466.悪意への抵抗
雷鳴轟く曇天の中、ヴァレリアはピースと共に悪意へ立ち向かう。
ヴァレリアの持つ黄龍王の神剣。そして、ピースの持つ翼颴。
必然的に二人の攻撃は風を纏ったものとなり、ビルフレストを捉えようとする。
しかし、ビルフレストには届かない。
まるで元々身体の一部に備えていたかのように、縦横無尽に空を舞う。
加えて、同じく彼が吸収したクレシアは風の魔術を得意としている。
卓越した魔力操作を前に、二人は掠り傷すら負わせる事が出来ないでいた。
「何度繰り返そうが、無駄だ」
「偉そうに言うな! フィアンマ殿の翼と、クレシアの魔力操作が凄いだけだろ!」
相変わらず高みから見下ろすビルフレストに、ヴァレリアは気を吐いた。
空中に佇む男は眉ひとつ動かさないまま、淡々と言い放つ。
「仮に貴殿の言う通りだとしても。私の力の一部であることには違いない。
むしろ、褒め言葉だ。私の『暴食』が、正常に作用している証明となるのだから」
「ッ、ああ言えばこう言う……」
ヴァレリアとて『暴食』の能力はあれど、容易に力を得たとは思っていない。
知っている。士官学校時代から、彼の溢れんばかりの才覚は嫌と言う程見せつけられた。
ビルフレストに資質が備わっているからこそ、こうして手足のように扱えている。
ただ、ヴァレリアは突破口すら開けない現状で、可能性を手繰り寄せようと必死だった。
強がりのひとつでも吐けなくては、彼に蹂躙されてしまうだけに終わってしまう。
復讐よりも守護を選んだイルシオンに報いる為にも、このままでは引き下がれない。
「何なら、貴殿も私の力に加えてやっても良いぞ。
神器の継承者と成ったのだ。それだけの資格はある」
世界を統べる魔剣を右手に持ち替え、ビルフレストが急降下する。
先刻まで刃の届かない位置に居た彼が、一瞬にして眼前に現れる。
突き出されるは『暴食』。漆黒の左手が、ヴァレリアへと突き付けられた。
「ヴァレリアさん!」
声を張り上げるピースだが、『羽』は間に合わない。
咄嗟に放った風刃は、いとも容易く右手の世界を統べる魔剣によってかき消されてしまった。
「誰が、お前なんぞの中に入りたがるかよ!」
近付いてくる悪意を拒絶するかの如く。ヴァレリアは黄龍王の神剣を斬り上げる。
『暴食』の左手と神剣の刃がぶつかり、火花を散らせる。
いくら吸収と言えど、渾身の魔力を込めた神剣は喰らい尽くせない。
だが、ビルフレストには右手がまだ残っている。彼女の血を吸うべく、漆黒の魔剣が振り下ろされる。
「させ、るか……ッ!」
しかし、ヴァレリアの身を断つ事はピースが許さない。
風刃と黄龍王の神剣。
ふたつの攻防の末に、『羽』が彼へ届く時間を稼ぐ事が出来た。
漆黒の魔剣に負けないようにと一枚の刃になるよう重ね合わせられた『羽』は、ビルフレストの右腕に衝撃を走らせる。
「チッ」
ビルフレストは小さく舌打ちをし、世界を統べる魔剣で『羽』を弾く。
つくづく、ベル・マレットは厄介な魔導具を生み出したものだと感心をする。
ヴァレリアを仕留める絶好の機会だったが、この一瞬で彼女も体勢を立て直すだろう。
彼女の実力は、ビルフレストも理解している。深追いは危険だと再び宙に舞い上がろうとした彼を、捕まえる者が居る。
「おいおい、折角お近づきになれたんだ。もう少し、もてなさせてくれよ」
「なにを……」
黄龍王の神剣を左手に持ち替えたヴァレリアが、彼の右肩を掴んでいた。
指先を伸ばせば『暴食』の左手が触れられる位置だというのに、彼女は一切臆していない。
ヴァレリアの不可解な行動を前にして、ビルフレストの鉄仮面が僅かに剥がれる。
「そこまで喰われたいのならば、望み通りにしてやろう」
左腕を動かし、ヴァレリアへ触れようとするビルフレスト。
触れてさえしまえば、吸収が彼女を喰らい尽くす。
それでヴァレリア・エトワールは終わる。
「勝手にアタシの望みを決めんな! アタシの望みは、お前を止めることだ!」
だが、その触れるという動作が成立をしない。
ヴァレリアが全身全霊の力を込め、ビルフレストの肩を抑え込む。
恵まれた体格と、五大貴族由来の強い魔力を持ったヴァレリアだからこその芸当。
己の魔力を極限まで込めた、魔術金属製の籠手は彼の左肩を握りつぶす勢いだった。
「アタシもライラスも、力比べだけはアンタに勝ってたもんな。
あれも嘘っぱちじゃなくて、安心してるよ!」
「貴様……ッ!」
偽りの日々である、士官学校時代の戯れ。
