468.コーネリア・リィンカーウェル
コーネリア・リィンカーウェルはオリヴィアにとって、ある意味では身近な存在でもあった。
勤勉な姉の影響から、彼女は幼少期より絵本代わりに魔術書を嗜むようになった。
その中で何度も、オリヴィアはコーネリアの名前を目にする。
あまりに目にするので、有名な著者なのかと思った頃さえあった。
けれど、そうではなかった。
人類に於いて、魔術の起源を遡ると彼女へと到達するのだ。
まだ魔術が技術として確立される前の話となる。
人智を越えた力を持つ彼女を、人々は『神の代行者』と崇めた。
けれど、コーネリアの視点からすればそれは誤りだった。
己に宿る力。今でいう魔力を用いて、思いのままに具現化しているに過ぎない。
奇跡でもなんでもなく、技術なのだ。
とはいえ、全員が横並びの状態で自分だけが突出している点には変わりない。
彼女はいくらでも、魔術を用いて財を築き上げる事が出来る立場に居た。
だが、しなかった。
彼女は知っていたからだ。妖精族や魔族は、人間よりも優れた魔力の使い手であるという事を。
当時。脆弱にも関わらず数だけは多い人間を蹂躙せんと、多種多様の魔族が侵略を試みた。
尤も、それを快く思わない種族も居た。彼らは人間と共に、時には人間の知らないところで、魔族に抵抗をしていた。
彼女もその戦いに参加し、人類へ多大な貢献を齎した。
生涯を魔術の研鑽と研究に費やした彼女は、もっと人間が扱い易いようにと魔術の簡略化を行った。
技術体系を確立したそれは、現代の魔術に於いての基礎となっている。
コーネリアが『始まりの魔術師』と言われる所以である。
一方で、彼女自身は更なる高みを目指した。
この世の何処までが、魔力で補えるのか。再現できるのか。創り出せるのか。
呆れる弟子を尻目に、彼女は魔術の開発に没頭した。
紅炎の新星や六花の新星をはじめとするいくつかの最上級魔術は、彼女が生み出したものでもある。
500年以上も昔。法導暦が制定される前の話。
それでも魔術師にとって、コーネリアは今も偉大なる母なのだ。
――ここまでが、オリヴィアの知るコーネリア・リィンカーウェル。
人間に魔術を伝えたという多大なる功績を持つ彼女だが、意外にもその最後を知る者はいない。
ただ、ミスリアが魔術大国となる切っ掛けの戦争。それ以降、彼女の記録は一切残されていない。
故に魔族との争いで、命を落としたという説が濃厚だった。
当時、オリヴィアは疑問に思っていた。そこまで偉大な魔術師が、魔族に遅れを取るだろうか。
仮にその通りだとしても、コーネリア程の人間が敗北する相手を人間は退けられたのだろうかと。
尤も。その疑問の答えは誰しも納得できるものが用意されている。
いくらコーネリアが優れた魔術師であろうとも、『人間』の範疇である。
戦いの最中、更に古より魔力の扱いに長けた魔族を相手にした中、不覚を取る可能性は十分にあるだろうと。
窮地に陥る人々だったが、神より授けられし武器。
神器によって人類は、世界は護られたのだという見解が一般的なものだだった。
ミスリアに神器が三本伝えられている事も含め、大いに納得できる言い伝えだった。
流石のオリヴィアも、目にした事のある神器の力を信じざるを得ない。
そもそもコーネリアが戦いで命を落としていなくても、500年前の話だ。
とうに寿命で死んでいる。真実を知る機会など訪れないだろうと、気に留める様子は無かった。
「へぇ、一発で見破られるとはね。アタシの知名度も、まだまだ捨てたもんじゃないってか」
ベージュの髪を揺らしながら照れくさそうに。けれど、どこか嬉しそうに笑みを浮かべるコーネリア。
まるで子供のような無邪気さを持つ一面は、どことなく猫を連想させた。
「おい、オリヴィア……。コーネリア・リィンカーウェルって……」
当然ながら、魔術師であるトリスもその名は幾度となく目にした。
というよりミスリアに於いて、魔術の教育を受けておきながら彼女の名を知らぬ者など居ない。
「ええ、トリスさんもご存じの通り。伝説上のえらーい方ですよ。
