462.かつての友人
アルマとて、理解はしていた。
『強欲』の右腕に奪われない為だとはいえ、鋼鉄の剣程度でどうにかなる相手ではないと。
このまま戦闘が長引いたと仮定した場合、均衡が崩れる瞬間はそう遠くない。
勿論、自分達にとって悪い形で。
「アルジェント! 君は、君こそ、そんな姿になるが望みだったのか!?」
刃だけではなく、言葉を届けようとアルマは必至に訴える。
けれど、アルジェントは自分ではなくビルフレストを選んだ。
それは自分との関係は打算を介しての友情であり、享受できるであろう対価を放棄する間柄でもないという裏付けでもある。
現に彼とはこうやって、刃を交える関係だ。
都合二度の折衝が、事実なのだと突き付けてくる。
そう理解していながらも、アルマは声を届けようとした。
確かに、アルジェントにとっては利用できる存在だったのかもしれない。
しかしアルマの視点から見た場合、やはり彼の存在は特別だった。数少ない。
サーニャともまた違い、気さくに接してくれる同性の友人。
アルマにはこの表現が正しいかも解らないが、近所に住む兄貴分と言った方がいいだろうか。
兎に角、彼は身分を理解しながらも気にせず接してくれていた。
常に悪意と戦いに身を置く立場だったアルマからすれば、心休まる時間と今では思う。
「君はもっと、喰えない性格だっただろう!?
飄々としていて、どんな難題だって軽く感じさせてくれた。
決してそんな姿になってまで、必死に破壊に勤しむような人間ではなかったはずだ!」
世界再生の民に居た頃。彼はこっそりと、様々な遊びを教えてくれた。
中には博打も含まれていたが、屈託のない笑みを見せるアルジェントの姿が目に焼き付いている。
あの頃の彼ならば、少なくともこんな異形の存在に成り果てる事を受け入れなかっただろう。
そんな彼を知っているからこそ、アルマも心の底では彼との戦闘を止めたいと思っていた。
「ウルセェ……。元ハト言エバ……!」
しかし、アルマの想いがアルジェントへ届く事はない。
もう、何も与えてはくれない癖に。今更安い説得をして何だというのか。
そんな苛立ちが、彼を更なる怒りへと誘う。
アルジェントとて、好き好んでこんな異形に身を堕とした訳ではない。
だけど、そうしなければならなかったのだ。
砂漠の国でも。クスタリム渓谷でも。ミスリアでも。空白の島でも。
刻まれていく屈辱は、自分の価値が他者へ奪われているような錯覚に陥る。
他者の上澄み掠め取り存在を証明し続けた彼は、転落した先から這い上がれるような器量を持ち合わせているような人間ではない。
それを自業自得だとか、因果応報だとか。
自己責任という形で受け入れられるのであれば、アルジェントはそもそも『強欲』の適合を受け入れていない。
自らの右腕を挿げ替えた時。人智を越えた力を前にして、無限に広がると思われた選択肢。
その超常の能力に首が絞められるような事など、あってはならない。
選択を間違えてもいなければ、他者に奪われる様な弱者でもない。
アルジェントは失ったものを、奪われたものを取り返す為に、更なる悪意に身を捧げなければならなかった。
彼は気付いていない。いや、無意識化で認めようとはしていない。
自分自身が生み出した強迫観念によって、このような異形の形に成り果てたなどとは。
「ソンナニ言ウナラ、オレッチニクレタッテイイダロ!
ドウセモウ、ナニモモラエネェンダロヨォ!? ダッタラ、邪魔スンジャネェヨ!
