461.懸念
天に現れたのは、水飛沫が創り出す虹だけではない。
炎、雷、竜巻。天変地異の前触れかと見間違う程に大気の景色が目まぐるしく変わっていく。
視界の先。遥か向こうで激しい戦いが繰り広げられているのは明白で、一刻も早く向かわなければならないと焦りを加速させていく。
反面、より凶悪な形で立ちはだかった『強欲』をリタ達へ任せた件に対し、後ろ髪が引かれる思いの者もいた。
「おい、本当に良かったのか!? リタ様たちを置いてきて!」
その一人であるトリスは、何度も後ろを振り返りながら問う。
眼前で広がる光景に負けず劣らず繰り広げられている死闘の余韻を、彼女の肌はまだ覚えている。
一歩足を踏み込むたびに、戻らなくて良いのだろうか。本来ならば、アルジェントを優先するべきではないだろうかと迷いが生じる。
「あー、もう! 『良い』か『悪い』かで言ったら、悪いに決まってるじゃないですか!」
対照的にオリヴィアは、後ろを振り返る事なく声を張り上げた。
決して彼女が薄情であるが故に、その台詞を吐いた訳ではない。
オリヴィアもトリスと同じ、もしくはそれ以上に残した者の身を案じている。
いや、彼女に限った話ではない。誰もが、『強欲』の危険性を正しく認識していた。
「だけど、『信じる』か『信じない』かで言ったら信じるしかないじゃないですか!
わたしたち魔術師が居ても、『強欲』相手にそうそう好機は訪れてくれませんよ!
後ろで指を咥えて待っているぐらいなら、イルシオンやヴァレリアさんの援護へ向かうべきでしょう!」
半ば八つ当たりに近いと自覚しつつも、言わずには居られなかった。
魔力を温存しろと命じられて、歯噛みしながらも守っている状況がもどかしい。
ある意味では、この中の誰よりもオリヴィアはフラストレーションを溜め込んでいた。
これから向かう戦場についてもそうだ。
仮に辿り着いたところで、自分に出来る事は限られているだろう。
それでも『強欲』と相対したままよりははるかに役立てるはずだと、オリヴィアは自分へ言い聞かせていた。
「ステラリード。君の気持ちはきっとリタ様にも伝わっている。
だからこそ、私たちは前へ進まなくてはならないのだ。リタ様の想いに応えるためにも。
ここで私たちが足踏みしてしまえば、それこそ水の泡だ」
苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、ストルがトリスへ感謝の意を示す。
一人の妖精族として、女王であるリタから離れなくてはならない。その事実は心苦しい。
万が一の事が起きれば、同胞達にどう詫びればいいのかすら解らない。
けれど、オリヴィア同様に自分には役目がある。ならば、それを完遂しなくては戦場へ赴いた意味が無い。
誰よりも辛い立場でありながらも、ストルは決して後ろを振り返ろうとはしなかった。
振り返ってしまえば、リタの元へ駆け寄ってしまいそうになるからだ。
「……そうだな。すまない、私こそただ喚くだけだった」
「気にしなくていい。君の気持ち自体は有難いと思っている。勿論、リタ様もだ」
「……ああ」
軽く握った拳を自らの額に当てながら、トリスは己の軽率さを反省した。
皆が皆。力不足を嘆きながらも、自分の為すべき事に向き合っている。
万事が上手く行くとは限らないからこそ、取捨選択を行っているのだ。
(私はまた、奴の言葉を軽んじてしまっていたな)
思い出されるのは、自分へ説法を解いた『怠惰』の言葉。
どうしても焦りの部分が出てしまうからだろうか。
今回もまた、彼の言葉を忘れて気負ってしまっている。
どうすればリラックスできるかぐらいは、彼へ訊いておくべきだった。
尤も。それが自分に適しているかどうかは別の話だが。
「それよりも。先行したお子様は無事なんでしょうかね」
オリヴィアは手を翳して前方を見るも、既に土煙すら見当たらない。
己の『羽』を繋ぎ合わせ、ボードを形成したピースが目にも留まらぬ速さで皆の視界から消えたのはほんの数分前の話だ。
視界の向こう。目的地では、激しく迸る魔術の形跡からイルシオン達がまだ戦闘を続けている様が窺える。
同時に、放たれた魔術は決して鳴りを潜めたりはしない。その事実は暗に、敵にも余力が残っている事を示していた。
まだ天秤はどちらへ傾いているか、オリヴィア達には判断できない。
だからこそ、最速でたどり着けるピースが先行する。
以前のように独断ではなく。最悪の事態を回避する為の判断の下、ミスリアの大地を駆け抜けていくピースの様は圧巻だった。
「それは、彼を信じるしかないだろうね」
「投げやりだな……」
結果は神のみぞ知ると言わんばかりに、テランが肩を竦めて見せた。
ピースの実力を信頼しているようにも、投げやりにも見えるその姿にトリスは困ったように天を仰いだ。
他の皆も、彼へ追い付くべく全力で走り続ける。
その中で、オリヴィアだけが目まぐるしく変わっていく状況に疑念を抱いていた。
(相手も相当な魔術師のはず。新種の魔物共々、イルシオンたちがどこまで踏ん張れるか……。
というか、そもそも相手はビルフレストなんでしょうか?)
