470.危うい均衡
肌を突き刺すような重圧を前にして、オリヴィアは固唾を呑み込んだ。
その源泉はビルフレストだけではない。古の魔術師も彼に負けじと、威圧感を放っている。
「ほら、ボーっとしてんじゃねえぞ!」
コーネリアから放たれる魔術は、触れるだけで危険だと直感させるものばかりだった。
『羽・盾型』だけでは防御が追い付かない。
魔導障壁に護られつつも、オリヴィア達は彼女と戦いを繰り広げていた。
「ボーっとしているわけじゃないんですよ!」
冗談じゃないと毒づきながら、オリヴィアは凍撃の槍を放つ。
同じ詠唱破棄で魔術を放っているにも関わらず、威力に差があり過ぎる。
単純な魔力量もさることながら、魔術による理解度やイメージの質が違い過ぎる。
マレットの魔導具がなければ、とっくに黒焦げに成っていてもおかしくはなかった。
「お前も、神杖に選ばれたならもっと気張ってくれよ!」
コーネリアの興味はオリヴィアだけに留まらない。
オリヴィアの凍撃の槍を難なく弾いた上で、視線をトリスへと向ける。
かつて弟子の所有していた神器。賢人王の神杖の継承者へ、目一杯の炎を放つ。
「ぐっ!」
その賢人王の神杖を用いて、トリスは放たれた魔力を拡張していく。
幾重にも練り込まれた糸を解くかのように、コーネリアの炎を僅かではあるが散らせていく事で威力を軽減させている。
「以前の継承者のことは知らないが、私もここで敗けるわけにはいかないんだ!」
魔導障壁ごしでも身を焦がしながら、トリスは彼女の魔力へ介入を果たす。
量にしてほんの僅かではあるが、より強い炎を纏った紅炎の新星をお返しと言わんばかりに放つ。
「――真火」
コーネリアがぽつりと呟いた言葉は、誰の耳にも届かない。
微かに震えた唇よりも、跡形もなく消え去ってしまった紅炎の新星の方が余程派手だからだ。
「なっ!? まただと……!」
「悪かったな。アタシにゃ、そんなモン通用しねえよ」
自分の渾身の魔術。更には、コーネリア自身の魔力も利用したというのに、彼女はまるで意に介していない。
ただ、コーネリアにとっては大した事でもないのだろう。緩められた口元が、それを証明していた。
(コーネリアさんは、一体何を……)
魔術師達にとっては絶望的な状況。しかし、オリヴィアの眼はまだ死んでいない。
コーネリア・リィンカーウェルは幾度となく魔術を掻き消している。
けれど、決して『怠惰』の能力である破棄や『強欲』の能力である接収ではないと断言できる。
破棄のように魔力そのものは消えていないし、接収のように奪われてもいない。
彼女は決して、悪意にその身を委ねてはいない。
その事実は一人の魔術師として嬉しくもあり、誇らしくもある。こうして、敵として向かい合っていなければ。
「ほら、フォスター! 元気がないぞ!」
「動き回るのが元気の証明ではありませんので!」
止めどなく放たれる魔術を防ぎながら、オリヴィアは気を吐いた。
最悪、手や足は止まってもいい。反撃できなくても、攻撃できなくても、頭だけは動かし続けなくてはならない。
コーネリアが魔術を消すカラクリを見つけなくては、自分達に勝ち目はないのだから。
(魔術は消されるけど、フィアンマさんの炎は消されない。
『羽』もおなじ。というか、魔導具が全般的に……?)
現状、掻き消されるのは魔術だけだ。つまり、彼女は魔術師にとっての天敵。
或いは、魔術師の頂点である特権なのだろうか。兎に角、手掛かりはそこに存在しているとオリヴィアは睨んだ。
(ヴァレリアさんやイルシオンは……)
神器による直接的な攻撃をコーネリアはどう対処するのだろうか。
その疑問を解消したかったオリヴィアは、イルシオンとヴァレリアへ視線を移す。
「はぁっ、はぁっ……。お前たち、一体どれだけ湧いて出てくれば気が済むんだ!?」
イルシオンは、独りで懸命に合成魔獣へ刃を振るい続けている。
彼が居なければとっくに戦線は崩壊しており、負傷した龍騎士達は合成魔獣に嬲り殺しにされていただろう。
入れ替わって戦線を引き継ぎたいところだが、コーネリアに魔術を打ち消されてしまえばたちまち蹂躙されてしまう。
悔しいが、イルシオンに任せる以上の回答をオリヴィアは持ち合わせていなかった。
「ビルフレスト……ッ!」
「何度も何度も、名前を呼んだところで意味はないだろう」
ならばと視線を移した先では、幾度となく火花が飛び散っている。
黄龍王の神剣を持つヴァレリアは、ビルフレストと激しい剣戟を繰り広げている。
時折、ピースが『羽・強襲型』で介入を試みるが、探知によって事前に動きを察知されてしまう。
とてもコーネリアの相手まで任せられる状況ではなかった。
(~~っ! 本当に、面倒な状況ですね!)