思ってたよりフランクで、少しびっくりしてますけど」
オリヴィアも断言こそしたが、思っていたような人物像ではなかった。
伝説になる程なのだから、もっと厳かな人物だと想像をしていた。
(まあ、でも。ベルさんを思えば、うん。ありえなくもないですね)
尤も、その疑問は身近な人間を思い出す事で解消された。
マギアの誇る天才、ベル・マレット。彼女も間違いなく、歴史に名を残す偉人だろう。
残した功績はともかく、伝記の上では性格が多少脚色されてもおかしくはないと思ってしまった。
「それにしても、この魔導具は面白いな。そっちのチビッ子は剣だったけど、お前さんのは盾なのか」
一方で、コーネリアの興味はオリヴィア達ではなく宙を舞う『羽』に移っていた。
自分の生まれていた時代には存在しない、魔力を動力源にして動く玩具は思わず手に取ってしまいそうな程、魅力的に映る。
「ええ、『羽』といいます。最新の技術を使った魔導具ですよ」
コーネリアは一瞬で『羽』のふたつを破壊してみせた。
残る『羽・盾型』を簡単に失う訳にはいかないと、オリヴィアは警戒を強める。
「へぇ。やっぱり、技術の進歩を実際に見るとと楽しいもんだな」
『羽』を見つめながら、うんうんと頷くコーネリア。
コーネリアからすれば、ただ思った事を口にしているだけ。
ただ、オリヴィアは彼女の発言の中で違和感を覚えた。
(『羽』を知らない。というより、技術の進歩に感心している……)
そう。彼女は現代の事を何も知らない体で話をしているのだ。
まるで、この時代で蘇ったかのように。
……*
「お師匠」
「ディダ。何が在ったか、教えてくれないか。
蝕みの世界を使ったのだろう?」
「そうですけど……」
その頃。蝕みの世界の発動を遠目に見ていたテランは、ディダに状況の説明を求める。
術者であるディダが解かない限り、覆いかぶさる暗闇から逃れる術はないはずだ。
にも関わらず、コーネリアを初めとする全員が平然と立っている。
「ジブンは閉じ込めたつもりだったんですけど、あの女……。
何事も無かったかのように、蝕みの世界を消してしまったんです」
「なんだって?」
よく解らないうちに、魔術を消し去ってしまった。
そうとしか報告が出来ないと述べるディダに、テランは眉根を寄せた。
真っ先に思い浮かぶのは、『怠惰』の能力。
(破棄? いや、違う。だとすれば、彼女自身も魔術を扱えないはずだ)
しかし、その可能性はあり得ない。
適合者であるジーネスはもうこの世にはいない。何より、コーネリア・リィンカーウェル自身が魔術師だ。
ただ、蝕みの世界は確かに消えた。
テランはこの奇妙な状況に対する、的確な答えを導き出せない。だからこそ、より警戒を強めていた。
……*
「オリヴィア。やはり、お前は下がっていろ」
コーネリアとオリヴィアの間に割り込むように、トリスが自ら矢面に立つ。
変わり果てた地形と周囲を見渡した結果、やはり彼女に魔力を消耗させたくはないという判断から来るものだった。
「ちょっと、トリスさん!」
不意に自分の視界が遮られた事に、オリヴィアは異議を唱える。
明らかに不服そうな彼女の肩を掴んだのは、ストルだった。
「オリヴィア、トリスの言う通りだ。私たちは下がるべきだ」
「ストルまで! そんなこと言ってられる相手じゃないんですって!」
オリヴィアとて、コーネリアの強さを具体的に理解している訳ではない。
しかし、伝説級の魔術師を相手にして温存なんて出来るはずもない。
それだけは唯一、確信している事だった。
「あれを見ろ!」
だが、ストルも決して退きはしない。
彼が指し示した先には、先の地震で破壊された転移装置がある。
「転移魔術はもう使えないんだ。その意味が、君なら解るだろう」
「……っ」
無論、オリヴィアはストルが言わんとしている話の内容を理解している。
転移魔術が使えないという事は、己の戦いを終えたシンが戻って来られない。
尤も、マレットは事前に保険を用意していた。
問題があるとすれば、その為の保険を使うには自分とストルが必要不可欠だという事だ。
「私たちは、私たちの役目があるだろう!?
