474.秘策
戦いに流れというものが存在するのであれば。
間違いなく、その風は世界再生の民に吹いているはずだった。
ミスリアへ攻め立てて、妖精族の里から援軍が送られてくるまでは想定内。
しかしビルフレストが訝しんだのは、現着した者達の顔ぶれである。
神器の継承者であり、ミスリア五大貴族であるアメリア・フォスター。
妖精族の女王であるリタが来ているにも関わらず、姿を見せない魔獣族の王、レイバーン。
加えて、これまで数々の邪魔をしてきたシン・キーランドとフェリー・ハートニアの姿が見当たらない。
想定外の状況ではあるが、嬉しい誤算である事には違いない。
世界再生の民としても邪神は未だ沈黙を貫いている。
再び現世に姿を現すまでに、可能な限りミスリアを消耗させたいというのが本音だった。
現状を鑑みると、絶好の好機であるにも関わらず仕留めきれていない。
満を持して投入された合成魔獣。
コナーから得た実験経過を元に、躯として蘇らせたコーネリア・リィンカーウェル。
既にこの場での戦闘を片付け、先行して王宮を攻め立てるアルジェントの援護に向かってもおかしくない。
どうしてこうまで、思い通りに進まないのか。
合成魔獣が、イルシオンによって食い止められているからだろうか。
違う。合成魔獣はその数を以て、イルシオンの足止めをしている。
加えて、合成魔獣の死は無駄にはならない。
素体となった肉体の持ち主は、この世を恨んだ上で散っていく。
最期にこの世を呪う程の、悪意を邪神へと受け渡しながら。
合成魔獣は存在そのものが既に役割を果たしていると言っても過言ではない。
やはり理由の一端を握っているのは、コーネリアだと考えるのがビルフレストにとっては自然な流れだった。
通常の屍人と違い、生前の記憶や技術を持ったまま蘇った躯。
戦力として申し分がない事は、マギアで既に実証されている。
ただし、術式に改良を重ねすぎた結果からか。はたまた、コーネリア自身の潜在能力が関係しているのか。
マギアで蘇らせたカランコエの者とは違い、彼女自身の意思が色濃く出てしまっている。
実力は確かでありながら、コーネリア・リィンカーウェルは手に余る。
その純然たる事実を前に、ビルフレストの脳内にある選択肢が浮かび上がる。
(いっそ、私の力へと加えるか?)
それは『暴食』の左手を用いて、コーネリアを吸収する事だった。
ただ、ビルフレストが吸収を選択しなかったそもそもの理由は、問題が即座に解決できるものではないからだ。
躯として蘇ったコーネリアの肉体には、『核』として魔導石が埋め込まれている。
魔導石ごと喰らった場合、自分が消化する許容量を大きく割いてしまう。
吸収を使わない状態で戦闘へ挑む必要が出てくる。
本来であれば、吸収を囮にする事も出来るだろう。
万が一、『暴食』が稼働するのなら。その恐怖だけで、敵はビルフレストの左腕を軽視できない。
だが、たった一人。その前提をお構いなしで相対した者がいた。
シン・キーランド。
素手で左手を受け止めた彼は現状を正確に把握した上で、過度に『暴食』を恐れる必要はないと行動で示した。
仲間にも彼の精神が根付いていたとしたら? と考えると、安易に吸収限界にまで達する訳にはいかなかった。
では逆に、コーネリアの魔導石から魔力の供給を断てば容易に喰らえるのではないか。
その可能性も考えなかった訳ではない。だが、同時にひとつの懸念が浮かび上がる。
魔導石が稼働していなければ、躯は恐らくただの『器』と化すだろう。
コーネリアの持つ真言を初めとした能力そのものが、自分のものにはならないかもしれない。
そうなってしまえば、コーネリアを蘇らせた行動そのものが無駄骨に終わる。
結果的に、彼女の思うままに行動をさせる事が最適解だというのがビルフレストの見解だった。
幸か不幸か、彼女は腐った貴族そのものには辟易している。命令と本人が乖離した状態で戦場へ送る事は避けられた。
そこから先の戦いぶりについては、語る迄もない。
四対一。トリスが離脱するまでは五対一で互角以上に戦っていたが、コーネリアの喉元に刃を突きつけられた者はいない。
一方で魔術師として圧倒的な実力を見せつけつつも、最後の一押しが足りない。
無論、現代の魔術師達が必死に抗っているというのもあるだろう。
だが、ビルフレストはコーネリアの行動に不穏なものを感じ取っていたのも事実だった。
彼がヴァレリアと刃を重ねる一方で、感じていた胸騒ぎ。
懸念の正体は、ひとりの少女に在った。
オリヴィア・フォスター。
彼女はコーネリアの操る真言にも心が折れない。
懸命に答えを模索しては、コーネリアに打ち克たんとしている。
その様子を、コーネリアが待ち望んでいるように見えるのは気のせいだろうか。
『始まりの魔術師』が500年の時を経て、新たな魔術師を育てようとしているのではないか。
一度抱いてしまった疑念が小さくなる事はない。
ビルフレストは胸の奥で明確に認識をした。オリヴィア・フォスターを消すべきだと。
……*
「ほらほら、次から次へと楽しい手を思いついてるんだ!