オレッチハ、ココカラナンダヨ! コッカラ、ナンデモ手ニ入レルンダヨォ!」
今は奇跡的に受け入れられているかもしれない。
だけど、アルマはもうおしまいだ。王位継承権を剥奪された彼は、この戦いの後に平穏な日々を送れる保証などどこにもない。
ならば、自分にくれてもいいじゃないか。自分を友人だと思うのなら、身を引いてくれてもいいじゃないか。
身勝手な願いを叫びながら、アルジェントはアルマへと訴えた。
「……そうやって何かを手に入れてもきっとそれは間違っているんだ」
「アルマッチガ言エタ立場カヨォ!?」
アルマの言葉ひとつひとつが、アルジェントの癪に障る。
手を汚す事すら厭わなかった癖に。すっかりと絆されてしまっている。
結局のところ、アルマは綺麗事に身を委ねているだけだ。
所詮は世間知らずのおぼっちゃまで、本当の意味で己が汚れる覚悟なんて無かったに違いないとアルジェントは彼を断じた。
言葉を交わす度に、アルマの願いとは裏腹に心の距離は離れていく。
「解ってる! 君の言う通りだ! だけど、僕はもう祖国を護ると決めた!
君たちからも、ずっとこの国に蔓延っている汚いものからも! それが僕の、やりたいことなんだ!」
尤も。アルマはアルジェントの言葉を否定するつもりはない。
彼の指摘はなにひとつ間違っていなくて、自分は非難されるべき存在と理解しているから。
――どうしたい。
それでも、アルマはもう迷ったりはしない。
シン・キーランドがあの日、語った言葉を胸に生きて行くと決めたから。
全てはあの日、ビルフレストから見せられた汚いものを払拭する為に。
あんな悍ましい光景が生まれないようにする為、アルマは戦うと決めた。
「クソガ……ッ」
鋼鉄の剣が、アルジェントへと向けられる。
アルジェントは鱗から引っ張り出したナイフによって、刃を受け止める。
武器の質は雲泥の差だ。それでも、アルマの刃が重く感じた。
「ソンナガラクタニ、負ケルカヨォ!」
「ぐぅ……っ!」
ナイフから風の魔術付与を放出し、鋼鉄の剣を砕いていく。
魔導障壁がなければ、アルマ自身も風によって切り刻まれていただろう。
しかし、彼はアルマの言葉に感応した。
苛立ちを覚えたアルジェントの視界は狭まっている。
故に、見失っていた。自身へ接近する筋肉の塊を。
「おおおおおおおおっ!」
「ライラス!」
暴風によって遮られた視界の奥。
接収の使えない左側から、斧を振り被った男が突如現れる。
右手首から先を魔導具へと変えた大男。
ライラス・シュテルンが、強引に暴風を突破してくる。
「クソッ!」
咄嗟に右腕から切り離した鱗によって放たれるのは、紅炎の槍。
数こそそう多くはないが、無鉄砲に突進する巨大な的へ当てる事は造作もない。
「なんの、これしき!」
だが、ライラスは止まらない。
魔導障壁と鍛え上げた肉体を信じて、瞬く間に距離を詰める。
大きく振り被られた鋼鉄の斧。伸びた影が、アルジェントの身体を覆い尽くした。
咄嗟に後ろへ跳躍を試みるアルジェントだが、思うように身体が動かない。
剣を破壊され無手となったアルマが、彼の裾を掴んでいたからだ。
「アルジェント。逃がさないぞ」
「テメェ……!」
怒りで奥歯を噛みしめながら、アルジェントは風の魔術付与が施されたナイフをアルマへと突き立てる。
それは魔導障壁によって深く突き刺さる事は無かったが、アルジェントにとって意味のあるものだった。
通常の状態で彼の服を掴んだ程度では、奪えなかったかもしれない。
だが、今は違う。攻撃を阻止する為に発動した魔導障壁が、明確に魔力を発していた。
「ソンナモンガアルカラ、無茶デキルンダヨナァ?」
「しまった……!」
アルジェントはナイフを棄て、空いた右手でアルマの身体を掴んだ。
接収は瞬く間にアルマから魔導障壁を奪い、防御の要を失わせる。
「ホラヨ。テメェモ、ヤレルモンナラヤッテミナ」
そのままアルジェントは、右腕を振るい自分とアルマの位置を入れ替える。
アルマの頭上に伸びる一本の影。それは、ライラスが振り被った斧を振り下ろした姿だった。