主席であるビルフレストにヴァレリアとライラスが一矢報いる為に用いた勝負は、単純な力比べだった。
尤も、態々自分達が勝てる勝負を探してきたのだ。
戯れに敗けた程度でビルフレストは腹を立てない。気にも留めていなかった。
「へへ。今更になって、もっと鍛えておくべきだったって後悔したか?」
してやったりと笑みを浮かべるヴァレリアだが、彼女にとってもこの状況はギリギリだった。
一瞬でも力関係が崩れてしまえば、『暴食』の左腕は自分を喰らい尽くすだろう。
この好機は決して逃せないと、脳をフル回転させていく。
ビルフレストにはまだ世界を統べる魔剣が残っている。
「いいや、必要はない。ここで貴殿を斬り伏せれば、解決するのだから」
漆黒の魔剣を振り被るビルフレスト。
恐らくは、ピースの『羽』によって世界を統べる魔剣が弾かれている状況を想定していたのだろう。
しかし、その目論見は失敗に終わっている。策を強行したヴァレリアに、失敗を突きつけようとした瞬間だった。
「お断りだね」
振り被られた世界を統べる魔剣。開いたビルフレストの右脇。
彼の動きを追うように、ヴァレリアは左腕を振り上げた。
追従されるのは、左手に持ち替えられた黄龍王の神剣。
彼の右手を断たんとすべく、神剣の刃が悪意へ届く。はずだった。
「――なっ!?」
「な、なんだ!?」
突如、大地が大きく揺れる。
上下左右だけではなく前後にさえ身体は振られ、その場に立っていた者全員が体勢を崩した。
それはギリギリのバランスで掴んでいた、ヴァレリアの右手が剥がされる事を意味する。
「残念だったな。ヴァレリア・エトワール」
左手の自由を取り戻したビルフレストは、左肩から先を前へと突き出す。
『暴食』が狙うのは、密着をしていたヴァレリア・エトワール。
「ッ!」
下手に大地の揺れへ抵抗をせず、ヴァレリアはむしろ地面に発生した亀裂を利用した。
結果、ヴァレリアは己の身を倒れ込ませ、吸収の直撃を避ける事に成功する。
あくまで、直撃はだが。
「ぐ……うっ!」
僅かに抉られた脇腹から、血が止めどなく溢れ出る。
瞳に涙を浮かべながらも、ヴァレリアは下唇を噛みしめる事で声を最小限に抑えた。
「ヴァレリアさん!」
この一撃を避けても、ビルフレストはまだ密着したままだ。
彼女は抵抗する術を持たない。その前に二人を引き離すべく、ピースが『羽』を集めた瞬間。
「……!」
ピースはヴァレリアと眼が合う。
鮮血を大地の亀裂に流し込みながら、大粒の涙を蓄えた痛々しい女性の姿。
眼を背けたくなる光景だったが、出来なかった。
彼女の瞳は絶望に染まってはいない。
むしろ自分に指示を送っている。そんな気がしたから。
「終わりだ。ヴァレリア・エトワール」
ビルフレストは崩れ落ちた彼女へと跨り、世界を統べる魔剣の切っ先を大地へと向ける。
腕を下ろせば、そのまま漆黒の刃はヴァレリアの心臓を貫くだろう。
それでも彼女の眼は、まだ絶望を宿していない。
「終わらせたいのは山々だけど、それはアタシの方じゃ……ないんだよっ!」
ヴァレリアは黄龍王の神剣を握り締めては、強く祈りを込める。
注ぎ込まれた祈りは魔力と共に、刀身から暴風を吹き上がらせた。
颶風砕衝にも匹敵するだけの風が、至近距離からビルフレストへと襲い掛かる。
それは風そのものだけではなく、彼女から漏れ出る血液や割れた大地さえも巻き込んでいく。
「貴様……!」
身に打ち付けられた大地は礫というにはあまりにも大きい。
世界を統べる魔剣の刃は、ヴァレリアへ届くものではなくなっていた。
至近距離で浴び続ければ、暴風も相まってただでは済まない。
ビルフレストは一旦、空へと退避する。空から俯瞰的に見た上で、再び彼女を仕留める為に。
吹き荒れる暴風が、持ち上げられた大地が、吹き上げられる鮮血の粒が、ビルフレストの視界を遮る。
それらを生み出したヴァレリアを警戒するのは決して間違っていない。
彼女の術中に乗せられていると気が付いたのは、直後の事だった。
「――ッ!」
刹那、ビルフレストは自らへ迫りくる殺気を感じ取った。
否、殺気という曖昧なものではない。クレシアから得た探知が、風の揺らぎを読み取っていた。
自らの背後から向けられようとしている刃を視界に捉えたのは、必然だった。
「貴様が本命か」
ビルフレストが振り返った先で見たものは、ボードとなった『羽』に乗ったピースの姿だった。
翼颴を構え、暴風の隙間を縫うようにしてビルフレストとの距離を詰めている。
(気付かれた!? だけど、今更退けるか!)