アタシを退屈させんなよ!」
一陣の風が頬を撫でたと思えば、まるで鎌鼬のように肌を裂いていく。
コーネリアからすればただの風刃を放ったのだろうが、不可視の一撃として十分な殺傷力を持ち得ていた。
「流石に……ヤバいって!」
前衛としてコーネリアに最も近付いていたピースは、翼颴へ魔力を注ぎこむ。
刃から漏れ出る風が空気を掻き乱し、コーネリアの風刃そのものを防いだ。
「やるじゃねえか、坊主!」
「そりゃどうも!」
魔術が真言で掻き消されるのであれば、使わなければいい。
オリヴィアがピースを招集させたのはまさにこの為だった。
翼颴と『羽・強襲型』によって乱された気流はコーネリアの魔術の軌道を確実に逸らしている。
『羽』によって多角的な攻撃を可能とした、攻防一体の戦法。
けれど、それには限界がある。ピースの魔力と集中力という名の。
「けどな、坊主! いつまでも、アタシが同じ魔術を使うわけないだろう」
「ぐ……!」
コーネリアは心底、愉しかった。
自分の名にも真言にも怖気ず、立ち向かう若者達の姿が。
(おい、馬鹿弟子。あの世から見てるか?
腐った奴らも出て来たみたいだけど、こいつらは面白いだろ?)
コーネリアは弟子と戦ってきた時代の事を思い出す。
その眼差しは自分と相対する者達となんら変わりなかった。
容赦なく襲い掛かってくる脅威に対して、持てる力を振り絞って抗う。
(生憎、アタシはこいつらの味方にはなってやれない。
けどな、アタシに敗けるようじゃ邪神はおろか、あの男前も止められねぇよな。
だから強くなってもらわないといけないよな。そのためなら、アタシはもう一度死んでも構わない)
コーネリアが天を指すと同時に、曇天が一瞬輝く。
またしても雷が墜とされる。全身が直感するには、十分な動作だった。
「アタシの全力を、受け止めてみな!」
「そんな受け止められるひとは、限られてますから!」
誰よりも反応が早かったのはオリヴィアだった。
残る『羽』に全力で魔力を宿らせ、上空へと打ち上げる。
落とされた雷を受け止めた『羽』は、ついに耐久の限界を迎えようとしていた。
「オリヴィア!」
「見るべきは……。わたしじゃ、ないですよ……!」
オリヴィアの身を案じ声を荒げたストルだったが、間髪入れずその張本人に窘められる。
ストルの精霊魔術は、真言では打ち消せない。この優位性を持つ彼に、自分の心配で余裕を割いては欲しくなかった。
「ああ……。ああ、解っている!」
いつでも、どこでも。心配性のストルは他人を慮ってばかりだった。
他者に無関心だった妖精族は、それ故に脅威と面する機会が乏しかった。
ずっと当たり前のように続くと思われた平穏の外は、荒れ狂う世界だったと驚かされるばかりだ。
だからこそ、より強く思った。自分に出来た繋がりを、大切にしたいと。
その繋がりを護る為に、ストルは自分が惚れた女性から視線を外す。
精霊魔術によって創られた魔造巨兵を以て、大切な者を破壊しようとする魔術師へと挑む。
「魔造巨兵も大した出来だけどよ、流石に見せすぎだぜ!」
芸がないと薄ら笑いを浮かべるコーネリア。
真言を用いて放たれる水の砲弾により、呆気なく破壊される。
「君の言う通りだ」
コーネリアの指摘通り、精霊魔術は人間の魔術ほど応用が利かない。
それは単に、魔法陣を用いて完結した魔術である事に由来している。
真言を用いて掻き消せなくても、コーネリアの敵にはなり得ない。
誰よりも、術者であるストル自身が理解していた。
だから、これでいい。
水の魔術によって溶けていく魔造巨兵の身体。
泥となったそれが、突風によって吹き荒れるのだから。
「ぶっ! きったねぇ!」
自分へと襲い掛かる泥の弾丸に、コーネリアは不快感を露わにする。
視界が泥で覆われていく中、彼女は泥が襲い掛かる理由となった原因を認識した。
魔造巨兵の奥で翠色の輝く刃は、ピースが持っていた魔導具だ。
彼はストルの魔造巨兵が破壊された瞬間。翼颴から風を発生させ、コーネリアへと放った。
「ナイスです! ピースさん!」
