45.道は拓かれた
「……良いのですか?」
レチェリを拘束し、ストルは問う。
「それは、どっちの話ですか?」
レチェリに協力を申し出た事だろうか。
レイバーンを愛していると言ってしまった事だろうか。
どちらにしても、ストルは怒りそうだ。
彼の反応を予想すればするほど、リタは憂鬱になった。
「レチェリは、もう妖精族から信用されないでしょう。
リタ様が赦しても、彼女の言葉を聞き入れる者がいるとは……」
「じゃあ、私が聞きますよ」
あっけらかんと、リタが答えた。
「勿論、それが正しいかどうかはみんなで相談します。
今はそれでいいじゃないですか。
ストルだって、本当は解っているんですよね?」
「う……」
リタの言う通りだった。
人間だって、信用に値する者がいる。
魔族だって、妖精族を助けてくれた者がいる。
今日、ストルはそれを思い知らされた。
「だったら、変えていきましょう。
いっぱい考えて、悩んで、その上で決めましょう」
自分には難しい話だと、ストルは思った。
妖精族絶対至上主義の自分に、そんな事が出来るだろうか。
ひとしきりシミュレーションした回答を、リタへ伝えた。
「……善処はします」
リタは「頑固者ですね」と、笑った。
……*
「フェリーちゃん、大丈夫?」
「うん、もう治ってきたよ」
フェリーは右手を閉じたり、開いたりとして見せる。
イリシャが触っても、おかしな様子はない。本当に完治しているようだった。
(一体、どうなってるのかしら……)
神弓での一撃といい、致死量の傷でも治ってしまう。
実際に目の当たりにするまでは精々回復が速い程度の認識だったが、実際に見るとやはり異様な光景だった。
「イリシャさん、ありがとね。あたしのコト、心配してくれて。
よくわかんないケド、ちょっと嬉しいんだ」
フェリーは時々、不思議な事を言う。
懐かしさを感じたり、ちょっとした事で喜んだり。
「そっか。じゃあ、これ以上は心配かけないようにしてね」
そう言いながらも、イリシャは魔導刃を渡す。
フェリーはそれを受け取ると、ゆっくりと立ち上がった。
「ありがと。じゃあ、行ってくるね」
結界の外では、シンがギランドレ軍を相手に戦っている。
更にその奥では、レイバーンがルナールと子供を庇いながら戦っている。
自分だけが、じっとしている訳には行かない。
「フェリーちゃん。私も行きます」
リタが、息を切らせながら駆け寄る。
「リタさん。……いいの? その、レチェリさんのコトとか」
「レチェリの事は、ストルに任せてあります。
大丈夫、ちゃんと拘束してますから」
「いや、そーいうコトじゃなくて……」
色んな事を言われて、傷ついて。
それでも戦うつもりなのか? フェリーはそう尋ねたかった。
しかし、声に出す事は憚られた。
彼女の眼を見ればわかる。それを訊くのは野暮だと。
「隣国をどうにかしないと、おちおち外も歩けません。
それに、レイバーンが妖精族の子供の為に戦ってくれている。
だから、私も一緒に戦います。その後で、たくさんの事をみんなで考えようと思います」
「……うん、じゃあ行こう」
こんな時、イリシャは戦える人が羨ましくなる。
自分だって昔は冒険者のはしくれだ。全く戦闘が出来ないという訳ではない。
しかし、きっと力量が違いすぎる。足手まといになる。
それに、自分は必要以上に死ぬことを恐れている。
みんなより数を重ねているのは、年齢だけだ。
「イリシャさんは、ポーション用意しててね」
「え?」
「シンはさ、魔力がゼンゼンないから治癒魔術があまり効かないの。
イリシャさんが、ポーションで手当てしないといけないかも」
フェリーは、困ったような顔ではにかんだ。
もしかすると、自分の表情が読まれたのかもしれない。
「……そうね。みんなが怪我しても、わたしが治してあげる」
「ありがとう。じゃあ、行ってくるね!」