やるべきことを、見失うな!」
「ストル……」
肩を掴むストルの手は、微かに震えていた。彼も必死に耐えているのだ。
女王たるリタを置いてきた事も、こうして仲間の危機に指を咥えて見ているだけの状況も。
その歯痒さが伝わるからこそ、オリヴィアは苦悩した。
「コーネリア・リィンカーウェル。私では不服かもしれないが、付き合ってもらうぞ」
トリスは賢人王の神杖を構え、先端に魔力を集中させる。
圧縮されていく炎を前にして、コーネリアは目を細めていた。
「不服なもんか。賢人王の神杖を持ってるんだ、期待してる」
「なに……?」
懐かしむような視線を送る彼女を前にして、トリスは眉を顰めた。
神杖の先端で圧縮された紅炎の新星が放たれたのは、直後の事だった。
「ああ、懐かしいな。馬鹿弟子とも、こうやって遊んでやったか」
身を焦がす灼熱が接近しているにも関わらず、コーネリアには一切の焦りが見受けられない。
眼前で起きている些末な事よりも、懐かしい思い出で彼女の胸はいっぱいになっているからだ。
「避けない。いや、抵抗しない……?」
まるで無防備な状態で炎を受けようとする姿に、オリヴィアは目を疑った。
咄嗟にストルがフィアンマへ目配せをするが、彼は首を横に振っている。
少なくとも自分と交戦している間は、炎の息吹に対して何らかの抵抗を起こしていたという合図だった。
「まさか……」
彼女は賢人王の神杖に懐かしむような反応を示していた。
現代の継承者であるトリスの魔術を、敢えてその身で受けようというのだろうか。
いくらコーネリアが偉大な魔術師といえど、生身で受けて無事で済むはずがないと、オリヴィアが目を見開いた瞬間だった。
「――……」
聞き取れないほどに小さな言葉を、コーネリアが呟いた。
刹那、彼女を焼き尽くすはずだった紅炎の新星は跡形もなく消滅している。
魔術の類で相殺した訳ではない。きれいさっぱりと、消えてしまっている。
「な……!?」
理解の追い付かない状況を前にして、トリスが言葉を失う。
咄嗟に賢人王の神杖へ魔力を伝わらせたのは、彼女が『怠惰』と行動を共にしていたからだろうか。
尤も、新たに練り込まれていく魔力が破棄の可能性を否定していた。
「一体何が……」
目を逸らしたつもりはない。それでも、ストルは何が起きているのか理解できなかった。
隣に立っているオリヴィアも同じだ。コーネリアの芸当を前に、ただただ絶句するしかない。
「――影縫」
そんな中。冷静に状況を見極めるべく、動く者もいた。
テランの放った影縫はコーネリアを拘束するべく、影の帯が彼女へと襲い掛かる。
「判断が早いのはいいけど、無駄だよ」
「――ッ」
しかし、影縫もコーネリアには届かない。
紅炎の新星同様、彼女の直前で魔術は霧散する。
(また……!)