あれだけ多彩な魔術を高威力で放てる者など、限られている。
無論、ビルフレストなら可能だと言われても不思議ではない。
彼自身の才覚は言うまでもなく、更に一流の魔術師であるクレシアやラヴィーヌまで『暴食』で取り込んでいるのだから。
けれども、オリヴィアは魔術師の正体はビルフレストではないような気がしていた。
少なくとも彼は、こんなに多種多様な魔術を一度の戦闘で行使する人間だとは思えない。
もっと絞り、詰めていくかのように魔術を放つだろう。
眼前に広がる光景はその印象とは真逆で、魔術の行使そのものを愉しんでいるようにも見える。
(だったら、誰が……)
尤も。それでは誰が代わりに魔術を行使しているのだろうか。
その答えを彼女は持ち合わせていない。
ただ、抱いた疑念は彼女へある仮設を齎した。
世界再生の民にはまだ、高位の魔術師が控えていると。
「全く……。どこのどなたかは存じませんが、この魔術大国で好き勝手やってくれますね」
本当に世界再生の民のやり方は気に食わないと、オリヴィアは毒づく。
『強欲』のように魔術師を否定したと思えば、自分達は好き放題に暴れている。
魔術師としての誇りを刺激され、彼女の胸中にふつふつと怒りが込み上げてくる。
「現着次第、お顔を拝見させていただきますよ」
ビルフレストでなければ、一体誰が暴れているというのか。
その答えをこの眼で確かめなければ、とてもオリヴィアの溜飲は下がりそうになかった。
……*
オリヴィア達が郊外へ向かう一方で、王宮での戦いは激しさを増している。
中でもギルレッグは一歩離れた位置から、リタ達の戦いを見守っていた。
戦闘に長けた種族ではない小人族は、どちらの戦場でも足手まといになるだろう。
それならばと、彼は王宮へ残る事を選択した。
『強欲』との戦いに於いてならば、ほんの僅かではあるものの、自分の役立てる可能性が残されているから。
「ぐっ……!」
アルジェントの鱗から放たれる稲妻の槍は、アルマの持つ鋼鉄の剣を根本から打ち砕く。
その一瞬に気を取られたライラスは、凍撃の槍によって己の得物である斧が凍り付く。
共に咄嗟に武器を棄てるしかない状況。けれど、二人の目は死んでいない。
小人族の王により、新たな武器が鍛え上げられている事を知っているからだ。
「ボウズ! ニイちゃん! 受け取れ!」
「ありがとう」「助かるぞ!」
アルジェントとの戦いで地面を転がるアルマとライラスへ、ギルレッグは己が鍛え上げた武器を手渡す。
運よく奪われていないとはいえ、炸裂の魔剣での戦闘は接収によって奪われる危険性がある。
それだけではない。下手に魔術金属や魔硬金属を使えば、それらさえも『強欲』の餌食となってしまうだろう。
とはいえ、ただ鋼鉄で造られた武器では心許ない。
現に、何度か接触をしただけで、アルマとライラスの武器は次々と破壊されていく。
まるで玩具のように失われていく武器。このままではやがて前線が護れきれなくなり、リタへ影響が及ぶのは時間の問題だった。
そこでギルレッグは、小人王の神槌を用いて武器の修復を試みる。
例え出来落ちだとしても、自分の執念がいつか風穴を開けると信じて。ギルレッグは力の限り槌を振るい続けた。
「ッタク、シツケェナァ……」
「どう思われようとも、僕たちは君を通すわけにはいかないんだ!」
もう、何本目かも解らないまま。鋼鉄の剣を握り締めたアルマは、アルジェントへと斬り掛かる。
眼前で翳された鱗から、魔術の雨が降り注ぐ。それでも構わず、アルマは魔導障壁頼みで強引に突破をしていく。
何度も、何度も、何度も。
自らの身が傷付き、武器が破壊されようと、アルマは強い心でかつての友へ刃を向ける。
「アルマッチヨォ……。ソンナキャラジャナカッタノニヨォ……」
そう呟くアルジェントの視線は驚いたというよりは、失望が色濃く含まれている。
魔術大国ミスリアの第一王子である彼は、恐らく今までの人生で苦労などした事は無かっただろうに。
自分以上に、他者の上澄みを掬って生きて行く人生だっただろうに。
それが今や、泥水を啜るように自らの可能性に縋っている。
血と汗を流しながら、ボロボロとなった剣を構えるアルマの姿。
それは、彼ではなくビルフレストに付いたのは正しかったのだとアルジェントに確信をさせてしまうものだった。
「君にどう思われようとも、これが今の僕だ!」
魔導障壁でも防ぎきれない傷を負いながら、アルマはアルジェントの懐へと潜り込む。
水平に振られた鋼鉄の刃を、アルジェントは右腕で防いだ。
「チッ」
漆黒の右腕に細かな傷をつける程度の軽い一撃であるにも関わらず、アルジェントは不快感を露わにした。
面白くない。
アルマの心持ちも、王宮の攻めを任されたにも関わらず墜としきれていない事も。
何よりこんな姿に変貌を遂げてまで、己の思うがままに進まないこの状況が、この上なく不愉快だった。