460.鳴り続ける警鐘
浅い呼吸を何度も繰り返し、肩を上下させる異形の存在。
生まれ変わった『強欲』の適合者を前にして、オリヴィアは考え得る可能性を脳内で羅列する。
(右手だけじゃない。肘も……。
いえ、袖で隠れているだけで二の腕や肩まで奪えるかもしれませんね)
魔力を奪い取る右手。接収はその悍ましさを増していた。
札として奪い取るのではなく、鱗として身体の一部へと変質させる。
更に言えば、以前のように掌で触れる必要はないと来た。実質、彼の右半身は強力な魔力への耐性を得たに等しい。
(兎に角、手数で押し切れないのは厳しいですね)
非情に厄介で、非常に面倒だとオリヴィアは心の中で毒づく。
接収は非常に強力ではあるが、取り回しの難しい能力だった。
以前の彼ならば、多少魔力を奪い取られても物量で押し切れただろうに。
その弱点を克服してしまった以上、今の状況がアルジェントにとっての不利とは言えない。
魔力の温存を抜きにしても、魔術師であるオリヴィア、トリス、テラン、ストルは勿論。
ピースの使う『羽』も無効化されてしまう。
あまつさえ、リタの妖精王の神弓もその威力を制限されるだろう。
邪神の能力に耐性を持つアメリア、単純な膂力で勝るであろうレイバーンの不在は大きな痛手となった。
現に皆、下手に奪われないようにと様子を窺っている。
優位性を握っているのは間違いなく、アルジェントだった。
「ゾロゾロト雁首揃エタッテ、ムダナンダヨォ!」
「アルジェント……!」
尤も、今の彼がそこまで考えられているかという点に於いては疑問が残る。
変わり果てたその姿は、最早正気を保っているのかすら怪しい。
眼球を目まぐるしく動かしながら吠えるアルジェントは、重力に潰されたままのアルマを踏みつぶそうと足を上げた。
「アルマくん!」
妖精王の神弓から光の矢を放つも、アルジェントは止まらない。
代わりに翳された右腕からは、リタの攻撃を拒絶するかの如く暴風が吹き荒れた。
「これは、颶風砕衝……!?」
吹き荒れる暴風は光の矢を呑み込むと、そのまま刃としてリタ達へと襲い掛かる。
テランが『羽・盾型』を展開して防御を試みるも、周囲の空気を取り込み竜巻は大きくなる一方だった。
「……本格的に反則じみてきましたね」
マレットの魔導具でさえ、ある程度の溜めは必要だというのに。
今の『強欲』には大した知識も、魔力も、そして予備動作すら必要としない。
魔術師の努力を否定しているかの如く暴れ狂う竜巻に、オリヴィアは奥歯を噛みしめる。
テランの『羽・盾型』を突破した颶風砕衝が、勢いそのままに襲い掛かる。
相当な実力者から魔術を徴収したのか。それとも、魔石か魔導石で強化を施していたのか定かではない。
ただ、このままでは竜巻は一行を呑み込んでしまう。
そうはさせまいと颶風砕衝へ杖を差し向けたのは、トリスだった。
「させるものか……!」
賢人王の神杖の持つ、魔力を拡張する能力ならば、収束する魔力を分散できる。
威力こそ跳ね上がっているが、本質的には同じ魔術。行けない道理はないと、トリスが奮闘する。
「頼む、賢人王の神杖……!」
ここで皆を傷付けさせる訳にはいかないと、トリスは全神経を賢人王の神杖へと注ぎ込む。
膨れ上がった竜巻にも臆さず、懸命に魔力への介入を試みる。
しかし、余程強い魔術なのだろう。威力を和らげる事には成功したが、魔術そのものを分解するには至らない。
「ぐ、う……!」
トリスの身体が、じりじりと暴風によって押されていく。
大地を踏みしめているはずの足が下がり、地面に線を引いていく。
このままでは押し切られてしまうと歯を食い縛った瞬間。彼女の頬を、一陣の風が撫でる。
「トリスさんっ!」
「少年……」
彼女の頬を掠めたのは、ピースの放った『羽』だった。
風を纏った翠色の刃は竜巻へ逆らうようにして、颶風砕衝の内部へと潜り込む。
内と外から魔術そのものを破壊するという彼の目論見を、トリスは咄嗟に理解した。
賢人王の神杖による干渉と、『羽』による内部の破壊。
そのふたつは確実に颶風砕衝の威力を弱める。