「貴様……っ!」
魔導障壁が奪われてしまい、アルマの身を護るものは存在しない。
このままではアルマの身体を両断してしまうと、ライラスは咄嗟に斧の軌道を逸らす。
間一髪。鋼鉄の刃はアルマを避け、大地に切れ込みを刻み込む。
「はぁ、はぁ……」
斧を振り下ろし終えた瞬間。ライラスの全身の汗腺から、汗が噴き出る。
戦場でありながら痺れる両腕の感覚と、血の付着していない刃が自分を安堵させるとは夢にも思ってみなかった。
「チッ。チョットバカシ、早カッタカ」
もう少しタイミングが合えば、アルマは絶命していた。
ライラスにも、一生消えない心の傷を刻み込めただろうに。
目論見通りにはいかないものだと、アルジェントが舌打ちをする。
「アルマくん! ライラスくん!」
アルマは魔導障壁が奪われてしまった。
アルジェントから引き離さなくてはならないと、リタが妖精王の神弓を構える。
最短距離だけではなく、弧を描く様にもして。あらゆる角度から、アルジェントの動きを抑制しようとした瞬間だった。
「――っ!」
強烈で、醜悪な重圧が空間を支配する。
刹那、妖精王の神弓から放たれた矢がその動きを止めていた。
アルジェントとは違う、もっと禍々しい悪意の塊によって。
「女王サマモ、ズットウザッテェンダヨ。
オレッチガ、愉シメネェダロウガヨォ」
リタが妖精王の神弓から放つ矢は、徹底して神器そのものの力で放たれている。
接収で奪う事も出来ない光の矢は、アルジェントにとって鬱陶しい。
だから、彼女の相手は任せる事にした。
自分と同じ、更なる悪意を取り込んだ邪神の分体。『強欲』に。
「邪神の分体か……?」
遠くから戦闘を見守っていたギルレッグが目を疑うのも無理はなかった。
現れた『強欲』は、以前にクスタリム渓谷で見た姿とはまるで違っている。
漆黒に染まった肉体。その背中には、針鼠のように棘が敷き詰められている。
顔立ちも変わり果てており、悪魔のように伸びた角と鋭く伸びた牙は恐怖心を煽っている。
何よりも、変わり果てたアルジェントの影響を色濃く受けているのか。
鬼族を連想させる程に肥大化した両腕が特徴的だった。
「ガアアアアアアアアアッ!」
リタの放った光の矢を握りつぶし、『強欲』は咆哮を上げる。
声そのものからも感じる重圧により、リタの身が一瞬だが竦んだ。
その隙を逃す事なく、『強欲』は己の右腕を翳した。
出現するのは、無数の矢。
アルジェントが取り込んだ魔力の矢を、模倣によって再現する。
彼と決定的に違うのは、その身に注ぎ込まれたであろう悪意によって黒く変質している事だった。
「ダメっ!」
リタは瞬時に、その危険性を悟った。
元々模倣は、形そのものを創り上げる能力だった。
故に、厳密にはアルジェントの接収より恐れる事はない。
だが、出現させられたこの矢は違う。
凝縮された悪意により変質した矢は、最早闇の魔術と言っても過言ではない。
今までとは全く異なる脅威が、一瞬にしてリタ達へと降り注がれようとしている。
「ギルレッグさん、伏せて!」
言われるがままにギルレッグは頭を手で覆い、その小さな身体を地面へと着ける。
模倣による魔力の矢は、魔導障壁すらも突き破りかねない。
そう判断したリタは詠唱を破棄した上で、光精の帯による光の幕を生み出す。
イメージを練り上げる時間はほぼない。焼石の水程度の防御壁。
しかし。
リタは焦りから、僅かな可能性に身を委ねた訳ではない。
魔術が十分に創り出せないのであれば強化した方が早いと、冷静な判断を下した結果だった。
「妖精王の神弓、お願い!」
自らの眼前に生み出した光の幕へ向かって、リタは妖精王の神弓による光の矢を放つ。
祈りと魔力が注ぎ込まれた矢は、瞬く間に光精の帯を強固なものへと変えていく。
刹那、漆黒の染まった魔力の矢がリタ達へと襲い掛かる。
悪意の塊は、瞬く間に光精の帯とぶつかる。
王都全体に響くのではないかと錯覚するほどの轟音が周囲に鳴り響いたのは、直後の事だった。