その奥でぐっと握り拳を握るのは、オリヴィア・フォスター。
落雷を受け止めた影響で『羽』を失った彼女だったが、考える事は決して止めなかった。
ストルの魔造巨兵が破壊されるその瞬間、彼女は咄嗟にピースへ指示を出していた。
(対応がワンパターン過ぎたか。利用されちまったね)
コーネリアは自らを嗜めるように、こつんと頭を叩く。
何度も同じことの繰り返しは退屈だと思いつつも、自分がその道程を作ってしまっていた。
自分への戒めとして泥による砲弾は受け入れよう。
だが、その先はどうだろうか。
彼女達の目的は決して一泡吹かせる訳ではない。
この程度の泥だけで終わるのならば、興覚めだ。
「――! 義手の坊やか!」
しかし、その退屈は一瞬にして払拭されようとしていた。
離れた位置へ向かって放たれた影の帯を、コーネリアは何度も見て来た。
影縫。
攻防一体を為す、自分の知らない時代に生まれた魔術。
「そいつは無駄だよ」
離れた位置に打ち込まれた影縫が、どんな役割を果たすかは解らない。
それでもコーネリアは決して『無意味』だと断ずる事は無かった。
現に今だって、変わり映えしないと吐き捨てた魔造巨兵に一泡を付加されたのだ。
放置すれば手痛いしっぺ返しを受けるかもしれないと感じ取ったコーネリアは、真言を用いて影縫を掻き消す。
彼女の推察は当たっていた。
影縫には、明確な役割がある。
コーネリア・リィンカーウェルの注意を引くという、明確な目的が。
「ッ! 釣られたか!」
コーネリアが囮だと気付いたのは、自分へ向けられた殺気を感じ取っての事だった。
その方角は、影縫が放たれた延長線上。術者である、テラン・エステレラの位置。
「流石は『神の代行者』。気付くのが早い」
テランは感心しながらも、淀みない動きで義手から一発の銃弾を放つ。
放たれた稲妻弾は、泥の幕を突き破りながらコーネリアへと接近する。
注意を引いた隙に放った、魔導弾最速の弾丸。
決まると思われたそれは、コーネリアが前方に張った結界によって防がれる。
「発想は良かったけど、惜しかったな。まだアタシには届かねぇよ」
「これも防ぎきるのか……」
結界とぶつかり合う稲妻弾の弾丸を目の当たりにしたストルが、驚嘆の声を上げる。
間違いなく連携は完璧だった。それでも『始まりの魔術師』には届かない。
一撃があまりにも遠く、険しい。
「――いえ、まだですよ」
コーネリアは、結界の向こう側でぽつりと呟く少女の声を鼓膜に響かせた。
刹那、結界の内側にひとつの影が現れる。
(なんだ、コイツ!? 小人族? いや、違う。一体、なんなんだ!?)
結界に触れた稲妻弾が光を放ったせいで、はっきりとした輪郭が解らない。
ただひとつ言える事は、視界に移る影はとても人間とは思えない。
小人族よりも更に小さい、例えるなら人形のようなものだった。
詠唱破棄による、流水の幻影。
掌に乗りそうな程のサイズとなったオリヴィアの分身が、結界の内側に現れる。
これが彼女にとっての切り札であり、コーネリア・リィンカーウェルに一泡吹かせる為の秘策だった。
(声からして、フォスターが何かやったのには違いない)
流水の幻影を知らないが故に混乱を極めるコーネリア。
彼女の思考に空白の時間が生まれる。オリヴィアが狙っていたのは、まさにその空白だった。
(不意をつけば、いくらコーネリアさんでも……!)
コーネリアは魔術を掻き消せると言っても、あくまで本人の反応が間に合っている事が前提となる。
結界の内側から、不意を突いた一撃ならば通るはず。
小さなオリヴィアから、魔術が放たれようとした瞬間。
「――あまり、調子に乗るな」
本体であるオリヴィアが、悪意に晒される。
コーネリアを狙う自分と同じく、絶好の機会故に脳裏から消えていた存在。
「――っ!!」
『暴食』が、彼女の傍に現れる。
全てを喰らい尽くす左腕。消失が、オリヴィアへと迫る。
「オリヴィア!」
彼女の危機にストルは声を荒げる。
しかし、精霊魔術による援護は間に合わない。
もどかしさから来る一秒にも満たない時間が、永遠のように感じられた。