分厚く張られた風の層に見えた陰りを、リタは見逃さなかった。
「二人とも、ナイスだよ!」
敬愛する愛と豊穣の神へ祈りを捧げ、リタは妖精王の神弓を構える。
一層強く放たれた光の矢は、瞬く間に颶風砕衝を貫いた。
「アルマ様……っ!」
吹き荒れる暴風が霧散し、視界がクリアになる。
その先に居るのは異形の存在となったアルジェント。
竜巻の向こうで交戦しているであろうアルマの身を、皆は案じていた。
……*
「オラオラ、王子サマモダラシネェナァ!」
一方。颶風砕衝により視界が分断されている頃。
重力によって地面へと縫い付けられているアルマに土の味を覚えさせるかの如く、薄汚れた靴裏を押し付ける。
「アルジェント、もうよせ!」
身体の自由が取り戻せない中、アルマは身を引き摺りながら懸命に動かしていく。
アルジェントの足が地面を撃ち抜き、大地を通して衝撃が伝わる。
間一髪であると同時に、またとない好機。
彼から奪った炸裂の魔剣の刃を、向けようとした瞬間だった。
「――ッ!?」
ひらりと落ちた数枚の鱗から、微かな爆発が起きる。
接収によって封じ込めていた炎の魔術である事は明白で、不意を突かれたアルマの脳は混乱に陥った。
「ソノ剣ハオレッチノダ、返シテモラウゼェ!」
「そうは……させ、ない……!」
炸裂の魔剣を取り戻すべく、漆黒の右腕を振り下ろすアルジェント。
魔剣を奪われては一方的に蹂躙されるだけだと、アルマは彼の右手を拒絶する。
アルマは自爆覚悟で地面へと刃を叩きつける。
炸裂の魔剣に搭載された魔石により起きた爆発は地面を抉る。
「テメェ……!」
抉られ、吹き上がる土と自身の身体が吹き飛ばされる程の衝撃。
それらにより、アルマは物理的にアルジェントと距離を置く事に成功する。
何より、彼が放った重力から解放された点が大きかった。
多少頭をふらつかせながらも立ち上がったアルマは、刃を構えて臨戦態勢を取り直す。
「エラク、頑丈ジャネェカヨォ……」
眼球をギョロギョロと動かしながらも、腑に落ちないと訝しむアルジェント。
彼の指摘通り、相当の衝撃が起きたにも関わらず、アルマは平然と立ち上がっている。
「驚かせてしまったようだけれど、君の変わりようほどではないだろう」
不敵に笑うアルマだが、内心は彼自身も驚いていた。
王宮を出る直前に渡された服が、まさかここまでの防御性能を発揮するとは思っていなかったからだ。
製作したマレットによれば、名を魔導障壁というらしい。
肌着の一種であり、密着した面から得た魔力が絶えず服の中を駆け回っている。
そして、衝撃を受けた瞬間。駆け巡っている魔力は動きを止め、自動的に魔力による障壁を生み出すという魔導具だった。
魔導障壁が無ければ、恐らくアルマは重傷を負っていただろう。
マレットの生存率を上げるという想いが、眼に見える形で実った瞬間だった。
「言ッテクレルジャネェカ……」
アルマの表情が気に食わなかったのか、アルジェントは顔を引き攣らせる。
彼とて、好き好んでこのような姿へと変わり果てた訳ではない。
ただ、自尊心の高い彼は屈辱を抱いたまま生き続ける事も出来ない。
耐え忍ぶか、悪意に魂を売るか。二択を迫られた時、彼は後者を選んだ。
全ては自分を虚仮にした者へ真の悪意と恐怖を植え付け、高みから見下す為に。
「アルマくん!」
解けた竜巻が、土煙をも払っていく。
短い遮断を経て、再び全員が顔を合わせる。
「チッ、案外使エネェナァ……」
思ったよりも早く颶風砕衝が突破された事に、アルジェントは不快感を露わにした。
彼が今所持している魔術は、どれも超一流の魔術師によって放たれたものだ。
もう少し時間を稼いでくれてもいいものだろうと、毒づいていた。
ただ、アルジェントに対する有効打が少ないのは相変わらずだった。
下手に魔力を帯びてしまえば、瞬く間に接収によって戦力とされてしまう。
ましてや、彼にはまだ切り札が残っている。
邪神の分体である、『強欲』が姿を現していない。
「リタさん、ライラス。あのギョロ目は任せていいですか?