ピースは自らの視線の先にある濁った眼に、若干だが怖れを抱いた。
それでも、決して退いたりはしない。退いてしまえば、身を呈してこの好機を生み出したヴァレリアに合わせる顔がない。
「うおおおおおおっ!!」
精一杯の勇気を込め、ピースは魔力で形成された刃を振り下ろした。
振り返ったビルフレストはまだ、完全な体勢を取れていない。
(いける!)
刃は確実に、ビルフレストへ届く。
そう確信をしたピースが、思い上がりだと気付くまでに時間は必要としなかった。
「――っ!」
翼颴の刃が、ピースの腕諸共吹き飛ばされる。
瞬きをすれば見失ってしまいそうな程、速い閃光が衝撃となって襲い掛かったものだった。
「狙いは悪くなかったのだがな」
ビルフレストの言葉に偽りはなく、彼は即席とは思えない連携に舌を巻いていた。
ピースの存在を蔑ろにしていた訳ではないのだが、ヴァレリアが派手に動いた事によりどうしても意識が分散される。
というよりは、ヴァレリアの重い一撃を片手間で受けられるはずもない。
彼の視点からすれば、作らされた隙を突かれた形だった。
しかし、彼は凌いで見せた。
自らが喰らい尽くしたクレシアとラヴィーヌの得意とする魔術によって。
ヴァレリアとピースは手札を使い切った。ビルフレストにとって、危機が好機へと移り変わる瞬間。
「ヴァレリア・エトワールより先に、貴様を喰らい尽くしてやろう」
不用意に近付いた事を後悔させるべく、ビルフレストは『暴食』の左手を伸ばす。
体勢を崩したピースでは、決して躱せない。吸収が、少年の腹へと触れる。
「マレット、信じてるからな……!」
まるで心臓を握りつぶされているような感覚を前にして、ピースは生唾を呑み込む。
左手は触れてしまった。逃げられないと悟ったピースだったが、希望の全てを失った訳ではない。
彼が危険を冒してでも直接的な攻撃を選んだ理由が、命綱だった。
「なんだ、これは……!?」
次の瞬間。ピースの身体が『暴食』の左手を拒絶する。
正確に言えば突如現れた強力な魔力が、吸収を拒絶した。
「魔力の盾か……?」
咄嗟に吸収を拒絶する魔力が発生したという事実を前にして、ビルフレストは眉根を寄せる。
直前に発したピースの言葉を鑑みる限り、またしてもベル・マレットの魔導具が作動したのだと想像出来る。
保険はあったのだ。彼が無謀とも思える突撃をするだけの、保険が。
ピースの腹。というより、肌着として着こんでいる魔導障壁が彼の期待に応えた形だった。
受けた衝撃に対して、魔力が一点に集中する事で防具としての役割を果たす魔導障壁は、どうしても本人の魔力に依存してしまう。
吸収に耐えきるだけの魔力を持ち合わせていた事に、ピースは安堵する。
「アイツ、マジで天才だわ」
亀裂の入った大地へと落下しながら、ピースはぽつりと呟いた。
自分を見下ろすビルフレストの顔が、愉快で仕方がない。
「小癪な真似を……」
無様にも地面へ引き寄せられるピースを見下ろしているにも関わらず、ビルフレストは苛立ちを覚えていた。
だが、その感情は彼の戦闘姿勢にとって不要なものでしかない。
事実、彼は吸収を防がれたという事実を前に大切なものを見失っていたのだ。
緑髪の少年。ピースは何故、落下しているのか。
確かに雷を以て魔力の刃を弾いたが、彼の足場まで崩してはいない。
『羽』は未だ、ピースの身体を支えていなければおかしいはずだった。
「どうした、ビルフレスト。えらくご機嫌ナナメじゃないか」
一部始終を地面から眺めていたヴァレリアには、カラクリが理解できている。
ピースの賭けを無駄にしない為にも、彼女は痛む脇腹を抑えながら黄龍王の神剣を地面へと突き立てた。
大地より吹き上がる風は槍となって襲い掛かり、ビルフレストの探知を狂わせる。
「――ガッ!?」
ほぼ同じタイミングで、ビルフレストの背中に刺すような痛みが走る。
続けて抉るように吹き荒れる風は、ビルフレストの翼をズタズタに裂いた。
「貴様……ッ!」
その答えは、今更問うまでもない。ピースの笑みが、そのまま答えなのだから。
彼が不自然に失った足場。『羽』が刺さっているのは、確実だからだ。
「いや、ホント。アイツ天才だわ」
繰り返すようにして、ピースはこの場に居ないマレットを称える。
雷による一撃を受けた瞬間。ピースはこの戦法を閃いた。
一瞬の閃光は互いにとっての目眩ましとなる。
追撃を逃れる意味も兼ねて、ピースは『羽』を分離した。
彼の視界に映らないように、上空へ逃がす形で。
結果として追撃は逃れられなかったが、魔導障壁が身を護ってくれた。
これまで、自分の身の回りに振りかかってきた悪意。
その元凶に一矢報いる事が出来たと、ピースはしたり顔でビルフレストを見上げていた。