合成魔獣だけでも十分厄介だというのに、一騎当千の強者が二人。
いや、ビルフレストはまだ『暴食』を顕現させていない。
邪神以外にいつでも切れる手札があるという点を踏まえると、オリヴィア達の不利は歴然だった。
ただ、コーネリアは純粋に世界再生の民の仲間となった訳ではない。
この一点は、オリヴィア達にとって突破口となり得る。
コーネリアは自身が認めた通り、一度は命を落としている。
本来なら未来永劫崇められるべき魂が、不届き者によって利用されている状態だ。
つまり、彼女を蘇らせた者がいるという証左。
屍人は本来であれば、造り上げた器を動かす為に魂を利用している。
意思疎通は出来ず、単純な命令を遂行するだけの肉塊による人形となるはず。
ならば、コーネリアはどうだろうか。
意思疎通は勿論、ある程度自分の意思で動いているではないか。
更に言えば、魔術まで行使している。
屍人とはまるで違う個体。
長年封印されていたと言われた方がまだ納得いくだろう。
ならば、コーネリアの嘘だったのか。
恐らくは、それもノーだろう。そんな下らない嘘を吐く理由がないのだから。
何より、オリヴィアは耳にしている。
マギアでの戦いで『憤怒』の手により、意思疎通。果ては魔術まで行使できる躯の存在を。
(恐らくは、その派生が……)
今となっては情報を得られず、仔細は想像するしかない。
けれど、死者を再び現世へ呼び戻す事が『憤怒』の本質ではないと聞かされている。
きっと、これは彼女からのヒントだ。
コーネリア・リィンカーウェルを復活させた不届き者が、周辺に存在していると。
見つけてみせろと、彼女は暗に投げかけている。オリヴィアは、そう感じ取っていた。
屍の人形ではなく、記憶と意思を持つ死人として。
コーネリアの魂を良い様に扱っている者が必ず存在している。
その魔力の出所さえ感知出来れば、状況は変えられる。
「時に、ストル。コーネリアさんを操っている人の魔力を感知することはできますか?」
ただ、自分ではそこまで正確な魔力感知は行えない。
妖精族であるストルならあるいはと、オリヴィアは彼へ期待を寄せるものの、その願いは叶わなかった。
「こう、強い魔力が混じり合っていては難しい。
魔力の残滓を追い掛けようにも、すぐ掻き消されてしまう」
「そうですか……」
「すまない。リタ様なら、あるいは……」
ストルの言う通り、リタならばこの状況でも魔力を追い掛ける事が可能かもしれない。
だが、肝心の彼女は王宮で『強欲』の適合者たるアルジェントと交戦を続けている。
「ほら、イチャついてるヒマなんて与えたつもりはないぞ!」
眉間に皺を寄せたままのオリヴィアとストルを分断すべく、コーネリアが雷を放つ。
相変わらず詠唱を行う様子はなく、圧縮された高威力の魔術が容赦なく身体を貫かんとする。
「誰がイチャついてますか!」
コーネリアの雷を『羽・盾型』で受けるオリヴィア。
破壊されて二枚に減った分、一枚へ送る魔力が強くなったのは怪我の功名だった。
出力が上がった事により何度も自分の身を護ってくれたが、それももう限界が近い。
「断じてそのような会話ではない!」
ストルは若干頬を赤く染めながら、精霊魔術による障壁で雷を受けた。
しかし『羽』ほどの耐久力はなく、触れ合った互いの魔力による爆発がストルを包み込んだ。
「ストル!」
「……っ! まだだ!」
爆炎の中で、ストルは気を吐いた。
オリヴィアの言う通りだった。この女は、余力を残してどうこう出来る相手ではない。
ならば、自分の全力を以て相手をする。
例え魔術が掻き消されたとしても、オリヴィアなら必ずその答えに辿り着く。
共に研鑽を続けたが故の信頼が、ストルを突き動かした。
「ん……!」
魔法陣から現れたのは、地震によって砕けた地面をかき集めた土塊の腕。
魔造巨兵に近い性質を持つそれを、コーネリアは水の魔術を以て破壊した。
「くそ……!」
「咄嗟にしては、いい攻撃だな!」
攻撃が通らず奥歯を噛み締めるストルと、難なく捌き不適な笑みを浮かべるコーネリア。
通常の戦闘でなければ、気にも留めなかっただろう。
しかし、今この状況に於いては明らかにおかしかった。
(魔術を掻き消さない……。いえ、掻き消せない?)
コーネリアはストルの魔術を、自身の魔術で破壊してみせた。
その事実は、ある仮定をオリヴィアの脳内に浮かび上がらせる。
コーネリアは精霊魔術を打ち消せはしないのだろうかと言う仮定を。