やれる事をやろう。
きっとみんなが、それを積み重ねている。
イリシャは、里の外へと向かう二人を見送った。
……*
何度目か分からない舌打ち。
一向に手の休まらないギランドレ軍に、シンの疲労は蓄積されていく。
通常の弾丸では、甲冑に弾かれる。
かと言って魔導弾は、残弾が限られている。
全員を仕留めるにはかなりシビアな配分を要求される。
剣での対応を試みても、持っているのは片手剣。
一振りで数人を薙ぎ払う芸当も出来ない。
厄介なのは兵士の中にも、屍人が混じっている事だった。
屍人を盾にして突っ込んでくる兵士もいる。
アメリアが付与してくれた魔術付与の効果もあり、敵意に対して水の羽衣が護ってくれている事が命綱だった。
それを後方で見ていたガレオンが、うすら笑う。
最初に見せつけられた不可解な攻撃が、手品のような物だったのだ。
あるいは、発動に条件を要する。連発が出来ない等の欠点を持っているのだ。
そう推察し、物量で押し切る事を企てる。
いくら水の羽衣が優秀だと言っても、全方位を同時には守り切れない。
風撃弾、あるいは甲冑が熱を通す事を考えて高熱弾か凍結弾で一方向だけでもこじ開けようと考えた時だった。
「シン!」
フェリーの声が聞こえ、シンの手が止まる。
咄嗟に声のする方へ視線をやると、フェリーが天へ向かって指を掲げていた。
導かれるまま空を見上げると、空一面に広がる光線があった。
妖精王の神弓から放たれた、無数の光の矢。
瞬く間にそれらは降り注ぎ、ギランドレの兵士を撃ち抜いていく。
その中で一本、ひときわ眩い光を放つ矢があった。
「シンさん、それを受け取って!」
理解が追い付く前に、言われるがまま魔法剣で受け止める。
剣に纏った水の羽衣と、光の矢が混ざり合い大きな刃を形成した。
妖精王の神弓の能力で、シンの剣の魔術付与が形を変えた姿だった。
これならと、力の限り振り回し強引に突破を試みる。
同じく魔導刃で敵を払いながら近付いてきたフェリーと、合流を果たす。
彼女の右袖に、血が染みついている事をシンは見逃さなかった。
「フェリー……。また、やらかしたな」
「いや、その。やりたかったコトを少々……」
シンは大きなため息を吐いた。
免罪符として使うつもりなら、許可するべきではなかった。
……いや、毎回そう思っても結局は認めてしまうだろう。
自分の甘さにも、ため息が出る。
「助けに来たんだから、ため息しないでよ!」
「……それは、その通りだな」
じゃれ合うような会話を交わし、二人は背中合わせに兵士を押しのけていく。
道を拓く為に。
「二人とも、ありがとうございます!」
出来上がった一本の筋を、リタの妖精王の神弓から放たれた矢が正確に通り過ぎていく。
その先には、黒い外套を羽織った魔術師の姿。
……*
黒い外套を羽織った、その魔術師は一言で表すと『卑劣』だった。
詠唱を破棄して雑な魔術を使うと思えば、その隙に詠唱を済ませて強力な魔術を放つ。
それも狙いは魔獣族の王ではない。
臣下であり、妖精族の子供たちを逃がしている最中のルナールだった。
「己……貴様ッ!」
それをレイバーンが時には破壊し、時には身を挺して護る。
相手を格上だと認めているからこそ、魔術師はその足枷を狙い続ける。
「貴様、誇りはないのか!」
「あっても、命の方が大切なんでね!」
苛立ちを募らせるレイバーンが何を言っても、魔術師は戦い方を変えない。
切り札自体は用意しているが、使わないに越した事はない。
あくまで自分の目的は妖精族の子供だ。
それを踏まえても、ルナールを逃がすわけには行かなかった。
「レイバーン様! 私の事は……!」
「ならぬ!」
自力でこの危機を抜けようとするルナールを、レイバーンが一喝する。
「お主の傍には、妖精族の子供もいる! こんな争いとは無関係のはずの、子供がだ!
