465.英雄像
(あれ? これ最悪の状況じゃね?)
絶体絶命。
眼前に広がる数々の脅威を目の当たりにしてピースが真っ先に思い浮かべた単語だった。
鬼族と吸血鬼族を掛け合わせた異形の魔物、合成魔獣の大群。
魔術を打ち消し、神器の継承者すら手玉に取る魔術師の女。
『暴食』の左腕を持つ、世界再生の民の頭目。ビルフレスト・エステレラ。
王宮に現れた『強欲』よりも、余程戦力が整っている。
世界再生の民も理解しているのだ。
世界中にばら撒いた転移魔術が一同に集うこの地を手中に収めれば、悪意を送り込む事が容易になると。
彼らを炙り出し、世界をひとつにする為の策が裏目に出た形となっている。
オリヴィア達も到着まで、まだ時間を必要とするだろう。
援軍が来るまで持ち堪えられるか。
そもそも、数名の援軍でこの状況を打破できるのか。
覚悟を決めてこの地に訪れたはずなのに、現実は想像よりも遥かに厳しい状況に追い込まれてしまっている。
悪い方向ばかりに思考が偏るのも、無理は無かった。
「邪神の左腕をくっつけたと思ったら、次は龍族の翼か。
いよいよ本格的に人間離れしてきたな、ビルフレスト」
黄龍王の神剣の切っ先を向けながら、ヴァレリアは気を吐いた。
彼女も減らず口を叩ける余裕がある訳ではない。状況が最悪である事は、正しく認識をしている。
それでも。こうでもしなければ、圧し潰されてしまいそうだった。
ミスリアを護る。世界に悪意を振りまかない。かつての友である、ビルフレストを倒す。
彼女が背負っているものは、いつしか自分の限界を超えるほどの大きさに育っていたから。
「人間離れも何も。私には元々、魔族の血が混じっている。
そのような指摘など、今更だ」
「それも、どこまで本当だか疑わしいもんだけどな」
ビルフレストは自分へ向けられた挑発など意に介さず、空中で世界を統べる魔剣を構える。
母親の世迷言を信じているのかと吐き捨てるヴァレリアだったが、彼女が苛立つ理由は違う部分にあった。
昔から、ビルフレストは本心を隠すような眼差しを周囲に向けていた。
口数の少なさも相まってだろうが、まるで心の内が読めなかった。
けれど、彼は優秀だった。
寡黙ではあれど、口を開けば的確な指示や助言を出していた。
裏切ったとしても本質的には変わらないと思っていた。
だけど、今は違う。彼は自らが唆したアルマさえも切り捨てた。
自分以外はどうでもいい。『傲慢』に適合したフローラよりも、余程自分勝手なその様が気に入らなかった。
「ビルフレスト、ちょっと空を飛んで王様気分かもしれないけどさ。
アンタは人の上に立っていい人間じゃないよ。
だから、アタシが止める。今度こそ、絶対に」
ヴァレリアは未だに、自分が黄龍王の神剣に相応しいのか悩んでいた。
けれど、もしも自分にも役目があるというのなら。それは彼と戦う事以外に考えられない。
「貴殿では無理だ。実力差は解っているだろう」
「こないだ傷を負わされておいて、よく言うよ!」
まずはビルフレストを叩き落さなくては話にならない。
黄龍王の神剣より生み出された風が、薄い刃となって放たれる。
対するビルフレストは世界を統べる魔剣を以て迎え撃とうとした瞬間。
「空中で好き勝手させるか!」
同じく風を纏った翠色の刃が、縦横無尽に飛び回る。
翼颴から放たれたピースの『羽』が、ビルフレストの行動を阻害しようと襲い掛かっていた。
「ベル・マレットの魔導具か」
『羽』が生み出す予測不能な軌道を前に、ビルフレストはしきりに感心をする。
魔導石を用いた魔導具だとしても、マーカスでは作れそうにない代物だ。
自らの持つ世界を統べる魔剣にもマーカスが造った魔導石を搭載しているが、根本的な質が違う。
この辺りは経験の差。というよりは、発想力の差だろう。つくづく、仲間に迎え入れられなかったのが惜しいとさえ思う。
「だが、無駄だ」
尤も、それはあくまで『羽』に対しての評価となる。
襲い掛かる六枚の刃がビルフレストにとって脅威となるかと問われれば、首を横に振らざるを得ない。
伸ばした左腕。その切っ先から、魔力が迸る。
彼が喰らった魔術師の少女。クレシア・エトワールから得た魔力の制御を如何なく発揮する。
「なっ!?」
「クソッ」
乱された気流により、ヴァレリアとピースの攻撃は軌道を逸らされる。
ビルフレスト自身は余裕の佇まいで、依然として彼女達を見下ろしていた。
……*
「あれは……」
次々と湧いて出てくる合成魔獣を食い止めながら、イルシオンはその様子を視界に捉えた。
他の誰よりもクレシアと旅をしてきたからこそ、すぐに察する。
この風の操作は、彼女が得意としていたもの。それを彼は、自らの力として振舞っているのだと。
「クレシア……」
自分の不甲斐無さが。無警戒さが産んだ悲劇を前に、イルシオンは奥歯を噛みしめる。
今すぐにでもビルフレストへ刃を向けたいというのに、彼は必死に湧き上がる怒りを抑えつけている。
「堪えろ……。オレがするべきことを、見失うな……」
重く、浅く息を吐きながら自分へと言い聞かせる。
他でもない、クレシアと目指したのだ。自分は『英雄』になると。
だったら、己の復讐心に心を奪われてはならない。
世界を、国を、仲間を、民を護る。そう誓ったから、彼女も旅を共にしてくれたはずだった。
一方でイルシオンは、自分は何も知らなかったのだと思い知らされた。
自分が成りたかったものは、息苦しくて辛いものだった。
(道理で、皆から敬われるはずだ)
『英雄』と呼ばれる者達は、こんな気持ちを乗り越えて来たのか。
イルシオンは改めて過去の偉人達に、尊敬の念を抱いた。
自分はもしかすると、『英雄』と呼ばれる日は永遠に来ないかもしれない。
それでも。目指したものに背を向ける訳にはいかない。
クレシアの命を、他ならぬ自分が穢すなどあってはならないから。
「――ッ! ヴァレリア姉! フィアンマ! ピース!