コーネリアが魔術を掻き消している時点で予感はしていたが、テランは思わず顔を引き攣らせる。
ディダの蝕みの世界やトリスの紅炎の新星と同様に、影縫さえも消してしまった。
右手の義手は問題なく稼働している。やはり、魔力そのものは消し去られていない。
思考を必死に回すテランだったが、相手がその時間を待ってくれるとは限らない。
「スジ自体は悪くなかったぞ。馬鹿弟子に比べると、まだ物足りなさは残るけどな」
難なく掻き消した魔術ではあるが、それは決して魔術の質が低いからではない。
むしろ洗練されたいい魔術だったと、コーネリアは唸る。
「ただ、あんまり遊んでやることも出来ないんだ。悪いな」
心の籠っていない謝罪と同時に、周囲一帯を雷光が支配する。
放たれたのは雷の最上級魔術、雷霆の新星。
「くっ!」「疾い……ッ」
咄嗟に『羽・盾型』を重ね、雷を受け止めるテラン。
トリスは賢人王の神杖を避雷針代わりに受け止め、魔力を拡張させて無効化を図ろうとした。
(反応もいい。うーん……。惜しいな、こりゃ)
自らの魔術はかき消され、相手の魔術は容赦なく襲い掛かる。
そんな状況でも戦意を失わない魔術師達に、コーネリアは感心していた。
だからこそ、惜しくも思う。
この若い芽を、旧い人間である自分が消さなくてはならないという事実が。
雷霆の新星はあくまで囮。
勿論、手加減をしたつもりはない。並の相手ならば、この一撃で全てが終わっていた。
今から放つ魔術は想定内ではあるが、コーネリアにとっては惜しみない喝采でもある。
「悪いな、若い魔術師たち」
雷光を受け止めた二人。テランとトリスの背後へ伸びるのは、空気を押し固めた刃。
不可視の剣が、若き魔術師の命を断とうとしたその瞬間。
「させませんってば!」
二枚の『羽・盾型』が、不可視の刃を退ける。
オリヴィアは気付いていた。雷光の最中、コーネリアの視線が微かに流れていた事に。
「オリヴィア!」
しかし、ストルは気が気でない。
もしも彼女が魔力を枯渇させてしまえば、これから先の戦いに支障が出るというのに。
いくら魔力を温存するように訴えても、彼女は動いてしまう。
「ストルこそ! 向こうをリタさんに任せて辛いのは解りますけど、状況見てくださいよ!」
ただ、オリヴィアにも言い分はある。
もう退かないと覚悟を決めた上で、彼女は声を荒げた。
「さっきのやり取り、見たでしょう!?
わたしたちが魔力を温存しても、魔術を掻き消されてしまったら意味がないじゃないですか!
だったら、全力で彼女を倒して結果的に魔力温存あるのみ!」
「それは、そうかもしれないが……!」
確かに、彼女の主張は筋が通っている。
魔力を温存しているのは、来るべき時に備えて魔術を行使する為だ。
だが、コーネリア・リィンカーウェルはその魔術を掻き消してしまう。
彼女が存在している状況そのものが、策の破綻を意味する。
故に、彼女を最優先で突破する必要がある。
「オリヴィア、君の言っていることは理解した。その通りだと思う」
オリヴィアの瞳は真剣そのもので、こうなってしまえば意見を曲げたりはしないだろう。
結果として全力で障害を取り除く事が魔力の温存に繋がるはずだと訴える彼女に、ストルが折れる形となる。
「だけどだな、私たちも魔術師だ。
彼女が魔術を掻き消す件は、どう対処するつもりなんだ?」
ただ、これだけは訊いておきたかった。
少しでも魔力を温存する為に。
「……それは、トライ&エラーですよ」
ばつの悪そうな顔をするオリヴィアに、ストルは唖然とした。
要するに今は無策だが、なんとかしてみせるという宣言に他ならない。
同意は早まったかとストルが頭を抱える一方で、ゲラゲラと笑っているコーネリアの姿が印象的だった。