ルナール、お主は子供を逃がす事だけを考えるのだ!」
主がどれだけ傷ついても、目を瞑らなくてはならない。
臣下にとって、これ以上の屈辱は無い。
それでも、自分の誇りが傷ついても成さねばならぬ事がある。
ルナールは屈辱に歯を食いしばりながらも、妖精族の子供を森へと誘導する。
一発、また一発とレイバーンがその身で魔術を受け止めるのを背中で感じながら。
その時だった。
一本の光の筋が、真っ直ぐに魔術師へと接近していく。
「なんだ!?」
突如、襲い掛かる光の矢に魔術師の男は土の壁を創り出す。
咄嗟の事で詠唱破棄によるイメージが完璧でなかったのか、光の矢はそれを容易く貫いていく。
ならばと、魔術師は二枚、三枚と自らに届くまでに何枚も土の壁を生成する。
段々とイメージが固定されて行ったのか、土の壁は厚く堅くなりついには光の矢を受け止めきる。
だが、それで良かった。リタによる奇襲は、成功した。
「素晴らしいぞ、リタ!」
注意を怠った訳ではない。だが、想像以上に光の矢が力強かった。
意識を割かざるを得なかった。命取りとなる隙を、作らされた。
レイバーンは一瞬で間合いを詰める。
魔術師が咄嗟に放った、岩石の槍を獣魔王の神爪は容易に砕いた。
「くっ!」
まさかの援護に、男は驚愕した。
威力も自分への負傷も厭わず、二人の間にある僅かな空間目掛けて魔術による爆発を起こす。
「ぬっ!」
ただ、魔王から回避する事だけを考えて放った爆発魔術。
危機感に圧倒され、男は想定より強い威力で爆発を起こしてしまう。
胸は圧迫され、煙が肺に入り、黒い煙を吐き捨てる。
結果として、魔王と距離を置く事が出来たが非常に痛い目に遭った。
ガレオンは何をしているのだと、レチェリは何をしているのだと罵りたくなる。
だが、態勢を整える時間は与えられなかった。
リタが放った光の矢が、雨霰となって男へ降り注ぐ。
「……チイッ!」
接近戦で絶対的な能力を持つ魔王に、それを正確に援護する女王。
神器を持つ二人を同時に相手にするには骨が折れる。
こうなればもう、出さざるを得ない。
「――深淵なる闇の遣いよ、贄を捧げる。喰らい給え」
男は詠唱を唱えると、空間に『穴』が開いた。
小さな穴が無数に開き妖精王の神弓による光の矢を呑み込み、消えた。
「えっ……!?」
リタは目を見開いた。
男に向かって放たれた光の矢が、消える。
いや、違う。何かに吸い込まれたように見える。
遠目に何が起きたのかはっきりとは判らないが、嫌な予感がした。
リタは逡巡した。このまま援護を続けて良いものかと。
連発する事で、いくらか気は逸らせるかもしれない。
しかし、それでいいのかと。
それに、今の位置からだとフェリーたちの援護も出来る。
どう動くのが最適解なのかを、考える。
「リタさん! 行って!」
しかし、迷っているリタの背中をフェリーが押した。
レイバーンへの道は、まだ拓けている。
ならば行くべきだと、目で訴える。
そうだ、迷っている時間はない。
まだ妖精族の子供たちも居る。あの子たちを無事に逃がさなくてはならない。
リタは頷き、走り出した。
「シンも行って!」
「は……!? 何を言っているんだ!?」
まだギランドレ軍にはかなりの兵士が残っている。
自分がもっと数を減らす必要があった。
「レイバーンさんがリタさんと子供たち、いっぱい守らなきゃになるでしょ!
シンも手伝ってあげて!」
フェリーの言う通り、横目で見ていたものの、何が起きたのかよく判らなかった。
得体の知れない魔術だとすると、庇いながらでは骨が折れるに違いない。
「こっちはだいじょぶ! あたしを信じて!
あのオジサンは、あたしがやっておくから」
兵士の後ろで立っているガレオンを見ながら、フェリーは言った。
あの男だけは、許せなかった。
「……分かった。無茶はするなよ」
「おっけ!」
言っても無駄だろうと思いながらも、シンはフェリーの言葉を信じる事にした。
大地を蹴り飛ばし、リタの後を追った。
「さて……っと」
彼女がシンに言った事は詭弁である。
きっとシンは優しいから、ガレオンだって制圧すれば良いと思っている。
それではフェリーの気は晴らされない。
フェリーはシンとリタが邪魔されないよう、ギランドレ軍に立ちはだかる。
本音では二人の仲を引き裂こうとした男を、この手でぶちのめさないと気が済まなかった。
「あたし、ケッコー本気で怒ってるから。カクゴはしといてね」
茜色の刃が、眩い光を放った。