中へ消えたと思えば、流星のように王宮へと降り注いでいく。
「アルジェント!? なにをしたんだ!?」
「教エテウヤロウカァ?」
必死な形相のアルマに、アルジェントは邪悪な笑みで応えた。
本来なら教える義理もないが、彼は伝えたくて堪らなかった。
そうすればアルマの絶望する顔が拝めると、確信を得ていたから。
「スリットッチヲ見タダロォ? アレ、マーカスノヤツガ鬼族カラ作ッタクスリヲブチ込ンダ結果ナンダヨ。
デ、オレッチハソレヲ王宮ノ中ヘト降ラセタッテワケヨ。愉シミダナ、仲間ガ化物ニ変ワッテ、慌テルミスリアヲ見タカッタゼェ」
「――っ! アルジェント!」
逆上するアルマ。スリットはこうなると、確信を得ていた。
何故なら彼は、マーカスが優秀だと知っている。
スリットのような存在を生み出したのが偶然ではないと、理解できる。
だからこそ、アルジェントが放った鱗から放たれる悪意が齎す混乱を鮮明に読み取る事が出来た。
「君は! 君って奴は!」
「アルマ様! 落ち着いてください!」
普段ならよく咎められる立場であるライラスが、思わず止めてしまう程にアルマは逆上していた。
鋼鉄の剣を握り締め、無謀にもアルジェントへと斬り掛かる。
「ヒヒ、ソンナアルマッチガ見レタダケデモヤッタ甲斐ガアッタゼ」
悪意の化身は、その様を見て心の底から愉しんでいた。
鱗から放たれた紅炎の槍でアルマの剣を破壊し、瞬く間に彼を組み伏せる。
「ホラ、チャント見ロヨ。ミスリアノ王宮カラ聴コエル悲鳴ヲ、一緒ニ愉シモウゼェ」
「やめ……ろ……!」
いくら抵抗をしようとも、アルマがアルジェントから抜け出す事は無かった。
凄惨さを伝える悲鳴が遠巻きに、アルマの鼓膜を揺らす。
「あ、ああ……」
絶望の表情を浮かべるアルマを、アルジェントは厭らしくも愉しんでいた。
悪意は間違いなく、ミスリアを呑み込もうとしている。
しかし、まだ希望の芽が全て潰えた訳ではない。
世界再生の民は、間も無くそれを思い知る事となる。