この魔物達を一蹴するまで、オレはそっちへは行けない!
ビルフレストを……任せたッ!!」
本当は「自分に任せろ」という言葉が、喉から出かかっていた。
イルシオンは自らの理性で、本能を抑えつける。
護るべきものを護る為。彼は紅龍王の神剣を振り続ける。
「……はいっ」
正直に言って、ピースはイルシオンの事をよく知らない。
好意的に捉えるアメリアと子供だと揶揄するオリヴィアで意見は食い違うし、フェリーの中に潜む『魔女』の力を復讐に利用しようとしたとも聞く。
だけど当のフェリーは怒っていないし、シン本人は「もう済んだことだ」と語るに留まる。
ただ、なんとなくだが『英雄』を志す彼の行動理念は理解できた。
親近感を抱いたからだろうか。ピースはイルシオンに、悪印象を持ってはいない。
なんせ、自分だってそうなのだ。
襲い掛かる敵をバッタバッタと斬り伏せて、周りから羨望の眼差しを向けられたい。
その気持ちの行きつく先が、彼の持っていた英雄症候群だろう。
故に、彼の言葉には大きな意味があると捉えた。
イルシオンは自分の本心を押し殺してまでも、今の自らが為すべき事に従事する。
そう考えると、任されたものの大きさをより実感させられる。
否が応でも、応えたくなってしまう。
我ながら単純だと思いつつも、ピースは翼颴に魔力を込めた。
「イルのヤツ……」
そして、イルシオンの気持ちはヴァレリアにも伝わっていた。
本来なら、誰よりも彼がビルフレストを斬りたいと思っているだろう。
しかし、合成魔獣を放ってはおけない。
葛藤の末に選択した答えを、ヴァレリアは尊重してやりたい。
「任せろ! ビルフレストは、アタシがちゃんと討ってやる!」
隊長は自分だというのに、年下の子供に士気を上げられてしまった。
苦笑をしながらも、ヴァレリアは心なしか肩の荷が下りた。
ぐだぐだと考えていても仕方ない。ビルフレストを討てば、全てが終わる。
何より、この男は可愛い妹の仇だ。見逃すという選択肢は存在していなかった。
「多少士気が上がった程度では、実力差は埋まらないぞ」
「うっせえ! 今にそのツラ、歪ませてやるからな!」
下らない茶番だと一蹴しながら、ビルフレストは依然としてヴァレリア達を見下ろしている。
彼の言う通り、状況は依然として悪いままだ。
それでも、ヴァレリアには力が湧いてくる。先刻よりも強く、黄龍王の神剣の鼓動を感じる程に。
「……イルシオンの気持ちは解ったけど、お前を放置出来る状況でもないよな」
ヴァレリアとピースがビルフレストへ視線を向ける一方。
イルシオンの気持ちを汲み取ったからこそ、紅龍族の長であるフィアンマは魔術師の女から目が離せないでいた。
現状、この女が一番得体の知れない。
放置するなど、以ての外だ。
「へぇ、案外冷静だな。もっと気分が乗って、がーッといくと思ったよ」
女は腕を組みながら、口角を上げる。
記憶の中の火龍といえば、もっと熱血……というか、猪突猛進で暑苦しい生き物だった。
随分と成長したものだと、しきりに感心する。
「ボクだって行きたいのは山々だけどな。
アイツはボクの翼を奪った奴だ。赦せるはずもない」
「ああ……。それは難儀だな。
翼が無けりゃ、炎蜥蜴と間違われてもおかしくないもんな」
「誰もそこまでは言ってない」
同情しているのか、馬鹿にしているのか。
彼女の考えがいまいち読み切れず、フィアンマは形容しがたい気持ち悪さを抱いていた。
「ま、難儀なのはお互い様か」
「……?」
女がぽつりと漏らした声は、明らかに不満を醸し出していた。
先刻もそうだ。彼女は脅威ではあるが、自ら進んで世界再生の民の軍門に下ってはいないように思える。
ただ、戦闘そのものは愉しんでいる節が見受けられる。
何を考えているのか、皆目見当もつかない。
「お前は、何が目的なんだ? 強い奴と戦いたいだけなら、ビルフレストと戦ってもいいじゃないか」
「そうもいかないんだよ」
やれやれと、女は肩を竦めて見せる。
フィアンマは益々、意味が解らなくなっていた。
「ただな、ウチの馬鹿弟子が折角創り上げたモンを壊されるのは癪だ。
だからさ、出来る限りのことはするつもりだ。
その前にアタシを倒せるなら、それで構わない。しっかりとやり合おうぜ、火龍」
「ちょっと待てって、もう少し説明を!」
せめて自分の理解が及ぶように話して欲しい。
そう願うフィアンマだったが、女が彼の要望に応える義務はない。
彼女が手を振りかざすと同時に、周囲に暗雲が立ち込める。
天候すらも変えて見せる魔術の使い手を前にして、フィアンマは思考を戦闘へ切り替えざるを得ない。
一瞬でも気を抜いてしまえば、文字通り瞬殺される。
それだけは間違いないと、即座に悟った。