邪神の分体なら、アイツみたいに奪えはしないはず……」
あくまで以前と同じ性質ならば。と前置きをした上で、オリヴィアは小声で話し掛ける。
魔力を介さず攻撃を出来る者でアルジェントを制圧し、そうでないものは全力で『強欲』を迎撃する。
効率を求めた結果、それが最適解だとオリヴィアが出した結論だった。
「しかし、オリヴィア。お前の魔力は……」
「解ってますけど。そうも言ってられない状況になったら、わたしは躊躇なく魔術を使いますよ」
魔力を温存するべきだと口うるさく言うトリスへ、オリヴィアはスパッと言い切った。
温存をしなくてはならないとしても、出し惜しみをして死んでしまうのはごめんだ。
ましてや、自分の大切なものを奪われるのはもっと嫌だ。
「ストルも、いいですね?」
「……言っても、聞かないだろうに」
言質を取ろうとするオリヴィアに、ストルは呆れたようにため息を吐いた。
理解を示すしかないのだ。自分のところに居る女王と同じで、彼女は言い出したら聞かないのだから。
「その時は、私も加勢する」
「話が早くて助かりますよ」
お堅いストルにしては決断が早いと、オリヴィアが白い歯を覗かせた瞬間だった。
王都の郊外にて、虹が浮かび上がる。
「虹……?」
異様な光景を前にして、オリヴィアが訝しむ。天から雨は降り注いでいない。
恐らくは、水の魔術が吹き上げられた結果によるものだろうと想像は出来る。
問題は、そのような状況が起きている事だった。
「――っ」
「リタさん!?」
刹那、リタの背筋に悪寒が走る。
颶風砕衝をはじめとした魔術の応酬に眩んだか。
禍々しい悪意に中てられたからか。どうして気付かなかったのかと思う程に、強い魔力を感知する。
「郊外……。凄い魔力の持ち主がいる……」
「凄い魔力って……」
リタが身震いする程の魔力の持ち主など、限られている。
彼女が指し示した方角には、合成魔獣と戦うイルシオンやヴァレリアが居るはずだ。
ただ、彼らであるならばリタはここまで顔色が悪くなったりはしないだろう。
何より、舞い上がった水飛沫はイルシオンもヴァレリアも到底生み出しそうにはない。
異様な状況が、異質な存在が顔を覗かせているのは明らかだった。
「まさか、ビルフレストが……」
口走ったライラス自身、半信半疑でありながらその名を呟いてしまう。
同時に、全員の背筋に稲妻が走った。
確かに戦力が王宮に集中している今。脅威となり得る神器の継承者を始末するという選択は間違っていないからだ。
「まさか、そんな……!」
アルジェントを隠れ蓑にして、ビルフレストは王宮を狙う。
心のどこかで、その先入観を持っていた。故に周囲への警戒は決して怠っていなかった。
だがここで、そもそもの認識がズレていたのではないかという疑念が湧き上がる。
無駄だと思いつつも、アルマは問わずには居られなかった。
「アルジェント! ビルフレストは、どこに居るんだ!?」
「アルマッチ、バカジャネェノォ? 言ウワケ、ネェダロウガヨォ!
アヒャヒャヒャヒャヒャ!」
裂ける程に口を開け、高笑いをするアルジェント。
完全に馬鹿にされているが、それが却ってビルフレストの存在感を増していく結果となる。
「第一、ドウダッテイイダロォ?
テメェラハオレッチニ殺サレルンダカラヨォ!」
毛が逆立つかの如く、アルマの右腕から鱗が立つ。
警戒する皆を前にして、リタは妖精王の神弓による光の矢をアルジェントへと放った。
「シツケェゾ、女王サマヨォ!」
魔力を込めず、速射に頼る形ではアルジェントを仕留めきれない。
けれど、右腕から鱗を放出する事への牽制は出来る。
リタの指が止まれば、『強欲』は即座に牙を剥くだろう。
そうなる前に伝えなくてはならないと、リタは声を張り上げた。
「オリヴィアちゃん! ううん。魔術師のみんなは、郊外に行って!
『強欲』は、私が食い止めるから!」
ここに居ても、悪戯に時間を消耗するだけ。
ならば、一刻も早くイルシオン達の元へ行くべきだとリタは主張する。
「ですが……!」
「ストル! ここは、私の仕事だよ!」
しかし、ストルは逡巡する。
女王を置いてはいけないと迷いを見せる彼を、リタは一喝した。
「そりゃあ、いっつも仕事ほったらかしにしたりするけど。
ここは私がやらなきゃいけないの。それぐらいは判るよ。
ストルも、オリヴィアちゃんとやるべきことがあるでしょ!」
これ以上悲しみを産まない為にも。
後悔をしない為にも全力を尽くすべきだと、リタは述べる。
「ストル……。行きましょう」
懸命に戦うリタの姿も。彼女を慮るストルの姿も理解できる。
ただ。ここで悩んだ時間分、可能性は閉ざされていく。
リタが作ろうとしている時間を無駄にしない為にも、オリヴィアはストルの袖を引いた。
「……っ。解りました。リタ様、ご武運を!」
「そっちこそ、きっと危ないから気をつけてね」
一拍の間を置いて、ストルは躊躇いながらも頷く。
各々が為すべき事を成すべく。魔術師達は新たな戦場へと向かおうとする。
「サセルカヨォ!」
だが、アルジェントがその状況に見逃すはずも無かった。
一人でも多くの命を蹂躙しようと、鱗から稲妻の槍が放たれる。
「アルマッチ、テメェ……!」
迸る稲妻は一直線に魔術師達を狙い撃つが、爆風によって盛り上がった土に阻まれてしまう。
先刻同様、アルマが炸裂の魔剣の魔石を解放した結果だった。
「アルジェント、そこまでだ。君の相手は、僕たちで十分だろう」
「アルマくん……」
リタを護るべくアルジェントとの間に割って入るのは、アルマとライラスだった。
彼らは武器を構え、リタの盾となるべくこの場へと残る。
「妖精族の女王と戦う機会なんて、そうないんだ。
ここは加勢させてもらいますよ」
「ライラスくんも……。うん、お願い!」
神器を持つリタが全力を出せば、彼を組み伏せる事が出来るに違いない。
一縷の望みを賭け、少年達は悪意へと立ち向かう。
まだ最後の戦いは、幕を開けたばかりだった。